三時限目・序
「さて、そろそろ三時限目の講義が始まる時間ですね。おのおのがた、ご自分の席にお着きになってください」
「おー、委員長スキル発動だー」
「ま、それはいいんだけど」
「セイバーさん、もしやあなたはアルクェイドが定時にやって来るとお思いなのですか?」
「む、それくらいは講師として当然の勤めでしょう」
「甘い! 甘すぎます私と同じ食いしん坊スキルを保有ながら人気投票であっさり一位をかっさらいやがったナイチチ・ザ・73(セブンティスリー)!」
「なっ……! 誰が揉めるものなら揉んでみろと言わんばかりの驚異にして脅威の胸囲たる地平線バストですか!」
「誰もそこまでおもろむごい表現は使っていません」
「とにかく、あなたのアルクェイドへの認識は……
歯医者が三日で大富豪になれるくらい甘い!!」
「判りやすいのか判りにくいのか、判断に迷う喩えね」
「あのあーぱー吸血鬼が、決められた時間を守れるような上等なシロモノと思っては痛い目を見ることになりますよ!」
「いや、さすがに痛い目は見ないと思うけど」
「それはともかく、いかにも時間にルーズな方のようですし」
「むしろ講師然としたところを探すほうが困難のように思えるが」
「女講師のだらしなさはあくまでもスパイスに留まっているからこそ萌えるのであって、全身これルーズであるとかえって読者に媚びている観が無きにしも非ず!」
「みんな揃いも揃って、ずいぶんな言い草ねー」
「わっ!」
「我輩の背後をとるとは……できる!」
「いやあんた武術の素養とかないでしょーに」
「甘い! 甘すぎるぞ劇場版のルリルリより2つも年下でありながらちっともロリっ子と認識されていないフケ顔女子中学生!
地球の裏側からでもアリンコが這い寄って来てしまうくらい甘い!!」
「誰がフケ顔女子中学生じゃい!」
「我々おたくは山と詰まれたイカサマバトル漫画をことごとく読破しているわけであるからして、並の武道家などよりも知識ははるかに豊富!
なおかつ24時間フル稼働状態にある脳内妄想により、格闘シミュレーションのクオリティはまさしくヴァーチャルリアリティ!
そしてイメージ戦闘のキャリアは数百、数千に達しよう!」
「あなたは東京ドームの地下闘技場の17歳チャンピオンですか」
「それはともかくアルクェイド、いったいどのような風の吹き回しです?」
「へへー、私が講座を受け持ってるって志貴に話したら褒められちゃった。張り切っちゃうんだから。
ねねね、大人の女って胸キュン? 胸キュン?」
「あなたの場合は脳ガキュンで充分です」
「嫉妬に狂ったクリスマス女のやっかみなんて聞こえませーん。
あ、今回の講義は今までみたいに一気呵成にぶわーっとやるんじゃないよ。扱う期間がずいぶん長いからね。三つに分割して講義していくわ。
まず殷の実在が証明された経緯について。あとの二つは殷と周についての詳しい説明と衰亡の顛末についてよ」
「単に作者が息切れしたから小出しに発表していこうってだけじゃないの?」
「甘い! 甘すぎるわ製作者の都合で専用ルートが没を食らったおかげで人気がいまいち伸び悩んでるさっちん二世!
某半島の北半分の平均的男性が一粒で国家元首の体型に成り果てちゃうくらい甘い!」
「たしか男塾にそのような丸薬が登場したな」
「あれにはたぶん糖分なんて含まれてなかったと思うけど」
「こんなぶつ切りの構成になっちゃったのは、前回の講義の最後で口がすべったからよ。春秋時代の幕開けまでやるなんて無謀な宣言しちゃったものだから泣きを見るハメになったってわけ」
「どっちにしろ作者の責任に変わりはないでしょ」
「さてさて今回の講義はやっと歴史時代。夏みたいに後世の文献資料でしか確認できないような伝説時代とは違って、ちゃんと実在したことを証明できる第一次資料が現存している時代よ。支那大陸だとそれは殷から始まるわ。
でも、19世紀以前だと殷は空想上の王朝とされていたの」
「何で? 殷が中国最古の王朝だなんて、今どき中学生でも知ってることじゃない」
「単純に、殷がかつて実在していたという根拠がそのころまで見つかってなかったからじゃないですか?」
「ルリのゆーとーり。それまで殷を証明しているものは何百年も後の時代に書かれた文字資料だけだったの。『春秋左氏伝』とか『史記』とかね。
紀元前三世紀末の楚漢戦争で一方の雄だった項羽がまだ一武将だったころ、秦の降将と会盟したことがあったの。で、その場所に選ばれたのが殷墟ってトコ。読んで字のごとく、殷の廃墟“と伝えられている場所”よ。項羽が活躍したころには、殷はすでに過去の伝説として扱われていたの」
「歴史上の人物がさらに古い歴史上の土地にいるってわけか。
なんていうか、ため息しか出ないわね」
「なにやらエジプトのピラミッドを連想させるエピソードですね。
ペルシア戦争の顛末を記録した『歴史』を著した“歴史の父”ヘロドトス。彼はペルシアや南イタリアやギリシアなどの地中海世界を旅行し、丹念な調査活動を行いました。その一環としてカイロのそばの三大ピラミッドを訪れたのですが、そこで目にしたのは黒山のたかりとなった観光客。
紀元前5世紀当時、これらのピラミッドはすでに二千年以上も昔の建築物だったのです」
「揃いも揃ってなんつー古さよ」
「ちなみに『史記』の著者である司馬遷もまた“歴史の父”と讃えられています。西洋人は司馬遷を“東洋のヘロドトス”と呼ぶ場合がありますが、中国人にしてみればヘロドトスこそ“西洋の司馬遷”なのでしょう。
あと、司馬遷も通算で五回も中国を旅行したことがあり、そのときの取材を『史記』に反映させたりもしています。
この二人、けっこう共通点があるんですよ」
「東西の偉大な歴史家についてはひとまず置いといて。
殷の伝承を否定してた急先鋒が、前回の講義でもちょこっと触れた疑古派。100%確実ではないものにはとりあえず疑ってかかるって姿勢は、科学的思考に携わる人間としては正しいんだけどね。彼らは一つだけ見落としていたわ。
自分たちが生活する大陸の、馬鹿馬鹿しいまでに古い歴史をね。
さてさて、時は19世紀も残すところあと2年となりました1899年。所は落日の大国・清の帝都北京」
「中国の北京ってよォ……
日本語ではホッケイっていうんだが、
みんなは中国語通りペキンって発音して呼ぶ。
でも長安はみんな日本語でチョウアンって呼ぶんだよ〜〜
それって納得いくかぁ〜〜おい?
オレはぜーんぜん納得いかねえ……
なめてんのか―――――ッこのオレをッ!
中国語で呼べ! 中国語で! チクショオ―――ムカつくんだよ! コケにしやがって!
ボケがっ!」
「なんでギアッチョ?」
「いやなに、彼のスタンドが『ホワイト・アルバム』である以上、葉っぱキャラとしては紹介する義務があるだろう。
付け加えれば彼も我輩もともに眼鏡っ子キャラであるわけであるし」
「……そんなに私のアドバンテージを地の底までに引き摺り下ろしたいのですか?」
「呼び方も眼鏡もどーでもいいんですけど、時代としては悪名高い西太后のころですね。
日本にとって彼女は勝利の女神です。彼女が北洋艦隊を増強するべき資金を、自分の離宮の頤和園に注ぎ込んだおかげで、連合艦隊は黄海海戦で大勝することができたのですから」
「……なんと形容したものでしょうか。ドイツ第三帝国にとってのスターリンと言うか、ソヴィエト連邦にとってのヒトラーのような女性ですね。 だいたい自分の国の足を引っ張ってどうするのですか」
「だてに悠久にも感じられる支那三千年の歴史において燦然と輝く中国三大悪女の異名を奉られてはおらんというわけだな」
「そーいえば世界三大ナントカみたいなのはよく聞くんだけど、あれって誰が決めてるわけなの?」
「たぶん先に言ったもん勝ちなんでしょ。
あ、残りの二人は前漢の呂后と唐の則天武后よ。
ついでに中国四大美人ってのもいるから紹介しとくね。時代順に配列すると
春秋時代の西施……BC480年ころ
前漢の王昭君……BC30年ころ
三国志の貂嬋……AD190年ころ
唐の楊貴妃……AD740年ころ
ってなるんだけど、このうち西施と貂嬋は架空の女性なんだよねー」
「支那人の歴史認識がどのようなものなのかを示すいい例と言えよう」
「それはとにかく1899年の北京に戻るけど、ここに王懿栄(オウイエイ)というオッサンがいました」
「Oh Year!
Year! Year! Year!」
「素晴らしくハジけたネーミングセンスだな」
「その点については同感だけど。で、このオーイエー! は国子監の祭酒、つまり清王朝の最高学府の総長を務めていたの。当時の支那における最高レベルの知識人ってわけね。
で、このオッサンは金石学の権威として知られていたわ」
「キンセキガク、ですか? ヨーロッパでは聞かない学問ですね」
「字面や響きからすると冶金術や地質学に関係しそうなんだけど」
「もしくは鉱山業とか」
「ぜんぜんちがーう。金属器に鋳込まれたり岩石とかに刻まれたりしてる銘文絵画について研究する学問のことよ。支那人は金石に限らず、陶磁器や絵画みたいな芸術品に文章を書き込んだりハンコをぺたぺた押したりする悪癖があるの。そのおかげで古代文字の研究が発展したのはいいとしても、芸術品本来の美観を損なうことははなはだしいわ。
連中の美的感覚ってちょっとズレてない?」
「遠野君に出逢うまで、堕ちた真祖と死徒二十七祖を狩ることだけが目的だった殺戮機械がなにを偉そうなことをほざいているのやら」
「むー、言い返せない」
「勝ったッ!
第3部完!」
「ほーお。
それでだれがこのアルクェイド・ブリュンスタッドのかわりをつとめるんだ?
まさかてめーのわけはねーよな!」
「なに遊んでんのよ二人とも」
「まぁシエルで遊ぶのはそれなりに楽しいから」
「シエルさん“と”遊ぶわけじゃないんですね」
「格の違いってのを考えてよね。
さてさて金石学の続きだけど、その遠祖は北宋の欧陽脩と伝えられているわ。彼は政治家や学者としてだけじゃなくて名文家として有名で、日本の漢文の教科書にも彼の詩文が採用されていたりするのよ。日本人にとっても馴染みが深いでしょ。
とにかく金石学は王懿栄のころには数百年の積み重ねがあったってわけ。特に清代は考証学がヨーロッパとは別系統で発達してて、その精密さは相当なレベルだったわ。当時のアジアは学問が遅れていたような印象があるんだけど、人文学とかだと欧米と比べてもそんなに見劣りはしなかったのよ」
「それが理工学をおろそかにしていた弁明になるとは思えんがな。
弱肉強食の時代に国益に結びつかぬ学問が発達していてもたいした自慢にはならん」
「そんなふうに言われると、現代日本の理系離れが心配になってくるんだけど」
「ま、今は当時の支那にそーゆー学問があったってことだけ頭に入れときゃ十分だから。 王懿栄に戻るけど、このヒト持病の癪に苦しんでいたの」
「ふむ。時代劇に仮病としてよく使われるアレですか」
「そ、そのアレ。今じゃマラリアの方が通りはよくなってるけど。
さてこの病気、西洋医学だと特効薬としてキニーネが知られてるけど、もちろん東洋医学じゃそんなのはないからね。漢方医は患者に竜骨を服用させてたの。
あ、竜骨ってったってもちろんホントの竜の骨ってわけじゃないよ。時代は近代だってのに、幻想種の痕跡なんて遺ってるはずもないからね。実際は年代を経た亀の甲羅とか獣の肩甲骨とかなの。その材質から甲骨といわれることもあるわ。
で、服用するさいには薬屋で売っている竜骨を磨り潰しで粉末状にしてから患者に飲ませるの。ところが使用人がサボってたのかどーかは知らないけど、まだ粉になっていない竜骨が王懿栄の家にあったの。
そしてそれに目をつけたのが王懿栄の食客だった劉鉄雲」
「親分と違ってずいぶんカッコいい名前ね」
「正確には劉が姓で鉄雲は字、名は鶚よ。本来なら劉鶚っていうべきなんでしょーけど、字の鉄雲の方が有名だからこっちで通すね。
あ、字ってのは成人した際に贈られる通称のことよ。ついでに言えばさっき挙げた項羽なんだけど、羽は字で名は籍なの。でも項籍だとなんかしまらないのよねー。
字を使わずに名前で呼ぶのはとんでもない非礼とされたわ。本名を呼び捨てにできたのは、それこそ両親か師匠か皇帝くらいのものだったの」
「魔術担当の一口コーナー!
自分の真実の名前が秘せられるべきだとされていたのは、中国に限らず古代社会じゃ普遍的なことだったの。名は体を現す、じゃないけど古代人にとっては疑いようもなく名=体ってふうに認識されていたの。名前はその対象の意味そのものだからね。で、イコールで結ばれてるものだから、真実の名前を知ることができればその相手を自分の思い通りに操ることができるって考えられていたの。そしてそれを防ぐために仮の名前が必要とされたわけ。
科学的知識を背景に持たない古代人なりの論理学ね。
ちなみにこのへんを魔法のシステムとしてうまく組み込んだファンタジー小説がル=グウィンって作家の『ゲド戦記』。大河小説としての壮大さではトールキンの『指輪物語』(映画『ロード・オブ・ザ・リング』の原作ね)に一歩譲るけど、ファンタジーとして構築された世界観としてはこっちの方が優れてるんじゃないかな?」
「補足させていただきますと、日本のような歴史の古い国ではよほど親しくもない限り相手を姓や役職で呼びますが、それは名前を避ける習慣の名残です。これがアメリカのように独立から3世紀も経っていないような薄っぺらな国では、ファーストネームどころか略称を使用して平然としています。
勘違いされると困るのが、このやりかたが英国でも通用すると思ったら大間違いだということです。さして親しくもない相手をボブとかジムとか、アメリカ流に呼んでしまうと英国紳士を面食らわせること請け負いですのでご注意を」
「さりげに毒舌ですね」
「なんだかんだ言って、あんたもイギリス万歳野郎ってことか」
「野郎とはなんですか野郎とは! 私は女性です!」
「あ、いちおー自覚してたんだ」
「確かに、生前はそのようなことを考えたことなどありませんでした。
シロウとの出逢いが私の何かを壊してしまったのです……」
「じゃ、イギリス万歳女カ?」
「わけのわからない表現はやめてください!」
「怒ったり照れたりまた怒ったり、忙しいことであるな」
「口ゲンカはやめましょうよ。
ほらほら、劉鉄雲の話に戻って」
「おいーっす。
劉鉄雲はその略歴を羅列したらそのまま小説になりそうな波乱万丈の人生を送ったわ。
「いや……そりゃまたスゴイ生涯としか言いようがないわね」
「で、劉鉄雲は医学や文学や数学や科学に精通してたんだけど、それに加えて金石学の素養もあったの。
そこでようやく彼が王懿栄の家で竜骨に目をつけたトコに戻るんだけど、そこになにやらラクガキみたいな文字が刻まれていたの。素人ならなんの注意も払わずに見過ごすところなんだけどそこはさすがに傑物の劉鉄雲、自分が知っている周代の青銅器に鋳込まれた文字よりもさらに古い文字らしいってコトを見抜いたの。
これが世に名高い甲骨文字の発見の瞬間よ」
「おぉー!」
「ドラマですね」
「で、王懿栄にも見せたところ意見が同じで、二人でこの文字について研究することにしたの。そこで劉鉄雲は北京中の薬屋を回って竜骨を片っ端から買い漁っていったわ。もちろん文字の刻まれていないものには見向きもせずにね。比較研究するには大量のサンプルが必要になるし、なによりモノの価値のわからない患者の腹の中におさまっちゃう文化財を保護しなくちゃいけないし。
その結果、竜骨の値段はうなぎ上りに高騰していったわ。それだけなら市場の原理で済ませられるんだけど、そこで終わらないのが金の臭いにはいつも鋭い支那商人。
ぶっちゃけ偽造したの。
まっさらな竜骨に文字を彫り付けて、『これぞ本物!』って売りさばいていったわけね。
お仕舞いには文字を巧く刻むことができることを専業にするような職人が出てくるわ、専門の贋作屋が看板を掲げるわ、『あんたら自分のツラの皮の厚さを競い合ってんの?』って訊いてみたくなるような連中まで出てきたわ」
「さすが支那人、我輩の期待を裏切らない不埒な悪行三昧であーる!」
「そーゆー暗い期待はやめなさい」
「薬として売っていたころは無傷のほうが高い値段がつくからって、文字みたいなのが刻まれていた場合は削り取ってまっさらにして陳列してたくせにね」
「もったいなっ」
「そのせいで甲骨文字研究が遅れているって可能性もあるわけですね」
「ま、まあそれも100年も前のことですし。とりあえず時効ということにしておきましょう。
さすがに現在はそのような極端な拝金主義はなくなって……いるでしょう……たぶん」
「優等生らしい庇い方ねー。言っとくけど、支那人は100年前からちっとも変わってないわよ。
てゆーのは作者が実際に目にしたことなんだけど、ちょっと以前に戦国時代の楚のものだって触れ込みの竹簡が発見されたって話があったの。実際、ここ数十年ばかし支那大陸から古代の文字資料がぽこぽこぽこぽこ発掘されてきてるし。
ここからは余談なんだけど、21世紀における三国志時代の研究は呉を中心としたものになるだろうって言われてるの。その理由が、魏や蜀とは比較にならないくらい豊富な第一次資料。1996年、湖南省の長沙市の走馬楼ってトコの古井戸跡から竹簡がざっと十万枚ほど発掘されたの。これって20世紀に支那で見つかった文字資料のほぼ半分に相当する数字よ。日本の古代史だったら、文字が書かれた資料が見つかっただけで大騒ぎになるってのにね。日本史学者にしてみればうらやましすぎて涙とヨダレがいっぺんに出ちゃうような話よまったく。
それはさておき、さっき言ってた竹簡がどうも贋作くさいってんで、作者の大学の教授が鑑定を依頼されて、竹簡のカラーコピーが送られてきたの。で、鑑定の結果が完全無欠の真っ赤なニセモノ。文字そのものは確かに当時の楚のものがいくつか使われてたんだけど、文章がまるで意味を成さないものだったのよ。たとえば不必要なまでに干支が書かれていたり。“楚文字は知っているが古文については完全に無知な人間が偽造した贋作”ってのが教授の結論だったわ。そのあと科学鑑定もやったらしいんだけど、やっぱりというかなんというか、つい最近の偽作だってわかったの」
「……なんですかそれは。
なんなんですかそれは!
中国人は学問に払う敬意を持ち合わせてはいないのですか!!」
「あー、それ作者も教授に訊いたことがあるわ」
「その答えは?」
「そんなもんないだろ、だってさ。
ま、支那人を即物的なリアリストと見るか、拝金主義のエゴイストと見るかは個人の自由だけどね。国民性の違いってことにしときましょ。
支那人の暗躍はとどまるところを知らなかったわ。そのころには文字の刻まれた甲骨を扱うのは薬屋じゃなくて骨董屋になってて、一文字いくらで取引されてたの。で、小売業者としては劉鉄雲に産地に直接行かれて買い叩かれてはうまい汁が吸えなくなる。
とゆーわけで。まるっきり関係のない場所を“甲骨の産地だ”って吹き込んだの。
そしてその陰謀を劉鉄雲は!」
「ズバッと見抜いた! ……のでしょう?
「コロッと騙された! ……のだにゃー。
自分の所蔵してた甲骨に加えて、王懿栄の遺した(このヒト、北清事変で八カ国連合軍を防ごうとして敗れたもんだから毒を飲んで井戸に身を投げて国難に殉じたの)コレクションの拓本をとって紹介した『鉄雲蔵亀』って著書に“甲骨は河南省陽陰県に出土する”って大間違いの記述を残しているもの」
「なにやってんだか」
「現地に飛んで自分で調査しろ」
「おそらく欧米列強とのゴタゴタで国内が不安定だったのでしょう」
「西洋人相手なら成功できる人間でも、支那人相手では手もなくやりこめられる。
やれやれ、支那人が天性の商売人というのもあながちデタラメではないらしい」
「劉鉄雲についてはこのへんでおしまい。話は羅振玉に移るわ。このヒトはラストエンペラー愛新覚羅溥儀の家庭教師になったり、満州国の参議に任命されて奉職したりしたんだけど、甲骨文字の研究でも有名なの。劉鉄雲と交友しててね、さっき挙げた『鉄雲蔵亀』の刊行を勧めたりもしたし。
彼は1909年に自分の足で甲骨の産地に赴いて、翌年に『殷商貞卜文字考』って本を著し、さらにその次の年には弟を伴って現地で直接甲骨を購入してるわ。
ちなみにその現地ってのが河南省の安陽県、小屯村。かつて殷墟と呼ばれたその土地よ。
『古代人の伝承は真実だった!』って確信したに違いない羅振玉だったんだけど、彼はその年のうちに亡命を余儀なくされるわ」
「なんで?」
「年号」
「1909年の2年後?1911年……ああ、なるほど」
「帝国歌劇団が上演する舞台である帝国劇場が落成した記念すべき年であーる! あ、『サクラ大戦』では大帝国劇場であるが。
はーしーれー、こぉそくのー、てーいーこーくかげきだー……」
「無理矢理ボケるなっ!」
「無理矢理とは失敬な。
我輩にしてみれば脊髄反射で導き出される解答である。
このような基本的な事柄についてはもはや大脳を介在させる必要すらないレベルにまで到達しておるのだよ、この我輩は!」
「一般人に理解できるように翻訳すると、“オタッキーな世界についてはもはや治療不可能な領域にまで堕落し果てちゃってるんです、このダメダメ人間は”となります」
「む、これほど奇妙奇天烈複雑怪奇、常人とは思考のベクトルそのものが違う言語を苦もなく理解できるとは……感服つかまつりました」
「この男は相手にするだけ時間と労力と忍耐のムダよ。
あ、1911年ってコトは辛亥革命でしょ? 実を言うとそれくらいしか思い浮かばないだけなんだけど」
「ぴんぽんぴんぽん。
ちなみに羅振玉の亡命先は日本だよ。当時はアジア各国から留学生が押し寄せてきてたし、羅振玉にしてもとりたてて奇妙な選択だったわけじゃないの。
日露戦争の勝利以降、日本はアジアの輝ける星になってたから」
「四十年後に流れ星になって燃え尽きちゃったけどね」
「あなたの祖国も一緒に落っこちたでしょうに」
「やっぱりドイツ人とフランス人って仲が悪いのかな?」
「ドイツとフランスに限らず、ヨーロッパの諸国は天地開闢以来飽きもせずに戦争ばかりしているのでたいてい仲が悪いものです」
「羅振玉は単身渡海したわけじゃなくて、後に甲骨文字学の基礎を確立した娘婿の王国維と一緒に亡命してきたの。
この二人の甲骨文字研究はそれぞれの姓を取って“羅王の学”ともいわれるわ」
「ラオウの学!?」
「いや、世紀末覇者は関係ないから」
「もっとも支那本土だと羅振玉は王国維に比べて評価が低いんだけどね」
「満州国の役人になった人間が中共において人気を博すはずもなかろうが」
「出処進退と学術的功績とは関係がないはずと思うのですが……」
「世の中そんなふうに割り切れたら楽なんですけどね」
「で、彼らは日本の支那学者(当時はこんなふうに呼ばれてたのよね)の双璧と謳われる内藤湖南と狩野直喜、他にも京都大学の学者たちと親交を結んで甲骨文字の解読を進めていったわ。
日本での8年間に及ぶ亡命生活で羅振玉は1913年に『殷墟書契前編』八巻を刊行したわ。その後編も出版は日本でだったし。
で、王国維も岳父にゃ負けてられんといったかどーかは知らないけど1917年に『戩寿堂所蔵殷墟文字』を著したわ。ちなみにこの年は日本人の林泰輔が『亀甲獣骨文字』を世に問うたり、カナダの宣教師が『殷墟卜辞』を出版したりと、甲骨文字の専門書の大フィーバーだったの」
「なんでカナダ?」
「さぁ」
「下調べが杜撰ですね」
「ふーんだ。シエルのやっかみなんて気にしませんですよーだ。
羅振玉は甲骨文字に登場する人名を研究して、『史記』の殷の王の系譜がほとんど誤りがなかったことを証明したの。なんせ著者の司馬遷は殷が滅んで千年近く後に生まれたからね。『史記』の記述の正確さには世界中が驚嘆したわ。
てなわけで甲骨文字が発見されて三十年近く経った1928年、ようやく支那で初めて公式に殷墟が発掘されることになったの。通算15回に及ぶ発掘作業の過程で数千個の甲骨片が出土し、これらの解読が行われた結果、それまでは幻の王朝でしかなかった殷王朝の姿が、歴史的事実として浮かび上がってきたってわけ。
特に1976年に、盗掘をまぬがれた完全な状態で発見された5号墓は世界中に大きな衝撃を与えたわ。
後に甲骨文字の研究で、この殷墟が第十九代国王の盤庚によって遷都されてから殷が滅亡するまでの13代273年間に渡って殷の首都だったことが判明したの。
こうして疑古派は支那歴史学の表舞台を去り、代わって釈古派が第十九代国王の盤庚、つまり古代の伝承をできるだけ科学的に解釈していこうって学派が主流になっていったのだー」