☆未來妄想・第二次大東亜共栄圏への道程☆

注)これはmaaと愉快な仲間達掲示板にて士月様が投稿されたのをまとめたものです。
その1

 200×年、アジアの世界史教科書では必ず特筆大書される歴史的事件が日本で起こった。
朝日新聞社に対しての国家反逆罪の嫌疑による起訴である。

 原告は先月に第9×代内閣総理大臣として就任したばかりの人物である。彼はその手腕と、(当時の日本としては)右寄りの過激な発言で多くの敵を作ったが、それ以上に国民の圧倒的な支持を得ていた。

 この事件が当時としても巨大な話題性を持っていたことは、産経や読売新聞のような大手新聞が翌日の一面をそのニュースで飾ったことからもうかがえる。ちなみに被告である朝日新聞の見出しは「新政権は言論弾圧政権」だった。

 言うまでもないことだが、日本は現在に至るまで司法は行政から独立している。独裁国家ではないので、元首の意向がそのまま判決につながることはない。被告は徹底抗戦の構えを見せ、自系列のメディアを総動員して弁護に努めた。これに対してNHKを筆頭とする他の報道機関は、あるいは攻撃し、あるいは擁護し、あるいは逃避した。

 これについてはテレビや新聞で連日報道され、国内では空前の規模で物議を醸すことになった。
当時の日本人ははっきりと二分され、中立は許されなかった。世論は沸き立ち、日本人は自国の歴史に対する歴史を再認識させる必要性を痛感させられた。そしてそこに老若は関係はなかった。この話題にもっとも敏感に反応したのが、日本史を学ぶ立場にある学生と、教える立場にある教員であったからである。

 ある中学校では、日中戦争の意義というはなはだ難解で意地の悪い質問に対して満足のいく解答を与えられなかった日本史の教員が、訊いてきた生徒に暴力を振るうという事件が起こった。逆に高校では、数に物を言わせた生徒たちが日本史の教員を吊るし上げるという行為が頻発した。
 あるコメンテーターは、「まるで全共闘だ。しかしそこには理想もなく、熱意もなく、展望もない。あるのは狂気だけである」と嘆いた。彼が全共闘時代の活動家であったことはよく知られている。

 この事件の意義の大きさは、このような限られた紙面ではとうてい語りつくすことはできない。
そのため、ここでは当時の首相の最晩年に行われた、彼に対してのインタビュー記録を抜粋して終わりとする。

 「私があの時に願ったのは、朝日新聞の廃刊ではない。確かに一つのメディアが偏向した記事や捏造した事件を報道することに対して苦々しく感じていたことを否定するつもりはない。しかし私の真意は何よりも、全ての日本人が、自国の歴史について真摯に取り組むきっかけを与えたかったことにある。
 私は、日本人が正しい歴史観というよりも、より間違っていない歴史観を身に付けてほしかった。
日本人が右にも左にも寄りかからない、健全な精神で物事を判断できる民族になることを望んだ。
『俺は日本人だ!』と誇りをもって叫ぶことができる人を一人でも増やしたかった。  その結果がどうなったかは、君(インタビューした記者)にはもう判っているだろう?」

 妄想というか電波をそのまま書いてみました。大東亜共栄圏の復活はともかく、 一億総左翼というべき現状を打破するきっかけはこんなところかと思っています。

その2
 先に引いた朝日新聞起訴事件について、欧米のマスコミは現在で一般的に言われているほど過敏に反応したわけではなかった。
 確かに一国の元首が特定のメディアを攻撃したというのは大きなニュースだったが、起訴から裁判に至るまで法に背くところが全くなかったためである。アメリカ大統領は「あいまいな日本が話しやすい国になってくれそうだ」と好意的な発表を行った。ヨーロッパ各国も右に倣えの姿勢だった。

 もっとも第二次世界大戦で日本とともに辛酸を舐めさせられたドイツなどは例外的に、喝采を浴びせかけんばかりに絶賛した。

「日本の首相は偽善に立ち向かう不断の闘争者である!
 彼は歪められた報道を否定する真実の追究者である!!
 彼は虚偽に対して聖剣を振るう正義の執行者である!!!」

というドイツ連邦大統領の演説は、大戦後の枢軸国がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによってどれほど被害をこうむってきたかということを、後世の我々に想起させる。

 この時点のドイツでは、未だにホロコースト批判者は犯罪者であった。自分たちの手で祖国の冤罪を晴らすことができなかった彼らは代償行為を求めていたのである。当時のドイツでは、日本人と判れば自宅に引きずり込んで無理矢理に料理を振る舞ったとかいう類いの珍談がいくつも残されている。

 ドイツのような例外を除けば、この事件はむしろ東洋に大きな波紋を投げかけた。
中国の軍拡に対して脅威を感じていた東南アジア各国は、「強い日本」の誕生を期待して、こぞって英断であるとした。インドやパキスタン、中東諸国もまたこの話題で紙面とブラウン管を賑わしたが、朝日新聞を擁護した国は絶無と言ってよかった。右傾化によって日本のODAの額が減少するのではないかと心配する人士もいたが、あくまでも少数派に留まった。
 あえて言えば、第二次大戦の被害者であると主張することで少なくない額の収入を得ていたイスラエルくらいであろうか。

「大東亜共栄圏成立の背景は、この時期にはすでに醸成されていた」とはよく言われているし、重要視しすぎることは危険だがその萌芽としては決して揺るがせにできるものではなかった。

 この風潮に真っ向から逆らったのは、極東三馬鹿国家の愛称で親しまれ、現在にまで使い切れないほどのジョークの種を提供してくれている中国と北朝鮮、ついでに韓国だけであった。
 この三国は国際間で使用できるボキャブラリーの限界に挑もうかという勢いで日本政権を攻撃した。
 朝日新聞もまたそれらを全面に展開、「アジアは未だに日帝を忘れていない」と論難した。
 あの新聞にとって、アジアは先の三国しか範疇に入っていなかったのは現代の歴史家にとっての常識である。三国はどう考えても内政干渉としか受け取られないような発言を連発し、ついには日本の内閣を解散にまで追い込んだ。もっとも「アジアのガン、地球の敵」とまで罵倒した当の本人にはその後に行われた総選挙であっさり返り咲かれ、彼らの手元に残ったのは日本国民の反発と国際社会の非難だけだったのだが。

 昨日に続いて第二弾です。えらく日本に都合のいい展開ですが、妄想ということで見逃してもらいましょう。何というか、ドイツの首相がノリノリです。

その3

 国民の圧倒的支持を背景にした第二次組閣に際して、世界中の国際アナリストの誰もが想像できなかった人物が外務大臣に抜擢された。
 彼は世界的に、いや本国でさえも無名で、さらに外務省官僚時代の彼を知る人たちはみな否定的な評価しか与えなかった。
 それらを総括してみると、新しい外相は「無能な働き者」ということになる。
ワイマール共和国の参謀総長フォン・ゼークトにしてみれば処刑するしか手の打ちようがない人材になるだろうか。

 しかし当時の日本の対外戦略にはこれ以上ないくらいの適材であった。ろくに頭を働かせずに国益ばかり考えて失言を繰り返す外交官は、外国にこそ履いて棄てるほどいるが、日本ではダイヤモンドよりも貴重だったのだから。
 猛毒も、時と場合によっては良薬になるといういい証左である。

 彼の舌鋒の矛先は主として韓国に向けられた。手元にある統計資料によると、彼の失言・暴言の類いの70%は極東三国家に対してのものだったが、そのうちの韓国が占める比率は八割強であった。

 しかしながらアジア各国に対してはほとんど対日感情を悪化させるような発現はしていない。むしろ欧米の方が被害を受けているのである。この数字を見れば、日本政府がどのような意図を持っていたかが知れる。

 彼は日本がこれまで甘んじて来た、倭寇の略奪・壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)・明成皇后(閔妃)暗殺・日帝36年の搾取(韓日併合・土地強奪・創氏改名・ハングル文字の禁止・日本語の強制・焚書・歴史改竄・3.1独立運動の弾圧・関東大震災の際の韓国人六千人虐殺・強制連行・従軍慰安婦・etc)
 在日への差別・歴史教科書・靖国神社参拝問題という、後世の人間でさえうんざりするような反日イデオロギーに凝り固まった歪曲と捏造と難くせと言い掛かりによる、謝罪と賠償と援助の要求に対していちいち反論した。
 その内容についてはたしかに行き過ぎといえるものもある。元寇や応永の外寇に対する論難、学歴偏重に対する批判、外国人差別に対する攻撃、鬱火病に対する嘲弄、言論弾圧に対する冷笑、自国文化の破壊に対する侮蔑、人身売買に対する罵倒などがそれである。
 それについてはしかし、完全に客観的な地点に立ったとき、それまで日本がこうむってきた韓国の仕打ちを考慮に入れれば同情の余地があったとだけ言っておこう。

 日本の少なくないメディアは彼を英雄のように扱い、あるテレビ特番では彼を陸奥宗光や小村寿太郎と肩を並べる有能な外交官であるように持ち上げた。それが全くの的外れで、過大評価もいいところであることはいうまでもない。
 ここで注目すべきは、日本の世論が極左から次第右に傾きつつある状態だったという点である。
 彼が口を開くたびに韓国人は、諸民族に抜きん出て高い脳内カプサイシンもあいまって危険なまでに血圧を上げた。
 これを取り上げて非難した韓国人ジャーナリストに対して、外相は「ついでに脳溢血を併発してくれれば世界の風通しも良くなるだろう」という暴言で返した。それを聞いて卒倒した韓国人の数は三桁に上ったという。「利なれば之を誘い、乱なれば之を取り、実なれば之に備え,強なれば之を避け,怒なれば之を撓(みだ)し,卑なれば之を驕らしめ,佚なれば之を労(つか)れしめ,親なれば之を離せしむ」

(『孫子』計篇)

 調子に乗って第三弾です。ここに登場する外相にはモデルはいません。こんなのがいたら問題でしょう。
 あと、最後に引いた孫子はただの趣味です。怒なればナントカの部分しか文章に適っていませんが。
早く90式戦車やDDHや89式小銃やシグ・ザウエルP220を出したい。

その4

「孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」

 あまりにも有名な、『孫子』の冒頭である。そして孫子はこの警句に続いて、五事七計に基いて彼我の総合戦力を比較計算すべきであると説く。その筆頭に挙げられているのが、道である。もちろん道徳の類いではない。

 「道とは、民をして上と意を同じうし、之と死すべく、之と生くべくして、危(うたが)わざらしむることなり」

 つまりは挙国一致体制、国内世論の統一である。日本の外相起用も、これを目的としていた。しかし光があれば影があり光が強ければ強いほど影は濃くなる。

 1960年代の韓国は三反主義(反日・反帝・反共)をスローガンとして、アジアでのかつての植民地(正確には併合)としては、台湾と並んで先進国に駆け上がった。日本に追いつけ追い越せ、という精神は確かに漢江の奇跡を成し遂げた原動力の一つに数えられるだろう。

 しかしそれはすさまじい副作用、長期的に見れば利点をはるかに上回る劇毒を孕んでいた。極端な反日と自国美化をバックボーンにした偏向教育による、韓国人の夜郎自大化である。

 「宗教は民衆にとってのアヘンである」とレーニンは言ったが、当時の韓国を見る限り、それは教育についても当てはまるだろう。
 日本の外相が、自分が抜擢された理由を把握していたかについては、総ての史料が沈黙している。

 しかし結果だけを見ればはっきりと認識しており、さらに首相の期待に完璧な結果で応えたと言えるだろう。
 つまり、軽率で過激な発言だけで韓国の対日感情を悪化させ、日本が国際的非難を浴びるだけのはっきりした根拠も無しに、韓国からの国交断絶という向こうにとっての最悪の愚挙に導いたのだから。

 日本の外相の韓国に対する最終的な一大痛棒は、極言すれば当然のことに過ぎなかった。
大臣就任の二年目には彼が韓国国債の売却をちらつかせることは恒例になっていた。そしてそのついでに口の端に乗せた、

 「日本にとって韓国はOne of Themだが、韓国にとって日本はOne of Oneである」

という発言は当時の日本と韓国の国際的環境を考えれば100%正しい評価なのである。

 それにも係わらず、韓国は彼らの頭の中だけに築き上げられた砂上の楼閣に寄り掛かって、異常なほどに過敏に反応した。
当時の韓国在駐の外国人レポーターの報道を引用する。

「現在の韓国の国情は筆舌に尽くしがたい。国民が揃って発狂したとでも評するべきか。国家レベルにおける鬱火病発症のこの上ないサンプルとして、我々に提供してくれたことについては感謝すべきなのであろう。朝鮮民族特有の精神病であるので、どうにも有り難味が涌かないのだが」

 しかし冷静に分析できない韓国人たちは、「日本がなくても我々には何の問題もない。むしろ輸入超過による150億ドル超の貿易赤字が解消される」というあきらかに現状を無視した誤認識を蔓延させた。
 部数増大を目指す新聞社や、票数獲得を望む与野党の国会議員がそれを助長した。その風潮に警鐘を鳴らした知識人や経済学者は親日派のレッテルを貼られ、その著作は発禁処分や有害図書指定を受けた。

 そしてついに、韓国は日本との国交を断絶した。決断をためらって下からの突き上げを食らっていた大統領は、翌週の調査では韓国史上最大の支持率を記録した。

 呪いのように続く第四弾です。今回は無駄に故人からの引用が多くなってしまいました。
 それと、あまりにも韓国を馬鹿にした書きぶりですが、そのような冷静な批判を補って余りある馬鹿というのもまた事実なんですよね。
 

その5

 韓国による国交断絶宣言によって、日本は輸出・輸入ともに第三位の地位にあったパートナーを失った。
もっとも、日本と韓国の間の物流がすぐさまストップしたわけではない。他国における断交と貿易の両立関係について一例を挙げてみる。

 1972年の日中共同声明の調印によって日本は台湾との国交を破棄することになったが、その後も民間レベルの交流は続けられたのである(それについては日本政府が、断交に至るまでの事情を説明するため椎名悦三郎自民党副総裁を特使として派遣するような外交処理も物を言った。ちなみに韓国の1992年の韓台断交は、日本に対してと同様の一方的な宣言であって、そのために韓国と台湾の間には感情的なしこりが残った)。

なお、当時の台湾の最大の貿易相手国はアメリカを抜いた日本であった。
 日台関係と同じように、日韓の交易もしばらくは続いた。しかしそれは長いものではなかった(対日感情が両極端といっていいくらい違う台湾を引き合いに出す方が間違っていたのかもしれないが)。
 日韓両者の相手に対する感情の悪化に加え、中国やASEANと比較したときの韓国の賃金の高さ、韓国の知的所有権に対する認識の低さ、1997年のIMF危機に見られる韓国経済の不安性、「国交は無くなったが日本には韓国に援助を続ける義務がある」という虫のいい言いぐさなどもあいまって、日本企業は急速に韓国から手を引いていった。韓国政府による日本の海外資本の強制的な接収という、最悪のケースすら考慮に入れる必要があった。

 つまるところ、日本は韓国を失ったところで致命傷にはならなかったのである。
その逆、日本を失った韓国の目を覆わんばかりの転落は、ここで述べるには紙数が足りない。
 しかし対韓貿易黒字はそれなりの痛手であった。ただでさえ当時の日本は(わずかながら上向きの傾向にあったとは言え)10年以上も続いた不況の只中にあった。デフレスパイラルと名づけられた供給過多の状態にあり、失業率は5%に手が届き、円高に苦しんでいた。日本の前政権であった小泉内閣も投資減税や構造改革を唱えていたが、抜本的な解決にはなりえずに退陣を余儀なくされた。ここへ来て、1兆円を超す額の貿易黒字の消滅である。ここでもし舵取りを誤っていれば、日本経済の縮小はとどまるところを知らなかったであろう。
 デフレギャップを埋めるために、日本政権は経済学の基本に立ち戻った財政政策を執った。
防衛費の増大を代表とした、「生産力を伴わない投資」である。

 いつもより少し短い第5弾です。
無理なく無駄なくきっちりと日本が勝利するためには、やはり経済再建について触れておかなくてはならないようで。おかげでようやく自衛隊が増強できます。
 次回もまた経済の話です。
その6

 財政再建の手始めとして、政府はまず国債を乱発した。強気で攻めの政策に転換したのである。
そしてまずお定まりの公共事業への投資を行った。日本国内の食物自給率を上げるという名目で、第一次産業に多額の補助金を出した。日本の産業の底辺を支える中小企業の援助には特に力を入れた。さらに漫画やゲームやアニメなどの、世界に誇りうる文化に対しても補助金を出した。

 現在ではどうにも想像できないのだが、上記の創作群は当時の日本では子供の慰みとして、小説や映画などよりも一段低く見られていた。これについては、小説が書かれるようになった頃は韻文である詩よりも劣っているとされ、映画が撮影され始めた頃は演劇よりも純粋な芸術として劣っているとされた、歴史的事実を考慮に入れればいくらか理解できるかもしれない。

さらに日本では、自分についてはほとんど誇らないという謙譲の美得が精神的風土になっていることも忘れてはならないだろう。

 財政政策の話に戻るが、なにしろ予算はうなるほど与えられていたのである。公的資金を注入できる場所を鵜の目鷹の目で探した。対GDP比で減少傾向にあった財政支出を、いかに増大させてやろうかとやっきになっていた。

 しかしながら設備投資にはほとんど金を回さなかった。これはバブル期からの高水準の設備投資額に原因がある。試みに数字を挙げてみると、‘85年から対GDP費に占める設備投資額は16%を超え、‘90年には20%を突破している。バブルがはじけて以降は減少傾向にあったが、それでも14%を下回ることは無かった。設備の陳腐化による減価償却費を含めても、あきらかに過剰投資であると言えよう。

 IT革命に沸いて設備投資を増大させていた時期のアメリカでさえ12%台に留まっており、さらにその後はデフレを恐れて減税を行ったことを含めればいっそうその数字が強調される。

 前政権からのゼロ金利対策は続行された。減税は徹底して行われ、発泡酒・たばこの増税や社会保険料の徴収増に類するような愚策はやらなかった。

 需要政策を中心とした経済政策に、野党の他に小泉政権の構造改革路線を支持していた議員たちが大きく反発した。「あなたは借金苦で自分の子孫たちに首を吊らせるつもりなのか」という内容の批判に首相は、日本の純債務のGDP比は先進七カ国で一番低いことを指摘した(日本の21%に対してアメリカは46%、ドイツは50%)。このように首相の答弁は大体数字を挙げるものだったが、ときには欧米流の文学的修辞も使用した。「現行の巨額の支出は無意味である」という反対派の意見には「あなたには無意味に見えるかもしれないが、その内側には大きな意味が込められている」と反論。「無意味の意味」という言葉がその年の流行語大賞に選ばれた。

 かつて国家総動員法の施行や配給制度の開始などの経済統制により、「贅沢は敵だ!」という標語が生まれたが、そこに素の字を乗せて「贅沢は素敵だ!」と皮肉った笑い話がある。

 しかし21世紀初頭の日本は、大真面目に「贅沢は素敵だ!」と叫ぶ必要があった。
そしてそれが国民に浸透していくにつれて景気は回復していったのである。

 無謀ともいえるほどの巨額の財政支出により、ようやく内需が増大した。
これについては韓国との国交断絶によって、貿易黒字の限界性と国内需要の重要性が取り沙汰されるようになっていたことも要因の一つに数えられるだろう。内需が増大したことで過剰設備の稼働率は高上し、飽和状態に近づいた。売上高と利益は増加し、投資は投資を呼んだ。ゼロ金利政策はここでようやく実を結び、国内に澱んでいた貯金は底を尽きかねない勢いで吐き出されていき、膨大な金が企業に流れ込んだ。
積極財政を否定してきた人々の「需要の増加は物価の上昇を引き起こすから実質的な所得に変化は無い」という主張は全く外れ、物価の上昇率は亀の歩みよりも遅かった。
現実にはデフレギャップが埋まっただけであり、ハイパーインフレが起こりうる要因など存在しなかったのである。
 経済政策の成功は、政府への支持をゆるぎないものにした。かつて反対していた議員やエコノミストたちは手のひらを返して、自分だけはこうなることを最初から予測していたと言いふらした。前政権は売国奴の集団のように罵られた。

 緊縮財政の弊害を非難する風潮は、出版界にも及んだ。経済学書のような硬い本ばかりではない。
新井白石をコテンパンに論破する荻原重秀や、徳川吉宗を笑い飛ばす尾張大納言宗春や、松平定信を時代遅れだと罵倒する田沼意次のように、あきらかにフィクションが幅を利かせる歴史小説や漫画が立て続けにベストセラーになった。バブル時代の流行歌やドラマがリバイバルされ、大きな話題を呼んだ。

 好景気は続いた。その年の経済成長率は4%を超え、来年以降の平均成長率も高水準を維持した。
失業率は激減し、路上や公園に氾濫していたホームレスは姿を消した。日本は長く続いた不況からようやく脱することができたのである。

 経済のことばかりにかかずらって量が増え、分割する羽目になった第6弾です。
経済政策については主に高橋是清に取材しました。
しかしこの人の生涯は波瀾万丈というか八方破れというかめちゃくちゃというか、 本当に日本の歴史には英雄豪傑が掃いて捨てるほどいますな。
 あと日本経済について考えれば考えるほど、小泉さんが支持されている理由がわからなくなってきました。
その7

 政府は自衛隊を増強するために、三ヵ年で防衛費をGDP比の5%にまで引き上げた。これについては、世界恐慌時代のアメリカが財政政策のために軍事費を15%にまで増大させたことを例に挙げ、これでも少なすぎるくらいだと言った。防衛費の増大については公式的にはあくまでも経済政策であると主張した。

しかし周囲に目を遣れば、国交を断絶した韓国のみならず、世界最大の陸軍を擁する中国や、人口の4%強を常備兵として抱える北朝鮮のような軍事大国に海を隔てて囲まれている状況にあった。
むしろそれまでの防衛費の低さこそ攻められるべきであったろう。正義無き力は暴力だが、力無き正義は無力なのだから。

 防衛に関しては、ハードのみならずソフトの面でも向上が図られた。かねてからの懸案であった有事法制は立て続けに整備されていった。第一分類(防衛庁の所管のもの、自衛隊の有事における対応に関する法制)に関してはほぼまとまり、自衛隊は当面の戦闘行為に関しては現状に即した柔軟な対応ができるようになった。
 第二分類(防衛庁以外の所管のもの、日米安全保障条約に伴う米軍の行動に関する法制)・第三分類(所管官庁が明確でないもの、国民の保護を目的とする法制=国民保護法制)の重要な問題については先送りにされたが、活発な議論が途切れることなく続いた。
 しかしここで日本政府は致命的なミスを犯した。防衛計画は基本方針から見直されたものの、戦略の目標を「とにかく日本本土に一兵たりとも敵の軍隊を侵入させなければいい」という点に置いたのである。

 五倍に膨れ上がった防衛費は主に海自と空自に振り分けられ、陸自はほとんど恩恵に預かることができなかった。これは日本が海洋国家であることに加えて、未だに専守防衛論者が根を張っていたことにも起因する。陸上戦力を増強することは侵略戦争を助長・正当化することであると彼らは主張していた。

 日清・日露戦争が大陸で行われた戦争というだけで否定する余地のない侵略戦争だったと妄信する輩である。
 軍事力とは国家が保有する強制力である。それが実行力を持つには、相手国に侵攻して重要拠点と軍隊を制圧できるだけの実力が必要とされる。そしてその実力に裏打ちされた戦力を保持することによってのみ、外交による威嚇と軍事的抑止力は効果を発揮する。相手国からの侵攻を防ぐための戦力だけでは、外交のテーブルで自分の意思を相手国に強制させることはできないのである。そもそも国を守るということは、領土のみならず領海・領空を戦場にしないことなのだ。

 しかしこのとき日本は、最大の契機を活かしきることができなかった。最終的な勝利を掴みとるために必要な陸上戦力を増強できず、日本海や南シナ海を越えるための法制度を整備することもできなかった。
それは今後の極東情勢に対して常に後手に回らざるを得ない結果を産むことになってしまった。

 海上自衛隊は「こんごう」級のイージス艦の保有数を倍増する計画を立て、防空能力を飛躍的に増大させた。また2004年に建造予算が計上されたヘリ空母16DDH(満載排水量1万8千トン)は六隻を予定し、艦齢三十年を超えて退役した「はるな」と「ひえい」の後継艦となった。

護衛艦とミサイル護衛艦も併せて建造され、「新八八艦隊」は八個群となった。P−3C哨戒機やSH−60J対潜ヘリコプター、哨戒艦艇数の増加にも力が注がれた。それに較べて輸送艦や強襲揚陸艦の建造量は防衛費の増大に見合ったものではなかった。

 次々と就役してゆく艦艇を動かすための人材の育成が急務とされ、志願制ということでもともと大きかった人件費は膨大な額に上った。  航空自衛隊は特筆するような戦力増強は無く、予算に応じた調達を行った。90式戦車の年間調達台数をどうにか30両にまでこぎつけた陸上自衛隊の涙ぐましい努力とは対称的であった。

 戦略ミサイル迎撃ミサイル(MD)の予算は増大し、目的が単純でありかつ行動の迅速性が要求される(仮に北朝鮮からミサイルが発射された場合、戦闘時間は約十五分)ことからも、陸海空とは独立した戦略ミサイル防衛隊を組織するに至った。

 話は逸れるが、有事法制整備の一環として自衛隊員が警察の許可を得ずに自衛隊用以外の銃を使用することが許可されるようになった。それを受けて、自衛官が私費で購入した拳銃や日本刀を携帯することが流行った。「拳銃を見て興奮しない奴は男じゃない。日本刀を見て魂を震わせない奴は日本人じゃない」という至極もっともな真理が大勢を占めた。そして自衛官は官給のシグ・ザウエルP220では飽き足らなくなった。

 結果として、コルト=パイソンとスミス&ウェッソンM29とコルト=ガバメントMKWとベレッタM92FSとデザートイーグル.50AEをその日の気分で使い分けたり、最強の拳銃弾454カスールを使用するレイジングブルに銃剣を付けて振り回したり、銃など役に立たんと豪語して一振りの日本刀を佩びるだけだったり、シグ・ザウエルP226にレーザーサイトを付けたり、モーゼルM712とマテバM2006Mの改造拳銃でジョン・ウー撃ちをやらかしたりする、趣味に走った士官たちを増産した。

 武器に対する憧れという、男として当然の欲求は自衛隊への志願者を増大させた。
 完璧にはほど遠いものの、日本は着実に戦闘能力を増していった。そしてそれを民意が後押しするようになった。そこで大きな影響を及ぼしたのが、映画や漫画を中心にしたプロパガンダである。

 私の本性というか、馬鹿さ加減が露呈し始めた第7弾です。そもそも趣味に走っているのは自衛隊の士官ではなくて私自身です。
その8

「“萌え”はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。
 “萌え”とは、風薫る春の日に草木が芽吹くさまを意味する日本語の動詞“萌える”を語源とする名詞である。日本語では“萌える”(動詞)や “萌えー”(感嘆詞)や”萌え○○”(接頭語)・“○○萌え”(接尾語)のような多彩な活用が可能だが、本邦ドイツでは“Moe”をそのまま表記するというすこぶる味気ない使用法をとっている。『詩人はその国に行く必要がある』とゲーテは述べたが、まさしく至言である。

 専門用語としての“萌え”の意味は、特定の事象や人物、シチュエーション(主に空想の産物)に心を奪われ、感情や情熱が高まることにある。そのような意味を持つようになった原因としては『恐竜惑星』鷺沢萌起源説、『美少女戦士セーラームーンS』土萌ほたる起源説、パソコン通信上の誤変換起源説などがささやかれている。

 “萌え”には大まかに分けて二種類が存在する。外的要因によるものと、内的要因によるものである。
 外的要因とは、対象の表面的な長所や美点を指す。これは“萌え”を形成する重要な要素である「属性」を挙げた方が説明は早いだろう。「妹」「メイド」「女子高生」という代表的な「属性」は、それだけで見る者に“萌え”を喚起する。

 しかしそれは所詮は表面的なものであって、本当の価値を表わすものではない。日本人の美的感覚の精髄である“萌え”はそのように底の浅い代物ではない。 ゼアミ(世阿弥)という人物がいる。
彼は14世紀末から15世紀にかけて京都で活躍した俳優兼演出家兼劇作家兼著述家兼哲学者である。彼はもともと最下層の身分だったが、その芸術的才能を見込まれて父親のカンアミ(観阿弥)とともに当時の日本の最高権力者ヨシミツ(足利義満)に庇護された(世界中で放映された日本アニメ『一休さん』に登場する精神年齢の低い中年親父を想像してはいけない。彼は東山文化のパトロンであり、その文化的功績についてはフィレンツェのコシモ・ディ・メディチに比肩する。政治的・外交的手腕にいたっては軽く凌駕しているのである。日本の歴史と文化を知る上での最重要人物の一人であると掛け値なしに言えるだろう)。
賎民が権力者お抱えの芸術家になるのは『リア王』の道化を引き合いに出すまでも無く、世界共通の事例である。

 しかし『風姿花伝』のようなすぐれた哲学を秘めた芸術理論書を、ヨーロッパはついに産み出すことができなかった。
 そのゼアミは次のようなことを言った。

 『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり』

 これこそまさに“萌え”を説明する最も優れた文章といえるだろう。
 優れた審美眼の持ち主は、「属性」の持つ根源的な意味を対象に見出したときにのみ至福に満たされる。
例を挙げれば、「妹」が妹である理由――兄に対する思慕、信頼、従順、ないしは反発――が発露したときこそ「属性」はその価値を最大限に発揮し、見る者の感情を爆発させ、「萌えー」という賛嘆を吐かしめるのである。それは機会が希少であればあるほど価値を高める。安売りされた“萌え”はただのありふれた美に過ぎない。

 これは相対的価値観を持つ日本人であるからこそ産み出せた美である。
絶対的価値観を基礎におくキリスト教をバックボーンにした我々西洋人には、理解こそできるものの創造することはとうてい不可能であった。……」

 以上の文章は、日本の美術史を専攻したドイツ人の著作『日本文化の神髄―“萌え”を基調にして―』の抄訳である。これははじめて“萌え”を体系的に説明した論文として、美術史に不動の地位を占めている。

 このような論文が書かれた背景は、当時の日本ではサブカルチャーに過ぎなかったアニメと漫画とゲームの価値を日本政府が認めたことにある。そのころ最も優れたクリエイターは、すでに上記の三つの業界に集まるようになっていた。政府はこれらに補助金を与え、多岐にわたる賞を設立した。文化功労賞や文化勲章の受賞者は飛躍的に増大した。札束で頬を張り飛ばすようなやり方だったが、ともかく日本文化の発展に貢献した。この政策については「我々のパクリだ!」と韓国が抗議した。彼らの主張が事実だった珍しい例である。

どの法律にも抵触しなかったので、謝罪と賠償は必要なかった。衰退の著しかった邦画も余禄を受けて復活した。

 これらの娯楽作品には政府の意向――大衆が祖国に価値を見出すように仕向ける――が含まれていた。
以前までの全体よりも個人を優先する傾向はなりをひそめ、One for Allの精神が“萌え”を体現する美少女たちの口を通して聴衆に伝えられた。まったく、その巧妙さについては地獄の底のゲッベルスも拍手を惜しまないだろう。

 彼女たちが主役として活躍したのは、主に現代やSFを背景にしていた。それに対して過去を舞台にしたものでは日本史の英雄を前面に押し出した。オオクニヌシに協力して国造りを果たしたスクナビコナや、倭蛮とさげすまれていた日本を「日の出づる国」であるとした聖徳太子や、遣唐使を廃止して国風文化を形成する基盤を築いた菅原道真や、近代日本文学に大きく寄与した正岡子規と夏目漱石や、日露戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟を主人公にした作品は、日本人たちに祖先への誇りを取り戻させた。

 もちろんこれらも“萌える”美少女たちがヒロインや姫君や女将軍として脇を固めた。 歴史考証の杜撰さは目を覆わんばかりだったが、観客はあまり気にしなかった。「少しばかり間違いがあるとしても、それがどうしたというのです? 萌えない作品に、意味は有るんでしょうか」
これが総意だった。

 日本の経済は発展し、軍備は拡大し、民意は発揚した。これに対して韓国は、その三本柱の一つが崩壊の危機に瀕していた。日本と国交を断絶したことで、外資系の技術給与と資本投資に依存していた経済が縮小の一途をたどっていたのである。

 新年明けましておめでとうございます。致命的なまでに脳が腐れ果てている第8弾です。
アニオタドイツ人のしょっぱなの一文は、『武士道』からのもじりです。
新渡戸稲造と世阿弥は肩を抱き合って草葉の陰で泣いていることでしょう。
 
その9

 朝鮮戦争終結時の韓国は、フィリピンにも劣る世界最貧国だった。
漢江の奇跡は、主に外からの要因によって現出した。韓国の経済成長は冷戦時代に端を発するが、これは共産主義に対する防波堤として韓国が成長することを期待した西側諸国からの援助に大きく依存していた。

 敗戦によって日本が朝鮮半島から引き上げる際に残してきた膨大なインフラと、日韓基本条約による賠償金がそれを後押しした。50年代から60年代に掛けての世界的な自由貿易体制が、韓国の輸出主導型経済戦略に合致したのも大きかった。

 ‘80年代末以後の韓国経済の衰退は、外的要因が変化したことで引き起こされた。
ソ連の解体に伴うイデオロギー対立の終焉は、韓国に対する資本主義陣営からの支援を打ち切らせた。
世界経済第11位というそれなりの地位にのし上がったために開発途上国条項適用国(保護貿易が許容される国)から除外され、貿易自由化の義務を負ったせいで国内企業に対する政府支援と保護を撤廃せざるをえなかった。韓国の労働集約型軽工業はそれ以上に安い労働力を提供する中国やASEAN諸国に追い上げられ、国際間における競争力を失った。

 かつて韓国は、自らが進むべき道を日本に見出していた。韓国は日本と同じように資源に乏しく、国土が狭かった。他の発展途上国のように農業国としてやっていくことは不可能であり、加工貿易体制による経済成長を狙った。しかしそれは上っ面しか成功しなかった。基礎的な技術力の貧弱さのせいである。

 当時の携帯電話を分解してみれば、韓国の技術のお粗末さが知れる。一般の携帯電話に使われた外国製の部品は40%から60%を占め、カメラが付いているような最新製品は輸入部品が7割を突破する。
高級部品に限って言えば、100%が日本のような高い技術力を持つ国からの部品に依存していたのである。

 韓国が自賛していた半導体やコンピューター製品は、メモリ一つを取っても日本の技術供与で設計され、日本の設備と機械で製造され、日本の部品と素材が詰め込まれて組み上げられた代物だった。
自動車産業も同様で、自動車の部品の大部分は日本製であった。韓国の製造業は、つまるところ日本の巨大な下請け工場だった。

 この点については日本で産業の空洞化が叫ばれていたが、それは致命傷にはならなかった。
日本は‘80年代から技術開発と研究に力を注ぎ、世界トップレベルの技術力を手にしていたからである。
知的所有権にあらゆる産業ががんじがらめにされる世界では、技術使用料だけでとほうもない額に上る。それに対して韓国は、外資系からの購入と供与を除けば、他国の技術をそのままコピーすることで糊口をしのいでいた。知的所有権侵害国家の汚名は伊達ではなかったのである。

 以上が韓国経済についての概観だが、ここから導き出される結論は一つしかない。日本という鵜匠に飼われる鵜に過ぎないという自分の立場を素直に認め、大半が日本に吸い上げられる貿易黒字のおこぼれを技術開発に充て、本当の意味での「made in Korea」を造り上げることである。それは迂遠だが、着実な道である。

 であるのに韓国は180度反対のコースを選んだ。彼らは自殺願望があったのだろうか?

 日本との国交断絶は、韓国経済に治療不可能な深手を負わせた。高品質な部品が手に入らなくなった製造業は大打撃を受け、主要輸出品目である半導体や自動車のクオリティは底無しに低下した。
 品質の下がった韓国製品は、値段は高いが品質も高い日米欧の製品に駆逐された。価格を引き下げることで薄利多売を狙おうにも、平均賃金が1000ドルを超えるようになっていた韓国では中国やASEAN諸国の安い労働力にはまるで歯が立たなかった。あっというまに供給過多に陥り、在庫は山と積まれた。

 それまで順調な伸び行きを示していた経済成長率は一年でマイナスに落ち込んだ。
デフレが起こり、失業率は増加した。数年前までは彼らが手を叩いて喜んでいた日本の不景気に、今度は自分たちがはまり込んだのである。
 韓国の不幸は続いた。日本に対する身勝手な外交は諸外国の顰蹙を買い、韓国への進出を手控えるようになっていた。そこには日本との関係が切れた韓国に未來は無い、という冷静な分析が根底にあった。
 賃金の安さという魅力が減退し、そのくせ知的所有権の侵害と外国人差別がひどいという欠点が拍車を掛けた。外資系の資本は引き上げられるようになり、屋台骨が抜き取られていった韓国経済は崩壊への道をひた走った。ウォンの下落は留まるところを知らなかった。
 砂上の楼閣は、自壊した。
 韓国メディアは「日本が韓国製品の不買運動を行っている」、「日本が世界中に賄賂を贈って経済封鎖を行っている」、つまり「なにもかも日本が悪い」という語調だったが、もちろん何の解決にもならなかった。外圧で援助を引き出そうにも、日本はもはや一銭も出す気はなくなっていた。日本とは別に、政府の無能と失策を攻撃する声は日増しに膨れ上がっていった。大統領は轟々たる非難のなかで退陣した。

 国民感情に流されて国家百年の大計を誤った彼の後釜に座ったのは、外務省官僚出身で親米派として知られていたインテリだった。彼はごく真っ当な知性の持ち主で、日本との関係を見直すべきだと考えていた。しかしながら自分からそれを言うつもりは無かった。韓国では親日派のレッテルは破滅への片道切符に等しい。
 彼は自分が傷つかず、なおかつ現実的な打開策を図った。極東のパワーバランスの変化を望まないアメリカを通じて、日本の方から国交を回復するように仕向けさせようとしたのである。

やっと韓国にスポットが当たった第9弾です。実際、韓国は日本に見放されたら破滅するのが目に見えているのに、なぜわざわざ反感を煽るようなことばかりやっているのでしょうか?半島情勢は複雑怪奇。
その10

 韓国の新しい大統領は、まず南北首脳会談を行った。「38度線における緊張緩和を実現させるためには、お互いの戦力を減らす必要がある」と席上で発言し、実際に韓国の軍事費を削減した。
 中国とも頻繁に会談の席を設けた。国際ジャーナリストは、韓国の反日・反米感情に加えて日本との国交断絶・韓国経済の衰退から、韓国は日米と手を切って中国を後ろ盾にしようとしていると推測した。

 それは全て、大統領のブラフだった。
 中国と結んでも、韓国にはデメリットの方がずっと大きい。確かに北朝鮮との関係は改善され、毎年膨大な予算をふんだくって行く陸軍を張り付けておく必要はなくなるだろう。中国の肝煎りによる南北の無血統一も期待できる。しかしそれは確実に韓国の経済レベルを下げることになるのだ。これは東西ドイツの統一を思い出せばすぐに理解できる。

 1989年11月9日に崩壊したベルリンの壁は、世界中の人々に未来への明るい希望を抱かせた。しかし当事者であるドイツ人が手にしたのは、十年以上に及ぶドイツ経済の低迷だった。かつて東ドイツは東欧の優等生と称えられ、社会主義国家の中ではもっとも裕福とされていた。それでも自由貿易体制によって絶え間ない競争を続けていた西側諸国では東ドイツの製品はまったく売れず、すさまじい不況と膨大な失業者を産み 出すことになった。1989年の西ドイツの貿易黒字が5000億マルクに手が届いていながら、その二年後には1500億マルクの大赤字を抱え込む羽目になったことからもその深刻さが知れる。経済格差が開きすぎた国家の統一というものは、これだけの経済的負担を強いるものなのである(余談だが、日韓併合で日本が甘受した朝鮮への資本投資がどれほどのものなのかもこの論理で行けば想像に難くない)。

 東西ドイツの人口比は1対4、経済格差は1対3であった。朝鮮半島の場合、人口比で南北は2対1、肝心の経済格差は南北で10対1とも12対1とも言われている。単純に計算して、韓国は西ドイツの8倍の負担を強いられるのである。なおかつ1989年の西ドイツの国力は韓国のそれの3倍はあった。世界第3位の経済大国と、ようやく先進国の仲間入りを果たした発展途上国とは土台が違う。半島が統一され、さらに国力が現在の韓国のレベルに回復するには、10年単位どころか世紀単位で数えなければならないくらい時間がかかるのである。

 中国の後押しで南北統一が実現したとして、とりあえず5年で北朝鮮の国民所得を倍増させるとする。
その場合、再建コストは2000億ドル程度と試算されている。世界3大信用評価機関の一つである英国のピッチ社は、北朝鮮体制が崩壊するとすれば10年から15年の間に最高5000億ドルの統一費用が必要になると計算した。どちらにせよそんな金は韓国にはないし、中国が出してくれる可能性は期待する方が馬鹿なくらい低い。

 さらに中国の要求する見返りが怖い。中国の腹は読めている。半島の新しい体制として連邦制を選ぶように指示するだろう。そしてかつての北朝鮮の地区からは韓国と同じ数の議席を要求してくる。少なくとも半数を割り込むことは許さない。むろんその議員は北朝鮮を支配していたグループであり、彼らを通じて半島における中国の影響力を拡大するつもりなのである。共産主義を罰する法律は真っ先に撤廃され、半島は真っ赤に 染め上げられるだろう。

 冗談ではない。

 彼もまた南北の統一を望んでいたが、それはきわめて現実的な展望に立ったものだった。ドイツの連邦制や中国の一国二制度などという生易しいやり方ではない。韓国による北朝鮮地域の「信託統治」方式である。
 本当の意味での統一を長期にわたって放棄し、北朝鮮地域の経済復興は遅々とした歩みになる。植民地支配と言い換えた方が正確かも知れない。しかしそれは仕方がないことであり、むしろ積極的に差別政策を採るつもりでいる。北韓の安い労働力を据え置きにし、南韓の産業を支えさせる。北からの無制限な人口流入は破滅を招くため、管理体制は諸外国よりもずっと厳しくチェックする。北韓人は二等国民として差別されることになるだろうが、南北が共倒れになることを考えれば余程ましである。その上でなおかつ、アメリカと日本の経済援助が絶対に必要なのである。

 そのころのアメリカでは政権交代が起こっていた。前任の大統領は、親のコネで東部の名門イェール大学に入ったのはいいがコカインとアルコールに溺れ、親のコネでテキサス州軍にもぐりこんでヴェトナム戦争への徴兵を逃れ、親のコネで石油ビジネスを手掛けたのはいいが二度も会社を倒産させ、親のコネで合衆国最高の地位にまで上り詰めたという輝かしい経歴の持ち主である。

 新しい大統領はモンロー主義を唱える共和党出身の保守派であった。彼は経済政策の一環として、長期的には経済発展を阻害する要因を見直した。前政権の二〇〇一年度には三二九〇億ドル、〇二年には三五〇七億ドル、〇三年には三九六八億ドルと増加傾向にあった軍事費に歯止めをかけたのである。アフガン侵攻による軍事特需はアメリカに好景気をもたらしたが、二人連れでやってくるインフレーションを恐れたためである。
 政治的にも経済的にもこの先しばらく、アメリカは世界の極端な軍事バランスの変化を望んでいない。韓国大統領はそれを逆手に取った。
 韓国は極東における西側陣営の最前線であり、地政学的には大陸に直結する補給路を維持する絶好の土地である。東側に付かれたら軍事的にはアメリカがユーラシア大陸から追い落とされ、経済的には今までの行ってきた投資が水泡に帰す。韓国がアメリカの傘下から離れれば、有事の際に大陸に陸軍を上陸させるのに多大な出血を強いられるのだ。しかし現状ではアメリカが韓国に軍事制裁を行うわけにも行かない。経済制裁だと韓国経済が疲弊の極みにある現在、韓国を窮鼠に追い詰める。現在のアメリカが選択できる韓国へのアプローチは、外交に限られる。

 韓国が中共にすり寄っているのは経済問題が原因である。それを解決するには日本との関係を修復させるのが一番の早道である。最近の日本は外交では高姿勢で臨む覚悟にあり、反韓感情が高まってはいる。しかしまだまだアメリカには逆らえない。アメリカが日本に韓国との国交を回復するように要請すればアメリカの腹は痛まないし、韓国も救われる。日本では反米感情が高まるだろうが、知ったことではない。

 韓国大統領の策は滞りなく進行していった。アメリカは彼の思惑通りに踊り、日本に強硬姿勢で臨んでくれた。アメリカの大統領も韓国のブラフには感づいていたが、腹が立つからといって韓国に経済封鎖を行って自分の首を絞めるわけにもいかない。さらに副大統領や国務長官や国防長官たちが韓国の敷いたレールを走るべきだと判断した。アメリカを実質的に運営する彼らは、大統領がどのような人物であれ確実に実績を上げる。言わば世界最強のカンニングペーパーだ。そして現大統領もその有能さを完全に理解していた。

 日本もまたアメリカの要請に従った。世論は沸騰したが、政府は黙殺した。貿易相手を他のアジア諸国にシフトさせたとはいえ、韓国市場の魅力はそれほど衰えていない。また国防上からも、韓国が中国の傘下に収まってしまえば今度は日本が東西対決の最前線になってしまう。クッションとしての韓国は日本にとっても必要なのである。韓国が一方的に宣言してきた国交の断絶を日本から修復させるのは業腹だが、現状では他に採るべき道がない。アメリカに強制されたと言えば、少しは面子も保たれると考えた。

 繰り返される日韓の首脳会談で、両国の関係は回復するように思われた。しかし、韓国大統領は自国の長引く不況がどれほど人心を荒ませていたかに気がついていなかった。 歴代政府の愚民政策によって冷静な判断力を奪われた韓国人には、大統領の深慮など理解できるはずもなかった。

「せっかく中国や北韓との交渉がうまくいっていたのに、なぜ政府はまたぞろチョッパリや洋奴と結ぼうというのか! そもそも我々が不況にあえいでいるのは奴らのせいであろう(と彼らは考えていた)。南北が統一し、中国と同盟すれば日米など鎧袖一触ではないか(とも彼らは考えていた)」

と声高に叫ばれた。不況になれば人は右か左に傾く。赤狩りで根絶やしにされた共産主義ではなく、軍に期待が集まった。そして日韓の国交回復が確実視された日、軍事費を削減され、冷や飯を食わされていた軍の超右派若手将校が蜂起した。
 クーデターである。

 だんだん半島情勢がきな臭くなってきた第10弾です。 出ましたクーデター。ネタの持ち合わせがない架空戦記作家とかが使う最後の手段。
 


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