〜 炎の職人 〜
川相 昌弘
プロフィール 右投右打 64年 9月 27日生 遊撃手・三塁手・二塁手・外野手
岡山南高→巨人・83年ドラフト4位
獲得タイトル 94年・ベストナイン。89〜91、93〜94、96年・ゴールデングラブ賞。
 02年終了時
通算成績
打数 安打 打率 本塁打 打点 盗塁 三振
4370 1163 .266 42 309 47 545
87年日本シリーズ、巨人対西武の第6戦、8回2死一塁の場面だ。打者の秋山がセンター前へシングルヒットを放つと、捕球したクロマティは緩慢な動作で山なりの返球……。
確かな"隙"が生まれた。
これを西武は逃さない。三塁に到達するかに見えたランナーの辻に対し、三塁コーチャーズボックスにいた西武・伊原コーチ(現西武監督)の腕が勢いよく回った!「GO!」だ!辻は俊足をとばして長躯ホームへ!完全に虚を突かれた巨人、慌ててキャッチャーへ送球するも間に合わない!西武優勝を決定づける追加点!今なお語り継がれる、伝説の"辻の走塁"だ。

このとき、中継に入っていたショートは泣いた。辻の走塁を見抜けなかった、自分の不甲斐なさに泣いた。このショートこそ、当時、一介の守備固め要員に過ぎなかった、川相昌弘であった。



現在は言うまでもない、通算犠打数の日本記録保持者。世界記録も目前と迫っている。日本プロ野球史上随一のバント名人で、バント失敗でどよめきが起こる、唯一の選手だ。とは言っても、武器はバントだけではない。高校時代は投手だけあって肩も強く、軽快なフットワークを誇る抜群の守備力に、左右に打ち分けては、難しい球はカットする確かな打撃技術、そして優れた選球眼と、多くの能力を備えた名選手。巨人軍史上最高のショートと評されることもある。



若い頃は100mラップ11秒1の俊足選手だったこともあり、84年に守備固め、代走要員として一軍入り。とは言うものの、さすがにレギュラーの壁は厚く、その後数年はベンチの選手。このころはスイッチヒッターもやったりして、なんとかレギュラー奪取へと、苦労の日々が続いていました。
転機が訪れたのは89年。川相には巨人史上初の背番号0番が与えられ、首脳陣から無言の激。プロ野球選手として生き残りをかけ、勝負をかけるべき年であった。そしてこの年の春季キャンプ、川相、岡崎、勝呂のレギュラーショート争奪戦が勃発した!



このショート争奪戦、マスコミの間では「打撃の岡崎、守備走塁の勝呂、ガッツの川相」と評されていた。要するに、技術的なところでは川相が一歩劣っているということを、暗に示されていたのだ。
しかし僕は、王監督時代から、非常に地味ながらも、与えられた仕事を寡黙に忠実にキッチリとこなす川相が好きだった。僕はこの頃から、川相を応援していました。

そして、いざ開幕戦。スタメンショートは勝呂となったが、その勝呂は思いの他、打撃不調が続く状態。もう一人のライバルである岡崎は、守備難でショートを任せることはできず、中畑の故障もあってサードへ回ってしまった。そしてついに、第3の男・川相にスタメンの座が巡ってきた!川相は好守を連発し、攻撃では得意のバントで見事なつなぎ役ぶり。後半戦ごろにはほぼレギュラーとなり、ゴールデングラブ賞も受賞と、藤田監督のもと一気に開花!
真価が問われるとも言うべき、翌90年も活躍。野手のMVP、影のMVPと賞賛され、2番・ショートの座を不動のものとした。藤田野球のスローガンである、スルメ野球の代名詞、スルメ野球の申し子となったのだ。

この川相をレギュラー・ショートの2番に据えたのは、藤田監督のファインプレイの一つと言えるだろう。もし王監督や長嶋監督なら、おそらく勝呂や岡崎を起用し続け、川相はもっと不遇な野球人生だったろうな、と思います。



93年に長嶋監督就任後も、地道に結果を残し続ける川相。ゴールデングラブ賞の常連であるとともに、シーズン犠打王の常連。95年には47犠打を試みて、なんと成功率は100%!
実はこの川相、若い頃は「もっと派手なことをやって注目されたい」と顔に似合わないコメントをしていたのだが、この頃には自分の職分に徹するようになっていた。

しかし地味な選手には冷たい長嶋監督、この川相を、基本的にはあまり起用したくなかったようだ。どちらかと言えば元木の方に期待を寄せ、さらには佐々木明義、永池、川中、ダンカンと、川相の代わりとも言える即戦力遊撃手が続々と入団。川相はそんな"刺客"たちを次々と撃退し続けるものの、雲行きは少しずつ怪しくなっていった。

超攻撃型野球を模索する長嶋監督は、98年からは2番に清水を据え、それを追いやるかのように川相を7番に置いた。しかし僕としては、川相を7番に置くことに、どれだけの意味があるのかよく分からなかった。川相は、2番以外の打順で起用してもあまり生きないだろうし、清水クラスの選手が7番にいたら、相手も怖いはずだ。このあたりから、本格的に川相の地位は危うくなり、この年、規定打席未到達でシーズンを終える。
そして翌年、ついに川相へ最後の刺客が登場する。大学ナンバーワンショートの誉れ高い大物、二岡智宏だ。これまでの刺客とは違い、走攻守すべて揃っているうえ、何より長打力も持ち合わせている点が大きかった。ついに川相は長年はってきたレギュラーの座を引きずり下ろされ、ベンチ要員となった。



とは言うものの、川相の技術はまだまだチームに必要なもの。粘り強い打撃、守備固め(衰えも見えてきているが…)に、巧みな走塁技術、そして送りバント……控えながらも、随所に燻し銀の技を披露し続けている。
00年からは、僕としてはなんか違和感があったのが、川相は背番号を6番に変更する。レギュラー再奪取への意欲を見せた。
01年オフにはFA宣言し、2年契約を結ぶ。レギュラーから外れて久しいが、なんとしてもバント世界記録を達成して欲しい!それと同時に、バント世界記録を達成した年が、川相が引退するときのようで怖いのだが……。

01年冬に放送された、「スポーツ偉い人グランプリ」では、バントしたボールを一塁線上にピタリと止め、続く2球目もまったく同じ位置へバントし、1塁線上で止まっているボールに当てる、超絶技を披露。見事、番組内でのグランプリに輝いた。



この川相が野球殿堂入りするかどうかで、野球における、バントの価値基準が決定される気がする。もし川相が殿堂入りしなかったら、バントに自らの価値を捧げてきた川相はかわいそうすぎます。