六興キャンドルミステリーズ (昭和32年)


ライノクス殺人事件
このシリーズ屈指のキキメ
『ライノクス殺人事件』
扉

扉を開くといきなり『結末』の文字が・・・。

ある意味“企画倒れ”の典型(笑)。
殺人鬼登場 ボスを倒せ 多過ぎる証人 製材所の秘密 湖畔の殺人 探偵コンチネンタル・オプ
トランプ殺人事件 遺書と銀鉱 謎の凶器 聖者の復讐 手をやく捜査網 暗い階段
 
 先日、久方ぶりに神田神保町をぶらついていたら、それまで法律・社会関係の硬い専門書を扱っていたとある古書店の1階の書棚にズラリと大衆小説が並んでいるのに気づいた。訝しく思って、丁度居合わせた常連らしい中年の客と店員の会話を聞くともなく聞いていると、どうやら売れ行き不振のため、主力の専門書類は2Fに移動し、1Fに足の速いエンターティンメント類を並べたということらしい。
 読書家らしいその客は「もう本なんか誰も読まなくなっちゃったんだよなぁ」としきりに嘆き、店員もそれに何度となく頷くという風だったが、傍で見ていたこちらにしてみると、売上を当て込んで棚を埋め尽くした頼みの大衆小説類が、この店員やお客からはどうやら「本」扱いされていないらしいのが、ちと引っかかるところではあった。

 「読書離れ」という言葉が聞かれるようになってから、もうかなりの年数が経つ。たしかにお硬い本は年々売れ行きが悪くなっているのだろう。が、一方で大衆小説類、とりわけ探偵小説の古書価は年々高騰するばかりで、人気は一向に衰える気配がない。
 この風潮に呼応するように、つい先だっても、以前は神保町の奥まったところにあったRBワンダーが新店舗@ワンダーとして靖国通り沿いに移転し、これがなかなかの品揃えで結構賑わっているのだ。ミステリやSF・ホラー、幻想文学系古書と映画グッズが主力の店だが、レジ前にあったあかね書房の『少年少女世界推理文学全集』全冊揃い2万数千円也が、函なし、汚れありにも関わらずあっという間に捌けてしまうところに、このジャンルへの根強い人気のほどが窺がえる。
 実際、ミステリやSFのある種のものには、万金をはたいてでも入手したくなる誘惑に抗し得ないものが存在する。早川ポケットミステリ、創元クライム・クラブ等々、マニアが探し需めるそれらは、造本センスひとつとっても我が国のメインストリームの文学に長い間欠けていた遊びの楽しさや洒落っ気に溢れていて、重度のマニアならずとも書棚にずらりと並べてみたくなるのではあるまいか。

 中でもここにご紹介する六興キャンドル・ミステリーズ(六興推理選書)は、全13巻と巻数は少ないながら、その通好みのセレクションと入手の難しさが逆に収集欲をそそり、名うての“探偵小説の鬼”達の間で未だに根強い人気がある。
 ポケミスよりやや幅広のB6変型版、101番からスタートするナンバリング、キャンドルをあしらった小粋なロゴ等々、隅々まで神経の行き届いたデザインセンスが何より楽しい。とりわけ全巻統一の表紙イラストは、煉瓦塀をバックに破けた貼り紙が風に吹かれた様を描いただけの至って簡素なものながら、野口久光の往年の映画ポスターを何となく彷彿とさせるタッチで、この時代のセンスが感じられる秀逸なもの。“地味派手”とでも言うか、落ち着いた中にもインパクトのある絵柄で、このイラストひとつとっても非常に心惹かれるものがある。

 このシリーズ、もともとはポケミスに倣ってスタートした企画だったのだろうが、田中潤司氏等、作品選定に当たった人達の趣味や個性が色濃く反映した極めて魅力的なものとなって、叢書自体は短命に終わったものの、現在ではコレクターズ・アイテムとして高く評価され、古書価も非常に高い。収録作のいくつかが他社から再刊された今でも全巻キキメと言っても良いくらいだが、あえて1冊を挙げるとすれば、やはり絶版ミステリの極め付けとも言えるP・マクドナルドの『ライノクス殺人事件』だろうか。
 
 この本、手に取った読者が扉を開き、登場人物表をチェックしつつ何気なく次のページに移ろうとする・・・と、そこにはいきなり“結末”という意外な2文字を発見して意表を突かれてしまう。そして大慌てで後ろの方を覗いてみると、案の定“発端”という2文字があるわけで、ここに至って読者は、ようやくこのミステリの意図が分るという仕掛けである。
 
 そう、これは逆順に書かれたミステリであり、当時の前衛的技巧派ミステリの中でも特に異彩を放つ、言わば“逆転の発送”(山口雅也評)に基づいた奇作なのである。
 
 全体は3部に分けられ、保険会社社長の元へ謎の紙幣と銀貨が送られてくる第1部から、ことさらにドキュメンタリーめくスタイルで書簡、報告書、事件現場見取り図等で成る第2部を経て、全ての謎が解き明かされる“発端”へ至るという構成になっている。すれっからしのミステリ・マニアなら結末はおおよその見当はつくだろうけれど、少なくとも作者の果敢なチャレンジ精神に拍手喝采したくなるのは私ばかりではあるまいと思う。
 
 P・マクドナルドは国内では不遇な作家で、30冊以上の著書のうち邦訳が出たのは僅かに6冊程度。代表作の『鑢』が有名だが、絶版本の中ではこの『ライノクス〜』が最も人気が高く、今年Yahoo!オークションに端本で出たときは15万円を超える落札価格が付いて驚かされた。もし古書店に出てもせいぜい1万〜3万だろうから、つくづくオークション恐るべし!の感を強くしたものである。

 
ここに掲げた揃いの書影は私の所有しているもの。これらはセットで購入したのではなく、今から15年ほど以前、ほぼ4年をかけて1冊1冊古本屋で蒐めて行ったものである。『多過ぎる証人』は今はなき神田志村書店で200円で、『手をやく捜査網』は、これまた閉店した東京泰文社で3500円でという風に、それぞれ思い出も多いが、とりわけ『ライノクス殺人事件』と並ぶキキメのひとつエバハートの『暗い階段』を早稲田の荒井書店で400円(!)で掘り出したときのことは昨日のように覚えている。この本、当時、神田白山通りにあった某ミステリ専門店が客注がありながら2年も入手できなかったというレアモノで、他のどうでもいいゴミに混じってその黒い背表紙を棚に発見した時の驚きは、まさに心臓が止まるほど、嬉しさは小踊りしたいくらいのものだった。

 もっとも、上に紹介した『ライノクス殺人事件』だけはどうしても安く見つけることができず、結局その“某専門店”で当時2万円出して入手したのだが、後年、こちらの方も江古田のうさぎや書店(この店も閉店したらしい)で500円(!)で再入手する機会に恵まれた。すかさず1万円で転売していくらか元を取り返したことは言うまでもない。

 近年、ヴィンテージ・ミステリの出版が相次ぎ、1ファンとしては嬉しい限りだが、この叢書のように再刊の機会に恵まれず埋もれてしまっているものも多い。ミステリ・ファンは今後も古書の山を掻き分け掻き分け、猟犬のように進まなければならないようである。(2001.6.3)

2020.9.7追記
すでにご存じの通り、『ライノクス殺人事件』はその後創元推理文庫に収録、『暗い階段』は湘南探偵倶楽部より復刻版がリリースされた。

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