皆さん、今回お届け致しますレポートは、私が現在お世話になっています国立療養所の研究会で、意見発表致したものです。
改めて読み直しますと、あたかも患者を代表するがごとくで、鼻持ちならないところもありますが、社会参加の一例としてご参考頂けましたなら幸いです。
宜しくお願いします。【舩後】


一.ご挨拶

私は、千葉東病院の入院患者でふなごと申します。どうか宜しくお願いします。さて、今回私は「患者が自立するために、看護師さんに求める支援」について、患者の立場からスピーチ申し上げたく思います。
拙いものですが、宜しくお願い致します。尚、基本として、意思伝達装置‘伝の心’が誤読する部分は、ひらがなと致しました。
最大20分です。

ニ.かなめとする心理支援

患者が求める支援には幾つかあります。一つにコミュニィケーション支援、さらに一つは行動支援、でもこれらを執り行うにあたり、その前提のかなめとも言うべき支援が、心理支援です。
実は、これに関するレポートが、半年前より書きかけになっていました。
それを、途中不必要と思われる部分を割愛、且つ改めて引き続ける形で、ご紹介します。

◆【看護師さんによる心理支援の必要性。】
1.はじめに。
このテーマを与えられた時、いささか意外な気がしました。と、申しますのは、当病院ではその活動を、まぎれもなく率先遂行なされているという印象にあったからです。
2.私の経験@
日頃の診療においてドクターは、心を鬼にしてでも、患者に告げなくてはならない事があると思います。
そしてそれは、患者に心理的ストレスを大きく与える時があるのではないでしょうか。

その場合,患者は心ならずもドクターから、これ以上なにも告げられたくないという気持ちになるでしょう。
私の場合,こんな事がありました。

始めて来院した時、私や家族にとっては当時、つらい事が告げられました。
冷や汗とうるんだ目で、私はドクターを直視出来ません。

その時,ドクターの隣に師長さんがお座りでした。私は師長さんの目をただただ見つめました。
なんとなく、「大丈夫よ」、と言ってくれてる気がして。
お蔭さまで、私の心は少し平静を取り戻せ、なんとか受診を終える事が出来ました。
これは無意識のうちに行われた、心理支援です。両親が子をしかる時、片方の親は決して怒らず子に悟す姿ににています。

ささやかな事です。でも、患者にとっては重要で、そんなところが入口のような気がします。


3.私の体験A
それからしばらくして、入院をしました。始めての担当看護師さんとの出会いです。

面接がありました。
質問の中には、ドクターに告知されている事を踏まえた物がいくつかありました。
でもその語り口調は,事実だけを確認する、ドライなものではなく、患者を押し潰そうとする大山を、一緒に登ろうとしてくれるような、暖かい励ましのあるものでした。

普通に尋ねれば、はい、いいえ、で済む質問でも、話しがさらに展開出来るような質問の形を採ってくれました。
しかも決して急がさせません。
これこそが、まさしく傾聴の姿勢にほかなりません。

患者とは不思議なものです。
告知を受けた後のある程度の期間は、心の動揺から現実が直視できていません。

ゆえに、ドクターの前では、舌のもつれから病気の進行を悟られ、厳しい事を、指導上とはいえ言われ傷つくのが嫌で、なるべく話すまいとします。
ところがゆっくり解答時間が与えられると、思い切ったところまで踏み込んで、話せるものです。

面接後、妻とありがたかったね、と話し合いました。
医療現場での実際の方針は、私共ではわかりませんが、確かにそこにはカウンセリングで言う、理解、受容、共感を経た、あくまでも相手主体で、一緒に考え、一緒により良い答えを見つけていきましょう、という連帯意識を表す姿勢をかいま見させて頂きました。
その時に心理支援を受けたと感じています。

入院中も同様にサポートして頂きました。この体験だけでも冒頭私が、意外な質問と感じたという事がご理解頂けると思います。
ただ課題がある以上、それは確立されていないと考え、書き進めます。

4.専門職。
聞き及びますところ、心理カウンセラー?などその分野でのプロに、委ねたほうが良いとする意見もあるとの事です。
この意見は、正論であるこそすれ、患者にとってはいささかドライに感じます。
人と人のつながりは、身近にあってこそ、深まるのではないでしょうか。
勿論医療機関毎の、システムによる違いはあるでしょう。
しかしながら、患者と接する時間、それにより得る患者独自の症状等の知識など、看護師さんの方がより患者の身近にあるのではないでしょうか。
また、考えられる不安に、指導者の複数化による混乱があります。
病院が、一般的なラインアント゛スタッフの形をとる組織なら、ラインのドクターよりスタッフとしてのカウンセラーに指示が与えられる為、比較的患者に対する指導はブレの無いものになるでしょう。

が、カウンセラーがドクターと対等の立場にある場合や、別の組織からプロジェクトとしての出向などの場合、当然出向前のオリジナルの上司が存在するので、指示にブレが生じ易いのではないでしょうか。
すなわち船頭が複数存在する状態です。
極端な場合、指導を受ける患者にしてみれば、迷いが生じ方向性がつかめません。
その点においても看護師さんは、スタッフとして普段よりドクターの指示の元活動する為、フォローアップを受ける患者としては、安心感を持つのではないでしょうか。
5.マニュアル。
患者の心は日々、否、瞬間で動きます。
大きな要因は、症状の進行の自覚と手術による体の変化などです。
また、情報を得た後に起こる心理変化もあげられます。
おおまかな事は区分けできると思いますが、細部に至ってはどうでしょう。人間の心理は、申し上げるまでもなく複雑です。
秤にかけ割切るようなものではありません。そこでむりに膨大な時間をかけ完全マニュニュアルを作成したとしても、どのくらいの割合で患者の欲する解答を導き出した,正確な心理支援となり得るのでしょうか。
大変な困難が予想されます。
しかも事がマイナスにはこび、信頼にひびが入る可能性をも秘めてます。

ただ大きな区切りの中でマニュアル化、つまり医療チームが判断する理想的な心のあり方については、ガイドラインを示す事により、医療と患者は同じ方向をむく必要性を感じます。
それが東病院の目指す「医療と患者のハーモニー」に通じるのではないでしょうか。

三.ある結論

1.導くから支援へ
レポートはここまでで終わってます。
半年前よりとまってしまいました。
なぜなら、スッキリした解答が見つからなかったからです。ところが、偶然にもこの2月初めに、解答めいたものに出会いました。ご紹介します。
「導く」と「支援」の違い

 
同じ方向を向いていれば「支援」
 違う方向かどこを向いているかわからないのは「導く」
 いつも「支援」を意識していたい。



ある医療関係者様のお言葉。

これが心理支援に、ふさわしい解答ではないかと思います。
つまり
「初めに、導きありき、だがしかし、医療の主体は患者である事を自覚する事により、支援を意識する。」

まさに結論と申せましょう。

とは言えこれは、あくまでも基本姿勢です。

より具体的にはなにをすればとの疑問にぶつかります。
そこで私の提案させて頂きたいのは、導く事として患者のこれからの人生の青写真を、患者と一緒に共同制作して頂く事です。

2.共同制作
例えば私が昨年11月に自分で書いたものがあります。あくまでもフォーマットをご理解頂く為の、最もシンプルな物とお考え下さい。
スケジュールは順次書き足しています。

#青写真のテーマ:今井医長講演サポート。

@最終の狙い。>人間として、父として、ALSをのり越え何かを残す!

A活動目的。>専門職を啓蒙することにより、間接的にALS患者の心の苦しみから解放。

B目標。>ねん4回。

C予定。>
●2/22東病院研究会。テーマ:「看護師さんに求める支援とは」
●3/7ヘルス財団・今井先生講演、千葉。テーマ:「生き甲斐としてのピアサポート、
(ALS患者の、患者から見る自立とは)」
●3/15ALS協会千葉県支部大会。
●4/19今井先生講演、福岡。
●7月今井先生講演、山梨。

とこのように、具体的に人生を予定として見てみることで、処置等の時期を予めの事として理解してもらうのです。

3.そして生き甲斐へと
ここで、青写真のテーマを◆【生き甲斐としてのピアサポート】として、私の人生の予定を組み立ててみます。

#青写真のテーマ:◆【生き甲斐としてのピアサポート】

@最終の狙い。>人間として、父として、ALSをのり越え何かを残す!

A活動目的。>ALS患者の心の苦しみからの解放。

B目標。C予定。と、組み立てるのをお手伝いするわけです。さてここで、話は強引となりますが、私を自立の一サンプルととらえ、導き創られた青写真の結果を踏まえた、支援共同作業の感想を申し上げます。
実は、この原稿にはオリジナルがあります。が、それは少々長いので、本日は縮小バージョンでお届け致します。宜しくお願いします。

◆【生き甲斐としてのピアサポート】

1.【はじめに】

私は千葉市在住のALS(きん萎縮性そく策硬化症)発症者のふなご(45歳)と申します。
私は、人生もこれからという矢先の42歳でALSに侵されました。
この病気は、現代医学をもってしても、決して治ることはありません。
ふいに発病後、じょじょに筋肉がなえ、全身が麻痺して、平均3年ぐらい後に呼吸が出来なくなる病気です。
この時点で発症者は、呼吸器を装着するか、人生をまっとうするかの、どちらかを選択しています。
まさに究極の選択をせまられる病気と言えます。

喋れない、口から食べる事が出来ない、身動ぎも出来ない、という数々の障害とともに、呼吸器を着けて生き続ける勇気と、これがわが寿命と死を受け入れる勇気。
これは年齢や性格に基づく人生に対する価値感、あるいはその人固有の療養環境で違ってくると思います。
従ってどちらが正しいと言う事ではありませんが、私は呼吸器を着け、生き続けることを選びました。

結果としてあらたなる命を得た私は今、清々しく生きています。
そして、ALS発症者として生きる為の目標を持ちました。それはピアサポート、すなわちALS発症者によるALS等発症者へのサポートです。

2.【告知直後】

振り返ってみると、最初の病院でALSの告知を受けた直後の私は、「絶望」に支配され死を望む気持ちしかありませんでした。
ベッドの上で目をつむり考えることは『寝たきりになって生きる意味がない』、『眠っている間に死にたい』そんなことばかりでした。
やがてその当時の私は『この先誰と会っても意味がない』という感情に支配され、一時社会とのつながりを殆ど断ちました。
今思うと、こんな私がよく生き甲斐を掴めたものと思います。
実は、そこに主治医今井先生の指導がありました。その様子については後述致します。

3.【そののち私は(「ピアサポート」の起点)】

そんな私にピアサポートという、生き甲斐を掴むチャンスが巡って来ました。
実はこのピアサポートは、私自身が当初より、生き甲斐にしようと考えていた訳ではありません。

昨年5月、胃ろう手術のために入院した私に、今井先生から「新しくALSの告知を受けたかたに向け、何かアドバイスになることを書き、それをオリエンテーションしてみたらどうか。」との提案を頂きました。
実はその当時、ある複数の理由により、私の家は介護破綻をむかえていました。
つまり私は、その時の入院3ヶ月以内に、今後の静養先を含め、生きかたの方向変換をする必要がありました。

そんな折の先生からの「生き甲斐を持つ気力を持ちながらも」「現実には何をそうするかで悩む、私の混沌たる人生に」「その先光明をもたらして下さった」、傍から見れば私にとって「幸運」とも言える提案を頂けたのでした。
しかしながらこれは幸運などではなく、今井先生のご配慮だと私は思っております。

4.【なぜ生き甲斐と成り得たか】

その時は、「ピアサポート」という言葉さえ知りませんでしたが、それを実践することが他のALS発症者のかたに役立つ事であり、ひいては自分が必要とされることにより、社会の一隅にその存在が認められるのではないかと感じました。
正に生きかたの方向変換を迫られたギリギリの折に「提案の受諾」という選択をきっかけとし、後は『社会に必要とされる限りは、生き甲斐もたされ認められる』との信念の元、ただ一直線に期待に胸膨らませ「ピアサポート」に取り組みました。
私のような平凡な人間にとって、生き甲斐とは生まれ変わる瞬間とも思える時にあるものかもしれません。
そしてその機会はつかのまで、周りのかた達に手を差し伸べてもらわないと、掴みきれないものです。
そんなことも今思えばこそで、その時には資料作りなど課題に対する要求も矢継早に、理屈をコネル余裕などなく「生き甲斐とすべく」、先生の敷いて下さったレールの上を、後は一目散と走り抜け咋こんへと至りました。

そしてつい最近になり、多くの新しいALS発症者のかたに接し判った事があります。

それは、例外なく告知を受けた直後のALS発症者のかたは、前述した、以前の私のような絶望の感情に囚われているということです。
あるいは、現実逃避の感情に支配されているのです。

5.【生き甲斐としたのち】

病気と正面から対峙すること。其れは並大抵のことではありません。
たった一度の告知で、どこをどれほど理解できるのでしょう。
絶望の淵にあること、それは当り前なのです。

でも、そのままでは先にあるのは、死のみです。だから生き抜くためには、適切なメンタルケアをとうして生き甲斐を持つ事が必要なのです。

6.【変化】

今でも私は、平凡で弱い人間である事には変わりはありません。
私達ALS発症者の先頭に立ち、その力強さを鼓舞出来るようなたくましさは微塵もありません。
だからこそ、その苦しみ悩みをより身近に受け止め易くあり、支え合いの提案を成すことに適しているのではと、おぼろげに感じておりました。

7.【未だささやかな経験なれど】

そしてピアサポートを開始し、それを続けていくうちに、実感としてこれが他のALS発症者のかたに役に立つこと、すなわち社会に貢献出来ることとの実感をえ、まさしく自分自身の生き甲斐となりました。

一つのエピソードですが、私が参加を目標としている、今年イタリアで開催されるALS国際会議に、ご自分も出来れば出席したい、という希望を持たれたかたが現れました。
実現するしないは別です。一度は私同様に人生に絶望したかたが、その時の言葉だけでもかまいません。
そう言ってくれたことに、つまりいっときは生き甲斐とも言うべき、目標を持って下さる気持ちになったことに、私は大変な感激をおぼえました。

そしてそのことが、私に改めてALS発症者として生きてゆく勇気を与えてくれたのです。

8.【まとめ】

私は人は追い込まれ追い込まれ、さらに追い込まれたその先からも、這いつくばってのたうちまりこそすれ、生還が可能であることを実体験として学ばせて頂きました。
ただそれには、導いてくれるかたの大いなる力と、支えて下さるかた達の絶え間ない協力とがあり、それを必要と致しました。

あくまでもその結果として、今私はピアサポートを生き甲斐として、ALS発症者の身ならではの人生を謳歌させて頂けるようになりました。
私にたずさわって頂けたかたたちに、本当に感謝致します。お礼の言葉もありません。

そして今私が、それをする番、すなわちALS発症者の立場から、新しくALSを発症したかた達の、支えになるべくピアサポートをする役目。そのことに自覚を持ち、取り組みたく思います。
ご静聴ありがとうございました。

ALS発症者、ふなごやすひこ。


四.おわりに

最後にこのスピーチをおわるにあたり、日常私の支援をして下さる方たちの助言を得て、まとめを考えました。それをご紹介します。

◆患者が自立するための支援とは、同じ目線の高さで同じ方向を向き、まず導き生き甲斐創りの一助を担う事である。
だが生き甲斐とは、追い込まれた先の命懸けの所に多くは有り、楽しみとは一線を画すと知り支援をする。
そしてそれが成された時、支援した側された側双方に、自己実現の自覚の喜びをもって報われる。

そして再びお聞き下さい。

「導く」と「支援」の違い
 同じ方向を向いていれば「支援」 違う方向かどこを向いているかわからないのは「導く」
 いつも「支援」を意識していたい。


これで終りと致します。お疲れ様でした。

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