日記

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12月25日(火)
 

12月24日(月)
 とりあえず、ネタがつきるまではしばらくローマ関係のことを書いてみようかなと思ってるんで、今回もローマ絡みのお話を一つ。
 ローマでもっとも有名な皇帝といえば、おそらくはネロ帝でしょう。ネロ帝は、母親のアグリッッピナと近親相姦をしたり、ギリシアのオリンピア競技に参加して八百長で金メダル(はなかったと思うけど)を獲得したり、ローマに自ら火をつけてその風景を見ながら詩をたしなんでいたといった、とどめにローマの火事の責任をキリスト教徒に押しつけてキリスト教徒を迫害したりと多くの逸話を持っています。
 世間で流布してるネロのイメージはたいがい酷いものです。邪悪な皇帝という感じでしょうか?ただ、実際のネロ帝失脚の原因はネロの邪悪さ(そもそもネロ自身は邪悪な人間ではないです)に起因するものではなく、ネロの政治への関心のなさと根本的な無能さがもたらしたものです。
 上記の逸話は実際にはあんまり根拠がないものも含まれています。しかし、それにしても(元老院における)ネロ帝の悪評は相当なものでした。そして決定的に元老院を刺激したのが、ピソの皇帝暗殺計画事件の連座で、東部属州を治めていた名将コルブロを処刑(当然、罪状はでっち上げ)してしまったこと。もはや、元老院のネロとそしてユリウス家に対する敬意は完全に失われてしまいます。
 こうした首都の状況から、属州で反乱が発生。それに呼応したガルバがローマに進軍すると、元老院はあっさりとネロ帝を見限り公敵宣言を発動。ネロは自害に追い込まれてしまいます。
 どうも、実際はガルバの皇帝宣言と元老院の公敵宣言は裏で繋がってたんじゃないかという気がします。

12月23日(日)
 しばらくここでの話題はローマのことばっかりですんで、宜しくお願いします。
 ローマ皇帝とは、中国の皇帝とは異なる存在です。中国の皇帝とは、秦王政が天下統一を達成したときに王号に変わる位として、皇帝という位を作ったことから始まります。それ以降の中国では、秦滅亡の際に項羽が覇王を名乗った以外は、清の滅亡に至るまで皇帝の位を受け継いでいきます。
 一方、ローマでは事情が違います。ローマでは七代タルキニウスの追放以来、元老院主導の寡統体制が続いていました。カエサルブルートゥスカシウス達に暗殺されたのは、カエサルが王になりかねない存在だったことが原因です。
 帝国を統一したオクタヴィアヌスはその為に、この元老院主導の寡統体制=共和制を形式的に温存します。未だ元老院は共和制の幻想に縛られており、露骨な独裁を行えばオクタヴィアヌスは暗殺されるおそれがありました。オクタヴィアヌスは元老院からアウグストゥスの称号を獲得し、元老院を指導する立場として、長い年月を掛けて独裁体制を確立するのです。
 オクタヴィアヌスはカエサルの養子で、カエサルの名を持っていました。そして、自らの後継者に指名したティベリウスにもカエサルの名を与えて養子とします。ティベリウスはオクタヴィアヌスの死後、その地位を継承する際に、インペラトル
(命令者という程度の意、共和制時代から存在した称号)とアウグストゥスの称号も同時に名乗りました。これによって、インペラトル・カエサル・アウグストゥスの名を持つ者が、ローマの独裁者=皇帝と呼ぶべき存在になります。
 ネロの死により、ユリウス家と血縁関係がない皇帝が即位することになりますが、彼らもインペラトル・カエサル・アウグストゥスの名を名乗り続けます。
 ちなみに、それぞれ微妙に意味が違います。インペラトルとアウグストゥスは皇帝即位時に名乗る称号ですが、カエサルは皇帝後継者およびその候補でも名乗ることがままある称号です。

12月22日(土)
 昨日の続きです。
 何故、ガルバが非力なスペイン軍を率いて反乱を成功させることが出来たかというと、内政に無関心だったネロ帝の権威喪失が第一の原因として挙げられます。しかし、それに加えてイタリア半島に駐留しているまともな軍団が存在しなかったことが挙げられます。
 これは、初代皇帝のアウグストゥスオクタヴィアヌス)が行った大規模な軍縮によるものです。トイトブルクの森におけるゲルマニアでの大敗を期に、ローマ軍はライン河以東のゲルマニアから撤退し、国境守備に必要な軍団のみを残す軍縮を行っています。オト帝がウィテリウスの精鋭のゲルマニア軍と戦うために、涙ぐましい努力でイタリア内の軍をかき集め、ドナウ軍に救援を要請したのはこのためです。
 イタリアに皇帝を守るべき軍団が存在しないというこの構造は、以降も根本的に改善されることはなく、首都ローマの皇帝の権威が喪失すると、地方の軍隊が新皇帝を擁立し、ローマを占領するということが繰り返されます。軍人皇帝時代は、この矛盾が頂点に達して収集がつかなくなった時代です。

12月21日(金)
 一応、
このHPは歴史系に分類されます。(断言)
 にもかかわらず、あんまりそれっぽいことを日記で触れてないんで、たまにはそれっぽいことを書かせていただきます。
 ネロ帝死後の混乱についてですが、1年ほどの間にガルバオトウィテリウスウェスパシアヌスの4人の皇帝が帝位につくことになり、ローマ帝政史の中でも重要な位置をしめる時期です。
 最終的にユダヤ方面司令官のウェスパシアヌスが勝利者として、フラウィウス朝を創設することになるのですが、各皇帝の支持基盤となった軍隊に着目してみます。

ガルバ スペイン方面軍
オト 同上
ウィテリウス 低地ゲルマニア軍
ウェスパシアヌス ドナウ方面軍、シリア・ユダヤ方面軍

 ガルバ帝は、ウィンデクスの反乱によるネロの威信失墜の好機に各属州に根回しを行い、タラコネンシス総督とあいての配下だったスペイン方面軍を率いてローマに入城し皇帝に即位しています。ここで、ポイントになるのはスペイン方面軍は実戦を目的とした軍団ではなく、属州の治安維持を目的とした非力な軍だということです。この頃の最強の軍団はゲルマニアと国境を接する両ゲルマニア軍団とドナウ軍団であり、パルティアと国境を接するシリア方面軍がそれに続くという感じです。
 当然、ガルバ帝としては、これらの強力な軍団に対処する必要があったので、ゲルマニア軍に対しては、属州総督の更迭を行っています。これに激怒したのが、ゲルマニア軍団の下士官達で、新総督のウィテリウス着任を待たずに絶縁状をローマに突きつけ、本来はガルバ帝の派閥に属する筈のウィテリウスを皇帝に担ぎ上げることになります。
 低地ゲルマニア軍がイタリアに攻め入ったときにはクーデターでガルバ帝は失脚して、オト帝が新皇帝として即位していましたが、ローマ最強のゲルマニア軍団はベドリアクムの戦いでオト軍を撃破します。
 ここで、ウィテリウスは失敗を犯します。オト帝の援軍として、イタリアに進軍していたドナウ軍団(ベドリアクムの戦いには不参加)へ過酷な処分を下し、ウィテリウス帝への不信と反感を持たせてしまうことになります。
 当然のごとく、ドナウ軍団はウィテリウスを皇帝から引きずりおろし、自らの支持する皇帝を戴く道を選択します。ドナウ軍団は自らの中から新皇帝を選ぶのではなく、敢えてシリア総督のムキアヌスに白羽の矢を立てます。ムキアヌスも何故か自らが皇帝に即位するのではなく、ユダヤ方面軍司令官ウェスパシアヌスの息子ティトゥスと共謀し、ウェスパシアヌスを帝位に就けます。個人的には、この辺はババ抜きのババを押しつけあってるみたいなのが、微笑ましいです。
 ウェスパシアヌス帝はここまで述べた3人の皇帝より、有利なポジションにあることがこれで分かると思います。他の皇帝達は自らの属州軍だけを支持基盤としていたのに対して、ウェスパシアヌス帝はゲルマニア軍に匹敵する最強のドナウ軍団と常に実戦を経験しているシリア軍団の支持を得ています。
 このドナウ軍団は単独でローマに進軍し、ウィテリウス配下のゲルマニア軍団を遺恨の地ベドリアクムで撃破し、ローマでウィテリウスを処刑し、ウェスパシアヌス登位の地固めを行いました。ネロ帝の失脚によって起きた偶然の産物がもたらした状況とはいえ、ウェスパシアヌス帝は勝つべくして、勝ったのです。

12月20日(水)
 当たり前のことですが、年末は死ぬほど忙しいですね。12月の前半はそれなりの仕事量だったのですが、ここしばらくは毎日働きっぱなしです。
 そんな訳で、年末に発売したゲームがしたくてしょうがありません。真・三国無双2KOEI)、CAPCOMvsSNK2カプコン)、ギルティギアゼクスプラスサミー)、暴れん坊プリンセス(角川書店)といったところに注目してるんですが・・・。ちなみに、この内の何本かは購入済みですが、未だに封も開けてなかったりします。

12月19日(水)
 

12月18日(火)
 

12月17日(月)
 

12月16日(日)
 約半年ぶりにも〜っとおじゃ魔女ドレミを観ました。後番組も決まったみたいですし、
おジャ魔女どれみドッカ〜ン!ってのがタイトルみたいです。いいんですが、凄い名前ですね。

12月15日(土)
 本当は土日は休みなんですが、急に神戸に出張させられてしまいました。車で神戸に行ったんですが、阪神高速から神戸線に入るルートは大失敗でした。土曜日だというのに、大渋滞で車は全然動きません。湾岸線で行けばよかったのに、と思いながら、帰りも同じルートで渋滞に巻き込まれてる私って一体・・・。

12月14日(金)
 

12月13日(木)
 

12月12日(水)
 

12月11日(火)
 

12月10日(月)
 阪神の野村監督の後任人事は、結局星野になるんでしょうか?初めは、まさか中日監督を辞めたばかりの星野がよりによって阪神の監督になるとは思えなかったんですが、新聞とかを見てると星野はすんなり監督就任を受け入れそうです。
 私としては是非岡田が昇格して欲しいんですけどねえ。でないと、会社の同僚との賭に負けてしまうよー。久万オーナー、考え直してください!!

12月9日(日)
 

12月8日(土)
 昨日ゲットしたボーナスを元に、紳士服屋さんで背広×2セットを購入しました。それにしても、背広を買うだけなのに、何で私は4件も紳士服屋さんを梯子してたんでしょうか?とりあえず、1万円以下のスーツはろくなのがなかったです。

12月7日(金)
 サラリーマンであることが幸せであると感じることの出来るボーナスの日です。取りあえず、毎日新作PS2のゲームを買い続けても、3ヶ月は大丈夫なだけのお金をゲットしました。この額が多いか少ないかは、実際の所よく分かりませんが・・・。

12月6日(木)
 

12月5日(水)
 野村沙千代の逮捕と野村阪神監督の退任が決定的です。
 あまりに遅すぎるという印象は拭えませんが、当然の帰結でしょう。巷の一部では野村監督は巻き込まれただけの、被害者かのような言説も見受けられますが、そんなことはないでしょう。事実はどうあれ脱税の利益を共有しておきながら、社会的責任(つーか個人的には逮捕されないのが不思議なぐらいです)を免れるのは、認めがたいです。
 とにかく、プロ野球関係の不祥事は、黒い霧事件、新人選手の脱税事件、ダイエーのスパイ事件など、どれもこれもうやむやになってばかりなんで、これぐらいは
野村の球界からの永久追放も含めた厳しい処分が下ることを切に願っています。

12月4日(火)
 掲示板でも、ちょっと愚痴ってた、Front Pageの不具合が修正できました。やっぱり、パソコンのソフトは説明書を見て設定しないとだめですね。このHPのデータをサーバーに送ろうとする度にデータを全部上書きしようとするんで、無意味に時間がかかってました。
 ぼちぼち、パソコン内のデータ修復をやっていきます。

12月3日(月)
 

12月2日(日)
 

12月1日(土)
 

 

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