日記

9月30日(水)
 

9月29日(火)
 

9月28日(月)
 

9月27日(日)
 昨年から全話通して視聴を継続していた、リメイク版ヤッターマンが遂に完結しました。
 最終回のOPテーマは、絶対に挿入歌でも使われていた山本正之がちゃんと歌っていたヤッターキングのテーマだと思っていたのに、旧作の山本正之版ヤッターマンの歌を今さら使用するという微妙なサプライズになっていました。
 とりあえずの感想としては、やっと終わってくれて、ほっとしたなと。時々、面白い時もありましたが、基本的にこのリメイク版ヤッターマンを毎回視聴するのは、かなり辛かったです。最終回に向けてのラスト3話はマンネリしまくりの展開ではなくてまあまあ良かったですが、始まった瞬間からマンネリが臨界点を突破している作品を今さら1年半も見続けていた自分を誉めてあげたいです。
 タイムボカンシリーズで一番好きなのはゼンダマンですので、これもリメイクして欲しいなとか一瞬思いましたが、間違いなくマンネリがキツイでしょうから、これでおじゃんということででいいんでしょうね。

9月26日(土)
 

9月25日(金)
 

9月24日(木)
 

9月23日(水)
 

9月22日(火)
 

9月21日(月)
 

9月20日(日)
 この連休を利用して、知人に借りていたGUNSLINGER GIRL(ガンスリンガー・ガール)1期のDVDを視聴完了。以前から気になっていた作品ながら今まで未見だったのですが、人気作になるのも納得なそこらの萌えアニメとは一線を画した奥行きのあるストーリーは確かに面白かったです。
 でも、同時にこの作品を観ていると常に違和感を感じてしまいます。
 GUNSLINGER GIRLに登場する主役であるヘンリエッタを初めとするヒロイン達は、不幸な生い立ちによって死の淵から救い出されるなどの経歴を経て人体改造を施された義体と呼ばれるサイボーグであり、条件付けという名の洗脳によって組織への忠誠心とパートナーとなる男性の担当官への愛情を植えつけられるという、かなり悲惨な設定になっています。
 客観的に見てヘンリエッタ達は、可哀そうで同情すべき存在なのは間違いありません。しかし、実際の作品上においての彼女たち義体は、実は非常に恵まれた、ある意味では幸福な存在として描かれているのです。
 ヘンリエッタのパートナーであるジョゼは、ヘンリエッタの境遇と義体としての彼女の運命に心を痛めており、ジョゼはヘンリエッタを仕事上の部下や駒としてではなく、家族に対して接するような愛情を持っているという風に描かれています。当然、ヘンリエッタも条件付けによってジョゼの事を愛しており、2人は相思相愛の関係にあるといっても間違いないでしょう。これは、他のヒロインである義体達にも、ほぼ当てはまることです。
 ヘンリエッタは最終話で、自身は同情されるべき存在ではなく、ジョゼの為に命を落とすことこそが最大の幸福なのだといった主旨の発言をしていましたが、これは蛇足というか、むしろこの発言を際立たせたいのであれば、ヘンリエッタが(客観的に見て)不幸であるという描写が全く足りてなかったのではと思いました。
 おそらく、こういう矛盾点というか、義体に対する不合理性を明らかにさせる為に登場させたのが、エルザという義体です。彼女は本作においてただ一人パートナーとなる男性に愛情を与えられることなく、無理心中を遂げるという最期を迎えることになります。このエルザのエピソードよって、義体という存在は不幸であるという主張がしたかったのかもしれませんが、逆にこれはヘンリエッタ達他の義体が恵まれていることの補強になってしまってるような気がします。
 結局、私は最後まで分からなかったのですが、このアニメの制作側の人たちは、義体となったヒロイン達を同情すべき存在として描きたかったのか、ヒロイン達が主張するように逆に他者からどう見えたとしても幸せなんだと訴えたかったのか、一体どちらなのでしょうか?
 とにかく、観ていてすっきりしない作品でした。その内、原作も読まないといけませんね。

9月19日(土)
 

9月18日(金)
 

9月17日(木)
 

9月16日(水)
 

9月15日(火)
 

9月14日(月)
 

9月13日(日)
 
 

9月12日(土)
 世界陸上で金メダルを獲得した女性選手が実は男性ではないかとの疑惑から色々調べたら、実は両性具有だったと判明したことが、ちょっとしたニュースになっていますね。

 痛いニュース(ノ∀`):男性疑惑の金メダリスト・セメンヤ、両性具有と判明…陸上女子

 これで思い出したというか、関係あるようなそうでもないような話しですが、落語のネタにそのまんまにもほどがある「ふたなり」というタイトルの噺があります。
 現代社会で生きる我々なら周知のこととは思いますが、このふたなりというのは、もちろん本来の意味である両性具有(半陰陽)を指し示す言葉ではあるのですが、同時にエロマンガとかの題材になりまくっているある種の猥褻用語なんですよね。
 そんな訳で私はこの「ふたなり」というネタは、どんなヤバイネタなのかと興味津津だったのですが、実際の内容というかタイトルのテーマに当たる部分というのは

 役人A「この者(自殺者の遺体)は、男子か女子か」
 役人B「へえ、猟師(両子とのダジャレ)でございます」
 −終わりー

 という、エロくもなんともない超くだらないオチで、がっかりもいいところでした。
 ちなみに、このオチは桂米朝師匠バージョンで、他の噺家は違うオチを使っている場合もあるようです。
 昔、学生落語で女のひとがこの「ふたなり」を演じているのを見たことありますが、この単語の持つある意味不謹慎なイメージとか思うと、妙な先入観を持ってしまうのは私だけではないかと思います。まあ、艶笑噺とかやる訳ではないので、問題がある訳でもないんですけどね。

9月11日(金)
 

9月10日(木)
 

9月9日(水)
 

9月8日(火)
 

9月7日(月)
 何となく8月から再読していたギャンブルレーサー全39巻と続編のギャンブルレーサー二輪乃書全7巻を久々に読破。凄まじい勢いで無数のアニメが量産されている現在日本において、確実にアニメ化される見込みは皆無ながらも、読めば読むほど引き込まれる傑作マンガです。
 この作品の主人公の関優勝(せきまさかつ)は、オッサンの競輪選手で大のギャンブル好きの半分ぐらい極道に足を突っ込みかけみたいな設定なキャラで、結構最近まで連載されていたにも関わらず萌えキャラはまったく登場しません。
 下り坂を歩みつつある主人公の関と売二(うりふたつ)や常荷金策(つねにきんさく)といった関の弟子たちが競輪選手としての人生を歩んでいく姿がひたすら続いていくという作風は独特の味わいがあるんですよねー。普通のスポーツものだと、トーナメントでの優勝とかを目指して、練習試合→予選→本大会→優勝みたいな展開が普通ですが、ギャンブルレーサーにおいては、関は一流半というレベルの選手でしかも連載が進めば進むほど力が衰えていくという、逆転の発想みたいなストーリーが展開されています。その代わりというか、弟子の売や息子の優一といったキャラが関の果たせなかった特別競輪(G1)の制覇を目指して、関軍団の3歩進んで2歩下がるといった具合の悪戦苦闘とヤクザな日常が描かれています。
 関軍団の所属選手をざくっと実力順にならべると以下のような感じです。

 売と金策がデビューした頃(15巻あたり)
 売二>>>>関優勝>>>>>>>>>>常荷金策

 武蔵(桐山)と大場がデビューした頃(25巻あたり)
 売二>>>>関優勝>>>桐山公男>>>常荷金策>>>>>>>大場嘉太郎

 金梨がデビューした頃(39巻あたり)
 売二>>金梨包一>>>>>桐山公男>>常荷金策>>>関優勝>>>大場嘉太郎

 完結時(二輪乃書7巻)
 関優一>金梨包一>>>>売二>>>>桐山公男>>常荷金策>>>関優勝>>>大場嘉太郎

 ちなみに私が一番好きなキャラは、売二という関の2番目の弟子です。売は単純な能力だけでは作中で一番の実力者なのですが、自身の能力の最盛期には関軍団は弱小派閥に過ぎず、師匠の関優勝の衰えもあり特別競輪の競走で連携を取るべき仲間が存在しない中での闘いを強いられ、関の息子である優一(総合力では作中で最強と思われます)がプロ入りして以降にようやくタイトルを目指すことが出来るようになった時には、力は下り坂に差し掛かっていて、最期まで特別に勝つことが出来なかった悲劇の人物です。売はマンガの人物ということもありますが、超絶なバカで読み書きもロクにできず自分の年も分からないお茶目さんだったりするのですが、でも、競輪選手であることに凄まじい誇りを持っていることを示す描写があちこちにあって、競争に負けて呆然としてる売の姿には、ついつい心を打たれてしまうんですよね。
 また、関軍団の中での最弱という位置づけの大場嘉太郎(おおばよしたろう)は、作中ではダメ人間扱いであまりいい所はありませんが、プロ入りする過程で関のしごきに耐えきっていたりと、私のようなただのサラリーマンから見たら十分に凄い人(プロスポーツの選手だから当たり前だけど)だったりと、細部のリアリティがいちいち納得できるんですよね。
 後、個人的に気になるというかそりゃないんじゃないというのが、関の一番初めの弟子の金尾水造(かねおすいぞう)。関のシゴキといびりには耐えきったものの、年齢制限でプロ入り出来なかった相当に悲惨な人物なのですが、途中までは売や金策の先輩としてちょくちょく登場していたのに、二輪乃書以降には一切出番がなくて、他のキャラは近況が紹介されていた最終回でも金尾についてだけは全く言及されないというあんまりな扱いは涙々ですよ。辛うじて扉絵の隅っこに顔が描かれていたので、作者が忘れていた訳ではないようですけどね。

9月6日(日)
 現在ラストに向かってシリアス展開に突入している戦場のヴァルキュリアが、いい感じ。
 序盤では、主要人物が死なない戦場を舞台にしてぬるい恋愛モノが展開されているという、視聴者(原作はゲームだけど)を舐めとんのかと毎回がツッコミの連続でしたが、終盤でこんなに化けるとは全く予想していなかっただけに嬉しい誤算です。
 それにしても、最初の方は本当に酷かった。戦場で人がいっぱい死んでいるという悲惨さを全く感じない情景描写に、ヒロインのアリシアを巡ってイケメンのウェルキンとファルディオによって展開される微妙な三角関係。何で普通の学園モノにしなかったのかと不思議でしょうがなかったです。
 そういう、ある意味では安心感のあった世界を覆したのが、ウェルキンの義妹であるイサラの死です。これによって、メチャンコ遅きに失したとはいえ、戦場では人が死ぬという当たり前といえば当たり前すぎる緊張感がストーリーに生まれました。イサラが死んで、その後にイサラのことを思っていたラマールも死んでいるという当初は想像もしていなかった重いストーリーに収拾をちゃんとつけるのか、それとも普通にハッピーエンドにしちゃうのか。
 この作品のラスト自体は、アリシアとウェルキンが結ばれるというのは普通に想像できます。何か期待しすぎると火傷しそうな予感がするので、ほどほどに期待してラストまで見ていこうと思います。

9月5日(土)
 

9月4日(金)
 

9月3日(木)
 

9月2日(水)
 

9月1日(火)
 

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