日記

2月28日(月)
 

2月27日(日)
 

2月26日(土)
 昼過ぎに本屋さんに行ったついでに何となく立ち寄ったゲームショップで、今日発売の3DSが普通に売られていたので、振り込まれたばかりの給与をおろした現金を握りしめてダッシュで3DSの本体と戦国無双Chronicleを購入してしまいました。
 予約していなかったし、発売日に買えるとか全く思ってなかったので予定外の出費でしたが、まあいずれ買おうとは思っていたので、いいでしょう。任天堂がいっぱい出荷したみたいで、別に即決で買わなくても全然平気だったようですけどね。
 で、ローンチタイトルで欲しかったのは戦国無双だけだったので、予定通りこれを購入した訳なんですが、うん、これもすげー今時な戦国モノなんですねー。
 何度かこの日記でもネタにしている大河ドラマの江〜姫たちの戦国〜よりは普通かなとか思っていたんですが、すいません、私は勘違いしてました。KOEIさんも、大河ドラマに全然負けてないですよ。
 出てくる登場人物が現代人っぽいのはともかくとして、武田信玄がヒョウキン者で「〜しちゃったりして」とかいうセリフを言いまくっているとか、これは私の持っている戦国時代に対する先入観が間違っているのかと自分の知識を疑ってしまいそうになるレベルですよ。
 でも、お市さまとかが萌えキャラになって、キャピキャピ言いながら武器を振り回しながら戦場を駆け巡るのとかは全然ありだと思いますよ。(←おい)

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2月6日(日)
 ここ最近、エジプトの政変がTVでガンガン放送されているので、自分の復習も兼ねてエジプトの歴史を振り返ってみたいと思います。

古代エジプト(初期王朝〜アレクサンドロス大王の帝国) BC3150頃〜BC305
 あんまり知らないし、この辺にマニアックに詳しいサイトはいっぱいありそうなんで、パス。(←おい)

プトレマイオス朝 BC305〜BC30
 アレクサンドロス大王の死後、ディアドコイ(後継者の意)の一人であるプトレマイオスは自身が総督だったエジプトを根拠地として自立し、プトレマイオス1世として王位に就く。ディアドコイ戦争では、プトレマイオス1世はアンティゴノス、デメトリオス父子への包囲網に加わるが、最終決戦のイプソスの戦いには参加していない。
 アレクサンドリアはヘレニズム時代の中で最も繁栄した都市であり、プトレマイオス1世の治世には、王立研究所(ムセイオン)と図書館、世界7不思議の一つである大灯台の建設が行われている。
 プトレマイオス1世の死後も、プトレマイオス朝はヘレニズム諸国の中心として繁栄を続ける。大英博物館に所蔵されるロゼッタストーンは、プトレマイオス5世時代の治世について記されたものである。
 しかし、地中海の覇者としてローマが台頭し、周辺諸国が全てローマの属州となると、プトレマイオス朝もローマの影響下に入る。プトレマイオス朝は、ローマの政争に巻き込まれる形で、ポンペイウス、カエサル、アントニウスと次々とパトローネス(保護者というような意味)を乗り換えていくが、クレオパトラ7世がパトローネスとしていたアントニウスがオクタヴィアヌスにアクティウムの海戦で敗北した結果、プトレマイオス朝は滅亡し、エジプトはローマの属州となった。

ローマ帝国属州時代 BC30〜AD398
 エジプトを属州としたオクタヴィアヌスはまもなくアウグストゥスの尊称を得て、ローマに帝政を敷く。属州エジプトは小麦の一大生産地として、属州アフリカと並ぶローマ市の食糧供給元となる。
 五賢帝時代のマルクス・アウレリウス帝の治世下に起こった反乱を鎮圧した部将カシウスは、エジプトで皇帝即位を宣言して反乱を起こすが、即座に鎮圧される。軍人皇帝時代には、パルミュラの女王ゼノビアがエジプトを占領するが、アウレリアヌス帝によって奪還されローマの支配下に留まった。
 アレクサンドリアの司教であるアリウスの提唱する教義の信徒がいわゆるアリウス派を形成。同じくアレクサンドリアの司教となるアタナシウスの提唱する教義の信徒であるアタナシウス派と激しく対立。コンスタンティヌス1世が主催したニケーア公会議で、アタナシウス派が正統とされ、アリウス派は異端であると決定されるも、アリウス派は勢力を維持。正統派である筈のアタナシウス自身も幾度となくアレクサンドリアからの追放、復権を繰り返した。テオドシウス1世時代に、キリスト教の国教化が政策として決定すると、異教である古代エジプトからの信仰は失われていくことになった。
 ディオクレティアヌス帝の4分統治体制、テオドシウス1世帝の東西分割を経て、エジプトは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の管轄となる。

東ローマ帝国属州時代 398〜641
 4世紀後半のゲルマン人の大移動によって、ほとんどの属州はゲルマン人の侵入によって打撃を受けるが、属州エジプトにはゲルマン人の侵攻は及ばず、統一時代に続いて東ローマ帝国の重大な食料供給地であり続けた。
 しかし、その一方で公用語がラテン語からギリシア語に代わり、これまではある程度併用されていた古代エジプト文字に対する知識は完全に失われる。また、キリスト教徒が多数派となったことから、異教時代のものである古代の遺跡は顧みられることなく廃墟と化していった。
 マルキアヌス帝の主催したカルケドン公会議によって、単性論(キリストには神性のみがあるとする考え、両性論=正統派は神性と人性のいずれもがあるとする考え)は異端とされ、エジプトの単性論派であるコプト教徒は、コンスタンティノポリスから迫害される立場となる。
 マウリキウス帝からフォカス帝が帝位を簒奪したことをきっかけに、ササン朝ペルシアのホスロー2世がローマ領に侵入し、属州エジプトもペルシア軍の占領下におかれる。フォカス帝からさらに帝位を簒奪したヘラクレイオス帝がペルシア軍を破ったことか、属州エジプトは東ローマ帝国領に復帰するが、単性論信仰を巡る宗教的確執から住民は中央のコンスタンティノポリスの支配を嫌い、不安定な状態となった。この様な情勢の中で、アラビア半島に勃興したイスラム教徒がエジプトに侵入し、東ローマ帝国軍が籠城していたバビロン要塞(現在のカイロ近郊)とアレクサンドリアが陥落したことで、エジプトはイスラム教徒の土地となった。

正統カリフ統治時代 641〜661
 ムハンマドの創始したイスラム教組織は、メッカ、メディナに留まらずアラビア半島全域を支配下におくと、連年の戦争によって疲弊していた東ローマ帝国とササン朝ペルシアに侵攻を始める。2代目のカリフであるウマルの時代に、エジプトにもアムル率いるイスラム教徒の軍勢が侵入し、駐留していた東ローマ帝国軍を駆逐する。アムルはバビロン要塞の北岸に軍事拠点としてフスタートを建設してアフリカ侵攻の拠点とし、フスタートはこれ以降エジプトの中心都市となる。
 領土の回復を目指す東ローマ帝国は、コンスタンス2世帝自らが艦隊を率いるが、シリア総督ムアーウィアとエジプトの艦隊によって東ローマ帝国海軍を撃破する。
 カリフ位がムハンマドの女婿のアリーに移ると、アリーの即位を認めないムアーウィアとアリーの内乱となり、アリーはその混乱の最中に暗殺されて、ムアーウィアがカリフとなった。

ウマイヤ朝統治時代 661〜750
 4代カリフアリーとの抗争とハワーリジュ派の暗殺から生き残ったムワーウィア(1世)は単独のカリフとなり、イスラム世界で初めての世襲王朝のウマイヤ朝を創始する。ムアーウィア1世は、自身の子であるヤズィード1世にカリフ位を世襲させるが、これを認めない勢力はヤズィード1世の死を契機に反乱を起こしイブン・アッズバイルをカリフに擁立し、エジプトもイブン・アッズバイルの勢力圏となった。この反乱はアブド・アルマリクによって鎮圧され、イブン・アッズバイルも戦死する。
 ウマイヤ朝の支配はアラブ人に優越的な地位を与えたもので、これに反発したペルシア人や異端とされるシーア派(アリーとその子孫のみが正統なカリフであるとする考え)は潜在的な内部の反対勢力であった。また、ウマイヤ朝のカリフ位世襲についても、成立当初から疑問を持たれていた。でアッバース家は各地のウマイヤ朝の反対勢力を糾合し、アブー・アル・アッバースはカリフ位を宣言し、ウマイヤ朝最後のカリフであるマルワーン2世を逃亡先のエジプトで殺害した。

アッバース朝統治時代 750〜868、905〜935
 ウマイヤ朝から、アッバース朝に政権交代して以降も、エジプトはイスラム世界で重要な位置を占めていく。エジプトの首府の地位は、フスタートから北方のアル・アスカルに移る。
 アッバース朝においては、トルコ系の軍人奴隷であるマムルークが力を持ち、実入りの多いエジプト総督の地位は有力者となった解放マムルークの持ち回りとなることになる。
 9世紀以降、アッバース朝の勢力が下降していくと、マムルーク出身の部将トゥールーンは、アッバース朝の宗主権を認めた上でエジプトにおいて独立政権トゥールーン朝を樹立する。トゥールーン朝の勢力が衰えると、エジプトは再びアッバース朝の直接統治となるが、西方でファーティマ朝が興り、ファーティマ朝からの防衛の為にマムルークをエジプトに送りこむと、エジプトは再びマムルーク出身のムハンマドの樹立したイフシード朝の支配下に置かれ、エジプトのアッバース朝の直接支配は終わった。

トゥールーン朝 868〜905
 マムルーク出身のアフマド・イブン・トゥールーンは義父の名代として総督代理としてエジプトに赴任すると、エジプトに独立政権トゥールーン朝を樹立する。アフマドは、エジプトに加えて、アッバース朝から、シリア、イラクを奪う。2代目のフマーラワイフは、アッバース朝の宗主権を認めることによって、これらの支配領域の統治を認められるが、アッバース朝への貢納とフマーラワイフ自身の奢侈によって、トゥールーン朝の財政は圧迫されることになる。
 フマーラワイフの死後、トゥールーン朝の勢力は衰え、エジプト、シリアの直接統治を目指すアッバース朝の軍勢によって、トゥールーン朝の王族達はバグダードに連れ去られ、トゥールーン朝は滅亡する。

イフシード朝 935〜969

ファーティマ朝 969〜1171 

アイユーブ朝 1171〜1342

マムルーク朝 1250〜1517

オスマン・トルコ統治時代 1517〜1805

ムハンマド・アリー朝 1805〜1953

ナセル以降 1953〜

2月5日(土)
 ここしばらく大相撲の八百長疑惑が確定的になったというニュースがガンガン放送されていますね。
 私は今回の八百長が証拠付で証明された今回の事件は、相撲という世界に取っては必ずプラスになると思います。
かつてプロ野球でも黒い霧事件でスター選手も含めた大量の選手が暴力団の野球賭博と結び付く形で八百長に関わっていたことが明らかになり、多数の選手の永久追放処分、西鉄球団の消滅、パリーグの凋落といった大きな痛手を負いました。しかし、この事件によって、暴力団との関係を断ち切り、八百長もそれを疑われる好意も絶対に許されないというルールを徹底したことが、現在でもプロ野球がスポーツの盟主と言える地位を確保している理由の一つでしょう。
 私個人の感情を言えば、現在の組織は完全に解体して、公益法人としての資産も全部没収だと言いたいのですが、現実的にはある程度の部分で手打ちになってしまうのでしょう。
 今までの相撲の世界は、彼らが本当にその連続性の継承者でがあるのか疑わしい、歴史だとか伝統だとかに慢心に慢心を重ねて、自浄能力が全くないことを露呈していました。伝統と言えば、どんな不合理なことでも許されるのでは絶対にないと私は言いたい。
 八百長についても、それこそ昭和の時代から引退力士の証言などから、疑惑と言うより事実であるとして八百長は語られていたのに、これを改善しようとする意志も逆に興業であれば許されるという弁明(こっちはあり得ないでしょうけど)も示さず、ひたすら隠蔽に終始してきた訳です。あまつさえ、八百長疑惑を奉じた週刊誌を名誉棄損で訴えて、最高裁で勝訴までしています。まさに、言ってることと、やっていることが違うという奴でしょう。
 こういう大相撲の組織のありようを見て、伝統だからかれらを守るべきだという考えに、普通の人が賛同出来るというのでしょうか?こういう世界は大なり小なり腐敗はあっても当然でしょうが、日本相撲協会の腐敗の仕方はプロ野球などの他の組織と比べて異常と言ってもいいレベルの腐敗の仕方に思えてしまいます。
 とりあえず、次の春場所は中止になるようですが、どこまでこういう腐敗の温床をなくすことが出来るものやら。
 絶対にやらないと思いますが、取り組みは当日の午後まで発表しないとか、競馬や競輪の様に力士は場所開催中は電話やメールも含めて外部と一切接触しないとか、千秋楽は2度目の対戦でもよいので必ず7勝7敗同士の取り組みにするとか、やれることはいっぱいあると思うんですけどねー。
 しないんだろうな。半年ぐらい先には普通にNHKで大相撲の放送やってるんだろうな。はあ。

2月4日(金)
 

2月3日(木)
 

2月2日(火)
 

2月1日(火)
 昨日、職場の事務所でちょっと小走りしていら、いきなり右足に激痛が走って立てなくなってしまいました。
 最初は足がつったのかと思っていたのですが、いつまで経っても痛みがなくならないし、まともに右足に力も入れることも出来ないので、整形外科のお医者さんに診てもらったら、案の定というか肉離れを起こしていて全治3週間〜1月半との診断を言い渡されました。
 で、生まれて初めて松葉杖を借りたのですが、日本はいい国ですわ。
 いや、松葉杖をつきながらバスに乗ったり、電車に乗ったりしたら、メチャクチャ廻りの人が親切なんですよ。病院の送迎バスに乗ろうとしたら、職員でもないおばさんがほほ笑みながら手を貸してくれるし、電車に乗ったら学生らし気女の子がいきなり席を譲ってくれました。私も妊婦さんに席を譲ったりしたことはありますが、自分がそういう親切を受ける立場になると、また見方も変わりますね。
 それに引き替え、私の職場の同僚達はなってない奴ばっかりですよ。
 昨日、負傷した時も何を大げさにしてるんだみたいな感じで放置プレイでしたし、今日も松葉杖で出勤したら笑い物にされるという、まどか★マギカのさやか級の冷遇ぶりに涙々ですよ。受け狙いで、そこまでやる奴はいないっつーの。
 仲間の筈の身内より、見知らぬ他人の方がよっぽどあったかいんだなと学習出来た事件でした。

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