ローマ帝国史略


バルカンユーゴ悲劇の深層 感想

 微妙に古い本なのですが、バルカン ユーゴ悲劇の深層(加藤雅彦)というのを読みました。名前の通り、ユーゴ紛争に至るまでのバルカン半島について書かれた本です。

 バルカン半島に割拠する国には、ギリシア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、ハンガリー、そして旧ユーゴスラビアから別れた新ユーゴ(セルビア・モンテネグロ)、クロアチア、スロヴェニア、ボスニアといった所が名を連ねるのですが、常に各国は「大○○主義」という形で、古代・中世にあった栄光の時代に有していた領土の復活を欲しています。
 ギリシアの場合は古代ギリシア、アレクサンドロスの帝国と中世のローマ(ビザンツ)帝国であり、ブルガリアはビザンツ帝国とバルカンで覇権を争った皇帝シメオン時代の第一次ブルガリア帝国を、セルビアはステファン・ドゥシャンの大セルビア帝国を、という具合です。
 これらの民族の共通体験として、オスマン・トルコの支配という暗黒時代があり、ルネッサンス以降の西洋文明から取り残されたということがあります。さらに、現在においても西洋諸国に比して、経済的にも文化的にも後進国としての地位しか有していません。それ故に、これらのバルカン諸国は、今なお過去の栄光を忘れることがないと、この本には記されています。

 旧ユーゴスラビアというのは、国名にもなっている南スラブ人の連携を求めたユーゴスラブ(南スラブ人)運動の結実というよりも、ブルガリアやギリシアを押さえたセルビア人が支配領域を拡大した大セルビア主義の実現だったというのが現実でした。もちろん、そこにはヴェルサイユ体制の維持を図るためにバルカンに連合国(主にフランス)が強力な同盟国を必要としたということもあります。
 無理を押して建国されたユーゴスラビアという存在からすれば、ユーゴ紛争というのは起こるべくして起こったと考えるべきなのでしょう。
 第二次大戦を経て、パルチザン闘争を勝ち抜いたユーゴスラビアは、チトーというバランス派の政治家の下で、建前だった筈のユーゴスラブ主義を実現させます。この時代がユーゴスラビアが最も幸福だった時代とされています。しかし、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字という、ユーゴスラビアの建前は、逆に言えば多数派の大セルビア主義の実現を望むセルビア人達に忍従を強いることとイコールだということが、かつての『幸せな時代』には無視されていたというのも、事実なのです。

 バルカンの問題はもちろんユーゴだけではありません。
 世界史の授業でも習うサン・ステファノ条約で一時的に大ブルガリアの領土を獲得した(後にベルリン条約によって大部分を放棄)ブルガリアは、その後もバルカン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と旧領の獲得を目指しては敗戦を迎えるということを繰り返しています。
 ギリシアにしても同様で、バルカン戦争、第一次世界大戦で、領土を拡大したものの、大ギリシアの復活にはほど遠い領域しか有していないというのが現状です。
 焦点となっているのは、ユーゴスラビアから独立したマケドニアで、そもそもブルガリアやギリシアはマケドニア人の存在を認めていません。彼らからすれば、マケドニア人とはスラブ語も話すギリシア人であり、ギリシア語も話すブルガリア人なのです。

 この本が発行された頃(1993、11,18)と現在とでは、またユーゴの情勢も違うのですが、基本的なバルカンの民族構成などの背景は変わっていません。今もってバルカンはヨーロッパの火薬庫なんだなということと同時に、民族の原体験としての歴史ってメチャクチャ重要なんだとしみじみ思ってました。

 

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