ローマ帝国史略


フルタ製菓のフィギアへの突っ込み

 ようやくコンビニで売っているのを頻繁に見かけるようになったフルタのローマフィギアで、皇帝剣闘士(コンモドゥス帝)のフィギアをゲットしました。で、フィギアと一緒に封入されていた解説書カードを読んでいると

(皇帝剣闘士登場後のローマ)
皇帝自身が闘技に身を置いたことでローマには“力が正義”という風潮が生まれ、コンモドゥス以降は軍事力を背景とした軍人が皇帝となり、ローマはさらなる軍事国家へと変貌し衰退に向かう。395年に分裂し、東ローマ(ビザンティン帝国)はトルコ系解放奴隷軍人を兵とし1453年まで存続するが、奴隷軍人によって滅ぼされた。ローマ前史については<独裁者(カエサル)>の解説書を参照。

 あの〜、どこからツッコミ入れるか考えたくなる素晴らしい迷解説有り難うございます。

 ローマ史を舐めるなー!!(ブチ切れ)

 ええと、まず最初の一節です。

 皇帝自身が闘技に身を置いたことでローマには“力が正義”という風潮が生まれ

 生まれてねーっつーの。
 コンモドゥスに軍人皇帝時代の到来の責任の一部があるというのは異論はないのですが、別にそれは皇帝自身が闘技に身を置いたからではないでしょう。最終的にコンモドゥスは暗殺されるのですが、この直接の理由は剣闘試合にうつつを抜かすコンモドゥスを親衛隊が見限ったからであって、ローマ=北○の拳みたいな世界観になったというのは、暴論というか論理がいきなりワープしちゃってるんですけど・・・。
 つーか、誰よこんな説を提唱した学者さんって?私も専門家の論文を読むほど勉強なんてしてないですけど、コンモドゥスが剣闘士となったことを軍人皇帝時代と関連づけた説を聞いたのはこれが初めてです。
 この解説を書いた人は、町井譲(歴史文化ライター)なんだそうですが、どこからこんな飛躍しまくった説を持ち出したか教えて欲しいもんです。

 それから、続きも酷いです。

 395年に分裂し、東ローマ(ビザンティン帝国)はトルコ系解放奴隷軍人を兵とし1453年まで存続するが、奴隷軍人によって滅ぼされた。

 いや、確かに東ローマでもトルコ系の傭兵は存在したそうですが、それがローマ軍の主力となった時代ってありましたか?
 末期ビザンツ時代は詳しく知らないので、これについては疑問を述べるだけにしておきますが、東ローマを滅ぼしたオスマン・トルコ=奴隷軍人という表現はいくら何でも酷すぎです。
 確かに、セルジュク朝以降の中央アジアやエジプトにおいて、トルコ人は奴隷軍人(
歴史用語としてマムルークと言うべきでしょうが)と呼ぶこともOKかと思いますが、オスマン・トルコの時代はそうじゃないでしょう。仮に現在のアメリカでアフリカ系黒人の大統領が誕生したって、奴隷大統領とは言わんでしょう?

 コンモドゥスのフィギアは電波系の陛下をよく表現出来てて、いい感じだったのですが、こういう解説書も電波系なのはいけてないです。
 ちなみに、カエサルのフィギアの解説書も

 紀元前509年より始まる共和制ローマはカエサルによって崩壊した。

 という、いくら何でも端折り過ぎだろーと言わずにおれない内容だったことを付け加えておきます。

 

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