ローマ帝国史略


ローマで女系皇帝がOKな理由

 ローマ帝国の皇帝というのは養子縁組での継承というのがやたらと多いです。
 有名なのは五賢帝の継承(実際はトラヤヌス帝⇒ハドリアヌス帝の継承は養子縁組ではない)ですが、他にも二代ティベリウス帝はアウグストゥス(オクタヴィアヌス帝)の後妻リヴィアの連れ子を養子にしたものですし、ネロ帝も同じようにクラウディウス帝の後妻アグリッピナの連れ子を養子縁組しています。もっと、時代が下っても、ユスティヌス2世(紛らわしいけど、有名なユスティニアヌス1世の甥)は、ティベリウス2世を養子にし、ティベリウス2世はマウリキウスを養子として、それぞれ皇帝位を継承しています。
 他にも、ガルバ帝が、有力貴族のピソを養子にしようとして、次期皇帝の座を狙っていたオト帝に殺されたりとか、レオ1世の娘アリアドネやコンスタンティヌス9世の娘ゾエは、自らの結婚相手を次々に皇帝に指名したりしています。
 常識的に考えれば、帝位の継承というのは、日本の天皇家の様に直系の男子を優先に男系継承してくのが通常ですが、むしろローマではそうでない事例の方が多いです。もちろん、血縁継承がなされない第一の理由としては、政変などによって、皇帝や皇族が不慮の死を遂げるというパターンでの皇帝交代が多いからなのですが、平時においても上記の様な養子縁組による非血縁継承が少なからず見受けられます。
 これは何故かというと、ローマが一夫一妻制の社会で、皇帝が必ずしも継承者たり得る男子を子に持っているとは限らないからです。初代アウグストゥスからして、自身と正妻リヴィアの間に子を成すことは叶わず、一人娘のユリアを次々に側近達に嫁がせて後継者の男子を産ませようと苦心しながら、最終的に失敗しているという有様です。逆に日本の天皇家なんかは、一夫多妻制だったからこそ、1000年単位で男系継承を続けていくことが可能だった訳です。
 ローマの王朝でまともに男系継承が成されている王朝なんて、本当に見あたりません。

 ウェスパシアヌス帝⇒ティトゥス帝(子)⇒ドミティアヌス帝(弟)

 マルクス・アウレリウス帝⇒コンモドゥス帝(子)

 セプティミウス・セヴェルス帝⇒カラカラ帝(子)、ゲタ帝(子)

 ゴルディアヌス1世帝、ゴルディアヌス2世帝⇒ゴルディアヌス3世帝(孫、子)

 コンスタンティウス1世帝⇒コンスタンティヌス1世帝(子)⇒コンスタンティヌス2世帝(子)、コンスタンティウス2世帝(子)、コンスタンス1世帝(子)⇒ユリアヌス帝(従兄弟)

 ヴァレンティニアヌス1世帝⇒グラティアヌス帝(子)、ヴァレンティニアヌス2世帝(子)

 テオドシウス1世帝⇒アルカディウス帝(子)⇒テオドシウス2世帝(子) 
               ホノリウス帝(子)

 西ローマ帝国の滅亡までのローマ皇帝で、男系継承だったのをざっと挙げてみました(括弧内は前皇帝との続柄、適当に書いたんで抜け落ちあるかも)が、コンスタンティヌス朝が比較的長い間続いている以外は、どの家系も2〜3代で断絶してしまっているのが分かるかと思います。ユリウス・クラウディウス朝なんて、初代アウグストゥスからネロ帝まで約100年に渡って続いてるローマ史上でも統一時代なら最長の王朝な筈なのに、まともに男系で血縁継承された皇帝は皆無です。いかに、男系相続が困難だったかが分かります。
 ローマにおいて、養子縁組や皇帝の未亡人と有力者の婚姻による帝位継承が普通になされていたのは、別にそれがより有能な人物を皇帝に選ぶことが出来るからという理想主義的な答えというより、皇帝(でなくてもでしょうけど)の男子がいない時に継承者を円滑に選ぶ方法としてやむなく選択されているというのが実態ではないかと思います。
 いや、まあ、こんなことはくどくど説明するまでもなく、当たり前なのかなとも思ったりするんですが・・・。

 

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