ローマ帝国史略


おわりに

 蛮族は必ずしもローマ帝国を滅ぼす意図は持っていなかった。蛮族たちは偉大なローマ文化に畏敬の念を持ち、ローマの風習を熱心に取り入れようとしていた。自分たちの固有の文化にも誇りを持っていたが、同時にローマ文化を保存したいとも考えていた。にもかかわらず、蛮族によってローマ帝国は滅ぼされてしまう。このことは何を意味しているのだろうか?
 西ゴート王アラリック1世によるローマ市の占領という不幸な事件は、それだけで蛮族とローマの関係を破壊しなかった。アラリック1世の後を継いだアタウルフによりローマと西ゴート族の関係は回復され、ホノリウスの治世の末期にはパトリキウスのコンスタンティウスの努力の元に蛮族とローマの協調が成立するかに見えた。ヴァレンティニアヌス3世の時代にも、コンスタンティウスの後継者にあたるアエティウスの尽力によりガリア、イスパニアの蛮族は比較的ローマと協調する姿勢を持っていた。フン族に対しては、共通の利益を守るためにゲルマン人とローマ人が協力して戦いもしている。
 しかし、ヴァンダル族のアフリカ征服がこの状況を動揺させた。ガイセリックに率いられたヴァンダル族は、独力でローマからアフリカを奪い取り、完全な独立国としてのヴァンダル王国を建設し、公然とローマの権威に逆らった。さらに、アエティウスがヴァレンティニアヌス3世に粛清されるとガリアやイスパニアでも蛮族はローマに反抗するようになる。そして、ヴァンダル族はこの混乱を利用して、一時ローマ市を占領した。
 そのような中で西ローマ帝国自体もリキメールの専横を防ぐことが出来ず、帝権が不安定になり、自滅に近い形で崩壊への道を歩むことになる。
 結局、ローマにとってゲルマン人はあくまで蛮族に過ぎなかった。かつてローマ帝国は異民族をもローマ市民とすることで発展してきた。ギリシア人もユダヤ人もケルト人もローマ市民になる権利を有していた。彼らは帝国の民として平等であり、ローマ人は人種的な違いによる偏見には関心がなかった。その中にはスペイン人のトラヤヌス、アフリカ出身のセプティミウス・セヴェルス、アラビア人のフィリップス・アラブスの様な異民族出身の皇帝までもが存在している。
 にもかかわらず、この時代のローマ人はゲルマン人をローマ人と同等の存在として受け入れることは出来なかった。ゲルマン人はその出身の故に差別され、たとえローマに同化しようとしても、ローマ人の同胞となることは出来なかった。しかも、そのことが、スティリコの例にも見られるような非現実的な政策を行わせる一因にもなっている。
 一方、蛮族の王たちにも、限界があった。アラリック1世も、ガイセリックも、その他の蛮族の王も、多くの場合はその場しのぎの政策を採り、無用にローマ側の反発を招いてきた。ローマ人の持っていた蛮族に対する偏見を無くすどころか、かえって助長させてしまっている。アラリック1世の起こしたローマ市占領事件は、それの端的な例である。
 西ゴート王アタウルフの言葉に示される、蛮族によるローマ帝国の復興が実現するには、遙か先の時代である800年におけるカール大帝の即位まで待たなければならない。しかし、もし5世紀のローマがゲルマン人を蛮族としてではなく、ローマ人と対等な人間であると認めることが出来れば、全く違った形でのローマ帝国の継承があったのかもしれない。

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