ローマ帝国史略


NHKスペシャル ローマ帝国 感想

@第一集 よみがえる幻の巨大都市〜帝国誕生の秘密
 ローマファンの嗜みとして、今日のNHKスペシャルローマ帝国 第一集 よみがえる幻の巨大都市 〜帝国誕生の秘密〜を観ました。大まかな内容としては、ローマに関心があれば知ってるような情報ばかりでしたが、こういう番組が放送されるというのは、一ローマファンとして嬉しい所です。また、海外旅行に行ってローマの遺跡とか見物したいな〜。
 番組の最期に、アフリカで兵役を勤め上げ市民権を得た人物が残した『狩りをし 酒を飲み ゲームをし 風呂に入る それが人生』(ちょっと文章うろ覚えですが)という幸せのメッセージが紹介されてましたが、それは違うのではないかと。私的には、それは只のダメ人間のメッセージ以外の何ものでもないかと思います。ちょっとぐらい、働けよ。
 まあ、そういう風に勤勉で優秀な兵隊さんに市民権を与えることによって、働きもしないダメ人間を量産してしまったからこそ、兵役を勤め上げた人間にローマ市民権を与えるというシステムが破綻して、軍人皇帝時代が到来することになったのかと考えると、妙に納得はしたのですが。
 ちなみに、次週の放送でも触れられるかもしれませんが、楽して市民権をゲットしたい属州出身の兵隊さんとローマ政府の駆け引きは色々あったようで、本来は兵役(これ本当は正規兵じゃなくて、補助兵のことですね)を満期まで務める必要があったのが、途中で半分になり、そのうち入隊と同時になり、という具合に、属州民に妥協的な方向に流されていくことになります。何か、日本の自衛隊に似てるような気も・・・。 

 

A第二集 一万人が残した落書き 〜ポンペイ・帝国繁栄の光と影〜
 先週に続いてNHKスペシャルローマ帝国 第二集 一万人が残した落書き 〜ポンペイ・帝国繁栄の光と影〜を観ました。
 これ観てて、改めて思ったんですが、私ポンペイの遺跡への関心って本当に皆無に近いんだなあと。昔、イタリア旅行に行った時も、日程的に南伊に足を伸ばすのは難しかったのもあるんですが、ポンペイに行ってみようなんて、全く思わなかったし、今でも別に行きたいとも思わないんですよね。
 こんなこと言ったら怒られるでしょうけど、ポンペイってとくにどうということのない街な訳じゃないですか。火山灰に埋もれたことによって、当時の貴重な資料がそっくり残っているという意味においては、凄い重要なんだというのは分かります。でもねー、ただの街について詳しく知りたいとか、私は思わないんですよね。・・・・私は本当にローマ史ファンなんだろうか?_| ̄|○

 ところで、NHKスペシャルのサイトでは、

>しかし同時に、ローマ社会の影を如実に示す落書きもある。辛辣な誹謗中傷、呪いの言葉、頻発する強盗への不安・・・・。
>そこからは、贅を極めた飽食、快楽におぼれる市民、頻発する暴力や殺人、広がる貧富の差など、衰退への予感がうか
>がえる。

 ということが書いてるんですが、今回の放送でも、ポンペイには光と闇があって、それはローマそのものにも当てはまることであり、繁栄を極めたローマも実は衰退の兆しが現れている、みたいなことを主張してましたが、私としては「だからどうしたの?」という感想です。
 今の日本だって繁栄を謳歌してるといっても差し支えないでしょうけど、援助交際する女子高生もいれば、借金で自殺する人もいるし、ちょっと前には公害病の問題なんかもあった訳じゃないですか。どんな社会にだって、マイナスな現象はあって当たり前で、なかったとしたらそっちの方が不自然です。そりゃ、もちろん、ローマの衰退に関わる重要な兆しが、ポンペイの発掘によって発見されたとかいうこともありえるでしょうが、今回の放送で紹介されていたようなこと(貧富の差の存在、治安が悪化しつつある、モラルの低下など)を、『闇』と表現するのは、ちょっと無理があるように思います。その程度の『闇』なんて、どんな時代や場所にでも存在しているんじゃないでしょうか?
 西ローマ帝国が滅亡する(本当は、これを=ローマ帝国の滅亡だというのには、ちょっと納得できないんですが)のは、ポンペイが火山の噴火によって埋もれてから、400年もたってからの事件です。極論すれば、江戸時代が始まったばかりの城下町を調査して、大東亜戦争ついて言及するぐらい無茶なことなんではないでしょうか?

 

B第三集 最果ての兵士たち 〜忍び寄る帝国の終焉〜
 昨日は仕事で観れなかったローマ帝国 第三集 最果ての兵士たち 〜忍び寄る帝国の終焉〜を録画していたDVDレコーダーで観ました。私としては、最終回となる今回のが一番面白かったですが、同時に一番不満な内容でもありました。
 五賢帝時代のブリタニア軍から、軍の質が低下していったことの説明は、興味深かったです。トラヤヌス帝時代のダキア戦争の従軍から逃れるために、大量の脱走兵が発生したそうですが、その理由は本来は妻帯が禁止されていた筈の軍人に妻帯を許可したことによって、現地での家族と離れることを嫌がった兵が大勢いたとのことです。ちょっと説明が足りない(
こういう軍人に妥協的な政策が行われたのは、もはや志願兵を満足に集めることが不可能になっており、兵士の数を維持出来ないので、やむを得ない処置だった)とは思いますが、具体的なエピソードで分かりやすかったです。トラヤヌス帝(番組ではこの名前を出さなかったですね。何でだろう?)というと、帝国の最盛期の皇帝として有名なんですが、その時ですら衰退の兆しが浮かび上がっていたんですよね。

 ただまあ、私はいつも思うのですが、五賢帝時代に帝国衰退の芽は既に存在していたという言説をよく見かけて、それはそれで本当だとも思うんですが、それでも私はやっぱり五賢帝時代というのは、ギボンが言うように『人類史上最も幸福な時代』とは言わないまでも、『ローマ史上最も幸福な時代』ではないかな思います。単純に軍人皇帝時代や後期帝政時代と比較すれば、そう的はずれなことを言ってるのでもないと思うんですけどね。何か私には、五賢帝時代をマイナスのイメージで捉えるのは、あら探しをしてるように思えてしまって・・・・。
 そうそう、ツッコミというか、こういうのがあり得るのかと、凄い気になったのが、ブリタニア(スコットランドかな?)の砦のイメージCGで、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)の像が映ってましたが、ブリタニアが征服されたのは、クラウディウス帝(41〜54)〜ドミティアヌス帝(81〜96)の時代なんで、この番組で紹介された遺跡ってアウグストゥスが死んでから、それこそ100年ぐらいたってから出来た施設だと思うんですが、そんな時代にアウグストゥスの像を作ったり、どこかから既存のものを運んできて飾ったりとかあり得るのか、かなり疑問です。
 それと一番納得いかなかったのが、今回の放送では五賢帝時代と軍人皇帝時代のさわりぐらいしか紹介出来なかったというのは、しょうがないかと思いますが、軍人皇帝時代⇒ローマ帝国の滅亡という表現はいくらなんでもなしだと思います。せめて、ちょっとだけでも、3世紀末〜4世紀にかけて、ローマ帝国は再建されたということに言及してもバチは当たらないと思うんですが。もっと言うなら、領土を縮小することによって帝国のスリム化を目指すハドリアヌスの挫折した改革は、はからずも蛮族に西方領土を奪われ、イスラム教徒に異端が優勢な東方領土を明け渡したことによって、帝国の領土はコンスタンティノポリスと小アジアに縮小して達成され、それが新しい中世ローマ(ビザンツ)帝国の誕生に繋がったとかぐらい言って欲しかったな、と思います。

 

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