ローマ帝国史略


パックス・ロマーナの終焉

 アレクサンデル・セヴェルスの死によってゲルマニアの前線で新たに皇帝に選ばれたのは、蛮族出身の軍人マクシミヌスだった。元老院はこの卑賤の出の新皇帝に不承不承ながら承認を与える。お互いに反目しあう元老院と皇帝マクシミヌス。そして、起こるべくして内乱が始まった。マクシミヌスはローマへ軍を進める途上で暗殺され、元老院が擁立した皇帝ゴルディアヌス3世も不安定な存在にすぎず、帝位を全うすることは出来なかった。軍人皇帝時代の到来である。
 この混乱が頂点に達したのは、エデッサの戦いに敗れたヴァレリアヌスが異国の地で捕虜となり、ペルシアに拉致された時である。まがりなりにも統一を保っていたローマ帝国の統制が地方には及ばなくなり、あらゆる属州で僭称皇帝が乱立された。ガリアで帝位を僭称したポストゥムスは、ブリタニアとイスパニアもその勢力下に治めて、事実上の独立国を建設する。
 元老院の代表者が皇帝となり、帝国を運営する。オクタヴィアヌスの築いた元首制、それは建前でありながらも、間違いなく共和制から続くローマの政体の延長にあった。
 元老院という共和制時代の遺産、それは戦乱の時代に生きる軍人皇帝達にとっては重荷となっていくことになるのである。


 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

マクシミヌス・トラクス帝
235〜238

 トラキア出身の軍人。一兵卒から栄達を重ねて、セヴェルス朝を通じて高名な軍人として知られていた。
 アレクサンデル・セヴェルスのゲルマニア遠征に従軍し新兵の監督官として、マインツ近郊に駐留していたが、アレクサンデル・セヴェルスに不満を持った兵卒によって皇帝に擁立され、アレクサンデル・セヴェルスを殺害。元老院に迫って即位を承認させた。
 元老院を嫌ったマクシミヌスは、ローマへ戻らずゲルマニア遠征を継続し、ライン・ドナウ両河畔でめざましい戦果をあげた。しかし、遠征費を捻出する為に、富裕者からの資産没収や増税を繰り返すこととなり、マクシミヌスは周囲の支持を失っていくことになる。
 アフリカ総督ゴルディアヌスが皇帝即位を宣言するとローマ元老院は、ゴルディアヌス(1世)と息子ゴルディアヌス(2世)の両名の帝位を承認した。さらにゴルディアヌス父子の反乱が失敗すると、元老院はマクシミヌスとの関係復旧は不可能と考えて、元老院議員プピエヌスとバルビヌスを皇帝に擁立し、マクシミヌスに決戦を挑んだ。
 マクシミヌスは元老院のこの“反乱”に対して懲罰を与えるべく、イタリアへ進軍したが、アキレイア包囲戦の最中に配下の兵士によって暗殺された。
 皇帝にさえならなければ自らの名を汚すことなく生涯を全う出来たであろうことを思えば、マクシミヌスにも一抹の同情の余地はあるだろう。しかし、元老院の権威が皇帝の地位の拠り所となっていることから、目を背けたマクシミヌスの責任を見逃すことは出来ない。

同時代人

人    物    評

ゴルディアヌス1世  アフリカ総督。アフリカで皇帝即位を宣言するも、ゴルディアヌス父子の帝位の承認を拒否したヌミディア総督カペリアヌスの軍によって、敗死する。
ゴルディアヌス2世  ゴルディアヌス1世の息子。アフリカで皇帝即位を宣言するも、ゴルディアヌス父子の帝位の承認を拒否したヌミディア総督カペリアヌスの軍によって、敗死する。
プピエヌス  元老院議員。ゴルディアヌス父子の皇帝擁立に失敗した元老院によって、新たに皇帝に選ばれた。マクシミヌスの軍と決戦を挑む為に、イタリアを北上しラヴェンナで自軍を再編中に、配下の兵士によって暗殺されたマクシミヌスの首が届けられた。
バルビヌス  元老院議員。ゴルディアヌス父子の皇帝擁立に失敗した元老院によって、プピエヌスと共に新たに皇帝に選ばれた。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

ゴルディアヌス1世帝
238

 アフリカ総督。資産家の名門貴族で、共和制時代のグラックス兄弟やトラヤヌス帝の血縁であったとされる。
 マクシミヌスがゲルマニア遠征軍を維持する為に、強制的な増税策をとったことに反発した現地の青年貴族が、マクシミヌスの代官を殺害し、アフリカ総督であったゴルディアヌスをマクシミヌスの対立皇帝として擁立した。カルタゴから、ローマへ知らせを送ると、元老院はマクシミヌスへの対抗心から、ゴルディアヌス1世の帝位を承認。さらにゴルディアヌス1世が80歳と高齢であった為に、同名の息子ゴルディアヌス2世も共治帝として指名し、各属州に両名の支持を求めた。
 しかし、属州アフリカに隣接する属州ヌミディア総督カペリアヌスはゴルディアヌス父子の帝位を承認せず、アフリカに軍を進める。カルタゴにおける戦いで、息子ゴルディアヌス2世が戦死したとの知らせを受けたゴルディアヌス1世は、自室に引きこもりベルトで首を吊って自害し、僅か20日間の帝位は終わりを告げた。

ゴルディアヌス2世帝
238

 ゴルディアヌス1世の息子。
 ゴルディアヌス1世が元老院に帝位を承認される際に、併せてゴルディアヌス2世もアウグストゥスの称号を与えられた。ゴルディアヌス父子の即位に反発した、ヌミディア総督カペリアヌスの軍勢がカルタゴに迫ると、市民軍を指揮してこれを迎え撃ったが、敗北、戦死した。

プピエヌス帝
238
 イタリア出身の元老院議員。コンモドゥス帝時代から軍人として属州の軍務を歴任し、マクシミヌス治下ではローマ市長官に就任していた。
 ゴルディアヌス父子の皇帝擁立に失敗した元老院によって、バルビヌスと共に新たに皇帝に選ばれた。
 プピエヌスはマクシミヌスの軍と決戦を挑む為に、イタリアを北上しラヴェンナで自軍を再編中していた所、配下の兵士によって暗殺されたマクシミヌスの首が届けられた。
 しかし、この内乱の収束によって、政権の主導権を巡ってプピエヌスはバルビヌスと対立すると、マクシミヌスの死によってこの両皇帝の指揮下に入っていた兵士達の反乱を招き、プピエヌスとバルビヌスは捕らえられた後、無惨になぶり殺しにされた。
パルビヌス帝
238
 元老院議員。ゴルディアヌス父子の皇帝擁立に失敗した元老院によって、プピエヌスと共に新たに皇帝に選ばれた。
 プピエヌスはマクシムスとの決戦に挑むべくイタリア国境に進軍したが、バルビヌスは軍隊経験がなかったこともありローマ市に留まった。アキレイア攻防戦の最中に、マクシミヌスが謀殺された結果、プピエヌスとバルビヌスの両帝は共通の敵を失い、政治の主導権を巡って仲違いすることになる。
 この事態を見て取った、軍隊は両帝を見限り親衛隊営舎に拉致。プピエヌスとバルビヌスは手足を切断され、見せしめの為にローマ市街を引き回されたた後に処刑された。

同時代人

人    物    評

マクシミヌス・トラクス  皇帝。ドナウ方面で軍務にあたっていたが、ゴルディアヌス父子の皇帝即位、さらにプピエヌス、バルビヌスの皇帝擁立に対して、ローマ元老院の懲罰を決意。アルプスを越えてイタリアに進軍したが、アキレイアを包囲中に配下の兵士の反乱によって謀殺された。
カペリアヌス  ヌミディア総督。ゴルディアヌス父子の皇帝即位に不満を持ったカペリアヌスは、両名の即位承認を拒否し、カルタゴに進軍。ゴルディアヌス2世の指揮する市民軍を撃破し、カルタゴに入城する。
ゴルディアヌス(3世)  ゴルディアヌス1世の孫。プピエヌスとバルビヌスの即位に反発するローマ市民をなだめる為に、人望のあったゴルディアヌス1世の娘の息子にあたるゴルディアヌスは、元老院によってカエサルの称号を授けられた。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

ゴルディアヌス3世帝
238〜244

 ゴルディアヌス1世の娘の息子。プピエヌスとバルビヌス両帝の即位に不満を持ったローマ市民の要求によって、ゴルディアヌス1世の血筋を引くゴルディアヌス3世は元老院から副帝(カエサル)に指名された。マクシミヌスの死によって、プピエヌスとバルビヌスが対立すると、親衛隊はこの両帝を見限り謀殺し、ゴルディアヌス3世を単独皇帝として擁立した。
 即位時のゴルディアヌス3世は僅か13歳であったが、名門出身であることから市民の人気は高かった。また、ゴルディアヌス3世の妻サビニアの父でもある親衛隊長ティメシテウスは、有能な行政家として皇帝の統治を支えていた。
 ペルシア王シャープール1世が東方属州に侵入しアンティオキアを略奪すると、ゴルディアヌス3世はティメシテウスと共に自ら軍勢を率いて遠征を行った。ドナウ国境でゴート族と戦いメソポタミアでペルシア軍を破るなど大きな成果を挙げた。しかし、この東方遠征の最中、ゴルディアヌス3世の後ろ盾となっていたティメシテウスは病死してしまう。ティメシテウスの後任として親衛隊長となったフィリップスは、遠征軍内部で地歩を固め、買収した兵士にゴルディアヌス3世を暗殺させ、自らを皇帝に擁立させた。
 ティメシテウスの突然の死さえなければ、無難に帝位を全うすることもあり得たかもしれないことを思えば、不運な皇帝と言えるだろう。ゴルディアヌス3世は無惨な最後を遂げているが、配下の兵士によってユーフラテス河近郊に墓碑が建てられている。

同時代人

人    物    評

ティメシテウス  数々の属州で徴税請負人として、実績を積んできた行政家。ゴルディアヌス3世によって引き立てられ親衛隊長に昇進した。娘サビニアをゴルディアヌス3世と結婚させ、政治軍事共にゴルディアヌス3世を補佐した。しかし、ペルシアへの東方遠征中に突然死し、ティメシテウスによって支えられてたゴルディアヌス3世の帝位を破綻させてしまった。
フィリップス  アラブ系の軍人。ティメシテウスの死後親衛隊長となり、ゴルディアヌス3世を謀殺。東方遠征軍に自身を皇帝として擁立させた。
シャープール1世  ペルシア王。アルデシール1世の死によって王位を継承。東方属州に侵入して各地を略奪し、ローマの東方遠征を誘発した。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

フィリップス・アラブス帝
244〜249

 属州シリア出身の軍人。アラブスの渾名で知られるように、おそらくはアラブ系の生まれとされる。一兵卒から栄達を繰り返し、ゴルディアヌス3世のペルシア遠征中に死去したティメシテウスの後任として親衛隊長に昇進した。
 ティメシテウスの死によって動揺するゴルディアヌス3世を見限った軍隊の支持を集めたフィリップスは、前線のキルケシウムでゴルディアヌス3世を謀殺。遠征先で皇帝即位を宣言し、ゴルディアヌス3世の遺体をローマに送り返した。
 さらにフィリップスは、ペルシア王シャープール1世とメソポタミアを放棄し毎年の貢納金を支払うなど不利な条件で講和を結び、ローマ市へ帰還した。
 フィリップスの治世において最も知られるのは、ローマ建国1000年祭がこの皇帝の時代に催されたとのことだろう。248年が初代ローマ王ロムルスによるローマ建国より1000年にあたると信じられていた。
 しかし、ゴート族の侵入に対して、元老院議員デキウスをパンノニア総督に任命しドナウ前線に派遣すると、デキウスはゴート族の撃退には成功するものの、軍隊によって皇帝に擁立されてしまう。フィリップスはデキウス討伐の為に、遠征軍を組織しイタリア北部のヴェローナで迎え撃ったが、敗北、戦死した。
 フィリップス自身は決して無能な人物ではなかったようだが、ペルシア遠征を無駄にするような講和を結んだり、皇帝となってから自らが前線に赴くことを忌避する姿勢を示したことによって、軍隊の支持を失ってしまった。フィリップスはキリスト教に寛容な政治姿勢を示したことから、一部のキリスト教史家からは、皇帝として最初のキリスト教徒であると見なされているが、おそらくは希望的観測だろう。

同時代人

人    物    評

プリスクス  フィリップスの弟。シャープール1世と講和したフィリップスによって、東方属州を任された。
デキウス  元老院議員。ゴート族の侵入に対して、フィリップスに命じられたデキウスは、モエシアに派遣され迎撃の指揮を執った。ゴート族との戦闘に勝利したデキウスは、フィリップスに不満を持つ軍隊によって、皇帝として擁立される。イタリアに進軍したデキウスは、ヴェローナにおいてフィリップス軍を撃破し、フィリップスを戦死させる。
パカティアヌス  パンノニアの軍司令官。皇帝位を宣言するも、現地で配下の兵士に謀殺された。
イオタピアヌス  プリスクスの統治に不満をもった東方属州において、皇帝に擁立されるが、鎮圧された。
シャープール1世  ペルシア王。新たに皇帝となったフィリップスと講和を結び、属州メソポタミアの領有権とアルメニアの宗主権を獲得する。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

デキウス帝
249〜251

 属州パンノニアのシルミウム出身の元老院議員。コンスル、モエシア総督、低地ゲルマニア総督、タラコネンシス総督を歴任。フィリップス・アラブスによって、ゴート族の侵入を撃退する為にパンノニア総督に任命されると、デキウス自身は乗り気ではなかったようだが、現地で軍隊によって皇帝に擁立される。軍勢を率いてイタリアに進軍し、ヴェローナで迎え撃ったフィリップスの軍勢を撃破し、首都ローマに入城。元老院に自身の皇帝位を承認させた。
 トラキアにゴート族が再び侵入すると、デキウスは前線に取って返し、2年に渡ってゴート族と紛争を続けた。ドナウ下流のアブリトゥスにおけるゴート族との戦闘で、デキウスの息子エトゥルスクスが戦死したとの報を受けたデキウスは、復讐戦を企図して前線に駆けつけたが、ゴート族の待ち伏せにあい多数の兵士と共に戦死した。
 デキウスは、全てのローマ市民にローマの神々の信仰を求めキリスト教徒に棄教を要求したことから、キリスト教史家によってキリスト教徒を迫害した皇帝として記録されている。

同時代人

人    物    評

エトゥルスクス  デキウスの息子。デキウスによって、アウグストゥスの称号を授けられ、ドナウ沿岸でゴート族の侵入に対して備えていたが、アブリトゥスで戦死した。
クニバ  ゴート族の王。トラキアに侵入したゴート族を指揮していたとされる。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

トリボニアヌス・ガルス帝
251〜253

 ペルージア出身の元老院議員。デキウスがドナウ遠征で戦死した時には高地モエシア総督の地位にあった。ガルスはデキウス配下の軍を引き継ぎ、その支持を元に皇帝即位を宣言した。ガルスはゴート族と貢納金と引き替えに和睦を結び、ゴート族をドナウ北岸へ退去させた上で、イタリアに帰還しローマに入城。元老院の支持を取り付ける為に、先帝デキウスの息子ホスティリアヌスを自身の養子として、名目上は共治帝として遇した。
 皇帝となったガルスの後任として、高地モエシア総督となっていたアエミリアヌスは、貢納金と引き替えに結んだゴート族との和約に反感を持つ軍隊を煽動して、軍を率いてドナウ北岸に渡りゴート族を急襲。この戦闘の勝利を背景に、アエミリアヌスは皇帝即位を宣言する。ガルスは、このアエミリアヌスの反乱軍を迎え撃つ為に北イタリアへ進軍したが、インテラムラにおいて、アエミリアヌスに内通した配下の兵によって息子ウォルシアヌスと共に殺害された。

アエミリアヌス帝
253

 属州アフリカ出身の元老院議員。トリボニアヌス・ガルスが皇帝となると、ローマに帰還したガルスの後任として高地モエシア総督となった。ゴート族へ貢納金を支払うという屈辱的な和約に不満を持った軍隊の支持を取り付けたアエミリアヌスは、ゴート族と戦端を開きこれに勝利し、皇帝即位を宣言する。ガルスと決戦を挑むべくイタリアに進軍すると、ガルスは暗殺されアエミリアヌスの帝位は確保されたかに思われた。
 しかし、ゲルマニア軍はアエミリアヌスの帝位を認めず、元老院議員ヴァレリアヌスを対立皇帝に擁立する。アエミリアヌスは北イタリアでヴァレリアヌスの軍を迎え撃とうとしたが、ガルスと同様にスポルトで配下の兵によって殺された。

同時代人

人    物    評

ホスティリアヌス  デキウスの息子。トリボニアヌス・ガルスが養子とし、名目上はガルスの共治帝となった。
ウォルシアヌス  トリボニアヌス・ガルスの息子。ホスティリアヌスが疫病で病死すると、ガルスの共治帝となった。アエミリアヌスの反乱が起こると、麾下の兵士にガルスと共に殺害された。
ヴァレリアヌス  元老院議員。ゲルマニア軍の監督官として、ライン国境に駐留していた。アエミリアヌスの反乱に対して、トリボニアヌス・ガルスの要請で、ヴァレリアヌスは援軍を指揮してイタリアに進軍。ガルスが謀殺されると、配下のゲルマニア軍の支持の下に皇帝即位を宣言。ガルスと同様にアエミリアヌスも配下の兵に殺害され、ヴァレリアヌスは内戦の勝者となった。
シャープール1世  ペルシア王。属州シリアに侵入し、アンティオキアを初めとする諸都市を略奪する。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

ヴァレリアヌス帝
253〜260

 名門貴族出身の元老院議員。ゲルマニア国境で軍務にあたっていたが、トリボニアヌス・ガルスとアエミリアヌスの内乱が始まると、ガルスの援兵としてゲルマニア軍を率いていた。ガルスが殺されアエミリアヌスに帝位が移ると、ゲルマニア軍の支持を背景にヴァレリアヌスは皇帝即位を宣言。軍勢を率いてイタリアに進軍すると、アエミリアヌスは配下の兵に殺された。ヴァレリアヌスがローマに入城すると、元老院はヴァレリアヌスの帝位を承認し、さらにヴァレリアヌスの要請によってヴァレリアヌスの息子ガリエヌスも共治帝に指名した。
 ヴァレリアヌスは西方領土の統治をガリエヌスに委ね、自らはシリアに侵入を繰り返すペルシアに対処する為、東方属州の軍を率いてこれに当たった。エメサで帝位を僭称するウラニウスの反乱を鎮圧し、さらにアンティオキアを拠点として、連年に渡ってペルシアとの紛争を繰り返していた。
 しかし、エデッサの戦いでヴァレリアヌスはシャープール1世の率いるペルシア軍に敗れ、和睦交渉の席上でペルシアの捕虜となり、多くの元老院議員をも含む多数の兵士と共にペルシアに連れ去られ、そのまま現地で死去したと言われる。
 ペルシアの捕虜となったヴァレリアヌスは、シャープール1世が騎乗する際の踏み台とされ続け、その死後は剥製にされたとも、皮を剥がれて敷物にされたとも言われるが、これらの伝はキリスト教史家によるもので、キリスト教禁令を発布したヴァレリアヌスへの反感を割り引いて考える必要がある。また、ナクシ・イ・ルスタムに、シャープール1世にフィリップス・アラブスと共に跪くヴァレリアヌスを描いたレリーフが現在でも確認出来る。

ガリエヌス帝
253〜268

 ヴァレリアヌスの息子。ヴァレリアヌスが皇帝となった際に、元老院より共治帝に指名され正帝に昇進した。
 東方遠征に自ら従軍していたヴァレリアヌスによって、ガリエヌスは西方の統治を委ねられていた。ガリエヌスは、ライン、ドナウ両河の国境線を転戦し、ミラノ郊外でアレマンニ族を撃退するなど、ゲルマン系の蛮族との戦闘を繰り返していた。
 ヴァレリアヌスがペルシアで虜囚の身となったことが、ローマ領内に知れ渡ると、属州各地で僭称皇帝が乱立することとなる。属州パンノニアにおいてインゲヌウスが、属州モエシアでレガリアヌスが、属州シリアでマクリアヌスが、属州エジプトでムキウス・アエミリアヌスが、それぞれ帝位を僭称した。ガリエヌスは、配下のアウレオルスやテオドトゥスといった軍司令官を各地に派遣して、これらの反乱を鎮圧。シリアの占領を目指して侵攻を繰り返すペルシアのシャープール1世に対しては、パルミュラの領主オダイナトゥスに東方属州におけるローマ軍の指揮権を与えて、これを防がせた。
 ガリエヌス自身も属州ガリアで帝位を僭称したポストゥムスに決戦を挑むべくガリア奥地に遠征を行ったが、ガリエヌス本人も矢傷を負うなどして失敗。ポストゥムスに、ガリアに加えてブリタニアとイスパニアも支配下とする自立した、いわゆる“ガリア帝国”の建設を許してしまう。
 ドナウ河を越えてローマ領への侵入と略奪を繰り返すゴート族に対して、ガリエヌスはこれを迎え撃ちナイッソスで勝利する。しかし、この遠征の最中にイタリアの守備を任せていたアウレオルスはガリア帝国のポストゥムスに内通し、帝位を僭称する。ガリエヌスはイタリアに取って返し、アウレオルスの軍には勝利したが、ミラノ包囲戦の最中に配下の兵によって暗殺されてしまった。
 ローマ皇帝の中で、最も不当な評価を受けていると思われる皇帝。同時代人はもちろんのこと、ギボンを初めとする歴史家の評判も極めて悪い。しかし、皇帝としての責務を投げ出すことなく、外敵に対しても、内乱に対しても、幾度となくガリエヌス自ら従軍したという事実だけでも特筆に値するのではないだろうか。ガリエヌスは、軍務への従事に消極的な傾向を示すことが多くなっていた元老院議員を完全に軍隊から排除し、イリュリクム出身の軍人を重用している。ガリエヌスの死後、このイリュリクムの軍人達によって、ローマ帝国の再建がなされていくことになる。

B

同時代人

人    物    評

シャープール1世  ペルシア王。ヴァレリアヌスの遠征軍をエデッサの戦いで破り、ヴァレリアヌスと多数のローマ兵を捕虜とした。この勝利の余勢をかって、シリアの占領を目的としてローマ領への侵攻を繰り返したが、オダイナトゥスによって撃退された。ヴァレリアヌスと共に捕虜となったローマ兵は、ペルシア領内の各地で土木工事に使役されている。
 また、シャープール1世はペルシアの東方においてもクシャーナ朝を征服し、ペルシアの属国としている。
ウラニウス  エメサ領主。シャープール1世のペルシア軍を撃退し、帝位を僭称したが、ヴァレリアヌスの遠征軍に敗北する。
インゲヌウス  パンノニア総督。ヴァレリアヌスがシャープール1世の捕虜となった際に。シルミウムで帝位を僭称。ムルサでアウレオルス軍に敗北し、逃走中に自身の支持者に殺された。
レガリアヌス  インゲヌウスの後継者。ドナウ軍を率いて、ガリエヌス軍と戦うが敗北。その後、配下の兵士に殺された。
マクリアヌス  シリアで兵士達によって、弟のクイエトゥスと共に皇帝に擁立された。シリア、エジプト小アジアにおいて、マクリアヌスの帝位は承認されていた。全ローマ領土への勢力範囲拡大を目指してバルカン半島に侵入したが、イリュリクムにおいてアウレオルス軍に敗北、戦死した。
クイエトゥス  マクリアヌスの弟で共治帝。マクリアヌスの死後、エメサに逃亡したが、オダイナトゥスの煽動する住民に殺害された。
ムキウス・アエミリアヌス  エジプト総督。マクリアヌスの死後、帝位を僭称。ガリエヌスの派遣したテオドトゥスの軍に敗北、処刑された。
オダイナトゥス  都市国家パルミュラの領主。ローマの同盟者として、シャープール1世のペルシア軍や僭帝クイエトゥスの反乱を撃退。ガリエヌスから、「ローマ人の統治者」「東方総督」の称号を授けられた。
ポストゥムス  低地ゲルマニア総督。エデッサの戦いで、ヴァレリアヌスがペルシアの捕虜となったことを契機に、ライン軍の支持の下帝位を僭称。ガリア、イスパニア、ブリタニアを勢力圏とし、いわゆる『ガリア帝国』を建設した。
 態勢を立て直したガリエヌスの遠征軍に抵抗し、占領地を保持。しかし、アウレオルスのローマへの反乱に呼応するのを拒否して、イタリア侵攻の機会を逃すなど消極的な対応が惜しまれる。
サロニヌス  ガリエヌスの次子。ポストゥムスがコロニア・アグリッピナを包囲した際に、捕虜となり処刑された。
アウレオルス  ガリエヌス配下の部将。僭帝インゲヌウス、マクリヌスの反乱を鎮圧。アウレオルス自身も、一時皇帝即位を宣言したが、交渉によりガリエヌスの配下に留まった。
 その後、ガリア帝国の僭帝ポストゥムスに対する備えとしてイタリアで軍務に従事していたが、そのポストゥムスに内応して、アウレオルス自身も2度目の帝位僭称を実行に移しした。しかし、対ゴート戦の遠征から引き返したガリエヌスの軍勢に破れ、アウレオルスは最終的にガリエヌスの後継者となったクラウディウス(2世)に降伏し処刑された。
クラウディウス  ガリエヌス配下の部将。アウレオルスの反乱鎮圧中に、クラウディウス本人も荷担したと思われる陰謀によってガリエヌスが暗殺されると、軍隊によって皇帝に擁立され、ガリエヌスの軍を引き継いでアウレオルスを滅ぼした。

 

 

ローマ帝国史略

最初に戻る