ローマ帝国史略


異国の皇帝達〜セヴェルス朝〜

 暴君コンモドゥスの死を契機に起こった内乱の勝者となったのは、アフリカ出身の冷徹な軍人皇帝セプティミウス・セヴェルスだった。セプティミウス・セヴェルスはシリアのエメサ神殿の家系に連なる、ユリア・ドムナを皇后(アウグスタ)とし、その後継者達の時代においても、このエメサ神殿の女性達が政治の表舞台に立つことになる。
 セプティミウス・セヴェルスの死後、皇帝となったカラカラは共治帝の弟ゲタを暗殺し、エジプトのアレクサンドリアで数千人の無実の住民を虐殺する暴君として君臨した。その一方で、カラカラはアントニヌス勅令によって、ローマ帝国領内の全自由民にローマ市民権を付与している。この政策そのものは功罪共にあって評価は難しいが、ローマ市民権の大規模な拡大は、既にイタリア半島出身者の皇帝位独占はありえなくなった時代の要請でもあった。
 ある意味では、異国の皇帝達によって、ローマは真にローマらしい姿を手にしたことになる。
 しかし、軍事に不向きだった文人皇帝アレクサンデル・セヴェルスが、ゲルマニアにおいて軍隊の反乱によって殺害されたことにより、ローマ帝国は最大の危機を迎えることになるのである。


 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

セプティミウスセヴェルス帝
193〜211

 マルクス・アウレリウスによって登用されたアフリカのレプティス・マグナ出身の元老院議員。コンモドゥス時代には高地パンノニア総督の地位にあった。
 コンモドゥス、ペルティナクスの相次ぐ皇帝暗殺劇とディディウス・ユリアヌスの皇帝競売の報を聞き、挙兵し皇帝即位を宣言。ドナウ軍を率いてローマに迫ると、元老院はディディウス・ユリアヌスを処刑してセプティミウス・セヴェルスの皇帝即位を承認した。
 セプティミウス・セヴェルスの挙兵の口実だったペルティナクス殺害の実行犯である親衛隊を強制的に解散させ、自身の派閥によって再編した。その一方で、西方で挙兵していたクロディウス・アルビヌスに副帝(カエサル)の称号を与えて同盟を結び、東方属州を支配下において帝位を狙うベスケンニウス・ニゲルに決戦を挑み、イッソスの戦いで撃破。次いで、東方での憂いをなくしたセプティミウス・セヴェルスは、アルビヌスをもリヨン郊外の戦いで破って帝国を統一した。
 単独皇帝となったセプティミウス・セヴェルスは、元老院内のニゲル、アルビヌス派の議員の粛正を行い、38人に及ぶ元老院議員を処刑している。その為、セプティミウス・セヴェルスは、元老院の反感を買うこととなり、軍隊の支持を自身の勢力基盤とする傾向を強めていく。
 セプティミウス・セヴェルスは、自らの権威を高める為にアントニヌス朝との関係をでっちあげ、自身をマルクス・アウレリウスの養子であると主張。記憶の断罪処分を下されていたコンモドゥスの死後神格化を実行した。
 また、東方国境においては、二度に渡ってパルティア遠征を実施。二度目の遠征では、パルティアの首都クテシフォンを占領し、トラヤヌス時代に続いて再びメソポタミアを属州とした。
 ブリタニアで紛争が起こると、それを契機にセプティミウス・セヴェルスはブリタニア全土の占領を目指してスコットランドまで軍を進めた。しかし、その途上で、カラカラ、ゲタの2人の息子に後事を託して、前線のヨークで病没した。
 コンモドゥス死後の混乱を収拾した有能な軍人皇帝。セプティミウス・セヴェルスの登位をもって軍人皇帝の始まりとすることもある。混乱の時代のイタリア統一を願うマキャベリが理想とした人物としても、よく知られている。セプティミウス・セヴェルスが後妻とした、シリアのエメサ神殿の神官の家系に属するユリア・ドムナの一族が、セヴェルス朝において重要な役割を果たしていくことになる。

同時代人

人    物    評

ベスケンニウス・ニゲル  シリア総督。ペルティナクスの死とディディウス・ユリアヌスの帝位買収の報を聞き、挙兵。ローマ元老院に皇帝位を承認されたセヴェルスと対立し、内戦を展開。イッソスの戦いに敗れて、アンティオキア郊外で殺された。
 ニゲル軍の残党は、パルティアと内通して保身を計り、これがセプティミウス・セヴェルスのパルティア遠征のきっかけとなっている。
クロディウス・アルビヌス  ブリタニア総督。ペルティナクスの死とディディウス・ユリアヌスの帝位買収の報を聞き、挙兵。イタリアに進軍するセヴェルスと同盟を結び、セヴェルスから副帝(カエサル)の称号を授けられた。
 セヴェルスとニゲルの内戦では中立を保ったが、セヴェルスはニゲルに勝利するとすぐにガリアへ進軍。リヨン郊外での決戦に敗れて敗死した。
ユリア・ドムナ  セヴェルスの後妻。シリアのエメサ神殿の神官の娘。セヴェルスは、帝位をカラカラへ単独相続させるつもりだったようだが、ユリア・ドムナは弟ゲタの後ろ盾となり、共同相続の後押しをした。
カラカラ
(セプティミウス・バシアヌス)
 セプティミウス・セヴェルスの長子。アントニヌス朝との血縁をでっち上げるために、マルクス・アウレリウス・アントニヌスと改名。よく知られるカラカラという名前は、自身が好んだ着衣に由来するあだ名である。
 プラウティアヌスの失脚劇は、カラカラの陰謀と言われている。
ゲタ  セプティミウス・セヴェルスの次子。父帝の死後、兄カラカラと共に、帝位を共同相続した。
プラウティアヌス  親衛隊長。セプティミウス・セヴェルスの側近として、権勢を誇った。自身の娘フルウィア・プラウティアをカラカラに嫁がせていたが、カラカラには嫌われていた。皇帝暗殺の陰謀(冤罪?)が露見すると、即座に殺害され民衆に見せしめにされた。
フルウィア・プラウティラ  カラカラの妻。父プラウティアヌスと共に、カラカラからは、嫌われていた。プラウティアヌスが処刑されると、それに連座して流刑された。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

カラカラ帝
211〜217

 セプティミウス・セヴェルスの長子。本名はセプティミウス・バシアヌスで、後にアントニヌス朝の権威を利用する為、マルクス・アウレリウス・アントニヌスと名乗った。通称となっているカラカラの名は、蛮族が着ていたというフードのついた袖のない外套を丈を長くして足元まで届かせたものの名称で、カラカラはそれを好んで着ていたという。
 スコットランドの遠征先で父帝セヴェルスが病死すると、弟ゲタと共に皇帝位を共同相続し、スコットランドから軍を撤退させた。しかし、即位前から弟である共治帝ゲタとの関係は険悪であり、和解案として帝国の分割統治案も検討されたが、結局はカラカラによってゲタは暗殺され、カラカラは単独皇帝となった。
 カラカラは自らの保身を計るために、ゲタに記憶の断罪処分を下し、ゲタの支持者の粛正も実行した。また、セプティミウス・セヴェルス時代から事実上の離縁関係にあった妻フルウィア・プラウティラも処刑している。
 さらに軍隊の忠誠心を繋ぎ止める為に、カラカラは軍人給与の引き上げを行い、その財政的補填の為に貨幣の改悪(銀含有率の低下)や増税を行った。よく知られる、全ローマ自由民への市民権付与を決定したアントニヌス勅令は、ローマ市民権保持者のみに課される税(相続税など)の徴収対象を拡大することを目的したとも言われている。
 セプティミウス・セヴェルス時代に続いて、カラカラもパルティア遠征を計画。軍勢を率いて東方属州に移動し準備を進めていた際に立ち寄ったアレクサンドリアで、カラカラは原因ははっきりしていないが、数千人に及ぶ住民の虐殺を行っている。
 当初、カラカラは外交交渉によって東方遠征の決着を目指したようだが、パルティアとの交渉が決裂した為に、戦端が開かれた。カラカラの遠征軍はティグリス川近郊で勝利を収め、さらにパルティア領内への遠征を継続するつもりだったようだが、前線で親衛隊兵士によって暗殺されてしまった。
 現在もローマ市郊外に残るカラカラ浴場とローマ市民権を拡大させたアントニヌス勅令によって、一般にもよく知られる皇帝。弟の共治帝ゲタの暗殺とそれに続くゲタ派の粛正、数千人とも言われるアレクサンドリア住民の大量虐殺といった蛮行を行ったたローマ史上屈指の暴君の一人でもある。しかし、前線では粗衣粗食を通し、過酷な一兵卒の作業にも従事するなど、軍隊の掌握には成功していた。この辺りの事情は、軍隊から全く支持されていなかったアレクサンデル・セヴェルスと対称的である。

ゲタ帝
211〜212

 セプティミウス・セヴェルスの次子。当初、セプティミウス・セヴェルスの後継は、カラカラの単独相続が想定されていたようで、ゲタが正帝(アウグストゥス)に昇進した背景には、母后ユリア・ドムナの後ろ盾があったからだと考えられている。
 即位後のゲタは、兄カラカラと対立し、パラティヌスの丘を挟んだ二つの宮廷の間で、冷戦状態が続いていた。妥協案として、カラカラが帝国の西方を、ゲタが帝国の東方を分割統治するとの案が話し合われたが、ユリア・ドムナの反対で挫折する。
 対立した兄弟帝は互いに相手の暗殺を試みたと言われるが、おそらくはカラカラの指示によって、ゲタはユリア・ドムナとの会食中に殺害された。
 ゲタはカラカラによって、記憶の断罪処分を下されており、公共物やコインなどからゲタの名前や肖像が消し去れているのが確認されている。軍隊からは、父セプティミウス・セヴェルスの容姿に似ていたことと比較的穏和な性格(あくまでカラカラと比べてのことだが)から、ゲタの方が人気があったようである。

同時代人

人    物    評

ユリア・ドムナ  カラカラとゲタの母親。皇帝位について、カラカラの単独相続ではなくゲタとの共同相続となったのは、ユリア・ドムナの支援によるものだとされる。しかし、カラカラとゲタの関係が悪化し、帝国の分割案が協議されたが、ユリア・ドムナはそれに反対。最終的に、ゲタが暗殺されるという形で、この問題は解決されることになる。
マクリヌス  親衛隊長。カラカラのパルティア遠征に随行中、カラカラが暗殺された為に、遠征軍によって皇帝に擁立された。カラカラ暗殺は、マクリヌスの陰謀とも言われている。
マルティアリス  カラカラ暗殺の実行犯。カラカラが排便中の隙を見て、カラカラを斬り殺したが、自身もカラカラの護衛の兵士に殺された。
アルタバヌス5世  パルティア王。パルティアに影響力を持とうとしたカラカラから、カラカラとアルタバヌスの娘の結婚を申し込まれたがこれを拒否。ティグリス川近郊でカラカラの軍勢と紛争を繰り広げた。
ウォロガエセス5世  パルティア。アルタバヌス5世と対立し、パルティアを分割支配していた。
フルウィア・プラウティラ  カラカラの妻。カラカラの即位前の、父プラウティアヌスの皇帝暗殺の陰謀に連座して、流刑されていた。ゲタがカラカラによって暗殺されると、フルウィアも処刑された。
コルニフィキア  五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウスの娘。ゲタの死後、その死を悲しんだとして、カラカラに処刑された。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

マクリヌス帝
217〜218

 マウレタニア出身の法律家。セヴェルス朝とは血縁関係のない皇帝。セプティミウス・セヴェルス時代にプラウティアヌスに引き立てられて、カラカラ時代には親衛隊長に栄達していた。おそらくは、マクリヌスが黒幕のカラカラ暗殺劇の後に、パルティア遠征軍によって皇帝に擁立された。マクリヌスは騎士階級の出身であり元老院議員の資格は有していなかった為、このマクリヌス登位は初めて元老院議員ではない人物の皇帝即位の事例となった。
 パルティアとの戦争が膠着状態に陥ると、マクリヌスはパルティアと賠償金と引き替えに講話を結び、ローマ軍をメソポタミアからシリアまで撤退させた。
 マクリヌスのパルティアに対する弱腰な姿勢と、カラカラ時代に軍隊へ与えられていた特典をマクリヌスが撤回したことに不満を持った軍隊は、ユリア・ドムナの妹の孫であり、カラカラの“はとこ”にあたる、ウィリウス・アヴィトゥス・バシアヌスを新皇帝に擁立する。アンティオキア郊外の戦いでマクリヌス軍は、この反乱軍に敗北し、逃亡したが捉えられマクリヌスはカッパドキアで処刑された。

同時代人

人    物    評

エラガバルス
(ウィリウス・アヴィトゥス・バシアヌス)
 カラカラの叔母であるユリア・マエサの孫。カラカラの隠し子を自称し、シリア軍の支持の元で皇帝位を宣言。アンティオキア郊外の戦いでマクリヌス軍を撃破する。
ユリア・ドムナ  先帝カラカラとゲタの母后。カラカラ暗殺時に、アンティオキアに滞在していたが、マクリヌスに追放を命じられ、自ら食を断って餓死した。
ユリア・マエサ  ユリア・ドムナの妹。孫のエラガバルスをカラカラの私生児であるとして、皇帝に擁立する。
ディアドゥメニアヌス  マクリヌスの息子。エラガバルスの反乱に対抗する為、9才にして正帝(アウグストゥス)の称号を授けられた。しかし、父帝マクリヌスの敗北によって、パルティアへ亡命することになったが、途中で捕らえられ処刑された。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

エラガバルス帝
(ヘリオガバルス)
218〜222

 全ローマ皇帝の中で、ダントツで一番の奇人。本名はウィリウス・アヴィトゥス・ヴァシアヌス。セプティミウス・セヴェルスの後妻でありカラカラやゲタの母親であったユリア・ドムナの妹ユリア・マエサの孫にあたる。
 カラカラの暗殺とそれに続くマクリヌスの即位に対して、ユリア・マエサはこのアヴィトゥスを亡きカラカラの隠し子であるとの噂を流した上でシリア軍にアヴィトゥスを擁立させ、アンティオキア郊外の戦いでマクリヌス軍を撃破した。
 皇帝本人が神官を務めていたシリアのエラガバルス神殿の御神体(隕石と言われている)を伴って、首都ローマに凱旋。この太陽神の名前エラガバルスが、皇帝の通名となっている。
 エラガバルスは、このシリアの太陽神崇拝をローマ全土に広げようという宗教改革に取り組むことになる。ウェスタ神殿の巫女であるアキリア・セウェラとの結婚は、その政策の一環でもある。また、その一方でエラガバルスは、同性愛にも熱中し男漁りの日が続いた。最終的にエラガバルスは、性転換手術を受けたとまで言われている。
 エラガバルスの数々の奇行に危機感を持った祖母ユリア・マエサは、エラガバルスの従兄弟にあたるアレクシウスをエラガバルスの養子としカエサル(副帝)位を授け、アレクサンデル・セヴェルスと改名させた。これに反発したエラガバルスは、アレクサンデル・セヴェルスの暗殺を計画したが、既に親衛隊の忠誠の対象は皇帝であるエラガバルスからアレクサンデル・セヴェルスに移ってしまっており、エラガバルスは逆上した親衛隊の兵士達に母ユリア・ソエミアと共に惨殺され、死体はテヴェレ川に投げ捨てられた。
 エラガバルス本人は奇行が目立つ何ら評価するに値しない皇帝だが、祖母ユリア・マエサを筆頭とするシリア人の女性達の慎重な政治処理能力が、この政権を支えていた。エラガバルスに取って代わるアレクサンデル・セヴェルスが登場した段階で、エラガバルスの最期は決定したと言えるだろう。

同時代人

人    物    評

ユリア・マエサ  エラガバルスの母方の祖母。エラガバルスとユリア・ソエミアの失脚は、ユリア・マエサの差し金だと言われている。
ユリア・ソエミア  ユリア・マエサの娘。エラガバルスの母親。エラガバルスと共に、殺害される。
ユリア・ママエア  ユリア・マエサの娘で、ユリア・ソエミアの妹。アレクサンデル・セヴェルスの母親。
アレクシウス
(アレクサンデル・セヴェルス)
 エラガバルスの従兄弟。奇行の甚だしいエラガバルスに危機感を抱いたユリア・マエサによって、エラガバルスの養子となり、副帝(カエサル)に擁立された。
 これに不満を持ったエラガバルスと対立し、エラガバルスはアレクサンデル・セヴェルスの殺害を親衛隊に指示したが、逆にエラガバルスへの反乱を誘発しエラガバルスが謀殺されたことによって、正帝に繰り上がった。
ガンニュス  ユリア・マエサの愛人。エラガバルスの皇帝即位の黒幕とされている。マクリヌスを破って、単独皇帝となったエラガバルス(ユリア・マエサの差し金か?)に、ニコメディアで処刑された。
コルネリア・パウラ  エラガバルスの一人目の妻。アウグスタ(皇后)の称号を得るも、離縁される。
アキリア・セウェラ  エラガバルスの二人目の妻。処女性を義務づけられていたウェスタ神殿の巫女だったが、太陽神崇拝に執心していたエラガバルスに目をつけられた。一時はエラガバルスに離縁されたが、後に復縁している。
アンニア・ファウスティナ  エラガバルスの三人目の妻。

 

皇 帝 名

皇  帝  評

政治
能力
軍事
能力
業績

アレクサンデル・セヴェルス帝
222〜235

 エラガバルスの従兄弟。異教崇拝に執心するエラガバルスに危機感を持った祖母ユリア・マエサによってカエサル位を授けられ、エラガバルスと対立。既に人心を失っていたエラガバルスが謀殺された結果、皇帝に繰り上がった。
 アレクサンデル・セヴェルスは、祖母ユリア・マエサ、母ユリア・ママエアの傀儡皇帝と言うべき存在で、実質的な政治の権限は、エラガバルス時代に続きシリア人の女性達に集中していた。アレクサンデル・セヴェルスの妻オルビアナの宮廷からの追放劇は、それを端的に示している。
 パルティアに取って代わって、ペルシア王となったアルデシールが東方属州に侵入すると、アレクサンデル・セヴェルスはこれを迎え撃つ為に、東方遠征を行った。さらにゲルマニア遠征にも着手し、ライン川を越えて母ユリア・ママエアを伴いアレクサンデル・セヴェルス自らも従軍した。
 しかし、これらの軍事遠征によって、アレクサンデル・セヴェルスの軍隊からの支持は低下し(おそらく軍事的な能力が皆無だったからだろう)、はかばかしい戦果を挙げることは出来なかった。ゲルマン人と休戦を結ぶために、金銭を蛮族へ渡そうとしたことを知った軍隊は、アレクサンデル・セヴェルスとユリア・ママエアの殺害を決断。新皇帝として、部将マクシミヌスを擁立する。反乱の報を聞いて怯え続けるアレクサンデル・セヴェルスは、ユリア・ママエアと抱き合いながら、天幕に乱入した兵士達に斬り殺されたと言われる。
 アレクサンデル・セヴェルスは、エラガバルスの異教崇拝を改めて、一時的な政治的安定を築くことが出来たが、軍隊の支持を失ったことによって、全てを失った。これにより、軍人皇帝時代と呼ばれる混乱の時代が始まることになる。

同時代人

人    物    評

ユリア・マエサ  エラガバルス、アレクサンデル・セヴェルスの祖母。二代の治世に渡って権勢を誇ったが、病死。
ユリア・ママエア  アレクサンデル・セヴェルスの母親。ユリア・マエサの死後も、アレクサンデル・セヴェルスを補佐。オルビアナの失脚は、ユリア・ママエアの陰謀と言われている。
 ゲルマニアでアレクサンデル・セヴェルスと共に、惨殺された。
ウルピアヌス  親衛隊長。ユリア・ママエアの側近として、アレクサンデル・セヴェルスの国政を補佐。親衛隊内部の抗争によって、謀殺された。
マクシミヌス  アレクサンデル・セヴェルスのゲルマニア遠征に従軍していた軍人。アレクサンデル・セヴェルスが軍隊の反乱によって殺害されると、軍隊によって皇帝に擁立された。
オルビアナ  アレクサンデル・セヴェルスの妻。ユリア・ママエアに嫌われ、反乱の嫌疑を着せられた上で、アフリカへ追放された。
アルデシール1世  ペルシア王。パルティアを滅ぼし、ササン朝を建国。セプティミウス・セヴェルス時代に奪われた、メソポタミアを巡ってローマ軍と紛争を繰り広げる。

 

 

ローマ帝国史略

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