ローマ帝国史略
失われた栄光〜テオドシウス朝〜
ヴァレンス帝戦死の知らせは、帝国に新たな時代の到来を告げるものだった。
西ゴート族は、もはや帝国の外に追放することは不可能な帝国の異物となってしまったのである。帝国未曾有の危機に、西の皇帝グラティアヌスはイスパニアに隠遁生活を送っていたテオドシウスに白羽の矢を立てる。
東の皇帝となったテオドシウス1世はグラティアヌスの期待に応え、西ゴート族を一時的に懐柔する。しかし、テオドシウス1世の作った束の間の安定も長くは続かなかった。395年テオドシウス1世の死により、2人の息子が帝国を受け継いだ。東の皇帝アルカディウス、西の皇帝ホノリウス。
テオドシウス1世亡き後、蛮族は活動を活発化させ始める。目指すは、肥沃な土地を持つ属州アフリカ。西ゴート族のアラリック1世、ヴァンダル族のガイセリック、そしてフン族のアッティラ。もはや、時代を動かすのはローマの皇帝ではなく、蛮族の王達だった。
そして、起こるべくして歴史的事件は起こった。西ゴート王アラリック1世によるローマ占領。ローマ市はもはやかつての政治的地位を持ってはいなかったが、今なお帝国の精神的支柱であった。この事件は一時的なものだったが、帝国に与えた影響は計り知れなかった。
さらに、ヴァンダル族がアフリカに侵入、東ローマの援軍も撃退し、完全な独立国としてヴァンダル王国を建設。そして、ついにフン王アッティラの西帝国侵攻が始まったのである。
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
テオドシウス1世帝 |
ローマ帝国最後の統一皇帝。父の大テオドシウスの処刑後、イスパニアで隠遁生活を送っていたが、西ゴート族のドナウ川渡河とそれに続くハドリアノポリスでの東帝ヴァレンスの敗死により、西帝グラティアヌスに東の皇帝に指名され、皇帝として即位した。 |
B |
A | A |
同時代人 |
人 物 評 |
アタナリック | 西ゴート王。フリティゲルンの死後、一時分裂状態に陥った西ゴート族の王に選出され、テオドシウス1世と盟友となる。テオドシウス1世はアタナリックの葬儀を盛大に行うことで、西ゴート族の歓心を買い、西ゴート族はテオドシウスの存命中はローマの忠実な同盟部族となった。 |
グラティアヌス | ヴァレンティニアヌス1世の長子。父帝の死後、西方の皇帝として帝位を継承していた。ハドリアノポリスの戦いで東帝ヴァレンスが戦死したのに際し、隠遁生活を送っていた(小)テオドシウスを東帝に指名した。即位前のテオドシウス1世の隠遁のきっかけとなった大テオドシウス(テオドシウス1世の父親)の処刑(おそらく冤罪)を指示したのも、グラティアヌスである。 僭帝マクシムスがブリタニアで挙兵しガリアに進軍を開始すると、それを迎え撃ったが敗死した。 |
ヴァレンティニアヌス2世 | ヴァレンティニアヌス1世の息子で、グラティアヌスの弟。軍隊によって擁立されたグラティアヌスの共治帝。グラティアヌスの死後、テオドシウス1世の影響下で、イタリア以西を統治した。テオドシウス1世にフランク人の部将アルボガストを後見人としてつけられる。しかし、ヴァレンティニアヌス2世はそのアルボガストによって、暗殺されることになる。 |
アンブロシウス | メディオラム司教。グラティアヌス、テオドシウス1世に対して絶大な影響力を有していた。テッサロニカ虐殺事件を期にテオドシウス1世を破門。テオドシウス1世に贖罪を要求し屈服させた。アンブロシウスの弟子の中には「神の国」の著者アウグスティヌスがいることでも知られている。 |
マグヌス・マクシムス | ブリタニア総督。西帝グラティアヌスを敗死させ、ガリア、ブリタニアを根拠に帝位を主張。テオドシウス1世も一時それを認めたが、マグヌス・マクシムスはイタリアに侵入。ヴァレンティニアヌス2世を救援に来たテオドシウスに破れて、処刑された。 この内戦でブリタニアのローマ軍が空白状態になり、ホノリウス時代にブリタニアを放棄することになる遠因の一つとなっている。 |
エウゲニウス | 異教徒の元老院議員。ヴァレンテニアヌス2世の死後、アルボガストに擁立され、ローマ史上最後の異教皇帝となる。テオドシウス1世とエウゲニウスの内戦はキリスト教と反キリスト教の最後の戦いという側面も持っていた。テオドシウス1世に破れ処刑される。 |
アルボガスト | フランク族出身の部将。テオドシウス1世にヴァレンティニアヌス2世の後見を託されるが、期待を裏切りヴァレンティニアヌス2世を殺害。エウゲニウスを皇帝に擁立し、テオドシウス1世に決戦を挑むが、敗北自殺した。 |
ルフィヌス | ガリア出身の能弁家。テッサロニカ虐殺事件においてテオドシウス1世の怒りを扇動した。同僚達からは憎まれたが、テオドシウス1世の信頼は篤くアルカディウスの後見人となった。 |
スティリコ | ヴァンダル族出身の部将。対ペルシア、エウゲニウスの戦争で 功績を挙げ、テオドシウス1世の姪セレナと結婚した。ホノリウスの後見人となる。 |
アルカディウス | テオドシウス1世の息子。父帝の死に際し帝国の東部を継承する。 |
ホノリウス | テオドシウス1世の息子、アルカディウスの弟。父帝の死に際し帝国の西部を継承する。 |
ガッラ | グラティアヌスとヴァレンティニアヌス2世の妹。グラティアヌスの死に動揺する、ヴァレンティニアヌス2世と共にテオドシウス1世に救援を要請。ガッラ自身はテオドシウス1世の後妻となる。ガッラ・プラキディアの母親。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
アルカディウス帝 |
テオドシウス1世の長子。父帝の死後、帝国東部を継承し、皇帝として即位した。 |
C |
D | B |
同時代人 |
人 物 評 |
ルフィヌス | 先帝テオドシウス1世がアルカディウスにつけた後見人。収奪によって富を蓄え、庶民から憎まれた。アルカディウスの外戚になる為、娘を嫁がせようとするが、エウトロピウスの妨害で失敗。その後、スティリコと結託したガイナスに暗殺された。 |
ガイナス | ゴート人の将軍。スティリコと協力しルフィヌスを粛正する。アルカディウスが反スティリコの姿勢を示すとこれに追従、スティリコ暗殺も実行に移すがそれには失敗する。 トリビギルドの反乱に呼応し、自らも挙兵。敗戦逃亡中にウルディン率いるフン族に補足され戦死した。 |
エウトロピウス | ローマ史上、宦官として、権勢を誇った初めての人物。ルフィヌスがアルカディウスに娘を嫁がせようとすると、それを阻止しルフィヌスの追い落としに成功する。しかし、東ゴート族の反乱に際し、自分が后に推薦したエウドクシアの嘆願により、処刑された。 |
ヨハンネス・クッリュソストモス | コンスタンティノポリス司教。エウトロピウスによって、高位を得たが、エウトロピウスの保護には失敗した。その後、エウドクシアの陰謀でコンスタンティノポリスから追放された。 |
アンテミウス | 僭帝プロコピウスの血縁とも言われるアルカディウスの家臣。アルカディウスに重用され、皇帝の死後テオドシウス2世の補佐役となる。 |
エウドクシア | アルカディウスの妻。宦官エウトロピウスの推薦によりアルカディウスの皇后となった。アルカディウスの寵愛を背景にエウトロピウス、ヨハンネス・クリュソストモスの失脚を演出したとされる。 |
アラリック1世 | 西ゴート王。アタナリックの死後、西ゴート王に選出された。テオドシウス1世の死後、帝国内での西ゴート族の移動を再開する。ペロポネソス半島を略奪し、スティリコの率いる軍と対峙。アルカディウスと交渉し、イリュウリクムへ退去することにより、スティリコの攻撃を中断させた。 |
スティリコ | 西ローマ帝国の重臣。ガイナスと協力しルフィヌスを暗殺する。ペロポネソス半島で略奪をするアラリックを撃退する。しかし、アラリックはコンスタンティノポリス宮廷との交渉で帝国の家臣の地位を得、除くことは出来なかった。 |
トリビギルド | 東ゴート族を率い反乱を起こす。 |
ヒエロニムス | アンティオキア司際。ベツレヘムに神学校を建設し、聖書のラテン語訳を作成した。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
ホノリウス帝 |
テオドシウス1世の息子。兄アルカディウス(東帝)と共に帝国を継承。西方の皇帝となる。 |
E |
E | C |
コンスタンティウス3世帝 |
ホノリウス配下の部将。ガリアでの混乱を、ナルボンヌに定住した西ゴート族と協力し収拾することに尽力。蛮族を巧みに操りガリア、イスパニアの秩序を回復した。 |
B |
B | C |
同時代人 |
人 物 評 |
スティリコ | ヴァンダル族出身の将軍。テオドシウス1世の姪のセレナと結婚し、ホノリウスの後見人となる。アルカディウス帝の奸臣ルフィヌスを暗殺。アフリカのギルドーの反乱を鎮圧。メディオラムを包囲する、西ゴート王アラリック1世の軍を撃退する。絶大な功績を誇ったが、敵も多くアルカディウス帝には命も狙われた。最後は西ゴート族との内通を疑われ、ホノリウスの命令で惨殺された。 このスティリコの死を契機に、ローマ軍によって、蛮族傭兵が虐殺され、多数の傭兵が西ゴート族に身を投じ、ローマ占領事件を引き起こす原因となる。 |
アラリック1世 | 西ゴート王。東帝国を追われ、西帝国内に侵入。スティリコ死後の混乱を利用し、西帝国を脅迫するが、思うようにいかずローマ市を占領、略奪する。その後アフリカ遠征を企図するも、中途で病死する。 |
アタウルフ | 西ゴート王。アラリック1世の死後王位を次ぐ。ホノリウスの妹ガッラ・プラキディアと結婚し、ローマと和解し南仏に西ゴート族を定住させる。アタウルフはガッラ・プラキディアとの間の子をローマ皇帝とし、帝国の実権を握ろうとしたが、アタウルフ自身の死によって挫折した。 アタウルフと史家オロティウスとの対話はゲルマン人のローマに対する意識をよく表している。 |
ワリア | 西ゴート王。アタウルフ暗殺後、西ゴート族をまとめ上げる。アラリック1世以来の悲願だったアフリカ侵攻を目論むが、コンスタンティウスに阻まれる。 西ローマ帝国に協力し、スウェヴィ族、ヴァンダル族をイスパニアで敗退させた。 |
ガッラ・プラキディア | ホノリウスの異母妹。アラリック1世のローマ市占領の際、西ゴート族に連れ去られ、アタウルフと結婚する。アタウルフは両者の子を皇位継承者とするつもりだったが、実現せず暗殺され、後を継いだワリアにローマ帰還を許された。 ローマ帰還後、将軍コンスタンティウス(3世)と再婚。ヴァレンティニアヌス(3世)を産む。コンスタンティウス3世が正帝即位後まもなく死去すると、ホノリウスに再婚を迫られ、それを拒否したガッラ・プラキディアは息子ヴァレンティニアヌス(3世)を伴いコンスタンティノポリスへ亡命した。 |
アッタルス | アラリック1世の脅迫でローマ元老院から皇帝に指名された。アラリック1世の死後はアタウルフに従っていたが、アタウルフはローマ政府と和解し追放され、ローマ軍に捕らえられた後、リパリ島に流刑された。 |
ギルドー | アフリカ総督。西帝国に反乱を起こし、東帝アルカディウスに保護を求めるが、スティリコの意を受けたマスケゼルの軍に破れ自害した。 |
コンスタンティヌス | ブリタニアを拠点に帝位を僭称。蛮族侵攻の混乱の中でガリア、イスパニアに進軍、アルルに宮殿を建設する。一時はホノリウスに共治帝として承認された。 |
コンスタンス | 上記コンスタンティヌスの子供。父コンスタンティヌスより副帝(カエサル)の地位を与えられていたが、ゲロンティウスに処刑された。 |
ヨウィヌス | ガリアで帝位を僭称。西ゴート王アタウルフに破れ処刑される。 |
アルカディウス | 東ローマ皇帝、ホノリウスの兄。西ゴート族を領内から駆逐し、西帝国に追いやるが、ホノリウスへの援助は微々たるものだった。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
テオドシウス2世 |
アルカディウスの息子。アルカディウスの死後、幼くして即位した。 |
D |
D | B |
同時代人 |
人 物 評 |
ヤズィデガルド1世 | ペルシア王。西皇帝ホノリウスも東ローマ宮廷も信頼出来なかったアルカディウスからテオドシウス2世の後見人に指名される。アルカディウスの信頼に応え、テオドシウス2世を自らの兵力で、陰謀から守ったとされるが、真否は判断しがたい。 |
ウルディン | フン王。東ゴート族と共に、ドナウ川を渡り東ローマ領内に侵入。領内を荒らし回ったが、アンテミウスに撃退された。 |
アッティラ | フン王。東ゴート族、ゲビデ族を支配下に置き、東帝国に貢納を要求する。 |
プルケリア | テオドシウス2世の姉。弱体なテオドシウス2世に代わって実権を握った。敬虔なキリスト教徒でネストリウス派、エウテュケス派を弾圧。 |
アンテミウス | アルカディウス時代からの寵臣。フン族を領外に駆逐し、幼年のテオドシウス2世を補佐した。後の西ローマ皇帝アンテミウスの祖父。 |
バーラム5世 | ペルシア王。ヤズィガルド1世の死後王位に就く。東帝国との紛争によりアルメニアを分割した。 |
アスパル | ラヴェンナとコンスタンティノポリスのどちらの宮廷にも影響力を持った実力者。ヴァンダル族来寇に際して、東ローマの援軍を指揮したが、ガイセリックと密約を結び、ヴァンダル王国の建国を黙認した。 |
ネストリウス | コンスタンティノポリス司教。イエス、マリアの神性を否定。(詳しくは宗教関係の本を読んで下さい)いわゆるネストリウス派(景教)の創始者。エフェソス公会議でネストリウスは異端を宣告されエジプトに追放された。 |
ガッラ・プラキディア | テオドシウス2世の叔母。息子ヴァレンティニアヌス(3世)の帝位獲得の為、東帝国の支援を要請する。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
ヴァレンティニアヌス3世 |
コンスタンティウス3世とガッラ・プラキディアの間の子。 |
D |
D | E |
同時代人 |
人 物 評 |
ヨハンネス | ホノリウスの死後、帝位を称したが、テオドシウス2世の援軍を率いたガッラ・プラキディアに敗北、処刑された。 |
アエティウス | 最後のローマ人と呼ばれる実力者。若年時は西ゴート族、フン族の人質として過ごした。故郷へ帰還しガッラ・プラキディアに仕えヴァレンティニアヌス3世を補佐する。 ライバルのボニファティウスの死後、実権を握りフン族との人脈を利用し、ガリア、イスパニアに秩序を取り戻す。フン王アッティラのガリア侵攻の際は西ゴート族、フランク族と協力しカタラウヌムの戦いでの勝利によって、フン族の野望を挫いた。西帝国における並ぶ物のない権力者となったが、ヴァレンティニアヌス3世から危険視され、皇帝自らの手によって惨殺された。 |
ガッラ・プラキディア | ヴァレンティニアヌス3世の母親。亡命先の東ローマ帝国の援助により、簒奪者ヨハンネスを撃破。テオドシウス1世の子供の唯一の生き残りとして、アエティウスの後ろ盾となり、弱年のヴァレンティニアヌス3世を補佐した。死後、カトリックの聖人に叙せられる。 |
ボニファティウス | アフリカ総督。ヴァンダル族のアフリカ侵攻を阻止できず、ヒッポ防戦中にローマに帰還する。その後、アエティウスとの政争に破れ、無惨な死を遂げた。 |
ガイセリック | ヴァンダル王。ヴァンダル、アラン族を率いてジブラルタル海峡を渡ってアフリカに侵入。ヒッポ、カルタゴを占領。アスパル率いる、東帝国の援軍も撃破し、アフリカに完全なる独立勢力を築いた。(ヴァンダル王国の成立) 重要な穀倉地帯であるアフリカを奪われたことによって、西ローマ帝国の命運は決まったとも言える。アラリックはローマの名誉を奪ったが、ガイセリックはローマの生命を奪ったのである。 |
アッティラ | フン王。アエティウスとは人質時代から交友関係があったらしい。当初は、ローマから貢納を受け取り、軍事的に協力をしていたが、東帝国から貢納を打ち切られ、西帝国に侵入した。ガリアにおいて、ローマ・西ゴート連合軍にカタラウヌムの戦いで敗退。ついで、イタリア半島に侵入するも、まもなく撤退した。 その後アッティラが変死すると、配下の東ゴート族、ゲビデ族が離反し、アッティラの息子達を撃破。フン族の王国はあっけなく崩壊した。 |
テオドリック1世 | 西ゴート王。フン族の侵入に対抗して、ローマのアエティウスと共に防戦。カタラウヌムの戦いに勝利するが、自身は戦死した。後の東ゴート王テオドリック1世とは、当然別人。 |
ホノリア | ヴァレンティニアヌス3世の姉。不貞の罪でコンスタンティノポリス宮廷に軟禁されていた。経緯は不明だが、フン王アッティラとの婚姻を望み、ラヴェンナ宮廷に送り返される。そのことを知ったアッティラは西ローマ帝国侵攻の口実として利用した。 |
アウグスティヌス | ヒッポ司教。メディオラム司教アンブロシウスの元でマニ教からキリスト教に改宗した。ヴァンダル族の来寇に抵抗する。ボニファティウス脱出後も、ヴァンダル族の攻撃を再三に渡って防ぐも、あえなく降伏する。歴史的には「神の国」の作者としての方が有名か? |
レオ1世 | ローマ教皇。イタリアに侵入した、「神の鞭」フン王アッティラと会見し退却を要請し、受け入れられたとされる。 |
テオドシウス2世 | 東ローマ皇帝。ガッラ・プラキディアを支援し、ヴァレンティニアヌス3世の即位を承認した。 |
マルキアヌス | アスパルの副官として、アフリカに従軍。ガイセリックの捕虜となるが、アスパルとの交渉で解放された。テオドシウス2世の死後、姉プルケリアと結婚し帝位に就く。フン族への貢納を打ち切り、フン族の西帝国侵攻を引き起こした。 |