ローマ帝国史略
野望の後に〜ヘラクレイオス朝〜
ランゴバルド族のイタリア征服事業の中断により、いわゆる“ゲルマン人の大移動”は終わりを告げた。しかし、ローマ帝国の外敵が存在しなくなった訳ではなかった。野心あるペルシア王ホスロー2世はシリア、エジプト、小アジアを占領し、北方のアヴァール族と同盟してコンスタンティノポリスを包囲した。
帝国滅亡の危機に、重い腰を上げて立ち上がったヘラクレイオスは敵地に侵攻を行い、英雄叙事詩に詠われた劇的な勝利によって、このペルシア遠征は成功に終わった。ローマの危機は終わりを告げたかにみえた。
しかし、ローマ・ペルシアという大国同士の泥沼の戦争の間に、予想も出来なかった新たな勢力が生まれていた。預言者ムハンマドの創始したイスラム教はアラビア半島を席巻し、砂漠の民ベドウィンの軍事力はイスラム教の元で一つにまとめられた。
ムハンマド亡き後のカリフ達は、アラビア半島の外への征服事業を開始する。瞬く間にペルシアは滅ぼされ、ローマはシリア、エジプトという重要な属州を失った。
ユスティニアヌス1世の夢見た偉大なるローマ帝国、それはもはやそこにはなかった。地中海の主役はローマ帝国からイスラムへと移り変わったのである。
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
マウリキウス帝 |
カッパドキア出身の軍人。ペルシア戦争で軍功を挙げたことにより、病弱で後継者を欲していたティベリウス2世の娘コンスタンティナと結婚。まもなくティベリウス2世が病死した為、マウリキウスは皇帝に即位した。 |
B |
B | B |
同時代人 |
人 物 評 |
フォカス | 対アヴァール戦に従軍していた100人隊長。アヴァール族の勢力圏内での冬営を命じられたことに反発した軍に擁立されて、挙兵。コンスタンティノポリスに入城し、皇帝即位を宣言。マウリキウスと5人の子供を処刑した。 |
テオドシウス | マウリキウスの皇太子。フォカスの反乱が起こると、父帝の恩義を頼りにペルシア王ホスロー2世に救援を求めた。 |
ゲルマヌス | マウリキウスの皇太子テオドシウスの女婿。反乱を起こしたフォカスとの内通し、帝位を狙ったが、フォカスの支持者に誘拐され、おそらく殺された。 |
ホスロー2世 | ペルシア王。父王ホルムズドの王位が反乱者バーラムによって簒奪されると、ローマに亡命。マウリキウスの支援を得て、バーラムからペルシア王位を奪回した。この経緯がヘラクレイオス時代にまで続く、ローマ・ペルシア戦争の遠因となっている。 |
エヴァグリウス | 歴史家。マウリキウスの伝記を史書としてマウリキウスに捧げた。 |
コンスタンティナ | ティベリウス2世の娘。マウリキウスの皇后となった。 |
ベラギウス2世 | ローマ教皇。西ゴート族を正統派信仰へ改宗させた。 |
グレゴリウス1世 | ローマ教皇。欧州内陸部への布教を押し進めた。ランゴバルド族の侵攻により、ローマの勢力が後退したためランゴバルド族と独自外交をを行い、マウリキウスと対立した。 |
レカレド | 西ゴート王。ベラギウス2世の布教により、アリウス派から正統派へと改宗した。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
フォカス帝 |
マウリキウス時代の対アヴァール戦に参加していたトラキアの100人隊長。敵地のドナウ北岸での冬営を命じられて、反乱を決意。軍隊の支援を得てコンスタンティノポリスに入城。逃亡したマウリキウスとその子供を残酷に処刑して、皇帝に即位した。 |
D |
B | D |
同時代人 |
人 物 評 |
(大)ヘラクレイオス | アフリカ総督。マウリキウスとその一族を残酷に処刑したフォカスに人望がないことを見て取り、反乱を決意。息子小ヘラクレイオスに海軍を託してコンスタンティノポリスへ派遣した。 |
(小)ヘラクレイオス | アフリカ総督大ヘラクレイオスの息子。父の反乱の指揮をとり、海軍をコンスタンティノポリスに派遣。先帝マウリキウスの支持者と合流し、コンスタンティノポリスを占拠し、フォカスを海軍の船内へ拉致して、なぶり殺しにした。 |
ホスロー2世 | ペルシア王。マウリキウス帝の支援により王位を獲得したという経緯を口実に、フォカスの帝位簒奪に承認を与えず、シリア、小アジアに侵攻を始めた。 |
テオドシウス | 先帝マウリキウスの息子。ペルシア王ホスロー2世に救援を求め逃亡していたが、フォカスに捕らえられニケーアで処刑された。 |
コンスタンティナ | 先帝マウリキウスの皇后で先々帝ティベリウス2世の娘。フォカスの簒奪と先帝マウリキウスの処刑の復讐を決意。陰謀を企てフォカスの暗殺を試みた。女性であるため、一度は許され聖ソフィア寺院に軟禁されたが、再度の陰謀が発覚したため、マウリキウスとの3人の娘と共にカルケドンで処刑された。 |
クリスプス | フォカスの娘婿。フォカスに実子がいなかった為、コンスタンティノポリス住民から、帝位継承者と見なされ、フォカスに競争者として猜疑心を持たれていた。ヘラクレイオス父子の反乱が起こると、これに内通して反乱軍に投降した。 その後ヘラクレイオスにカッパドキア司令官の地位を与えられたが、半強制的に修道院へ隠居させられた。 |
グレゴリウス1世 | ローマ教皇。フォカスがローマ教会に対して正統派内の首位権を認めた為、フォカスを賞賛し記念碑をローマに建造した。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
ヘラクレイオス帝 |
同名のカルタゴ総督ヘラクレイオスの息子。父ヘラクレイオスがフォカスの暴政に挙兵すると、海軍を率いてコンスタンティノポリスを占拠しフォカスを処刑して皇帝に即位した。 |
A |
A | B |
同時代人 |
人 物 評 |
ホスロー2世 | ペルシア王。マウリキウスの仇討ちを口実にローマ領に侵入。ヘラクレイオスの皇帝即位により大義名分を失っても、侵略を継続。一時はシリア、エジプト、小アジアを占領して、北方のアヴァール族と同盟して、コンスタンティノポリスを包囲したが、ヘラクレイオスの反撃により、首都クテシフォンは陥落。コンスタンティノポリスの包囲戦も撃退された。 |
カワード2世 | ペルシア王。ニネヴェの戦いでヘラクレイオスの遠征軍に敗退したホスロー2世からクーデターで王位を簒奪。ヘラクレイオスと和議を結んで、ローマ領内の占領地を放棄した。 なお、聖十字架をヘラクレイオスの返還したとの伝説の真否は不明のようである。 |
アスパルフ | アヴァール王(汗)。ホスロー2世と同盟し、アヴァール族、ブルガール族を率いてペルシア軍と共にコンスタンティノポリスを包囲した。 |
セルギオス | コンスタンティノポリス司教。ペルシア遠征に出撃したヘラクレイオスの留守を預かり、コンスタンティノポリスをペルシア・アヴァール連合軍の攻撃から守り抜く。 |
エウドキア | ヘラクレイオスの皇后。ヘラクレイオス・コンスタンティヌスの母親。 |
マルティナ | ヘラクレイオスの姪。ヘラクレイオスの先妻エウドキアの死後皇后となり、ペルシア遠征にも同行した。ヘラクレイオスが病死すると、ヘラクレイオスの遺言を盾に皇帝即位を目論んだが市民の反対により、失敗する。 |
ヘラクレイオス・コンスタンティヌス | ヘラクレイオスとエウドキアの子。マルティナの女帝即位失敗により、弟ヘラクロナスと同格の皇帝となった。 |
ヘラクロナス | ヘラクレイオスと後妻マルティナの子。マルティナの女帝即位失敗により、兄ヘラクレイオス・コンスタンティヌスと同格の皇帝となった。 |
ホノリウス1世 | ローマ教皇。両性論(正統派)と単性論との和解を目指して、単意論(キリストに神性と人性が相通じる一つの意志があったろする説)を提唱。東方属州の維持を目指すヘラクレイオスによって、採用された。 単位論は、後に第3次コンスタンティノポリス公会議で異端宣告を受け、ホノリウス1世自身も死後でありながら破門されることになる。 |
テオドシウス | ヘラクレイオス配下の部将。ヤルムーク河畔の戦いで、サラセン軍に敗北。 |
ムハンマド | イスラム教の創始者。アラビア半島に宗教国家を樹立。苦境のヘラクレイオスがペルシア勝利することを預言した。 |
アブー・バクル | ムハンマドの叔父。初代カリフ。拡大ジハードを押し進め、長年の戦争で疲弊しているペルシア、シリアに軍勢を派遣した。 |
ウマル | イスラム教カリフ。ペルシアに軍勢を派遣し、カーディーシャの戦いに勝利。ペルシアに壊滅的な打撃を与えた。 |
ハーリド | アッラーの剣と渾名されたサラセン軍の前線指揮官。シリアに侵入し、ヤルムーク河畔の戦いでローマ軍を敗走させた。その後、アブー・バクルの死後カリフ位を継いだウマルと対立し、解任されている。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
コンスタンティヌス3世帝 |
ヘラクレイオスとエウドキアの子。マルティナの皇帝即位が失敗すると、異母弟ヘラクロナスと同格の皇帝として即位した。皇帝名としては、ヘラクレイオス2世と表記されることもあるようである。 即位前から病弱であり、まもなく即位103日で死去。当時から、マルティナの毒殺を疑われているが、おそらくは冤罪か。 |
C | C | C |
ヘラクロナス |
ヘラクレイオスとマルティナの子。マルティナの皇帝即位が失敗すると、異母兄ヘラクレイオス・コンスタンティヌス(コンスタンティヌス3世)と同格の皇帝として即位した。 コンスタンティヌス3世が病死すると、実母マルティナと自身による毒殺との嫌疑をかけられる。聖ソフィア寺院でコンスタンティヌス3世の遺児コンスタンス(2世)を伴い、弁明に努めたが暴徒化した市民を抑えきれず、マルティナと共に鼻と舌を切断されて、ロードス島へ流刑された。 |
D | D | D |
コンスタンス2世 |
コンスタンティヌス3世の子。ポゴナトゥスの渾名は息子のコンスタンティヌス4世ではなく、このコンスタンス2世のことのようである。 |
B |
C | C |
同時代人 |
人 物 評 |
マルティナ | ヘラクレイオスの姪にして後妻。マルティナ自身が女帝として即位する計画が挫折したため、コンスタンティヌス3世と自身の息子ヘラクロナスの共同統治に合意。しかし、コンスタンティヌス3世が病死すると、マルティナがコンスタンティヌス3世を毒殺したと市民から告発される。マルティナは鼻と舌を切断された上で、息子ヘラクロナスと共にロードス島に流刑された。 |
ヴァレンティヌス | カルケドンの軍司令官。コンスタンティヌス3世が病死すると、マルティナとヘラクロナスの毒殺を告発して、コンスタンティノポリス市民を扇動した。 |
テオドシウス | コンスタンティヌス3世の子で、コンスタンス2世の弟。皇帝となったコンスタンス2世によって、帝位簒奪の野心を疑われ殺された。 |
キュロス | エジプト総主教。アレクサンドリアに侵攻したアムル率いるイスラム軍に降伏したとされる。 |
マヌエル | ローマ軍の部将。アムルがエジプト総督から解任された際に、一時的にアレクサンドリアを奪回した。 |
ウマル | イスラム教カリフ。ペルシアを滅ぼし、ローマからはシリア・エジプトに軍を進め領土を大幅に拡大した。 |
ウスマーン | イスラム教カリフ。シリア総督ムアーウィアの征服事業により、地中海を制海権に収めた。 |
アムル | サラセン軍の前線指揮官。エジプトに軍を進め、ローマ軍を駆逐。新都フスタート(現在のカイロ)を建設した。 |
ムアーウィア | サラセン帝国のシリア総督。海軍を創設して、キプロス、ロードスを占領。帆柱の海戦で、コンスタンス2世を破り地中海の制海権を奪った。 |
マルティヌス1世 | ローマ教皇。単意論を否定し、東方属州奪回の為、単位論を支持するコンスタンス2世と対立。コンスタンス2世により逮捕令が出され、コンスタンティノポリスに連れ去られた。 |
ウィタリヌス | ローマ教皇。ローマ教会とコンスタンス2世の和解を実現。ローマ市にコンスタンス2世を招いた。 |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
コンスタンティヌス4世帝 |
コンスタンス2世の子。ポゴナトゥスの渾名は、この皇帝ではなく父帝コンスタンス2世のことのようである。 |
B |
A | A |
同時代人 |
人 物 評 |
ヘラクレイオス | コンスタンティヌス4世の弟。アウグストゥスの称号を得ていたが、自身の息子ユスティニアヌスへの相続を望んだコンスタンティヌス4世によって、鼻を削がれた。 |
ティベリウス | コンスタンティヌス4世の弟。アウグストゥスの称号を得ていたが、自身の息子ユスティニアヌスへの相続を望んだコンスタンティヌス4世によって、鼻を削がれた。 |
ムアーウィア1世 | イスラム教カリフ。シリア総督時代から先代カリフのアリーと政争を繰り広げ、アリーの死によりカリフ位を奪取し、ウマイヤ朝を創設。皇太子のヤジードを派遣して2度に渡りコンスタンティノポリスを包囲したが、失敗した。 |
ヤジード | ムアーウィア1世の子。ウマイヤ朝2代目カリフ。皇太子時代にコンスタンティノポリスを2度に渡って包囲したが、ギリシア火とローマ海軍に敗退した。 |
カリニコス | シリア系の技術者。ギリシア火を発明したとされる。 |
アガト | ローマ教皇。単位論を排除しようとする、コンスタンティヌス4世に協力して、第3次コンスタンティノポリス公会議を主催。 |
アスパルフ | ブルガリア王(ハン)。コンスタンティヌス4世と条約を結び、ドナウ以南の土地に建国した。(第一次ブルガリア帝国の成立) |
皇 帝 名 |
皇 帝 評 |
政治 能力 |
軍事 能力 |
業績 |
ユスティニアヌス2世帝 |
リノトメトス(鼻削がれ帝)。コンスタンティヌス4世の長子。 縮小傾向にあった領土の拡大を目指し、各地の国境に軍勢を派遣。北方でバルカン半島ののスラブ族と争い、東方では一時ウマイヤ朝のアブド・アル・マリクからアンティオキアを奪回するなど、軍事的成果を挙げた。 しかし、遠征軍を維持するために増税を繰り返したユスティニアヌス2世は民衆の支持を失い、レオンティウスの皇帝即位により失脚。ユスティニアヌス2世は鼻を削がれクリミア半島のケルソンに追放された。 簒奪者レオンティウスからティベリウス3世に帝位が移ると、流刑先で結婚していたテオドラの助言により、ブルガリアに亡命。ブルガリア王(ハン)テルヴェルと同盟を結んで、ブルガリアの軍勢を率いてコンスタンティノポリスへ進軍。ティベリウス3世の軍を破って、ユスティニアヌス2世は復位を果たした。 復位後のユスティニアヌス2世は復讐に熱中する。ユスティニアヌス2世から帝位を簒奪したレオンティウス、ティベリウス3世を残酷に処刑。自身の流刑地だったクリミア半島に対しても、軍勢を派遣して多数の住民を奴隷としたと言われる。 また、ローマ教会に対しては、即位直後から東方教会に対して従属するよう要求し続けていた。 政治を省みずに復讐に執心し人心を失っていたユスティニアヌス2世に対し、ハザール・ハン国はクリミア遠征軍を率いていたバルダネス(フィリピクス)の反乱を支援する。ユスティニアヌス2世の過酷な統治に反感を持っていた各地の軍勢もフィリピクスを支持し、ユスティニアヌス2世は最期にフィリピクスの刺客によって暗殺された。 ユスティニアヌス2世は、ヘラクレイオスの血筋に相応しい実力の持ち主だったが、復位後あまりにも復讐に拘り続けたのが惜しまれる。この無用な混乱によって、父帝コンスタンティヌス4世と自身の尽力によって食い止められていた、ウマイヤ朝との軍事バランスが再びイスラム側に傾いてしまった。 |
B | B | D |
レオンティウス帝 |
ヘラス・テマの長官。3年に渡る投獄中の身から、ユスティニアヌス2世に抜擢されたが軍隊と結託して反乱を決意。コンスタンティノポリス市民を扇動して皇帝に即位。既に人心を失っていたユスティニアヌス2世を捕らえて、鼻を削いでクリミア半島のケルソンへ追放した。 即位3年後にゴート人部将アプシマル(ティベリウス3世)のクーデターにより失脚。ユスティニアヌス2世同様、鼻を削がれて幽閉された。ユスティニアヌス2世が復位すると、ティベリウス3世と共に処刑された。 |
C | C | D |
ティベリウス3世帝 |
ゴート人の部将。本名はアプシマル。レオンティウスから帝位を簒奪し、ティベリウスの名を自称した。 |
D |
D | D |
同時代人 |
人 物 評 |
テルヴェル | ブルガリア王(ハン)。ハザールから亡命したユスティニアヌス2世を支援し、コンスタンティノポリスに進軍。ユスティニアヌス2世の復位を実現し、ユスティニアヌス2世から、カエサルの称号を授けられた。 |
バルダネス (フィリピクス) |
ユスティニアヌス2世配下の部将。復位後のユスティニアヌスに命じられてクリミア半島に軍を進めたが、現地でハザールと同盟して、首都コンスタンティノポリスへ攻め上って帝位を簒奪した。 |
ハッサーン | ウマイヤ朝のアフリカ総督。カルタゴを巡って、ローマ軍と戦闘を繰り返す。最終的にローマ軍は駆逐されカルタゴはウマイヤ朝に占領される。以降アフリカは完全にローマの影響下から離れた。 |
テオドラ | ハザール人のユスティニアヌス2世の皇后。クリミアに流刑中のユスティニアヌスと結婚し、洗礼を受けた。ティベリウス3世が母国にユスティニアヌス2世の謀殺を要請すると、夫ユスティニアヌス2世に助言しブルガリアへ亡命した。 |