ローマ帝国史略


ローマは何故滅んだか (2)ゲルマン人と西ローマ帝国

 395年、テオドシウス1世の息子のアルカディウスとホノリウスによりローマ帝国は分割され、形式的にはともかく、実質的に二度とローマ帝国は統一されなかった。この分割以降、西の帝国は衰退への道をたどり、5世紀の中頃にはゲルマン人の有力者と東の皇帝が選出する皇帝たちが次々に即位しては退位するということを繰り返すようになる。
 476年にオドアケルが西ローマ帝国を滅ぼしたのは、実質的にはそれほど大きな意味を持っていない。すでに、それまでに西ローマ帝国は滅んでいたといっても言い過ぎではない状態だったのである。ただゲルマン人国家の形式的な支配者が、西ローマ皇帝から東ローマ皇帝に変わったというだけのことである。大帝と称されたテオドシウス1世の子孫の時代に“西方の”ローマ帝国は、解体を決定的なものにしていた。この時代に起きた事件と帝国の解体を進めたのは何であったかを見てみたい。

ホノリウスの時代(395〜423)
 西の正帝となったホノリウスには、ヴァンダル族出身のスティリコが後見人となって、帝国内に絶大な影響力を持っていた。スティリコは精力的に帝国内の諸問題の解決に力を尽くした。アフリカのムーア人ギルドーの反乱を鎮圧し、ペロポネソス半島に侵入した西ゴート族も撃退している。また、コンスタンティノープル宮廷にも介入しルフィヌス、エウトロピョオスといった、反スティリコ派の人物を粛正もしている。スティリコは5世紀に入るとイタリアに侵入した西ゴート族を撃退し、首都をメディオラムからラヴェンナに移している。
 しかし、皇帝のホノリウスはスティリコが西ゴート族と内通していると疑い、スティリコを処刑した。その為にスティリコ派のゲルマン人傭兵が西ゴート王アラリック1世に庇護を求め、それを利用したアラリック1世にローマは一時的に占領され、略奪を受けてしまう。またブリタニアの反乱により、ケルト人が自治権を獲得し、ローマはブリテン島から撤退している。ホノリウスの時代のガリアやイスパニアは混乱しており、ブリタニア軍団を率いたコンスタンティヌスを代表とする前後して7人もの皇帝僭称者が帝位を巡って西ローマに反乱を起こしていた。また、西ゴート族に対応する為に国境警備が手薄になった為、スウェヴィ族、ヴァンダル族等もガリアに侵入しており、この地域では西ローマ帝国の統治権がほとんど及んでいなかった。

ヴァレンティニアヌス3世の時代(425〜455)
 ヴァレンティニアヌス3世は、ホノリウスの死後、東ローマ帝国の援助の元に対立皇帝ヨハンネスを排除し、皇帝に即位した。しかし、国内はフン族の後ろ盾を持つアエティウスとアフリカ軍司令官ボニファティウスの対立で不安定な状況にあった。
 ボニファティウスはアエティウスに対抗するために、当時スペインまで移動していたヴァンダル族をアフリカに侵入させた。ヴァンダル王ガイセリックは巧みな軍事的外交的手腕によりアフリカからローマ軍を駆逐し442年には正式に、カルタゴの領有を認められている。さらに東帝国に撃退されたフン族がガリア、ついでイタリアに侵入した。アエティウスは西ゴート族、フランク族などの力を利用しカタラウヌムの戦いでこれを撃退した。しかし、アエティウスの野心を疑ったヴァレンティニアヌス3世は、フン族の後ろ盾を失ったアエティウスを殺害した。その後、ヴァレンティニアヌス3世はアエティウス派の生き残りに暗殺され、テオドシウス朝は断絶した。

アルカディウスの時代(395〜408)
 アルカディウス帝は反スティリコ派のルフィヌスに、その死後は宦官のエウトロピョオスに政治を委ねていたが、両者ともスティリコに粛正された。しかし、常に西ローマ帝国とは国境を巡り不仲だった。
 東ローマ帝国内には当時アラリック1世を王とする西ゴート族が存在して、テオドシウスの死により弱体化した領内を略奪した。アルカディウス帝は西ローマのスティリコを指揮官に任じアラリックと戦わせたが、戦いの途中で東ローマ軍を退却させた為、西ゴート族は西ローマに移住していった。

テオドシウス2世の時代(408〜450)
 テオドシウス2世の時代に権力を持っていたのはテオドシウス2世の姉プルケリアであった。当初はササン朝と良好な関係にあったが、ササン朝でバーラム5世が即位すると抗争を始め、最終的にアルメニアを分割して決着した。
 また、ホノリウスの死で空位となった西ローマ帝国を屈服させ従兄弟のヴァレンティニアヌス3世を即位させた。しかし、その際の取り決めにより、東西両帝国の分割は政治的なつながりをほぼ失った。
 一方、アッティラが王となっていたフン族が、このころから東ローマに対して貢納を要求し、しばしば国境を越えて領内を略奪した。これに対して当初はフン族の要求を認めていたが、結局フン族が西進することでフン族の脅威はなくなった。

マルキアヌス帝〜ゼノン帝の時代(450〜491)
 マルキアヌスは前述のプルケリアと結婚することで帝位に登った。
 マルキアヌスの死後皇帝となったレオ1世はアンテミウス、ユリウス=ネポスの二人を皇帝として西ローマに送り込み、またアフリカのヴァンダル族とも戦い西ローマ帝国に勢力を伸ばそうとした。しかしアンテミウスはリキメールに殺害されユリウス=ネポスもオレステスに破れ帝位を失った。またヴァンダル族との戦いにも敗れ、シチリア島を奪われた。
 レオ1世に次いで登位したゼノンの時代に西ローマは滅亡した。ゼノンは当初オドアケルをイタリアの王として認めたが後に東ゴート王テオドリック1世を派遣してテオドリック1世にイタリアの支配権を与えた。

帝国内のゲルマン人

 ゲルマン人は375年の西ゴート族の移動以前に、すでにローマ帝国内に移住したものも少なくなかった。ローマ帝国の傭兵として軍隊に、そして4世紀以降は政治の実権も握るものも現れる。代表例はスティリコだが、他にも350年に皇帝位を奪ったマグネンティウスや392年にエウゲニウスを擁立したアルボガステスなども含まれる。これらのゲルマン人はローマの教養を身につけローマ人以上にローマ的な思考を身につけていたとされる。
 当時のローマはこのようなゲルマン人の力無くしては成り立たない状況だった。しかし、スティリコが粛正されてからはゲルマン人に対する反発が強まり、ヴァレンティニアヌス3世の時代まで、有能なゲルマン人が政治、軍事に関わらなくなってしまう。そのことが西ローマの軍事的、政治的弱体化を決定的にしたのである。

 西ゴート族やフランク族などは形式的にはローマの同盟国(ローマの同盟国は実質的には属国)として、ローマに軍団を提供することを条件に、ローマ領内に居住することを認められた。このようなゲルマン人国家はホノリウス帝、ヴァレンティニアヌス3世帝の時代には大きな地位を占めるようになった。スティリコはこれらのゲルマン人国家を認め、利用することでローマの安全を保とうとしたようである。
 スティリコの死後も軍司令官コンスタンティウス(後にホノリウスと同格の正帝に昇進)は、西ゴート族とスウェヴィ族を戦わせ、西ゴート族がスウェヴィ族を滅ぼしそうになると戦闘を中止させている。このような政策の最大の例はカタラウヌムの戦いにフランク族や西ゴート族を参加させたことだろう。このようなゲルマン人たちはローマ法をそのまま残して、ローマの名の下に統治したのである。実質的にはこれらのゲルマン人国家は独立国だが、名目上は西ローマ(その滅亡後は東ローマ)の属国であった。フランク王クローヴィス1世が東ローマ帝国にコンスルに任命されたのはこの端的な例である。

蛮族の王が与えた影響

 アラリック1世のローマ市占領は、帝国衰退を示す象徴的出来事だった。
 首都はすでにローマからラヴェンナ(その前はメディオラム)に移っていたし、ローマ市はその後すぐに復興するのだが、それでもこの事件は重大な意味を持っている。ローマ市の陥落は、実質的な損害として帝国に大きな打撃を与える程ではなかったにもかかわらず、多くの人々(特に知識人階級)に帝国の滅亡と捉えられた。西ゴート族自体はアフリカに渡ろうとして失敗し、アラリック1世の死後は親ローマ的なアドルフスが即位し、ローマの同盟国として、ガリアやイスパニアで皇帝の名の下に西ゴート族の支配を確立した。
 実質的にローマに与えた損害はこのアドルフス以降の時代の方が大きいだろう。しかしアラリック1世がローマを占領するまでの西ローマ帝国の現実を無視した対応やホノリウス帝のこの事態に関する無関心などは帝国は滅亡に向かっていることを示していた。

 ガイセリックは、初めて完全な独立を勝ち取ったゲルマン王である。
 それまでのゲルマン人国家はローマ帝国の承認により、ローマ帝国の名の下に居住を認められていたのである。西ゴート族を初めとする、ヴァンダル族以外のゲルマン系諸国は、西ローマ帝国が完全に統治力を失ってから、初めて完全な独立国となっている。
 しかし、ヴァンダル族はローマを実力で排除し、ローマの承認を受けずにアフリカに建国した。ヴァンダル族はカルタゴ占領後も、東西ローマ帝国とたびたび戦端を開いている。456年にはローマを占領し略奪を行った。ガイセリックはマヨリアヌス帝やレオ1世のローマ軍との戦いにも打ち勝ち、西地中海に覇権を確立した。ローマの食料供給地であるアフリカとシリアを押さえ、ガイセリックはたびたび西ローマ帝国沿岸を略奪し、帝国に実質的な脅威を与え続けていたのである。

 アッティラの時代にフン族は東西両ローマ帝国に大きな脅威を与えていた。はじめは東ローマ帝国やササン朝に圧力を加えていたが、テオドシウス2世の懐柔策により、西ローマ帝国に矛先を転じた。
 フン族は最終的にアエティウスの率いるローマ軍に破れ、アラリックの死により瓦解する。しかし、そのことにより歯止めの利かなくなった東ゴート族や西ゴート族の一部が新たに帝国内に移住するようになる。
 また、西ローマ帝国内でもフン帝国の消滅によりアエティウスが力を失い、皇帝に誅殺されている。アエティウスはフン族を利用することで自らの帝国内の地位を高め、またそのことによってローマをフン族から守っていた。カタラウヌムの戦いの勝利は西ローマ帝国の寿命を引き延ばしたが、国力の回復にはつながらなかった。

東西ローマ帝国の関係

 395年の東西分割は、本来完全な分離を目指したものではなかった。スティリコの存命中は、マケドニアやダルマティアの帰属を巡って争っていたにもかかわらず、東西ローマの連合軍が西ゴート族に対して軍事行動を起こしたこともあった。
 しかし、ホノリウス帝の死で西ローマ帝位が空位になった際、東ローマ軍がラヴェンナを制圧した。このような場合は、当時東ローマ皇帝だったテオドシウス2世が統一皇帝となるのが通例だったが、実際にはホノリウスの甥でテオドシウス2世の従兄弟でもある、ヴァレンティニアヌス3世が西方帝として即位した。
 この時の取り決めで、両国が政治的に完全に独立した存在であることが確認された。西ローマ帝国が統治能力を失ったときも、東ローマ皇帝だったレオ1世は皇帝を擁立するだけで実際にイタリアを統治しようとはしなかった。
  東西ローマ帝国は軍事上、連携をとることをしなかった。東ローマ帝国は、西ゴート族や、フン族の矛先を西ローマ帝国に変えさせたが、西ローマ帝国に満足な援軍は送らなかった。ヴァンダル族に対しては、東ローマ帝国が援軍を送ったこともあるが、単独で東ローマとヴァンダル族が和平を結ぶなどで大きな効果は上がらなかった。
 テオドシウスの分割はこれまでの分割と違い、両国の分離を決定的にした。特に皇帝の選出をそれぞれの宮廷が独自に行ったことの持つ意味が大きい。東ローマ帝国では、アルカディウスの死後、西ローマ皇帝ホノリウスに頼らずテオドシウス2世を即位させた。これ以後、それまでは多少はあった両国のつながりが、ほぼ完全になくなるのである。

ヴァレンティニアヌス3世死後の西ローマ帝国(455〜476)

 これ以降の西ローマ帝国は、実権を握るゲルマン人が次々と皇帝を即位させる時代になる。まずヴァレンティニアヌス3世を殺害したとされる、マクシムス帝が即位。ヴァンダル族の来寇後、アヴィトゥス帝が西ゴート族の援助の元に即位。ついでゲルマン人リキメールの意のままにマヨリアヌス帝、セヴェルス帝、アンテミウス帝が位につく。
 リキメールの死後はブルグント族王子グントバトの推すグリュケリウス帝と東ローマ皇帝レオ1世の推すユリウス=ネポス帝が争い、その後傭兵オレステスにより最後の皇帝ロムルス=アウグストゥルス帝が即位した。
 そしてオドアケルはオレステスを殺害し皇帝を退位させた。オドアケルはリキメールやグントバトのように傀儡皇帝をたてるのではなく、西ローマ皇帝位を東ローマ皇帝ゼノンに返還し、かつてガリアやイスパニアであったようにローマ皇帝の名の下にイタリアを統治したのである。
 その後、西ローマ皇帝を自称していたユリウス=ネポスがグリュケリウスに暗殺されたため、形式的には東ローマ皇帝ゼノンの元でローマは再び統一されたのである。

−末期西ローマ帝国皇帝−

マクシムス 455
アヴィトゥス 455〜456
マヨリアヌス 457〜461
セヴェルス 461〜465
アンテミウス 467〜472
オリュブリウス 472
グリュケリウス 473〜474
ユリウス=ネポス 474〜475
ロムルス=アウグストゥルス 475〜476

 西ローマ滅亡の主たる原因だとまでは断言出来ないが、ホノリウスやヴァレンティニアヌス3世が保身のためにスティリコやアエティウスを粛正したのがその理由の一つとして挙げることが出来るのではないだろうか?極端な言い方をすれば、スティリコやアエティウスが皇帝にならなかったことが西ローマの滅亡につながったとも考えられる。
 ヴァレンティニアヌス3世の死後、西ローマ帝国は各地のゲルマン人に対する歯止めが全く利かなくなり、実際にローマ人が支配している地域、あるいは統治しているゲルマン人をコントロールできる地域がほとんど存在しなくなる。少なくともアエティウスの存命中はローマはこれらのゲルマン人国家をある程度コントロール出来ていた。ヴァレンティニアヌス3世の時代を最後に、ローマ帝国は西部では名目だけの存在となってしまうのである。


【関連年表】

375年 西ゴート族、フン族に追われ移住を開始
379年 テオドシウス帝、東ローマ皇帝に即位
382年 西ゴート族、トラキアに居住を認められる
394年 テオドシウス1世、ローマを再統一
395年 ローマ東西に分割
401年 アラリック1世、ミラノ包囲
407年 ヴァンダル族、スウェヴィ族、アラン族がガリアに侵入開始
408年 スティリコの粛正
410年 アラリック1世、ローマを占領
425年 ヴァレンティニアヌス3世、東ローマの援助で即位
429年 ヴァンダル族、アフリカに侵入
439年 ヴァンダル族、カルタゴを占領
442年 ガイセリック、西ローマと和平
445年 アッティラ、フン王となる
451年 カタラウヌムの戦い
452年 フン族、イタリアから撤退
453年 アッティラの死により、フン帝国解体
456年 ガイセリック、ローマを略奪
457年 リキメール、西ローマ帝国の実権を掌握(〜472)
476年 オドアケル、西
ローマ帝国を滅ぼす

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