ローマ帝国史略


第三章 蛮族による帝国の破壊

(1)ガイセリックのアフリカ占領
 これまで見たように、蛮族は常にローマと争っていたわけでなく、ローマの枠組みに組み込まれ、ローマの影響下で共存しようとしていた。ローマの権威はアラリックの引き起こした重大な事件以降も未だ失われず、ゲルマン人はその権威に服することを甘んじて受け入れていた。
 ヴァンダル族もそういった部族の一つだった。ヴァンダル族はアスティングとシリングという二つの部族から構成されていた。後にヴァンダル王国を建国することになる、ガイセリックはアスティング系ヴァンダル族の王である。
 406年の大侵入でアラン族、*17スウェヴィ族等と共にガリアに移住したヴァンダル族は409年にはイスパニアに定住し、ローマ政府と同盟部族条約を結んだ。
 しかし、418年西ゴート王ワリアとスウェヴィ族の連合軍にシリング系のヴァンダル族とアラン族は大敗する。これにより、シリング系ヴァンダル族はアスティング系の部族の元に統合される。
 428年、ヴァンダル王グンデリックが死ぬと、義弟だったガイセリックが王位を継ぐ。ガイセリックは5世紀の蛮族の王の中でも最も傑出した人物の一人である。ガイセリックが王になったことにより、ヴァンダル族はローマに対する協調姿勢を完全に捨て去ってしまう。
 ガイセリックが王位についた翌年の429年、ガイセリックの指揮の元にヴァンダル族とアラン族は、スウェヴィ族の追撃を撃破し、ジブラルタル海峡を越えアフリカに渡った。
 アフリカはローマの穀倉地帯で、西ローマ帝国の重要な属州だった。3世紀における軍人皇帝時代においても比較的安定した属州の一つだった。この時代においても未だ蛮族の侵入を経験していなかった数少ない属州の一つである。
 しかし、当時のアフリカ総督のボニファティウスは西ローマ政府のアエティウスと不仲でヴァレンティニアヌス3世の即位時には反乱を起こしたこともある人物だった。ボニファティウスは母后ガッラ・プラキディアとも不仲になり、アエティウスと西ローマ帝国の実権を巡って対立していた。このボニファティウスがヴァンダル族をアフリカに引き入れといわれている。ボニファティウスがヴァンダル族に送ったとされる書簡には、グンデリック、ガイセリック、ボニファティウスの三者でアフリカを分割支配しようと書かれたと言われている。真否は判然としないが、これが事実であってもそうでなくてもヴァンダル族の侵入が起こったのは間違いないだろう。
 このようなアフリカと中央政府の不仲を利用し、ヴァンダル族はアフリカを東進し430年にはボニファティウスやアウグスティヌスの守るヒッポを、そして439年にはカルタゴを占領し、カルタゴを首都にヴァンダル族の王国を建設し、西ローマ政府もそれを正式に認めさせられた。455年にガイセリックは、テオドシウス朝断絶後の混乱を利用してローマ市を占領し、略奪を行っている。
 ローマ側もこの状況を座視していたわけではない。マヨリアヌス帝はアフリカ遠征を計画し、アンテミウス帝は東ローマ帝国の援助の元に実際にアフリカに軍隊を派遣した。しかし、これらの動きは全て失敗に終わり、逆にガイセリックの反撃によってシチリア島を占領されてしまう。
 ヴァンダル族は最もローマに対し敵対的だったゲルマン部族だった。西ゴート族がローマに妥協的だったのとは対照的である。西ゴート族のアラリック1世やアタウルフはローマ帝国の枠組みの中で最大限の利益を得ようとしていた。その為にはローマ帝国に協力したこともある。しかし、ガイセリックはローマの権威を一切認めなかった。同盟部族条約を結ぶというローマの権威を認める方法をガイセリックはとろうとはしなかった。ガイセリックは東ローマ帝国の部将アスパルと密約を結ぶことで自国の安全を確保し、西ローマ帝国に独立国家の建設を承認させた。
 ヴァンダル族はローマ帝国内において初めて完全な独立国を建国し、ローマ帝国に最も屈辱的で手痛い打撃を与えた。西ローマ帝国の食料供給地であるアフリカを奪われたことの意味はきわめて大きい。アヴィトゥス帝の時代には、ヴァンダル族が食料の輸出を停止したために飢饉が起こっている。
 コンスタンティウスやアエティウスがガリアやイスパニアで建設した秩序はアフリカでは全く通用しなかった。477年ガイセリックが死んだ時には、イタリア半島の支配者はローマ帝国ではなくなっていた。ヴァンダル族によって西ローマ帝国は回復することの出来ない打撃を受けたのである。

(2)フン族の侵入
 フン族はゲルマン人がローマに侵入するきっかけを作った民族である。フン族が中央アジアから移動して374年に東ゴート族を屈服させたことが引き金となり、西ゴート族はローマ領内への移動を開始したのである。その後もフン族は西進を続けた。フン族はゲルマン人にとっての恐るべき敵だっただけではなく、ローマ帝国にも侵入を繰り返した。テオドシウス2世時代の東ローマ帝国はフン族に対する貢納金の支払いが大きな負担になっていた。
 しかし、西ローマ帝国とは比較的友好関係を保っていた。ウルディン王時代のフン族は、西ローマ帝国と同盟部族条約を結び、しばしば軍隊を派遣し西ローマ政府に協力していた。ウルディンはローマ政府から官位と貢納金を得ていた。アッティラの時代も当初はアエティウスとの個人的な関係もあり、連携は保たれていた。アエティウスのローマ軍とフン族の連合軍がブルグント族に壊滅的な打撃を与えたこともある。
 アエティウスは「最後のローマ人」と言われる人物である。若い頃は、西ゴート族のアラリック1世に人質として送られ、その後フン族の人質となりアッティラとも親交があった。帰国したアエティウスは、430年にボニファティウスとの政争に勝利し、西ローマ帝国の実権を握る。その後もアエティウスが長年にわたって権力を保持する事が出来たのは、このフン族の軍事的後ろ盾があったからである。
 アッティラは東ローマ帝国やササン朝ペルシアに軍事的圧力を加え貢納金を受け取っていた。しかし、テオドシウス2世の死後、プルケリア*18に指名されたマルキアヌスが東ローマ皇帝位に就くと、マルキアヌス帝は貢納金の支払いを停止し、フン族との対決姿勢を明確にした。
 アッティラは軍事的には東ローマ帝国よりも弱体である、西ローマ帝国に侵略の手を伸ばし、フン族の軍隊はガリアに侵入しいくつかの都市を略奪した。
 これに対して、アエティウスは西ゴート族やフランク族などの蛮族と協力し、451年、ガリア北部のトロワ近くにおけるカタラウヌムの戦いでフン族を撃退する。西ゴート族はこの戦いで、王であるテオドリック1世が戦死している。ついでフン族は翌452年、北イタリアに侵入し、メディオラムを含む諸都市を略奪した。ローマ教皇レオ1世はアッティラと交渉し、イタリアからフン族を退却させることに成功する。*19
 アッティラが453年に病死すると、フン族の国家は崩壊した。東ゴート族やゲヴィデ族などの部族がフン族から自立することになり、新しい問題が生まれたが、西ローマ帝国の危機はとりあえず去った。
 カタラウヌムの戦いの勝利は、西ローマ帝国における最後の輝かしい事件だった。強大な敵であるフン族を蛮族とローマが協力して打ち破ったのである。コンスタンティウスの築いた蛮族との連携はアエティウスの時代にも失われてはいなかった。
 しかし、この勝利は西ローマ帝国の再生を意味するものではなかった。アフリカのヴァンダル族はもはやローマ帝国の権威を全く認めようとはしていなかった。ガリアにおいて確立された、蛮族とローマの協調はアフリカにおいては意味をなさなかった。
 また、アエティウスもフン族の崩壊により自らの勢力基盤を失った。アエティウスは息子ガウガンディウスを、ヴァレンティニアヌス3世の皇女エウドキア*20と結婚させ帝位を狙っていると考えられていた。アエティウスの野心を疑ったヴァレンティニアヌス3世は、アエティウスを自らの手で惨殺した。
 カタラウヌムの勝利は西ローマ帝国の寿命を延ばすことにはなったが、西ローマ帝国はその勝利を活用することは出来なかった。ヴァレンティニアヌス3世が功労者アエティウスを殺したのは、自分自身にとっても*21ローマ帝国にとっても自殺行為になってしまう。

(3)アエティウス死後の蛮族
 ヴァレンティニアヌス3世時代の西ローマはアエティウスの努力によって崩壊を免れていた。しかし、アエティウスとヴァレンティニアヌス3世の関係はフン帝国の崩壊以降急速に悪化し、アエティウスはヴァレンティニアヌス3世に惨殺される。このことは西ローマ帝国の致命的な打撃となった。
 このようなローマ帝国の混乱を利用したガイセリックがイタリアに艦隊を進め上陸すると、マクシムス帝はローマ市民に殺害され、ローマ市はヴァンダル族に占領され再び略奪される。
 ガリアでも西ゴート族がローマに反旗を翻した。エウリックが王位につくとそれまでのローマに対する協力姿勢を放棄しガリア、イスパニアの諸都市を占拠した。西ローマ帝国もフランク族やブルグント族の協力の下にこれに対抗したが失敗に終わる。
 ローマ政府自体も混迷を深める。456年以降はリキメールが実権を握り、何人もの皇帝を擁立する。リキメールは東ローマ皇帝からパトリキウスの称号を得、アヴィトゥス帝を廃位した後、マヨリアヌス帝、セヴェルス帝、アンテミウス帝、オリュブリウス帝を次々に擁立し西ローマ帝国を統治した。リキメールの死後は、リキメールの甥であるブルグント王子グントバトが西ローマ帝国の実権を握りグリュケリウス帝を擁立して、東ローマ帝国のレオ1世が送り込んだユリウス・ネポス帝と争った。オレステスが最後の皇帝であるロムルス・アウグストゥルス帝を即位させると、476年ゲルマン人部族兵がイタリアでの土地分割を要求する反乱を起こした。ゲルマン人の王として選ばれたオドアケルはオレステスを殺して、ロムルス・アウグストゥルス帝を退位させ、東ローマ帝国に皇帝位を返還した。
 ヴァレンティニアヌス3世の死後、西ローマ帝国は政治的な混迷を深めた。ヴァンダル族の来寇は、アラリック1世のローマ市占領以上に帝国の滅亡を象徴する事件だった。事実それ以降の西ローマ帝国は有能無能以前の問題として、まともな権力を持った皇帝は存在しなくなった。ユリウス・ネポス帝の時代にはヴァンダル族だけではなく、西ゴート族もエウリック王の元で、ローマ帝国から分離独立する。ブルグント族は未だ同盟部族だったが、もはや皇帝の権力はイタリア半島以外には及ばなくなっていた。イタリアにおいても皇帝はリキメール、グントバト、オレステスといったゲルマン人のパトリキウス、あるいは東ローマ皇帝レオ1世の傀儡にすぎなかった。
 476年以前に、滅ぶべき西ローマ帝国などは存在していなかった。476年の事件が意味することは、蛮族がイタリア半島という新しい定住地を獲得したというだけのことである。


*17ゲルマン人ではなくイラン系の部族。ヴァンダル族に従って移動する。ヴァンダル族の王は「ヴァンダルとアランの王」と名乗っていた。
*18テオドシウス2世の姉。
*19伝説によればレオ1世はアッティラに破門を宣告し、それを恐れたアッティラが退却したことになっている。しかし、おそらくはフン族軍隊内の悪疫流行が退却の真因だろう。なお、紛らわしいが東ローマ皇帝レオ1世と、この教皇レオ1世は別人である。
*20エウドキアの妹のプラキディアとする説もある。

*21アエティウス派の報復によりヴァレンティニアヌス3世も暗殺されている。次の皇帝であるマクシムス帝もヴァレンティニアヌス3世を殺害した一人といわれている。

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