THE DAILY YOMIURI Oct.13
(10月13日付けデイリー読売  訳:チッソ水俣病関西訴訟を支える会)
水俣患者の苦悩を描いた英語版ビデオドキュメント
デイリィー読売記者 黒岩 竹志

 水俣病患者を支援するグループが、最近、国と熊本県に対して損害賠償請求訴訟を闘っている患者を撮ったビデオの英語版を発表した。
 これは、水俣病(熊本県水俣湾に流された水銀汚染によって起こった病気)の拡大防止をしなかった国の責任を求めた関西訴訟原告のことを伝えるビデオ「45年目の水俣病」を、英語字幕と吹き替えをしたものである。チッソ水俣病関西訴訟を支える会が作成したこの映像は、水俣地区の穏やかな海岸の風景を映し出しながら、水俣湾沿岸住民や転出者が蒙った中毒症状を含め様々な苦しい経験を描いている。
 今年4月、大阪高等裁判所は、国・熊本県に、水俣病の拡大防止をしなかった責任を認め、原告らに賠償することを命じた。しかし政府は、翌月、最高裁判所に上告した。
 最近行なわれた東京の記者会見で、横田憲一氏(支える会世話人)は、「原告の平均年齢は70歳を超え、これ以上長期の裁判には耐えられない」と話し、日本政府が一度決定した上告を取下げるためには、「海外からの圧力」を得る必要があると、フィルムの英語版を発表した目的を指摘した。
 さらに、彼は、10月15日−19日に水俣で開かれる第6回国際水銀会議でこのビデオが上映されることを望むと語った。会議には国内外から数百名の研究者が参加し、様々な催しが計画されている。
 水俣病は、1956年に公式に認められた。それ以来、約21,500名の被害者が水俣病の認定を求めて申請したが、今年の8月までに認定されたのはわずか2,955名のみである。
 症状を抱えたまま、1960年代後半に水俣湾エリアから家族と共に関西地区に移住した人々がいる。
 関西訴訟と同様に、地元の人たちや各地に移住した人々が国とチッソ(本社:東京、水俣工場から水銀が水俣湾に流されていた)に対して補償を求めるいくつかの訴訟を起こした。
 一連の訴訟の経過後、多くの原告は老齢化と残り時間が少ないことに鑑みて、1996年5月、国の解決策を受け入れた。その和解では、患者は認定申請を取下げ、訴訟を取下げることを条件に、チッソが各原告に一人あたり260万円を支払うことになった。
 しかし、関西訴訟の原告は、解決策が国と県の責任を明確にしていないため、これを拒否し、訴訟を継続していた。
 この映像は、水俣病研究グループの発言から始まる。「被害者が、心から話ができると感じるようになることが重要です」と支援者の一人は言う。「自分の病気を秘密にしなければならないようではダメなんです。」
 最初の頃、住民は、水俣病が伝染性であると信じていた。
 このビデオの一つのポイントに、昔水俣湾地区に住んでいた坂本美代子さんの思い出話がある。水俣病が起こるまでは、地域の人たちは共同井戸を使って水を汲んでいたが、彼女の姉が症状を示し始めた時、家族は井戸を使用することを断られた。
 「おばさんから、『あんたの家族に伝染病がいるから村から出ていってくれ』と言われたんです。」 また、買い物をした店で、自分が払ったお金を目の前で洗われたことも話している。
 排水中の汚染物質によって漁業が衰退したため、多くの人々が苦しい経験を持ったまま故郷を離れた。
 ビデオでは、多くの水俣病患者を診察している村田三郎医師は、病気のもつもう一つの問題を指摘している。それは、その苦しさが必ずしも目に見えるものだけではないということだ。大多数の患者は、ひどい頭痛と感覚が鈍いという症状で苦しんでおり、それが慢性型の症状の特徴だと村田医師は言う。
 このビデオのもう一つの特色は、このような被害を繰り返さないために、関西の小学校を訪問して体験を語り継ぐ原告の姿を収めていることである。
 しかしながら、それでもその大半は、関西においてさえ自分が水俣病の患者であることを隠している。「子供と孫がいるので、私は未だに水俣病だと言うことができないのです。」と一人の女性患者は言う。

日本語版及び英語版ビデオは、チッソ水俣病関西訴訟を支える会から入手できます。
ファックス番号:06‐6328-0937、あるいは電子メールaah07310@pop02.odn.ne.jpに問い合わせてください。価格は送料を含めて¥3,270です。

英文ビデオ紹介

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