国・熊本県が水俣病被害の拡大を防止しなかった責任

原告側
国と熊本県は,チッソ工場の排水が水俣病の原因であると把握した時点で規制権限を適切に行使すれば、未曾有の被害の拡大を防止できたにもかかわらずそれらを怠り続けた。1957年夏には、有害物質を含む食品の採取や販売を禁じた食品衛生法に基づき、漁獲を禁じる義務があった。国は水質二法(水質保全法,工場排水規制法)により、水俣湾を指定水域として水質基準を定め、また熊本県は漁業調整規則で、チッソの排水を規制するすべきであった。

被告側
水俣湾内のすべての魚介類が有毒とはいえず,原因物質も特定できなかった。食品衛生法適用の要件も満たされていなかった。汚染物質が特定できなかったことにより、水質規制や排水規制はできなかった。




■判決
1957年の時点では、水俣病の原因物質が不明であり、また個々の魚介類の有毒性を判断できなかったため食品衛生法の要件に該当しなかった。1959年3月段階では水俣病の原因物質はまだ不明で、水質保全法と工場排水規制法による規制は、水銀分析定量の限界から見て実践可能ではなかった。


■判決の問題点
本判決は、国・県の責任に関しては「原因物質の特定」や「科学的合理的因果関係の確定」が不可欠であるとして原告の訴えを一蹴しています。しかし、1973年3月の(チッソを被告とした熊本水俣病第一次訴訟の)熊本地裁判決は「(特定の原因物質の生成は予見できなかったとして無過失を主張したチッソの)考えをおしすすめると、環境が破壊され、住民の生命・健康に危害が及んで、はじめてその危険性が実証されるという……住民をいわば人体実験に供することにもなるから、明らかに不当といわざるをえない」として厳しく排斥しています。今回の判決は、チッソと同じ自己免責論を主張した国・熊本県の「人体実験の論理」をそのまま認めているのです。国・熊本県の法的責任については、熊本水俣病国賠訴訟第一陣の1987年3月の熊本地裁判決は下記のように断じています。

「国・熊本県は,昭和32年(1957年)9月頃から遅くとも昭和34年(1959年)11月頃には、チッソ水俣工場排水の排出停止及び汚染魚介類の採捕、販売停止の措置を講ずべき法的義務が発生していたといわざるを得ない。行政庁は個々の国民の生命、健康の重大な危害が切迫している場合、積極的に危害の発生を防止及び排除するのに役立つ各種法規の規制権限を行使し、強力な行政指導を行う等、できる限りの可能な手段を尽くして危害の発生を防止する義務があるといわねばならない。よって、国・熊本県は、漁獲・販売等の禁止及び工場排水の排出停止等の規制権限を行使すべきであったのに、行使せず原告らに損害を与えたので、国・熊本県は賠償する責任があるといわざるを得ない。」

水 俣 病 の 病 像

原告側
有機水銀に汚染された不知火海沿岸の魚貝類を多食した経歴があり、手・足の感覚障害など水俣病特有の症状が一つでもある患者は、認定すべきである。

被告側
有機水銀中毒の主要な症状の組み合わせを必要とする現在の認定基準は妥当である。


■判決
今や、劇症型の患者はほとんどいないので水俣病であるかどうかの鑑別診断は困難となっている。その場合ボーダーラインを引いてしまうと、救済を受けるものとそうでないものとに分けられてしまうので、有機水銀暴露歴を有する者の症状が水俣病である可能性は0%から100%まで連続的に分布しているという考え方をとることにする。よって、原告患者らの水俣病の可能性は15%から40%であるからそれに応じて慰謝料は300万円から800万円とした。


■判決の問題点
判決がなぜ、原告患者の水俣病である可能性が、15%から40%としたのかその根拠はまったく示していません。そもそも水俣病をパーセントで表すこと自体が間違っています。水俣病であるのかないのかどちらかしかありません。不知火海沿岸に住み,汚染された魚貝類を多食して、水俣病特有の健康障害を持っているもの、つまり原告患者全員が水俣病患者なのです。

原告らは賠償請求額を一律3,000万円(死亡及び寝たきり要介護者は5,000万円)としていました。判決は、水俣病である可能性が非常に高い場合の慰謝料を2,000万円と決め(その根拠は示していません)、そこから各原告の水俣病にかかっている可能性のパーセントを乗じた結果、認容額は300万円から800万円の4段階となりました。

これは行政責任が争われた水俣病訴訟で、1992年以降に出された各地裁判決の認容額や福岡高裁の和解案提示額とほぼ同じ水準になります。これからも判るように大阪地裁判決が採用した確率論(パーセント)は、最高金額を800万円にするための,とってつけた理屈としか考えられません。

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