1970年 |
7月18日
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後藤孝典弁護士、「東京・水俣病を告発する会」7月例会で「大阪で開かれる株主総会に乗り込み、患者の思いを社長にぶつけよう」と一株株主運動を提唱。全国的な運動に発展する。 |
7月下旬
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後藤弁護士、大阪・沖縄連帯の会 (デイゴの会)に、チッソ株主総会行動の受け入れ組織作りを要請。
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8月上旬
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大阪・水俣病を告発する会発足。 |
11月27日
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株主総会参加のため、患者さん支援者ら25名が、白装束にて大阪駅に到着。大阪・水俣病を告発する会の会員三百名、黒地に「怨」を染め抜いた黒旗をひるがえして出迎え。
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11月28日
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チッソ株主総会(大阪・厚生年金会館)に、患者・支援者ら1700余名結集。{この総会を契機として関西在住水俣病患者さんの存在を知る}
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1973年 |
1月4日
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在阪未認定患者の初会合(太融寺) |
1月24日
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大阪府交渉開始(〜8月)。黒田了一知事との交渉で、水俣病認定申請書を府庁及び府民センター各支部に置くことが決定。
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9月18日
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チッソ交渉開始(〜80年9月4日)
要求項目
- 安心して診てもらえる医療機関を確保せよ。
- 医療費の自己負担分を負担せよ。
- 水俣病認定検診受診のための旅費を全額負担せよ。
- 潜在患者の発見と救済に全力を尽くせ。
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1975年 |
3月下旬
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水俣病関西患者の会発足(会長 西川末松) |
1977年 |
-
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水俣病関西患者の会の働きかけにより、財団法人医療解放センター阪南中央病院、同会に窓口を開く。このことにより、日常診療と定期健康診断が実施される。 |
1979年 |
8月23日
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関西在住寝たきり患者の在宅検診実施について、上村千一郎環境庁長官と直接交渉。 |
9月17日
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県外で初めて寝たきり患者の在宅検診実施。(検診わずか20分、この検診だけで80年3月6日棄却)
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1979年 |
秋
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「水俣病法律問題研究会」発足。水俣病関西患者の会、大阪・水俣病告発する会が、松本健男弁護士をはじめ弁護士有志に、「国・熊本県・チッソを法的に撃つ手立てはないか」との相談をしたのが契機。 |
1980年 |
9月18日
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水俣病認定申請協議会が、「棄却理由をさがすための検診は拒否しよう」という、いわゆる検診否運動を開始。関西患者の会では、「上申書運動」を始める。「上申書運動」とは、弁護士が患者の代理人となって、主治医である阪南中央病院医師の診断報告書で認定審査をせよと、熊本・鹿児島県に要請した運動。 |
1982年 |
4月28日
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関西患者の会を母体として「チッソ水俣病関西訴訟原告団(団長岩本夏義)」結成。 |
10月28日
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チッソ水俣病関西訴訟提訴。 |