不服申立書
2004年6月24日
大阪検察審査会 御中
審査申立理由補充意見書
 
告発人   鎌田 学
被疑者   井形 昭弘
罪名   偽証罪
 
 告発人は、本日、上記事件についての大阪地方検察庁の平成15年12月25日付不起訴処分(以下 本件処分と略称する)に対して不服であるので審査申立を行うこととする。
  以下、不服理由を補充する。

〒113−0024 文京区西片1−17−4 ハイツ西方202 東京・水俣病を告発する会 内
告発人 鎌田 学

第1  本意見書の概要
1  告発人は告発理由の疎明資料を、既に甲号証として2001年10月12日付「告発状」に添付したが、告発人は告発状提出後に情報公開制度により「1991年中央公害対策審議会環境保健部会水俣病問題専門委員会」(以下 91年中公審という)の「議事速記録」(甲B第1号証 不服申立後の提出証拠の整理番号は、便宜Bの符合を付する。(以下、「91年議事録」という)を入手した。
  なお、新疎明資料の入手方法などについては、巻末の新資料『中央公害対策審議会環境保健部会水俣病問題専門委員会議事速記録』について、で詳しく述べた。
  この91年議事録は本件犯罪の疎明資料として極めて重要であるので、具体的に引用をして、不服理由を補充する。
2  本件告発の根本的な動機は、被疑者がその策定・作成に直接関与していた水俣病の認定基準である「後天性水俣病の判断条件について」(以下、単に「52年判断条件」と略称する)には医学的根拠・正当性がないのに、被疑者がこの「52年判断条件」は正当であると主張するために種々の虚偽の証言を行ったことにある。
  そこで、告発人は実質的にも、「52年判断条件」の根拠が薄弱であることを明らかにするために、これまでに「52年判断条件」の不当性が実際に問題となった水俣病認定棄却取消行政不服審査請求事件(以下、「不服審査」という)の概要や、その手続きで「52年判断条件」の不当性が処断されたいわゆる「逆転認定」の事例、水俣病民事訴訟の司法判断などについて、簡潔に説明を補充する。
   
第2  被疑者の偽証の要旨
 被疑者は、チッソ水俣病関西訴訟控訴審(以下、「関西訴訟」という)の法廷証言(以下、「証言」という)で、
1  「後天性水俣病の判断条件」に関する質問に対し、被疑者は原田正純医師とは同判断条件を作成・策定した事実はない。即ち、原田医師は関与していなかったにもかかわらず、「断っておきますが、これは原田先生と一緒に私がつくったものです。」と偽証した。
2  「証人自身は神経内科の専門医として試験を通っておられますか」、「いつ通りましたか」との質問に対し、被疑者は「通っています」と自己の経歴につき偽証した。
3  水俣病認定審査の検診項目の一つである「運動失調」の所見につき、どのような判断を行うべきかの取り決め有無に関する質問に対して、被疑者が参加した「水俣病認定審査に係る判断困難な事例の類型的考察に関する研究会」において取り決めがなされていたにも関わらず、被疑者は取り決めは「ありません」と偽証した。
4  不知火海の汚染魚介類を摂食した住民に「感覚障害」の症状が一つだけ認められれば水俣病の可能性があることは、既に1966年第63回日本内科学会において確認済みであり、このことは被疑者自身が1991年の中公審委員会で認めているにもかかわらず、この点に関する質問に対して被疑者は、「感覚障害一つだけであれば水俣病という可能性はでてこない」と偽証した。
   
第3  偽証の実害
1  被疑者の以上の4点の偽証は、告発人が2003年12月12日に東京地方検察庁で、大阪地方検察庁北川健太郎検事と告発状記載事項の確認を行った際に、同検事が「これらの被疑事実は、証拠物に基づき被疑者の発言が認められ、偽証の疑いがある。」旨の説明を受けたものである。
  そして告発人が告発状で主張していたその余の被疑事実については、同検事は「被疑事実と構成できないから、削除して欲しい」と言ったので、告発人は削除に同意した。
2  ところで水俣病の認定に関してこの4点は、これまで40年間の水俣病事件で常に問題とされ、一連の水俣病裁判において主な争点となってきた事項である。
  しかるに、被疑者の偽証は、水俣病の被害者住民の水俣病罹患を否定し、水俣病事件の加害者たる国・熊本県・チッソの責任を免責する決定的な影響を及ぼす意図的な偽証であり、偽証の実害・被害は測り知れないものがある。
  しかも、被疑者の証言の事情・地位・権威からも、この偽証は水俣病問題全体においても決定的な実害が生じている。
   
第4  不起訴処分が不当である理由
1  被疑事実 第1について
(1) 関西訴訟の原告の根本的な主張は「52年判断条件」には医学的根拠・正当性がないということであった。
  他方、被疑者はこの「52年判断条件」の策定・作成に重要な位置で直接関与していたものであるから、この正当性を主張したい立場にあった。
  そこで被疑者は「52年判断条件」の策定・作成に自分だけが関与していたという証言では不十分と考え、「52年判断条件」の正当性を根拠づけるために、同訴訟の一審で原告側が申請し、証人として証言した原田正純医師と共に同判断条件を作成したと偽証したのである。
  被疑者はこの偽証により、原告側証人医師も52年判断条件の作成に責任があり、正当性を認めていると、裁判所に確実な心証を抱かせたかったものである。
  被疑者は自己の偽証の意味を十分に知りながら、裁判を被疑者と被告国に有利な方向に導く意図をもって、裁判官に誤った心証形成を図るために偽証したものである。
(2) ところで、52年判断条件の正当性の有無が水俣病事件で決定的な意味をもつのは、以下のような事情が存在するからである。
  即ち、水俣病被害住民はチッソ水俣病関西訴訟のみならず、他の一連の水俣病訴訟や行政不服審査請求においても、自分たちを「魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経系疾患」(昭和46年8月7日 環境庁事務次官通知)の罹患者として認定を求めてきた。
  そして、関西訴訟の被告の処分庁(本書では水俣病認定申請の処分庁として熊本県知事をこのように記す)も、当初は熊本県の書類である『(秘)熊本県水俣湾産魚介類を多量摂取することによって起る食中毒について』(昭和34年10月熊本県)(甲第28号証)でも明らかな通り、水俣病事件は「食中毒事件」と認識していた。
  このことの事情は、さらに「水俣病の政治経済学」122〜150頁(径草書房:深井純一)(甲B第8号証)でも明らかである。
  従って、本来なら食品衛生法に基づいて処分庁側の保健所職員による住民悉皆調査が行われるべきであった。
  しかし、処分庁はこれをなさずに被害者本人による申請を求めた(以下、「本人申請制度」という。甲第30号証)。
  このために、被害者は被害の事実を認めて欲しいという請求と周辺住民からの差別、迫害の恐怖などとの葛藤に悩みつつ、申請提出を迷わなければならなかった(甲第30号証)。
(3) そして、この本人申請制度において処分庁が認定申請住民を棄却処分とする際に、棄却通知書において常に述べてきたことは、申請者の「有機水銀の曝露歴は認められる」が、棄却処分との結論に至ったのは「高度の学識を有し、経験豊富な専門家による審査会の答申に基づく」ということであった。
  この審査会の答申の内容とは、「(申請人の)有する症状は後天性水俣病の判断条件(いわゆる52年判断条件)に該当しない」というものである。
  そこで申請棄却患者らは常に、最終処分庁に対して「52年判断条件」は医学的根拠がまったくなく、且つ、最終処分庁の「処分」は「被害者の迅速かつ広汎な救済」を立法の目的・趣旨とする根本規定である「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」(以下、「救済法」という)に対して違背するものであると批判してきた。
(4) 「52年判断条件」に医学的根拠がないことの実例を挙げれば、居住歴・摂食状況など疫学条件が同一の家族内の複数申請者が、一方は水俣病として認定され、他方は「症状は頸椎変形や糖尿病等によるもので、水俣病ではない」と説明されて棄却されるという例が多発している。(甲第10号証)
(5) 「52年判断条件」を巡る論争の焦点は、処分庁が認定審査・処分にあたっての必要条件としている「四肢末端に優位に見られる特徴的な感覚障害」の解釈・判断をめぐるものでもあった。
(6) この問題に関する司法の判断は、「52年判断条件は被害の実態を反映しておらず」、「補償金を受給するに適する水俣病患者を選択する為の判断条件となっているものと評せざるを得ず」、「狭隘に失する」などと適正に判示し、各訴訟で訴訟原告患者の65%から100%を水俣病と認め、処分庁の認定制度の運用・棄却処分を批判してきた。(甲第7号証)
(7) しかし、被告の処分庁らはこれらの司法判断を常に無視して、「52年判断条件」は「権威ある水俣病医学の専門家」(被疑者を含む)らにより作成・策定されたものであり、その医学的正当性・妥当性は1985年に開催された「水俣病医学専門家会議」において追認されているものであるとの主張・弁解を繰り返してきた。
(8) この経緯で分かるように、これまで水俣病未認定問題において被害者が訴訟原告また行政不服審査請求人として批判し続け、更に、司法が被害事実の認定に基づき批判を重ねてきた争点の一つは、常に「52年判断条件」の医学的根拠の不存在であり、これに対して処分庁および環境庁(省)は常に52年判断条件を策定した医師委員(被疑者ら)の権威と専門性を根拠にその正当性を主張し続けてきたのである。
  したがって、被疑者の偽証は、これまで30年ちかい水俣病事件の違法処分、認定制度のゆがみの元凶を糊塗する重大な犯罪なのである。
(9) ところで被疑者は2001年10月11日付熊本日日新聞紙上で、本件告発について「原田先生と議論をして一緒につくったのは、小児水俣病判断条件のことで、証言に間違いはない。裁判の中で意図的な偽証はあり得ない」と弁解している。
  しかしこの弁解こそ、被疑者が法廷で事実と違うことを証言したことを曝露している。
(10) 被疑者はこのように、「52年判断条件」と、昭和56年の「小児水俣病の判断条件」とを取り違えて、「その策定に参加した」と証言したと弁解しているので、これらの点に関する被疑者の「認識」を明らかにして、このようなことがあり得ないことを説明しておく。
  即ち、被疑者は「91年議事録」の第2回会議(1991年5月30日開催)で、1981年の「小児水俣病の判断条件というのは、私が委員長で作った」(同議事録38頁)と発言している。
  そして他のところでは「小児水俣病に関してはトラブルが起こっていないのです」(「91年議事録」39頁)とも発言している。
  この被疑者の発言は、その「小児水俣病の判断条件」が策定(1981年)された10年後に行われたものである。
  従って被疑者は91年の時期にも、水俣病の一連の事件に関して正確な記憶を有していたことが明かである。
  しかも「小児水俣病の判断条件」は、1985年(昭和60年)医学専門家会議の議題にはなっていないので、被疑者が52年判断条件と混同するはずはないのである。
  ところで「後天性水俣病の判断条件について」(52年判断条件)は、環境保健部長通知として昭和52(1977)年に出されたので法廷でも「52年判断条件」(または「1977年判断条件」)という「用語」が用いられていたのであり、これまた56年(1981年)の小児性の判断条件と混同するはずもないのである。
  しかも他の訴訟や刊行物においても、この二つの「判断条件」は截然と区別されている。例えば富樫貞夫著『水俣病事件と法』(1995年・石風社)においても「1977年判断条件」と明確に表現されている。 
  事実、両日の関西訴訟の法廷でも、昭和56(1981)年に策定の「小児水俣病の判断条件」に関しては質問事項になったこともなく、「56年判断条件」または「1981年判断条件」の文言は両日の調書(甲第1号証、甲第6号証)にも記されていない。
  被疑者による偽証が行われた口頭弁論期日に先立つ1998年10月27日の口頭弁論での被疑者への質問は「52年判断条件」と明言され、限定されて行われている。
  被疑者により偽証が行われた12月8日の口頭弁論でも、控訴人訴訟代理人 弁護士田中泰雄が行った質問も、この「後天性水俣病の判断条件」に関するものだけであり、田中弁護士は「52年判断条件」の文書を被疑者に示して質問を行っていたので(甲第1号証)、被疑者が56年と混同・錯誤するはずは絶対にあり得ないのである。
  しかも「52年判断条件」と「小児水俣病判断条件」とは成立時期や内容も全く異なるものであるから、この点でも混同はあり得ない。
  従って、「小児水俣病の判断条件」策定に「委員長として」関与し、かつ、「91年中公審」当時の発言が示すごとき認識を有していた被疑者が、水俣病像をめぐるチッソ水俣病関西訴訟(また他の争訟)の争点を混同することはあり得ない。
  なお、52年判断条件の策定の為に環境庁(当時)が1975年5月に設置、同年6月より実際に医学者らを糾合し検討の開始を行った「水俣病認定検討会」には、原田正純医師が参画していなかったことは、告発人が告発状に記したとおりであり、甲第58号証の原田証言調書に明白である。
(11) 被疑者によるこの偽証は、これまで一連の水俣病裁判において原告申請の証人として証言してきた原田医師と一緒に52年判断条件を作成したとすることにより、原告代理人からの追求を逃れるために苦し紛れに行ったものであろう。
  そして、被疑者はこの明らかな偽証を、控訴審結審までに訂正していない。
  従ってこの被疑者の経歴・認識と記憶及び事実経過に違背する偽証は、被疑事実4の事項とも関連するので、厳重に処罰されなければならない。
2  被疑事実 第2について
 
(1) 被疑者は神経内科の専門医試験に合格した旨の偽証をしたものであるが、この偽証は被疑者の「専門家」「水俣病の権威者」としての評価、学識に関わる証言で、裁判官の心証形成に決定的な影響を与える危険性があった。
  ところが被疑者は「日本神経学会」の専門医資格を有していない。
  被疑者は「日本神経学会」による学会認定専門医試験を受験し合格した事実はない。(甲第2号証)
  被疑者が取得していたのは、日本神経学会の移行措置による、1989年(平成元年)の学会認定専門医である。
  被疑者は同学会の正規の試験を受験もしていなければ、合格もしていないのである。
  ところで日本神経学会による学会認定専門医試験は、1975年(昭和50年)から行われているので、被疑者は以降受験が可能であった。事実被疑者と同世代の医師も受験している。
  無論、認定専門医試験は難関で合格率は低く、現行の医師国家試験よりもさらに低い。
  他方、1989年から3年間行われた移行措置では、申請者のほとんど全員が専門医と認められている。
  日本神経学会も、他の医学科の専門医制度も、当然のことながら移行措置申請と認定専門医試験受験とでは提出すべき書類も手続も峻別されている。
  専門医登録番号で、移行措置者と受験合格者とを区別している専門医制度もある。
  従って、被疑者が受験経験・合格の有無に関して、思い違いをすることはあり得ない。
(2) 環境庁が、水俣病認定検討会も水俣病医学専門家会議も資格詐称の者を集め、非公開という異常な状況で開催していた理由は、認定手続きや52年判断条件の検討が、実は医学的な根拠に価する、データも根拠文献も全く存在しないままに行なっていたことを挙げなければならない。
  環境庁は、水俣病政策や認定作業において医学的根拠を全く欠いているうえに、専門家でもない者を専門家と言い張ることにより、その「正当性」を主張していたことになる。
  また環境庁は表向きには、水俣病医学専門家会議が公正な医学的検討を行っていると標榜しつつも、実際の議論や作業が行政不服や裁判などの患者対策であったことを曝露しているのである。
  ここにいたって環境庁の手続き全体の信憑性を抜本的に問わなければならない事態に来ている。
(3) 事実、環境庁のこれらの政治的意図の露骨さについては、「91年議事録」に如実に示されている。
  今回告発人が提出した議事録には、環境庁職員や会議に参加した医学者、法学者らが、水俣病事件に関して行政側が初期及び経年的調査をしていないこと、それゆえに被害住民のデータが存在していないことを十分に認識し、それにも拘わらず行政・環境庁にとって都合の良い結論をでっち上げていた経緯が明らかにされている。
  議事録は、環境庁の事務方の発言が、これまでの未認定患者側の主張の正当性を裏付ける内容のものばかりであったことも、明らかにしている。
  すなわち、この「91年中公審」という非公開の会議においては、当初から「対象者を水俣病とは認めない」などの制約条件を環境庁が課し、また、同庁が作成した資料に基づき議論が行われていたもので、そもそも環境庁は医学的に厳密な検討を行う意思などがなかったことも、明らかになっている。
(4) 従って、環境庁の「91年中公審」に関する主張は全く信用できない。
  事実、例えばこれまで大阪高等裁判所において環境庁が「不存在」としてきた資料が、最近になって「発見」された。「水俣病認定検討会第1回眼科小委員会」の検討結果を記載したものである。
(5) また被疑者の経歴詐称は、甲第2号証中の永松氏証言と照らしあわせると、単に被疑者一個人としての意図を超え、一定の目的をもって水俣病事件、また法廷に臨んだ被控訴人らの組織的意図を感じざるを得ない。
  即ち永松氏は、専門医制度が極めて権威あるものであることを証言する一方で、永松氏は被疑者が1985年(昭和60年)医学専門家会議当時は認定専門医ではなく、1989年(平成元年)に移行措置によって認定医になったことを尋ねられると、この事実を否定できず、「知りません。知りませんけれども、その人たちは認定医をとらなくても、ウルトラ神経医です」と証言している事実でも、被控訴人側の意図は明かであろう。
  同じ年に移行措置で専門医になった永松医師が、被疑者の真実の資格を知らないはずはない。
  また、永松医師は被疑者らを「認定専門医制度を作った人達ですね」と、被疑者を援護する証言をしているが、被疑者が昭和50年認定専門医制度発足の準備段階の委員会に、委員として就任していた事実はない。
(6) ところで環境庁は、水俣病認定検討会も水俣病医学専門家会議も、学会認定専門医ではない者ばかりを集めている。
  環境庁にとっては、自らの虚偽の主張を権威付けるためには、真正の専門医の参画はむしろ不要であり、邪魔であると考えたのでのであろう。
  すなわち環境庁は、正規の専門医ではこれらの会議・手続きで、医学を無視しても環境庁にとって有利な結論を導くことは出来ないと判断したからであろう。
  これらの会議が非公開で行われたという異常な状況に照らすとき、被疑者の資格に関する偽証は絶対に看過できない。
(7) 現在、公職選挙法においては経歴詐称は、法的にも世論においても、厳しく追及されている。
  国会議員においては、たとえ意図的なものでなかったとしても、辞職は免れ得ない。
  ましてや被疑者は意図的に法廷の場で経歴を詐称し偽証したのである。
  水俣病という重大な事件を巡る法廷証言における被疑者のこの偽証は、単に専門医試験受験の有無を確認するのみならず、被疑者と被疑者を法廷に申請した被控訴人らの意図がいかなるものであったのか、その背景と意図を、被疑者に対する水俣病業務委託費の給付状況に照らした上で、究明が必要である。
  なお水俣病関連研究費の給付状況については「告発状」に記した。
  また、『精神神経学雑誌』2003年第105巻 第6号(提出資料)を参照されたい。
3  被疑事実 第3について
 被疑者のこの点の偽証は、甲第5号証で明かである。
  この尋問事項につき被疑者は当該書証として法廷に提出したうえ、裁判官・質問者弁護士及び傍聴の原告らの前で、誠実に証言すべきであった。
  これまでの偽証の節で縷々述べたように、水俣病認定手続きにおいて、検診項目、検診方法、認定基準項目、認定基準判断は、一つずつ極めて重大な意味を含んでおり、単に個別申請者の認定に関して重大であるというばかりではなく、水俣病事件全体の動向・解決方向に決定的な意味を持っていたのである。
  従って、検診項目について、事前に取り決めがあったか否かは、重大な社会的な問題であり、被疑者はこの意味を十分認識しながらも、敢えて偽証をしたものである。
  被疑者は厳正にこの刑事責任を負わなければならない。
4  被疑事実 第4について
(1) 被疑者が偽証した状況について
  この被疑者の偽証を分析する前提として、まず関西訴訟における被疑者の10月27日および12月8日の証言を確認しなければならない。
  即ち、質問の焦点であった、同訴訟の原告患者が四肢末端に優位・特徴的な感覚障害の症状を有することについては、被疑者も認めていて、控訴人・被控訴人間の争いはなかった。
  争点は、この感覚障害の病巣、水俣病としての解釈・判断にあった。
(2) 感覚障害をもたらす責任病巣について
  この点に関しては、1966年第63回日本内科学会における報告および報告所収の同学会誌と、前述したこの件に関する原田医師の著作をみておかねばならない。すなわち、
1.  メチル水銀の標的臓器=争点の感覚障害をもたらす責任病巣
  責任病巣について、環境庁(当時)の認識を「91年議事録」より引用する。
  6月28日開催の第3回委員会において、白川保健企画課長が<資料1>として「IPCS環境保健クライテリア101:メチル水銀」の翻訳を確認(p1)、続いて岩尾特殊疾病対策室長がpp4〜5において、以下のとおりの発言を行っている。
「メチル水銀の標的臓器、主にどこが障害されるかということでございますが、クライテリアの記載としては、ほぼ神経系、特に中枢神経系の障害に限局されるということでございます。研究班の評価としては、記載してございませんが、当然の知見であるということでございます。」
  なお、ここに語られている「研究班」とは「水俣病に関する総合的調査手法の開発に関する研究」班、通称「重松委員会」のことである。
  そして被疑者はこの委員会の一員でもあった。
  この項についての環境庁の認識は、第1回・p15。
  被疑者の認識は、第5回・p46・p54の写しを添付する。
  次に、焦点の四肢感覚障害についての被疑者の、また同席の者らの認識については、同「91年議事録」より第7回・pp55〜57、第2回・p34・p50の写しを、アンダーラインを引き、添付する。
2.  症状の分布における感覚障害の位置づけ・初発症状
  「小児水俣病の判断条件」と52年判断条件の相違点については先に述べた。
  前者においては、疫学条件として「臍帯のメチル水銀濃度が乾燥重量で1ppmを超える等」の一項も記されている。
  これに基づき、小児例として、四肢末端に優位・特徴的な感覚障害の臨床所見が見出されなかった患者の認定事例は存在するのであろう。
  被疑者こそ知悉する事実であろう。
  また、新潟においてのみならず水俣でも、この障害だけが公的検診において所見として見出された患者、たとえば胎児性水俣病患者を出産した母親や、初発症状がこれのみであった成人男性2名ら(※)等の認定事例も存在する。
(※この2名の事例が第63回日本内科学会で報告、検討されたのである)
3.  さらには(剖検認定という、いわば”病理認定基準”とその医学的根拠については告発人は不明であるが)事例としては、水俣より関東地方へ転出した男性成人で、生前、この障害に関してはこれも公的検診所見としては何ら見出されず、解剖により脳に病変有りとして死後認定という過酷な経過を遡らされた患者及びその遺族も存在する。(甲第46号証、「Y氏裁決放置事件資料」。特に、平成6年7月22日付環境庁「復命書」における”病像”を巡る熊本県と環境庁とのやり取りを一読されたい)(関連報道記事の写しをB号証として添付する)
4.  海外(イラク)でも「感覚障害のみが単独で初発症状として出現」との報告事例が存在する。
  遅発性水俣病の確認については、中国第二松花江においてなされてもいる(別に詳述する)。
(記したのはいずれも、専門家であるならば、既知の範囲に属するはずの事例である。)
5.  逆に「小児水俣病判断条件」と「52年判断条件」という、ふたつの判断条件に共通の大前提は、認定対象者は共にメチル水銀の被曝者、すなわち、患者としては<病因物質・メチル水銀に汚染された原因食品・魚介類を経口摂取したことによって起こる>健康障害を有する食中毒事件の被害民として、同一線上に立つ事実である。
  しかも、「当該症状の発現又は経過に関して魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であっても、これを水俣病の範囲に含むものであること」(1971年環境庁事務次官通知)であったはずである。
6.  食中毒事件の常識に照らして、曝露集団に観察される症状の分布は、概念図として描けば、無自覚・無症状レベル〜自覚症状レベル(同次官通知の記載に従えば「四肢末端・口囲のしびれ感にはじまり」)〜言語障害、運動失調「など」(同通知)多彩な症状の発現〜意識障害〜死亡に至るまでのなだらかに連続する曲線として示される。
  「突然」複数の症状が発現しなければならない、予防医学的観点からもすでにその時点において「手遅れ」である複数・重篤な「症候」の発現を必要条件とする52年判断条件が、この食中毒の常識・食品衛生行政の実際の運用にてらしてみれば、いかに反して、いかに奇異であるか、「被害の現実を反映していない」ものであるかも了解されよう。
7.  この点に関する被疑者の認識は「91年議事録」の第1回p29より引用すると、「こういう形の地域全体の汚染で(※胎児から老人まで、「健康」であった者もそうでなかった−糖尿病・頸椎変形・癌などの罹患者・寝たきりや入院中であった−者すべてが同時進行的に汚染されたのである。)重篤な健康被害者から健康な人までずっとなだらかに移行している場合には、健康被害があるかどうかというのは、結局どこかの点で線引きしないとできない。」というものである。
  被疑者の認識の通りであって、健康被害は「なだらかに移行している」のであり、水俣病はまさに「食中毒」である。(甲第1・28・29・30号証)
  ゆえに「可能性は出てこない」(甲第1号証)のではなく、逆に症状発現のあり方として「蓋然性は高い」と考察されていたはずの事項である。
8.  食中毒事件においては「当該食品を摂食し当該関連症状を発症した者」はすべて患者としてカウントされ、当該原因食品・原因施設・病因物質等の記載とともに厚生(労働)省に報告されるのが通常の食品衛生行政の運用であって、経口摂取し発症した患者に対し「自覚症状のみでは要件を満たしていない。私の臨床においては嘔吐、下血等の他の症候の組合わせがなければ罹患・曝露と発症との因果関係につき蓋然性は低いと判断する」などと宣告する保健所職員や医師は存在しない。
  焦点の感覚障害につき、この分布に従って述べれば、
a)この臨床所見無し(小児水俣病)、無自覚・無症状(大脳皮質の直接損傷により自らの「障害」を認識することも、それを言語化・表現することも困難、不可能)
b)この所見「のみ」(具体事例は既に挙げた)
c)他の多彩な症状(※必ずしも、症状の「軽重」と平行関係にあるものではない)の発現
と連続分布が病態であろう。
9.  「91年中公審」の議事録よりピックアップすると、
a)井形委員長「実際問題としては、小脳症状が強く出ておって知覚症状はほとんど無いケースがあるのです。それはもう認定していただくよりほかしようがない。」(第7回、P66)
「全然異常がなかった人が、次にはきれいな感覚障害があって、もう一度調べたら全くなくなる、そういう人が多いんです。」(第5回、P47、末梢説では説明不可能の「所見の変動」である。中枢説でなければ解釈不可能である。)
b)発症率の高さについて、また、初発症状としての認識についても、事務局は(環境庁職員)「水俣地区において感覚障害のみを有する者が対象地域の2.2倍であった。」(第7回、p11)
森嶌委員「2.2倍あっても統計的には有意差とは言えないのだという理由付けあるいは統計学的な説明というのはあるのでしょうか」(同、p13)、「普通、絶対量が大きいと、2.2倍ですと有意差は当然にあると考えます」(同、p15)
  続く、第8回委員会でも環境庁が作成し、討議の為の資料として配布した文書には、次の一節も記されている。
「四肢の感覚障害は水俣病の初発症候であることが報告されており、また、水俣病でみられる症候の中で最も高い頻度でみられる症状とされている。」(※ゆえに、1971年環境事務次官通知は水俣病をこのように定義したのである。「四肢末端、口囲のしびれ感にはじまり・・・」)
  第7回委員会でこの記述の内容が、第8回委員会でこの表現、字句の”修正”が討議されているなか、被疑者は発言している。
  「初発症状ですね。」(第8回、p42)
  この点につき同席者らの認識は、「有り体に言えば、認めているのです」と浅野委員が発言し、この発言に対し環境庁職員として同席していた奥村保健企画課長も誰も−被疑者も−異議を差し挟んでいないのである。(第7回、p55)
  しかし、裁判・補償問題への対策として、井形委員長「有意差はなかったということが出ればいいわけですね。」(同、p16)、「裁判官が判断したものだけが疫学条件がはっきりせず、我々が判断したものははっきりしていると言い切れなければいけない」(同、p53)、「私たちは、水俣病と公的には認めない方がいい」(第2回、p41)(※これにつづき、「水俣病と認めますと医療費をチッソないし国が持たなければいけなくなりますね。その額はものすごい大きな額になるんです。」との発言。
  環境庁と同一の認識を示している)、「この階層を水俣病と認めてしまうと、またそれに続くボーダーライン層を設定しないと解決しない。」(同、p56)、「(これまで水俣病ではないと)堂々と書面で主張したことを、ここで、それは嘘だったとも言いにくいのが実際であります。」(第5回、p46)、「本当に合い口を突きつけられているようなもので、末梢知覚障害で、原因不明がこんなにあって、これがそうでないというなら、何の病気であるかと、判決にそんなことを堂々と書かれて、刀で切りつけられているわけです。だから、返す刀では」(同、p66)「裁判での主張は、あり得ないと。この報告書(註・被疑者が環境庁と共同で作成した重松委員会による報告書)にもあり得ないと書いてあるのです。」(同、p55)
10.  52年判断条件を争点とする裁判で、その正当性を斥けられ敗訴を重ね受けてきた被疑者の当事者意識、被疑者と共同しつつ水俣病”争訟”に対処してきた被控訴人・環境庁の危機感は、以上に引用した通り、強烈なものであった。
  その共謀性ゆえの「我々」、「私たち」意識の露出である。
  答申すべき立場にあったはずの被疑者が、諮問庁職員に、逆に問うてもいる。
「今の問題、岩尾さんはどうお考えですか。」(p66、p14、4行目)
  しかし、「この階層」、即ち感覚障害のみを有する患者の対処は、「補償と結びついております病像」、「ごく軽症でも水俣病であると認定されれば高額の補償が得られるような仕組みでございます。」、「経費や労力的に行政の負担が大きい」、「負担能力を持たないチッソの状況を念頭に置いた上で機能するような仕組みを考えなければならない」、「これ以上の県債の拡大につきましては、関係者の理解を得ることが大変難しい」と、第1回委員会において岩尾特殊疾病対策室長が、「現状の問題点についての御説明」するなかで示した、環境庁の認識であり、「現在の認定制度においてこれ(52年判断条件)に当てはまらなかった者はやはり水俣病ではない、水俣病とは認められないということで議論していただく」とは、議論の前提、かつ、結論(答申内容)として環境庁が課した「制約条件」であった。(第2回、p14)「昭和60年の医学専門家会議の結論を引いて、それだけで水俣病と判断するには医学的に無理がある、こういう流れでいきたい」、「水俣病とは判断し得ないという前提の中で、どのように工夫するのかということを御審議」いただくために、環境庁が設置した水俣病問題専門委員会であった。(第6回、p38)
11.  そしてこの「91年中公審」委員長を自ら引き受けた(第1回、p2)被疑者の1998年12月8日の発言は「水俣病の診断そのものが、やっぱり全身性の中毒ですから、感覚障害1つだけあれば水俣病という可能性は出てこないんですよね。」というものであった。
12.  この「91年中公審議事録」において環境庁職員が言及している「昭和60年の医学専門家会議の結論」とは、「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議の意見」のことである。
  環境庁が「52年判断条件は医学的に正しい」と主張する唯一の根拠である。
  医学専門家会議は同年8月の水俣病第2次訴訟控訴審判決を契機として開催された。
  この控訴審判決の主要な論点を以下に要約すると。
(i) 有機水銀に高度に曝露し、四肢末梢に優位な感覚障害があって、それが他疾患によるとの反証がない場合には水俣病と認定するべきである。
(ii) 昭和52年判断条件は、水俣病の認定要件として感覚障害を含む複数の症候の存在を要求しており、「いずれかの症状」と、一症候でも良いとした昭和46年環境庁事務次官通知が示した認定要件を厳しくしたものということが出来る。
(iii) 昭和52年判断条件は、多彩な症状を呈する水俣病患者を認定する判断条件と言えず、水俣病患者の中から補償金の受給対象者を選別するための判断条件となっている。
(iv) 1973年7月に、水俣病患者東京本社交渉団とチッソ株式会社との間に締結された補償協定書によって、水俣病と認定された患者には1600〜1800万円の慰謝料に加え年金などが支払われることなどが取り決められた。
  この補償協定書の存在によって、水俣病の認定審査は医学的判断に徹していなかった。
  これに対し、医学専門家会議の「意見」は、
(i) 水俣病とはの項において「水俣病の経過はさまざま」「四肢の感覚障害にはじまり」と記述しつつ、しかし、
(ii) 水俣病における感覚障害の解釈についての項においては「単独でおこる四肢の感覚障害は極めて多くの原因で生じる」「原因を特定できない特発性のものも少なくない」「したがって、四肢の感覚障害のみでは水俣病である蓋然性が低く、その症候が水俣病であると判断することは医学的にには無理がある」としたうえで、
(iii) 判断条件についての項では、「一症候のみの例がありうるとしても、このような例の存在は臨床病理学的には実証されておらず」「一症候のみの場合は水俣病としての蓋然性は低く、現時点では現行の判断条件により判断するのが妥当である」と結論づけた。
  この専門家会議8名の人選につき述べれば、被疑者をはじめとする5名は同判断条件を作成し、かつ、認定審査会委員として同判断条件を運用してきた者らであった。
13.  次に、同会議が参考とした資料について、さきに補充書14頁に記したイラクの事例につき述べる。
  バキルらが「Science」1973年に発表した論文である。
  1972年にイラクの農夫とその家族に集団発生したメチル水銀中毒事件に関する報告である。主にメチル水銀殺菌剤で処理された小麦の種子から作った自家製パンを摂食したことによりメチル水銀に曝露した。
  この事件では入院患者6530名、うち459名が死亡している。
  この文献で特に注目されIPCSクライテリアにも引用されているのは、「推定水銀負荷量と各神経症候の発症との関係から、各神経症状の発症閾値を推測した」からである。
「初発症状である知覚異常(パレステジアparesthesia)は、症候発症時の推定水銀負荷量が25mgに達した時点で発症している」「次いで出現する運動失調(ataxia)は、同50mgに達した時点で発症している。」との報告であり、このことは量−反応関係において、様々な程度に有機水銀に曝露した場合、感覚障害を発症しながら、しかし運動失調の発症には至らない症例が存在することを示している。
  同報告に対する滝沢行雄氏のコメント(「科学」1974年第44巻第3号)を以下に引用する。
「メチル水銀中毒の問題が随分議論されているにも関わらず、水銀摂取量と症状との関係を掘り下げた研究はといえば、このレポートをおいてなかろう」「水俣湾沿岸や阿賀野川流域で経験された不全型の水俣病と認定されるなかには、水銀蓄積量が30〜100mgの範囲とも理解される」
「要するに、ハンター・ラッセル症候群のみが水俣病なのではなく、軽微な知覚異常などの発現もまた水俣病の標徴として無視できないことを、この研究は立証している」
14.  「水俣病専門家」として医学専門家会議に参画していた被疑者は、このIPCSクライテリアにも記載の、イラクの症例報告を未読であった、あるいは、文献の存在自体を知らなかった、と語るであろうか。
  実は「91年中公審」と同時並行して開催されていた、水俣病問題専門家委員会懇談会(医学関係)の平成3年4月15日14時〜16時30分環境庁第1会議室での討議においては、このイラクの事例についての議論がなされていた。
  そして、被疑者はこの討議に参加していた。
  「取扱注意」の印が押されたこの懇談会の「議事要旨(部内版)」より以下に抜粋する。
(但し、本文中への書込や横線による削除などは告発人が情報公開法に基づく開示請求を行い、開示された時点において既になされていたものである。)
「(藤木)閾値には個体差があるが、これを超えない限り病理的にもないはず。
(荒木)臨床症状が出現しない程度の曝露であった者については、臨床ではわからない。
(滝沢)非特異的な疾患まで取り上げるかどうかである。他の問題にも波及する。
(鈴木)3点ほど問題を提示する。
  まず昭和60年の医学専門家会議の意見で「感覚障害のみの水俣病は実証されていない」としているが、これは、「水俣病においては」という前提があることが重要である。水俣病では急性に一度に沢山の症状が出ていたので、感覚障害のみの水俣病は実証されていないとされたものである。かつて、メチル水銀中毒の患者をみたことがあるが、しびれだけの症状を持っていたものがいた。また、イラクの例からいえば、症状ごとに量反応関係が示されているが、あるレンジの曝露量ではある症状だけということがあってもおかしくなく、少量曝露の者の中には感覚障害のみの者も理論的には在り得る。組合せが妥当かどうかは、組合せと量反応関係をみないと何とも言えない。中毒学的に、こういうこと(感覚障害のみがみられる水俣病)があっても一向に不思議ではない。」
  さらに財団法人日本公衆衛生協会が2001年10月に発行した「水銀汚染対策マニュアル」の第2項の1、メチル水銀による中毒より以下に抜粋する。
「第2項 有機水銀中毒
  有機水銀中毒の中で、メチル水銀による中毒が、職業的曝露でも環境汚染による曝露においても、もっとも重要である。また、胎児期の曝露によっても成人の場合と異なる病態や症状を示すことがある。ここでは、メチル水銀による中毒とそれ以外の有機水銀による中毒に分けて記述する。
  1.メチル水銀による中毒
メチル水銀は、消化管から高率に吸収され、中枢神経にも血液脳関門を通過して侵入する。そのために神経細胞の変性・脱落が起きるが、そのメカニズムの詳細は明らかではない。メチル水銀は胎盤関門も通過して、発生途中の胎児にも影響をおよぼす。発生途中の中枢神経の場合には感受性がより高く、神経細胞の遊走にも影響を与え、中枢神経組織の構成そのものにも影響が出る。そのために出生前の曝露は成人の曝露に比べてより重篤な症状をひきおこすと考えられている。
  典型的なメチル水銀中毒は、Hunter-Russell症候群と言われているもので、知覚障害・失調・求心性視野狭窄を3主徴とする。しかし、それら以外にも曝露量によって様々な症状を惹起する。四肢末端・舌や口唇周辺の錯感覚をともなう知覚障害は、中毒の初期に出現する。中等度の例では、失調・求心性視野狭窄・聴覚障害錘体外路症状があわられる。重症例では間代性の痙攣も見られ、死亡する例もある。病理組織学的な変化としては大脳皮質の全般的な神経細胞の変性がみられ、皮質の萎縮をともなう。小脳皮質でも、顆粒細胞の消失を含む大脳皮質より程度の軽い変化が見られることがある。」
  2001年10月に水俣市で開催された「水銀国際会議」に向け環境庁が作成に関与したこの『マニュアル』においても、量−反応関係については「曝露量によって様々な症状を惹起する」こと、中毒の初期に出現するのは「四肢末端・舌や口唇周囲の錯感覚をともなう知覚障害」であることが明記されている。
  本件偽証のこの項目につき、被疑者も被告であった環境庁も認識済みであったことは以上からも明らかである。
  『マニュアル』の発行は2001年10月であるが、記載の内容は上記イラク事例に基づくものであることは明白である。
15.  なお、これまで環境庁は「医学専門家会議の結論は医学的なもの」と主張を重ねてきたところであるが、実際の認識は「行政上の見解でありますし、いろいろ批判も被っている」代物にすぎないものであることも、議事録には正直に語られている。(第6回、p38)
(3) 水俣病認定手続きにおける粉飾について
1.  水俣病認定手続きにおいて、処分庁側は、申請者の症状について、原因不明、あるいは「他の」、「多くの」原因との粉飾をおこなってきた。
  争点の感覚障害についてはこれ「だけ」では、他の多くの原因でも起こる、どこにでも見出される「非特異的疾患」として、蓋然性の判断には他の症候の組み合わせが必要であると、環境庁側は主張してきた。
2.  一方、司法は「末梢知覚障害で、原因不明がこんなにあって、これがそうでないというなら、何の病気であるかと」原告患者の65%〜100%を水俣病と認定してきた。
  被告らが「水俣病である蓋然性は低い」と主張する理由を「いろいろ批判」し、その上で司法認定をしている。
3.  メチル水銀被曝を前提としながら、発症と因果関係につき、ことさら原因を他に求め、また「多」を主張するのは医師としての無能力でなければ、意図的粉飾以外の何ものでもない。
  この粉飾については「91年中公審」第7回での浅野委員の発言を以下に記す。前場の発言時同様、誰も異議を差し挟んでいない。
「あまり細かく議論していくと、やはり水俣病かなと・・・。違うということを強調するために、いろいろな原因があるということを書いているだけなので、ここのいろいろな原因を排除していきますと」(p29)
被疑者の「多くの原因」に関する証言は甲第6号証p98、被告の主張は甲第17号証のとおりである。
4.  また91年中公審において、「四肢の感覚障害のみの存在は実証されていない」と主張するための討議資料を巡る議論では、「『臨床医学的に』はという逃げを打っているのです。」「厳密な議論をそれでごまかしているのです。」(p59)のが実態である。
(4) 結論
1.  これまで環境庁(省)は、また被疑者も証言において、52年判断条件は医学的に正しい、また運用も適切に行われている、と主張してきた。
  しかし、そのような主張が事実に反し、実際の認識とは全く異なるものであることは、これまで告発人が述べ、証拠資料に示した通りであるに加え、以下「91年議事録」より引用し示す通りである。
2.  環境庁職員(「91年中公審」事務局)の発言として、
「52年の判断条件につきましても、行政の通知でございますので、100パーセント医学的な診断基準ではないわけです。」(第1回、p24)
「診断基準的なところに踏み込むかどうかということが一つの判断かと思います。ただ、水俣病の場合、明確な診断基準的な表現になっておりますのは、実際は行政の方の判断条件しかないようなところでございます」(第5回、p28)
「水俣病に関して純医学的な面から医学者の方がつくられた診断基準というものがないものですから」(第6回、p32)
3.  以上の環境庁の主張の虚偽性、52年判断条件の医学的無根拠、非科学性については、日本精神神経学会、平成15年3月15日付の『水俣病問題における認定制度と医学専門家の関わりに関する見解−平成3年11月26日付け中央公害対策審議会「今後の水俣病対策のあり方について(答申)」(中公審302号)−』を疎明資料として添付する。
  環境庁のこれまでの主張とは全く異なり、52年判断条件は「純医学的な診断基準」ではなく、「昭和60年水俣病医学専門家会議の意見」は「行政上の見解」にすぎないものであった。
  では、これまで被疑者および被告らは、いったい何を「認定」してきたというのであろうか。
  最後に一箇所引用を行う。
「現在知られている症状以外にも何らかの健康影響が生ずることがあるのか否かについては、いまだ十分解明されていないという前提があって、水俣病というのは、水銀曝露による影響を一つの側面でとらえたにすぎない(中略)そうだとすると、認定基準との関係で、認定基準というのは何を認定したことになるのか、何を判定する基準になるのか、それをお伺いしたいと思います。」(「91年議事録」第3回、p59、森嶌委員)
  この質問に対し被疑者は、回答不能であった。
1998年10月27日の証言において自らの診断の正しさ、52年判断条件の医学的正当性、妥当性を裏付けるとして挙げた論文『多変量解析による水俣病の診断』を示し、その“知見”を披瀝しつつ回答を行ってよかったはずである。
  あらためて52年判断条件の医学的根拠、作成、策定の目的と趣旨、「昭和60年水俣病医学専門家会議の意見」の内容等につき、関与した当事者として解説を行えた筈である。
  しかし、回答不能であったのみならず、逆に「そこがこの委員会の最も大きな論点になるわけで、そこを何とか理論付けができないでしょうかというのが・・・。」と困惑し「理論付け」を法学者(ら)に依願している有様であった。
  それまで、いったい何をどう「認定」していたのか、被疑者は(被告も)不明であった、ということである。また、この不明は現在もなお、であろう。
  「水俣病専門家」また認定制度の実態がいかなるものであるかがここに端的に示されている。
4.  翻って、証言においては、「告発状」に記した通り、チッソ水俣病関西訴訟原告ら未認定患者主張の医学的事項に対しては、自らの不明=無知、無理解を棚上げにしつつ、何ら確たる反証も示さぬままこれを否定、すなわち事実そのものを不存在とし、また歪曲し隠蔽しての偽証を行った。(遅発性水俣病の国内および海外での確認事例、など。告発状を参照されたい。)
5.  環境行政の本来的目的、環境庁(省)の存在意義は何であるかと問われつづけてきたが、現在も、これからも、問われつづけるであろうし、問われるべきであろう。被疑者および環境庁側は、これまで述べてきた通り、虚言、虚構によってしか水俣病認定制度を維持できないと判断していたのである。
  被疑者の偽証はこの戦略の中で、意図的・犯罪的に行われたのである。
  以上

新疎明資料
『中央公害対策審議会環境保健部会水俣病問題専門委員会議事速記録』について

第1  入手の経緯
平成13年4月3日付
  告発人は、情報公開法に基づき請求人として開示請求。
同年5月2日付
  環境省(環境大臣川口順子)、環保企第528号において一部開示(部分不開示)を決定。
「不開示とした部分とその理由」として「研究者、委員等の氏名その他、特定個人を識別することができる情報の部分については、将来予定されている同種の審議、検討等に係る意思決定に不当な影響を与えるおそれがある場合に相当すると判断される」
同年5月17日付
  請求人(告発人)は環境大臣宛異議申立書を提出。
同年6月25日付
  環境大臣臨時代理国務大臣武部勤、環保企第665号において情報公開審査会に諮問。
同年7月18日付
  請求人、内閣府情報公開審査会宛「意見書」を提出。
「諮問庁(環境省)提出の原処分維持理由説明中の『純粋に科学的な立場から評価検討を行って』『公正かつ中立な審議』等々が、真に科学的であったか否か、『公正中立』の名に値するものであったか否か全委員の氏名を公表し、当時の各委員の知見、用いたデータ、文献資料の評価等ふくめ、再検討されるべき」「国の『病像論』が何ら根拠を有しない『虚構』であり既に崩壊していることは明白」
諮問庁、同審査会に意見書を提出。
同年9月25日付
  内閣府情報公開審査会は平成13年7月6日から9月20日までの間に計7回の審議を行ったうえで諮問庁に対し、府情審第428号において開示すべきと答申。
同年10月23日付
  環境省は「決定書」環保企第880号「通知書」において「本件異議申立に係る一部開示決定処分は、これを取り消す。」
第2  文書の性質等
1  委員会と文書の性質
  環境省提出の「情報公開不服申立に対する原処分維持の理由説明書」(平成13年6月29日付府情審第95号)より、委員会の性質は、「中央公害対策審議会環境保健部会水俣病問題専門委員会は、平成3年2月から同年11月にかけて、水俣病問題の早期解決を図るための総合的な対策について検討を行ってきた委員会である。この検討を経て行われた平成3年11月の中央公害対策審議会の答申に基づき、水俣病総合対策事業が平成4年度より開始されている。」と定義されている。
  内閣府の9月25日付府情審第428号より、文書の性質は、「本件開示請求の対象とされた行政文書は(中略)『委員会』の速記録であり、その審議結果を受けた平成3年11月の中央公害対策審議会の答申に基づき、平成4年度から水俣病総合対策事業が開始されたもので、法5条5号にいう審議に関する情報であると認められる。」
  以上の環境省の定義と内閣府情報公開審査会の認識より、「委員会の検討」と審議の結果としての「答申」、「水俣病総合対策事業」は連結して一体のものであることが、また、検討を記録した『速記録』は情報公開法第5条5号が定める情報すなわち行政文書であることが了解される。
2  委員会の運営、配布資料、構成員(出席者)の発言について
「情報公開不服申立に対する原処分維持の理由説明書」に(別添4)として添付されていた「中央公害対策審議会の運営方法について 昭和50年9月4日総合部会決定」の写しを添付し、以下項目毎につき述べる。
  事項1、会議の公開および出席者について、(1)会議の公開について、には「非公開を原則とし」と明記されている。
「91年中公審」は傍聴可能な国会や地方自治体が行う議会などとは異なり、そもそも非公開が前提で開催され審議が重ねられていた。
「91年議事録」より引用すると、第1回で(p6)
  井形委員長「いろいろな理由があるわけでございますけれども、この点は、特に、この内容については外に漏れると審議がうまくいかないということも起こり得ますので、ぜひ御協力を御願い申し上げたいと思います。」
  柳沢環境保健部長「おどかすようでございまして申し訳ないのですけれども、実は、過去、社会的にいろいろ関心が高かった問題(中略)(例として「自動車排出ガスの規制のときとか、大気の環境基準の改定のとき」等々を挙げている。)の審議会等々のときに、検討過程での審議の記録が」「外部に何らかの形でもって出てしまうとか、そういう事例がございました。それが例えば国会その他でもって相当問題になった例があったわけでございます。」「無用のトラブルを招かないためにも」「審議内容と配付させていただいております資料につきましては外部にお出しいただかないように」とのことであった。

 第1点として「現在の認定制度においてこれ(注 52年判断条件)に当てはまらなかった者はやはり水俣病ではない、水俣病とは認められないということで議論していただく」、第2点として「責任論の問題に関してですが、新たな対策は、行政の損害賠償責任に基づくものではない」、「私ども行政の立場としては法的な責任はなかったと考えておりますので」(「91年議事録」、第2回、p14)他、全7点の制約条件を環境庁が課しての審議であった。
  とくに、上記2点の制約条件は訴訟の争点として裁判での国の主張そのものであり、委員会の審議とは事実上の裁判対策であった。
  本意見書中に引用を行った構成員の発言も、この制約条件に即して貫かれている通りである。
  当初から結論(答申の内容)が決定済、しかも「公正中立」どころか裁判対策として行政の(また加害企業の)立場に即して行われている委員会の審議など公開するはずもなかった。
  井形委員長自ら「私が箝口令を敷いた本人で、自分から言えるか」と発言している(第7回、p68)とおり、認定申請行為そのものを不可能とするべく、公健法上の汚染地域指定の解除までくり返し提案するごとき審議であった。
  非公開は、いわば犯罪を行おうとする者らがその計画の作成過程など公表しないのと同様であった、と評する以外にない。

3  資料「別添4」事項2、会議録について
(1) 会議録の内容について、には「『議事録』は、発言内容を精確に記載するものとする。そのくわしさの程度は、各会議において決める。」と明記されている(そして「調整」に関しての定めはない。原発言そのもの自体が未修正、未訂正のまま忠実に記録されているものと考えるべきであろう。)。
(2) 会議録の配付及び閲覧について、は次の3項目が定められている。
1.  議事録は、当該会議の構成員に配付する。
2.  その他の委員には、当該会議においてあらかじめ定めた範囲及び方法で「議事録」を配付する。
3.  「議事録」は、委員以外の者は閲覧できない。
  (1)の項目の定めにより、その字句ともに発言の内容の「精確」は『速記録』において十分に担保されている。
  長期、8回にもわたる継続的な審議においては、問題の所在する事項の確認、前回・各回において構成員が発言に示した意思の確認、またその意思が答申作成にどのように反映されるのか、あるいは採用されないか等有無の確認等々、「精確」な議事録の作成は、記録されまた配付される文書に依り行われるものとして、必要であったというべきであろう。
  井形委員長「皆さん、ぜひ忌憚なき意見を活発におっしゃっていただき、あるいは言い足りないことは後で書面で出していただいて」(第6回、p1)、「それでは、もう一度全編を通じて御意見を伺います。言い残したことをおっしゃってください。実は自分はこういう意見だったのだけれども不本意で決まったと言われるとちょっと困るので、言いたいことを全部言って、補足事項でこういう意見をちゃんと言ったという記録をとどめておきますから、採用されなくても意見があれば全部おっしゃっておいていただきたいと思います。」(第8回、p60)
  発言の記録方法としては音声による記録、すなわち録音テープでの確保も行われていたと考える。
  「91年中公審」においては、第1回委員会で環境庁・渡辺企画調整局長が「どうか忌憚のない御意見を」求め、環境庁職員も各委員らも(制約条件に忠実に)非公開ゆえの実に忌憚のない発言を行っていた。
  毎回の審議は、環境庁があらかじめ作成し配付した資料に基づき行われていた。
  環境庁職員と委員との、また委員同士の間での質疑応答も(「会話」としても断絶は認められず自然でやりとりの連続性は了解される)この資料に即し、記述を辿り字句をなぞって−その「表現」や「解釈」、字句の修正等を巡り−行われており、この点発言記録と配付資料との対応における「整合性」は当然に認められる。
4  何より、審議の内容通りが答申され、被害民である患者を患者としては認めない水俣病総合対策事業が施行された経緯こそがこの審議、その「議事録」と配布資料−答申の整合性を現実に示しているというべきであろう。
  そして、この答申が1995年「政府最終解決策」の直接的基礎とされ、「事業」は、現在、「水俣病総合対策医療事業」として施行されている。
  この事業の受給者は「メチル水銀の影響を否定できない」と位置付けられながらも「公的には」水俣病患者として認定されていない。
  また、受給の要件として認定申請、行政不服審査請求、訴訟等、”紛争状態”の解消を、すなわちこれらの取下げ、終結を強いられた。
  52年判断条件の作成、策定に関与した者、昭和60年水俣病医学専門家会議に参画した者、「91年中公審」の構成員らにとっては長年にわたる目標の達成、目的の実現であろう。
  しかし、被害民の身体の苦痛のみならず詐病視による差別の苦痛等精神的苦痛は、認定制度の矛盾・虚構とともに残されたままである。
  以上

追加疎明資料提出

   検察審査会法38条の2に基づき以下の資料を追加提出する。
  不起訴処分を不当とする理由、およびその補足に述べ、添付する旨記したものとして、
 
第1  書証
甲B第1号証 1991年中公審議事『速記録』−(抄録)
2   2001年10月11日付熊本日日新聞の記事の写し
3   1999年2月6日付熊本日日新聞の記事の写し
4   日本精神神経学会『精神神経学雑誌』
105巻6号pp809−834の写し
5   2001年水銀国際会議に関する報道として
10月21日付読売新聞記事
6   同会議につき 10月22日付毎日新聞記事
7   同会議につき 10月26日付熊本日日新聞記事
8   昭和50年9月4日付「中央公害対策審議会の運営方法について」
環境庁(全2枚)
9   水俣病の政治経済学−産業史的背景と行政責任−、
深井純一、径草書房、122頁から150頁とその注
10    「イラクのメチル水銀中毒事件」F・バキルほか
岩波『科学』1974年 第44巻 第3号 166−172の写し
11   水俣病問題専門委員会懇談会(医学関係)議事要旨
平成3年4月15日の写し
12   津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』
岩波書店 2004年6月
  甲B第1号証の全部、および、配付資料の全部は、告発人が2002年に大阪地方検察庁に送付済みである。
  また、甲B第12号証として津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』 岩波書店2004年6月を、後日、審査会宛に送付し、追完とする。
第2  証人 (略)
  以上
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