第154回国会衆議院 環境委員会議録 第21号
2002年7月16日(火)



○大石委員長― 金子哲夫※君
○金子委員― 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 今日は水俣病にかかわる問題について質問をさせていただきたいと思います。
 私は、広島で、原爆被爆者援護法による医療特別手当の支給についての認定問題にも取組んでおりまが、この認定制度も被爆者の側に立っていないということで、最近、大量に認定申請をしようとする動きが出ております。
 今回の水俣病問題についても、本当に、患者の立場に立った行政が行われているのかという観点から質問させていただきます。
 具体的な問題に入る前に、いくつかお伺いしたいと思います。まず、水俣病の認定は、昭和52年、1977年に判断条件が出されて、その判断条件に基づいて認定作業が行なわれていると理解しています。この判断条件の医学的見地について、お伺いします。
岩尾政府参考人― 52年判断条件は、当時の医学的知見をもとに定めたものでございますが、この判断条件、その後昭和60年に開催されました水俣病の判断条件に関する医学専門家会議におきましても、判断条件は妥当であるというふうに述べられておりますし、平成三年11月の中央公害対策審議会答申におきましても、この判断条件に変更が必要となるような新たな知見は示されていないという結論は得ております。
金子(哲)委員― それでは、次にお伺いします。最近、さまざまな学会でもこの判断条件についていろいろ意見が出ていますが、すべてを正しいと判断されているということですか。例えば、日本精神経学会などの学会誌等で、医学的根拠となるデータは存在しない、同判断条件は非科学的な机上の空論だという厳しい批判も出ていますが、そのことに対してはどのように考えでしょうか。
岩尾政府参考人― 当時の判断条件の策定に当たりましては、臨床、疫学の両面から具体的に判断条件の整理を行なうために、関係県市において認定審査会の委員でありました水俣病の医学専門家から成る検討会を組織いたしまして、当時の環境庁でも検討しております。専門医の学識、それから検診・審査経験及び臨床経験をもとに、水俣病であることを否定し得ない場合の内容を具体化して、その判断条件として示されているところでございます。
金子(哲)委員― ということは、今さまざまな学会で出ているような見解は環境省としては受け入れ難いということですね。
岩尾政府参考人― 水俣病の病像について、特に最近、関西訴訟の中でも病像論について議論がなされておりますが、環境省としては、これまで収集された多くの水俣病の病理的な知見から、水俣病に見られる感覚障害の原因というのは、中枢神経と末梢神経のいずれか一方だけという傷害ではなくて、両方の傷害が関与しているというふうに考えております。いわゆる末梢神経説というのは、水俣病に係る多くの訴訟において原告が主張していたもので、中枢神経説というのは、関西訴訟の控訴審において原告が初めて主張した説というふうに理解しております。
金子(哲)委員― その際、国の場合には、四肢末端に出てくるのが特異的な症状だということがいわれておりますが、今、中枢神経の損傷が原因で全身に出てくるのではないかという意見がありますが、そのことについてはどのようにお考えでしょうか。
岩尾政府参考人― もともと有機水銀の症状が特に神経系を侵すということが言われており、それが脳に蓄積し、また末梢にまで及ぶということで、判断条件が当時できたということでございます。したがいまして、神経系の障害が出てくるということが主体でございますが、それが水俣病という病像においては中枢にも末梢にもあらわれてきたというのが専門家の判断というふうに理解しております。
金子(哲)委員― 52年判断条件策定後、医学的な研究が進んでおりますが、それに基づいて判断条件を変更することはありませんか。
岩尾政府参考人― 出てくる病像が、知覚障害を主体とする、さまざまな自覚症状を中心とするもので、なかなか数量的な検査をするということの難しさがあり、結果としては、それが感覚障害であるのか、ないのか、という医師の判断に最終的には、なるかと思います。そのような意味での知見は、52年、60年、その後何度かの委員会で検討されて、現在の形で残っているものの域をこえないということでございます。
金子(哲)委員― 判断条件策定後、25年間も何も変えない、しかもずっと申請は出てくる、また、裁判でも争われるという事態については、行政としては、もっと被害者を救済する方向で検討して、改めるべき点は改めるというのが、私は行政のあり方だと思うのですが、その点についてはどうでしょうか。
岩尾政府参考人― 水俣病は環境汚染によって起こされた疾病ということで、汚染がなくなった時点でどの程度まで新規あるいは患者さんが発症するかということの問題はあるかと思いますが、通常の認定業務、31年に公式に発見されて、認定審査会という臨床症状で見ている中で、そのときそのときの症状が水俣病であるかどうかという判断を先生方が行なっておりますので、少なくとも、現在症状を訴えられている方々というのが、過去の曝露のせいなのか、それとも年齢を重ねたことによる変化なのかというような問題もあります。したがいまして、先生方には大変難しい判断を強いているところでございますが、私どもとしては、現在の判断基準で妥当というふうに考えております。
金子(哲)委員― 年齢のことで申しますと、被爆者の認定問題でもそうです。出てくる症状は癌であったり白血病であったりするわけですね。それは高齢になってくると出てくるということで、一般症状と変わらないじゃないかということで、救済が少なくなっていくという問題があります。だから、確かに特異な存在として顕著にあらわれない場合であっても、疑わしきは救済をしていくような方向を目指すのが、行政のあり方だということを重ねて申し上げておきたいと思います。
金子(哲)委員― 次に、2001年10月29日に出された、行政不服審査請求に対する請求棄却の裁決について質問したいと思います。
この件については、2つの大きな問題があります。まず、行政不服審査請求の裁決の中に、認定するに足りる資料が得られなかったためということでした。つまり、水俣病認定申請を行なったご本人が、申請後3年足らずでお亡くなりなり、判断材料が少なかったことですね。では、77年7月1日に亡くなったのですが、熊本県は、この死亡者のカルテの入手についてどのような努力をされたのでしょうか。
岩尾政府参考人― 当時は大変認定申請者が増加していた時代でして、県の方針としては、なるべく生きている方を主体に検診したというふうに聞いております。
金子(哲)委員― 今の発言は、私は、環境省の発言として、認めることは出来ません。確かに件数が多かったのは間違いないですが、76年末に出された熊本地裁判決で、熊本県の認定作業が遅れたという不作為は違法であると言われていましたね。それを受けてだと思いますが、77年7月1日に、当時の環境庁の環境保健部長通知が出されています。この中で明確に、「認定申請後、審査に必要な検診が未了のうちに死亡し、剖検も実施されなかった場合などは、臨床医学的知見についての資料を広く集めること」としています。私が、取り上げている問題の死亡者については、この通知が守られていないじゃないですか。
岩尾政府参考人― ご指摘の昭和52年7月1日付の通知にあります。しかしながら、被処分者の死亡当時、熊本県における未処分者が4千件以上に上っていたということで、熊本県では、生存者を優先して認定業務を進めていたということです。したがいまして、これらの通知が履行されていないというふうには必ずしも言えないのではないかと思っています。
金子(哲)委員― それはおかしいんじゃないですか。4千人というたくさんの方がおられるから、死亡された人々が遅れる場合がある。だからできるだけ早く、生前のカルテなどを入手して、後で判断するための資料をきちっとしておきなさいという趣旨が、この通知だったんじゃないんですか。今、環境省は、この通知の趣旨をどう認識されているんですか。
岩尾政府参考人― 当時の通知の中では、認定申請後、審査に必要な検診が未了のうち死亡し、剖検もされなかった場合などは、曝露状況、既往歴、現疾患の経過、その他の臨床医学的知見の資料を広く集めろということを言っておりますので、そのような努力はしていたものというふには理解しておりました。先ほども申しましたように、まず生きている方々の救済をということで、県が限られた人数と時間の中で作業していたと理解しております。
金子(哲)委員― 私が、取り上げている件に関しては、熊本県は、この保健部長通知を実行しなかったということは認めるわけですね。
岩尾政府参考人― 当時の問題はあるかと思いますが、その後、平成に入りまして、県が病院調査等々をしたということは聞いております。
金子(哲)委員― 私が聞いているのは、この保健部長通知が実行されたかどうかです。平成に入ってからやったといわれますが、17年後、じゃないんですか。部長は、病院のカルテが何年間保存されるのか、十分ご承知でしょう。17年間たって資料収集にいったって、その資料がないということは明らかで、そんなものはただ形式的にやったということにならないですか。それを、17年後にやったから、十分に、この通知受けて処理をしたというふうに判断されるのですか。
岩尾政府参考人― 今問題となっている方のケースにつきましては、確かに病理の解剖などはしていりませんが、申請して死に至るまでの3年間に、眼科と耳鼻科などを受けておられます。神経内科を受診されていないということが、最大の問題でございます。そのようなものをもとに当時の県の状態を判断して、結果として遅くなってしまったということではないかと思っています。
金子(哲)委員― しかもですよ。77年7月の部長通知の出した、その上に、78年7月3日に、環境庁事務次官通知を出してですよ。こう言っています。「認定申請後、審査に必要な検診が未了のうちに死亡し、剖検も実施されなかった場合などは、臨床医学的知見についての資料を広く集めること」を指示して、「いつまでも申請者を法的に不安定な状態に置き、行政庁に対する不服申し立ての道を閉ざすがごときことないよう所要の処分を行うこと」とあえて言っているのですよ。このことからみても、環境庁の指導に対して、少なくとも熊本県は、この県については、適切に処理をしていなかったというのは明らかではないでしょうか。
岩尾政府参考人― 昭和52年当時、申請者の増大で、6千人を超える申請者がいましたので、熊本県議会が、機関委任事務(水俣病認定業務)を返上しようというような動きもございました。したがいまして、公害の認定審査における業務をどうのように県の事務としてやっていただくかというようなことに、国・県が腐心していたように思います。当時、最大の眼目が、未検診者をどのように処理していくか、また、生きている方々をどのように早く救済するかということにあったということをご理解いただきたいと思っております。
金子(哲)委員― いや、努力されたことを全部否定しているわけではなくて、わざわざ部長通知も出し、その上、事務次官通知まで出して、死亡された場合のことについて、あえて触れて通知を出していながら、履行されなかったために不利益をこうむった人がいるとしたら、重大な問題ではないでしょうかと申し上げているわけです。では、死亡された方で、すぐにカルテを取得されて審査を受けたという事例はないんですか。
岩尾政府参考人― 正確な数等々はわかりませんが、死亡時のデータですとか、解剖所見も取得して、認定に係る処分を行ったという話しは聞いております。
金子(哲)委員― できた場合とできなかった場合があったということですね。やっていただけなかった人は、やはり不利益をこうむったということになるのは当り前ではないでしょうか。その当時の事情がどうあれ、それは、一人一人の問題として考えないなければならないと思います。で、この人のケースの場合には、残念ながら適切な措置が取られなくて、資料がなくて、判定できないということで却下をされているわけです。そのことの問題については、どのようにお考えですか。そのことだけ聞いているわけですよ。
岩尾政府参考人― 先生のお話し、まことにごもっともでございますが、当時の行政として個別の事例についてどうであったかということ、今考えれば、きちんとやっておかなければいけないというのは当然でございますが、ちょっと今からなかなか判断しづらいとろだというふうに思っております。
金子(哲)委員― それでは、改めて聞きます。このことによって、本人にとっては不利益をこうむったと思われますか。こうむっていないと思われますか。
岩尾政府参考人― このケースにつきましては、昨年12月に、被告は県でございますが、県を相手取って行政訴訟が提起されているということで、私どもとしてはなかなかコメントしづらいところでございますので、ご勘弁いただければと思っております。
金子(哲)委員― それはないでしょう。現に、自分のところで行政処分を出しているんですよ。本人が不利益をこうむったかどうかどうかというぐらいの判断はできるでしょう。
岩尾政府参考人― 行政処分としての判断としては、水俣病であると判断するための資料がない以上、棄却するほかないというふうに考えております。いろいろ事前調査ができたのではないかという話しですが、なかなか病院調査などが長いことできなかったということが、法律上の規定に違反するかどうかについても、そこまでいえないとのじゃないと思っています。また、熊本県の処分を取り消しする事由に当たらないと、国としては判断しております。
金子(哲)委員― そうしますと、77年の部長通知、78年の環境庁事務次官通知は、全く拘束力がないということになりますか。
岩尾政府参考人― 審査の促進という意味では効果があったというように思っております。
金子(哲)委員― 時間もありませんので、最後に大臣にお伺いします。当時の環境庁が、部長通知、事務次官通知を出して、審査に必要な検診が未了のうちに死亡された方々の場合の適正化を図るための措置をしていたにもかかわらず、県が履行しなかったということで起こった問題です。環境省として、何も問題意識をもたないのかどうかということを、改めてお伺いします。
大木国務大臣― 当時の環境庁が、そういう指示、通達があったということで、それに基づいて行政をやるという責任は、熊本県にはあったと、私は思いますが、それをどういう順番でやっていくかということは、熊本県の判断であって、当時、まず生存者の資料を集めることに努力が集中というか、そちらの方に重点が置かれたということはあります。しかし、今回、私どもとして、この今の時点において判断しなくてはと、遺族の要請にも十分配慮して、いろいろな資料の収集には努力しました。当時の主治医からもヒアリングをしました。そういった努力をした上で、しかし特に水俣病としての認定には至らなかったというわけでございます。これは別に、かつての熊本県に対する環境庁の指示が全く無視されたというふうには考えておりません。その結果として今に至っているということについては残念であったけれども、私どもとしては、現在で得る判断をさせていただいたということでございます。
金子(哲)委員― 時間になりましたのでおわりますが、77年当時、私が問題にしましたような危惧がされたために、部長通知、事務次官通知が出されたのです。にもかかわらず、それが実行されず、10数年間放置されたというところに、大きな問題があるわけです。ですから、この行政不服審査においても、被害者の救済という立場が明確になるように強く申し上げて、終ります。

※ 金子哲夫衆議院議員(社会民主党)
衆議院環境委員、憲法調査委員、広島原水禁常任理事。

※岩尾総一郎政府参考人
 91年当時、環境庁特殊疾病対策室長で、中央公害対策審議会の水俣病問題専門委員 
 会事務局を担当。2001年1月〜 環境省環境保健部長。2002年7月30日、環境省自然環境局長。

   
水俣病上告取下げ全国ネットワーク

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