チッソ水俣病関西訴訟最高裁勝利判決の歴史的意義
チッソ水俣病関西訴訟最高裁勝利判決の歴史的意義
弁護団事務局長 田中 泰雄

水俣病関西訴訟とは
 水俣病関西訴訟とは、かつて不知火海周辺地域に居住し、後に関西地方に移り住んだ水俣病患者五九名(及びその遺族)によるチッソ株式会社と国・熊本県を相手にした損害賠償請求訴訟である。国・熊本県を相手にした国家賠償請求の訴訟は既に一九八〇年に水俣現地の患者によって熊本地裁に提起されていたが、熊本県外の患者による初めての国家賠償訴訟として注目を浴びた。
  関西訴訟の基本的目標は、(1) 国・熊本県の法律的責任(水俣病の発生・拡大防止を怠ったこと)を認めさせること、(2) 原告ら全員を水俣病患者として認定させること、(3) 水俣病被害に対し適正な損害額を認めさせること(患者一人について三千万円を請求)の三点にある。
  一九八二年一〇月に提起した訴訟は一三年後の一九九四年七月、大阪地裁で第一審判決が下されたが、国・熊本県の法的責任を認めず、環境庁の七七年判断条件を正当として原告ら患者はその判断条件を満たしておらず、その意味で水俣病患者と認めない極めて不当な判決であった。この判決に対し、患者一名を除く五八名が控訴し、大阪高等裁判所第三民事部に係属することになった。
  前記大阪地裁判決のころから、水俣病問題については早期に政治的決着をという動きが顕著になり、最終的に全国七ヵ所の地・高裁に係属していた水俣病をめぐる国家賠償訴訟は一九九五年の政治的解決に伴い、翌九六年すべて取下げにより終了した。その結果、唯一残された関西訴訟の判決が国家賠償についての初めての最高裁判決ということになり、再び注目を浴びることになったのである。

大阪高裁判決の概要
  この度の最高裁判決は殆ど原審の大阪高裁判決を踏襲している。その意味で、まず大阪高裁判決について説明しておく。 
二〇〇一年四月二七日の判決(岡部崇明裁判長、古川行男、鳥羽耕一裁判官)は、水俣病の発生・拡大防止について国と熊本県の法的責任を認めると共に、中枢性感覚障害を基本とする科学的な水俣病像を認めた画期的なもので、五八名の内五一名の患者の請求を認めた(但し、国と熊本県に対しては四五名)。
 判決は当時の水俣湾周辺住民の生命・健康に重大な被害が発生していたという事実認識と微量の水銀の定量分析は可能であったことを前提に、国については水質保全法、工場廃水規制法に基づくチッソ水俣工場に対する排水規制権限を行使しなかった不作為の違法を、熊本県については熊本県漁業調整規則に基づく有害な物の除害設備の設置を命ずる等の排水規制を行なわなかった違法を認めた。
 未曾有の水俣病の被害の甚大さ、生命、健康への危険の差し迫った状況を十分認識したうえで、国の[1]原因物質が不明であるとか、[2]定量分析技術の問題など実務的に対応ができなかったとか、[3]当時の時代背景から規制できなかったなどのすべての主張を排斥して作為義務を認めたもので極めて正当である。
 残念なのは右権限行使をなし得たのが一九五九年末と判断し、その関係で賠償責任の範囲もチッソの四分の一の限度にとどまるとしたことである。水俣病事件史の上では一九五七年段階で水俣湾産の魚介類が原因であることは判明しており、食品衛生法上の摂食禁止措置がとられるべきであったにもかかわらず、判決はこれを認めなかったのである。
 判決は水俣病像についても、必ず複数の症状の組み合わせを要求し、感覚障害だけでは水俣病と認められないとしてきた環境庁の一九七七年(昭和五二年)判断条件を採用することなく、メチル水銀中毒の機序として世界的通説となっている大脳皮質障害による(末梢神経の障害ではない)感覚障害であることを採用し、その特徴である複合感覚障害に着目し、一般的に症状の多様性や変動を認めた。
 その結果、水俣病の診断基準として、メチル水銀曝露歴を前提に感覚障害を中心とした以下の三項目のいずれかがあればよいとした。
(1)  舌先の二点識別覚に異常のある者及び指先の二点識別覚に異常があって頸椎狭窄などの影響がないと認められる者
(2)  家族内に認定患者がいて、四肢末端優位の感覚障害がある者
(3)  死亡などの理由により二点識別覚の検査を受けていないときは、口周辺の感覚障害あるいは求心性視野狭窄があった者
判決は国の御用学者の「権威」ではなく、世界の医学的
定説と科学的データに基づき判断したのであり、水俣病
患者の実態により迫った判断となっている。国側の証人であった井形昭弘、衛藤光明、永松啓爾の証言は全くといっていいほど採用されず、浴野成生熊大教授らの研究成果や患者らの主治医である阪南中央病院三浦、村田両医師の二点識別覚などの検査データが重視され採用されている。
  ただ判決では水俣病認定制度下で補償の対象とされてきた水俣病と区別して、メチル水銀中毒症を論じて、八百万円、六百万円、四百万円の三ランクの賠償(遅延損害金を含めるとその約一・五〜二倍)を認めており、ある意味では二つの水俣病を認める結果となっている。判決が正面から国の七七年判断条件を批判し、その誤りを断罪するには至らなかった点を含め、問題を残している。
  判決は一審で除斥期間二〇年の適用を認めて請求を棄却していた患者について、チッソにはその適用を認めず、賠償を新たに命じたが、国・県との関係では一部の患者について除斥期間の適用を認めた。また、請求の認められなかった七名の患者の中には、一審で賠償が認められていたものもおり、原告患者の主張してきたメチル水銀曝露歴と四肢末端優位の感覚障害の存在をミニマムな診断基準として採用しなかったことは、判決の重大な問題の一つである。
  この判決に対して、患者らの働きかけもあり、チッソは上告することなく、その賠償責任は確定したが、国・熊本県は上告並びに上告受理申立を行い、その関係で最高裁第二小法廷に係属していたのである。

国と熊本県の責任を認めた最高裁判決
  二〇〇四年一〇月一五日、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長、福田博、滝井繁男、津野修)は、国と熊本県が一九六〇年一月以降、チッソ水俣工場の排水に関して規制権限を行使しなかったことが違法であり、国と熊本県は、同月以降に水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取して水俣病となった者及び健康被害の拡大があった者に対して国家賠償法一条一項による損害賠償責任を負うと明快に断じた。つまり、水俣病被害について発生・拡大させた責任がチッソと共にはっきりと認められたのである。
  国と熊本県はこれまで一貫して法律上規制権限がなかったとして、その責任を否定し続け、一九九五年の村山首相談話でも「今、水俣病問題の発生から今日までを振り返る時、政府としてはその時々においてできる限りの努力をしてきたと考えますが、水俣病の原因の確定や企業に対する的確な対応をするまでに、結果として長期間を要したことについて率直に反省しなければならないと思います」とやるべきことはやってきたが十分でなかったというもので、責任をはぐらかし従来の主張を貫いている。
  そして、この九五年の政治決着(和解)により水俣病問題にピリオドをうとうとしたのである。当時、政府与党関係者から関西訴訟団に対しても政治決着の働きかけが再三なされた。
  しかし、関西訴訟の原告は他の患者団体とは異なり、唯一これを拒否する道を選択した。
  一九五六年の水俣病公式発見後間もなく、水俣病は水俣湾の魚介類を摂食することにより生じ、その汚染源はチッソの有毒排水であることは誰の目にも明らかであったにもかかわらず、国と熊本県は一九六八年九月二六日の政府見解(水俣病の原因物質がメチル水銀化合物であり、その汚染源はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備工程の排水であることを初めて公式に認めた)まで一二年の長きにわたってチッソ排水の垂れ流しを容認し、いかなる排水規制措置も講ぜず、不知火海一帯に数万人以上にのぼる悲惨な水俣病被害を発生させ、更にはその水俣病患者の救済を怠りつづけてきた。この国と熊本県の重大な責任を絶対にあいまいにしてはならない。公害の原点といわれる水俣病について行政責任を明らかにしてこそ、今後同様の過ちを防止することができるというのが原告患者らの決意であった。
  原告らは一九九四年七月に国、熊本県の責任を否定した大阪地方裁判所の判決をうけたばかりであり、わずか五八名で裁判を続ける原告らの決断にはただならぬものがあった。当時既に一五名が死亡しており、患者は高齢化していた。毎日の手足のしびれや頭痛を抱えての闘いでもあった。
  しかし、一審での通産省や経済企画庁の役人たちの「チッソの占める産業界における重要な位置を考えるとむやみやたらに操業を止めることはできない」「チッソの排水が止まるということになれば大きな影響を与えかねない」「化学製品の増産、アセトアルデヒドの生産を第一義的に考える」(秋山武夫軽工業局長)「何もしないのも(責任を)果したことになる」(藤岡大信工業用水課長)という証言を許すわけにはいかなかった。国の高度経済成長の犠牲となった原告患者らの人間の尊厳と人権回復の闘いでもあった。
  また、国や熊本県は自らの発生拡大責任を否定するだけではなく、不知火海沿岸一帯に生じた多くの患者らの救済を拒みつづけてきた。国や熊本県は不知火海沿岸住民の健康調査を行なわず、当初の重症患者にみられたハンターラッセル症候群(感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害、構音障害がそろっている)に引きずられた極めて限定的な診断基準により、多くの患者を切りすててきた。
  神経内科専門医を称する御用医学者の権威により、必ず症状の組み合わせを要求し、患者の選別を行なってきた。ことに、公害健康被害補償法による水俣病認定制度がチッソとの補償協定により、少なくとも金一六〇〇万円の一時金の給付と連動することにより、補償金の予算枠による患者の切りすては一層顕著になった。
  その元凶が五二年判断条件といわれるものである。
  後天性水俣病の判断条件と題する昭和五二年七月一日付環境保健部長通知であり、その前文には「近年、水俣病の認定申請者の症候につき水俣病の判断が困難である事例が増加してきたこともあって、当庁においては医学的知見の進展を踏まえ、昭和五〇年六月以降医学の関係各分野の専門家による検討を進めてきたところであり、今般その成果を左記のとおりとりまとめた」とある。
  元来水俣病の診断のためには、メチル水銀曝露をうけた集団とメチル水銀曝露をうけていない集団を比較対照群としてその健康のかたよりを明らかにすることが必要であるが、このような調査を行政は行おうとせず、それまで経験上認定してきた重症患者に依拠した診断基準をとりまとめたのである。
  医学の関係各分野の専門家と言いながら、健康のかたよりを科学的に明らかにできる疫学者は一人も含まれておらず、行政の認定手続きに都合のよい、覚えのめでたい医学者たちによって作られた。
  この基準の根拠となる具体的データや論文を原告は訴訟の場で提出を求めたが環境庁は全く提出できず、国側の井形証人は関係者の経験の持ち寄りによるとしか証言できなかった。
  しかも認定審査会の運用は判断条件の組合わせに合致していても「水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し」認定しないことがあり、多くの患者が救済をうけられないまま放置されてきた。認定される可能性のある患者は保留処分とされ、棄却できる検診結果が出るまで再検診を要請された。関西訴訟原告の中には認定申請して三〇年を経てもなお保留のものもいる。
  このようにして、多くの水俣病患者が放置され、切りすてられてきたのである。ちなみに一九七〇年から二〇〇〇年三月三一日までの水俣病認定申請者数は一万七一二八人、そのうち、水俣病と認定された者はわずか二二六四人、水俣病でないとされたのが一万四八一四人である(熊本・鹿児島両県合計)。
  一九九一年一一月二六日の中央公害対策審議会の水俣病対策についての答申は「水俣病が発生した地域においては水俣病とは診断されないものの、水俣病にもみられる四肢末端の感覚障害を有する者で、その症候をもって水俣病ではないかという疑いをもち、深刻な不安を持つに至っている者が少なからず存在しており」「このような者が自ら水俣病である又はその可能性があると考えることは無理からぬ理由があり」等とのべ水俣病患者とは認められないが、多数の健康不安者の存在を認めている。
  前記九五年の政治決着はこれらの者に対し、一時金二六〇万円と一定の医療給付を行うことで水俣病問題の幕引きを図ったのである。
  関西訴訟の原告患者らはこれまで放置され、場合によってはニセ患者扱いまでされながら、最終的にわずかの金銭で、しかもあくまで水俣病患者としては認めない扱いにやはり絶対に同意できなかったのである。
  しかし、関西訴訟以外の係争中の患者たちは「生きているうちに救済を」と苦渋の決断をせまられ、政治決着にのみこまれた。

最高裁判決の歴史的意義
  今回の最高裁判決は前述のような政治決着を拒否した原告患者らの積年の思いにこたえるものであった。
  公害の原点といわれる水俣病についてチッソ株式会社と共に、国と熊本県の発生・拡大防止責任を認めた歴史的意義は図りしれない。
  前述した役人らの高度経済成長のためには人命は二の次という考えではなく、人の生命・健康の価値こそが最大限尊重されなければならないという当然の原則、日本国憲法下での国のあり方が確認されたのである。既に政治決着ずみという行政の圧力をはねのけ国民の側に目をむけた司法判断でもある。
  判決は水質保全法、工場排水規制法による国の排水規制権限は、当該水域の水質の悪化にかかわりのある周辺住民の生命、健康の保護をその主要な目的の一つとして、適時にかつ適切に行使されるべきものであるとし、国は昭和三四年一一月末の時点で、水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取する住民の生命、健康等に対する深刻かつ重大な被害が生じ得る状況が継続していたことを認識していたのであるから、排水規制権限を行使していれば、それ以降の水俣病の被害拡大を防ぐことができたとのべている。
  また、熊本県も同様であり、熊本県漁業調整規則が水産動植物の繁殖保護等を直接の目的とするものではあるが、それを摂取する者の健康の保持等をもその究極の目的とするものであるとして、規制権限行使の必要であったことを認めている。
  住民の生命・健康を守るためには、既存の法律を積極的に活用しなければならないことを明確にしたもので、まさに国民のためにある行政のあり方を示しており、行政はこれを教訓とすべきであろう。
  判決は国の除斥期間に関する主張も排斥し、水俣病のように加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には、当該損害の一部が発生した時が除斥期間の起算点となるとし、遅発性水俣病の存在を認めた上で、上告審係属の原告患者らについて請求権の消滅を認めなかった。
  更に判決は高裁の認めた病像について、「医学的経験則に反し五二年判断条件こそが正しい医学的経験則である」とする国の主張を排斥し、高裁判決に続いて国の五二年判断条件が誤っている(採用できない)ことを明らかにした。
国に水俣病認定制度の見直しを求めているものといえよう。

最高裁判決の限界
  我々は最高裁に附帯上告を行い、食品衛生法上の国・県の規制権限の行使(有毒な魚介類をとるな、食べるな)が必要であったこと、その場合一九五七年には規制権限行使が可能であったことを認めさせようとした。
一九五七年には水俣病の原因が水俣湾産の魚介類によるものであることは誰の目にも明らかであった。熊本県は同年七月、食品衛生法による販売禁止、漁獲禁止の告示を行うことを決定していた。ところが県の法適用についての照会をうけた厚生省は漁獲禁止による漁業補償問題の発生をおそれて「水俣湾産の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので」全面的な禁止はできないとして横槍を入れた。このため県は食品衛生法の適用を見送った。
  ここには国が単なる不作為ではなく、作為的に水俣病被害の拡大に加担した犯罪的役割が示されている。
  しかし、判決はこれを認めず、その結果、一九五九年末までに水俣を離れて関西へ移り住んでいた八名の原告患者(その多くは一九五八年、五九年)については、国と熊本県の責任が認められなかった。
  死亡患者など証拠資料の不十分な者八名が水俣病と認められず、更に六名の者が国、熊本県の関係で二〇年間の除斥期間の適用により責任が認められていなかったが、最高裁は更に八名の患者の思いを排斥したのである。
  そして何よりも問題なのは最高裁判決まで二二年間を要したということであり、現時点で既に二三名が死亡しており、余りに遅きに失したということである。

今後の課題
  原告患者らの自らの体を犠牲にした、その基本的人権奪還の闘いは理念的には勝利し、権利のために闘う多くの人々に勇気を与えたことと思われる。
  しかし、原告患者らの得た賠償金は遅延損害金を含めても平均して八〇〇万円台であり、十分なものとはいえない。国・県の責任を明確にする意味でも高額の懲罰的賠償が考えられてよい。
  何よりも原告患者らには政治決着により和解した約一万人がうけている医療費と療養手当の給付がない。年老いた患者たちにとって、今後の医療費等の行政措置は切実なものがある。
  我々は判決後、環境省と熊本県と相次いで交渉を持ち、医療費等の給付をはじめ国と熊本県の加害責任に立った上での新たな水俣病患者救済策の実現を求めている。
  闘いはまだ続くのである。
[BACK]

水俣病上告取下げ全国ネットワーク

事務局:〒533‐0014 大阪市東淀川区豊新5丁目12-40
第一和田マンション206号デイゴ気付
TEL:06-6328-4550 FAX:06-6328-0937
E-mail:aah07310@pop02.odn.ne.jp URL: http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/
東京窓口:〒113-0024 東京都文京区西片1-17-4 ハイツ西片202
東京・水俣病を告発する会 TEL/FAX:03-3814-5639
Powered by ZENBELG Co.,Ltd .Dec-2000
Copyright(c) 2000-2004 The Chisso Minamata Disease Kansai Lawsuit All Right Reserved.