「夜間飛行appendix」

                     〜 オレンジ色のニクイ奴 U 〜(4)



 北川の入院は二週間以上に及んだ。しかしその甲斐あってすっかり元通りになった彼は、

食事制限も全く受けることなく、退院後、直ぐに普通の食事を摂れる身体になっていた。


 「それにしても、命に関わらなくて良かったな」


 「まあな。食欲は落ちてないし、時間は掛かったが完治したのはありがたい限りだ」


 「そういや秋子さんがおまえのこと、すごく心配しててな」


 「秋子さんが? そいつは光栄だ」


 「ああ。それで退院祝いを準備して待ってるんだが、明日の放課後これるか?」


 「退院祝いとは照れるな。でも嬉しいぜ。絶対行くよ」


 祐一は学食で大盛りのランチをぺろりと平らげた北川を見て、今まで以上のペースで北

川にジャムを片付けてもらうつもりでいる。退院祝いの席でも、少なくとも新作が何本か

は並ぶだろう。備蓄は溜まりに溜まって溢れんばかりだ。せめて何本かは完食して帰って

もらわないと、味見の恐怖が再び現実のものとなってしまう。


 「これからも力の限り食って貰うからな。冷蔵庫の中が枯れ果てるまで・・・」



                              * * * * *



 そして明くる日の放課後、北川は二週間ぶりに水瀬家の玄関をくぐった。まるで昔の恋

人に数年振りに会ったように目を潤ませて出迎えた秋子に、北川は少し照れたように頭を

掻いた。


 「北川さん。大変でしたね」


 「へへ、ご心配おかけしました。でも、もうピンシャンしてます」


 「会いたかったんですよ、私」


 「そ、そ、そ、そうですか」


 「北川さんのために、たくさんジャムを用意しています。今日は思う存分食べていっ

  て下さいね」


 「俺なんかのためにわざわざ準備までしていただいて、涙が出そうです」


 北川が秋子に連れてこられた奥のリビングでは、ちり紙で作ったバラやカラフルな色紙

でできたチェーンが四方に張り巡らされ、天井にはサラダボールでこしらえたくす玉まで

もが飾り付けられていた。


 「な、なんだなんだ!?」


 北川が呆気にとられていると、クラッカーを鳴らしながら名雪と香里が現れ、同時に祐

一がくす玉を割った。中からは、金銀のきらびやかな紙吹雪と共に<北川潤君退院おめで

とう>と書かれた垂れ幕がスルリと舞い降りてくる。オレンジ色のジャムをものともしな

い唯一の戦力には、これぐらいの投資は高くはないだろう。


 「いやあ、よかったよかった! 北川が無事で本当に良かった」


 「北川君が退院できて、こんなに嬉しいことはないよ」


 「これであたし達も安心だわ」


 「よかったですね。みんな、北川さんの退院を待ちこがれていたんですよ」


 「み、みんな・・・うう・・・あ、ありがと・・・」


 うっすらと嬉し涙を滲ませながら、北川は言葉を詰まらせた。


 「いいからいいから。それより今日は、おまえのために秋子さんが腕によりをかけ

  て作ったジャムがあるんだ」


 「オレレジ色の他にイチゴジャムやブルーベリーのもあるんだよ」


 「秋子さん、北川君が退院したときのために色んなジャムを研究していたのよね」


 もはや北川は感涙にむせんで声も出ない。彼の人生の中でこれほどまでに他人に愛され、

大切にされたことがあっただろうか。いいや、無い。全然無い。北川潤は幸せをかみしめ

ながら、あたたかな水瀬家の家主に心から感謝した。


 「本当に嬉しいです。俺のために、たくさんのジャムを・・・」


 「半分は私の趣味ですから気にしないで思い切り食べていって下さいね。今日は北

  川さんのお祝いなんですから」


 「ありがとうございますぅぅ」


 「さあさ、召し上がれ」


 北川の座るテーブルの最上席には全てのジャムが集められた。オレンジ色のジャムに加

え、普段名雪達も口にするイチゴジャムやブルーベリージャムにプルーンのジャム。色と

りどりのジャムが一堂に会し、まるでジャムの見本市のようだ。その壮観な彩りの中から、

北川が最初に選んだのは入院する前に毎日のように食べていたオレンジ色のジャムだった。


 「やっぱり、これですよね」


 「さすが北川さん。お目が高いですね。それは最新作で、ちょっと自信が有るんで

  すよ」


 「そうですか。ではありがたく・・・」


 パク。


 「どうですか?」


 「・・・あれ?」


 「・・・?」


 オレンジ色のジャムをたっぷりと塗ったスコーンを口に運んだ北川は、難しい顔をしな

がら味を確かめるように咀嚼を繰り返している。


 「ヘンだな・・・」


 「・・・」


 「これって、いつも出していただいてたジャムですよね?」


 「ええ、そうですよ」


 「・・・」


 「もしかして、お口に合いませんでしたか?」


 「いえ、そういうわけでは・・・」


 少なくとも北川の表情は、最初にそれを食べたときに見せた最高の笑顔からはだいぶか

け離れたものだった。怪訝な顔をして咀嚼を続ける北川の様子を見て表情を曇らせたのは、

秋子だけではない。祐一と名雪も北川がそのジャムを喜んで口にしているのではなさそう

だと直感して、不安を掻き立てられる。


 「おい、名雪。なんだか、雲行きが怪しくないか?」


 「北川君、あんまり喜んでないね」


 「秋子さんがジャムに手を加えすぎたのかな」


 「味見の時は、いつも通りの奇特な味だと思ったけど」


 祐一と名雪がヒソヒソ話をしている横で、秋子は真剣な顔をして北川の機嫌を伺った。


 「私が色々新しいことを試したのがいけなかったんでしょうか・・・」


 「念のため、今度はこっちのオレンジ色のを試して良いですか?」


 「は、はい、どうぞ」


 パクっ。


 「・・・うーん」


 「これもダメですか」


 「ええ。でも、秋子さんのせいじゃないですよ。ダメなのは俺の舌みたいです」


 「舌が、どうかしたんですか?」


 「実は、手術の際の麻酔から目が覚めたら味覚が変わってしまったようで、今まで

  美味しいと思っていたものが美味しく感じられなくなっていたんです。お医者さ

  んに聞いたら、体質によってはたまに起こることだそうで・・・」


 「あらまあ・・・」


 「病院で出たカレーライスもオムレツも全くダメだったんです。子供達は喜んで食

  べてるのに」


 「それはお気の毒に・・・」


 「あ、でもこっちのイチゴジャムはいけますね。これ最高です」


 「・・・」


 「美味い!! こんなに美味しいイチゴジャムは生まれて初めて食べました」


 「北川さん、無理しなくてもいいんですよ」


 「無理じゃないですよ。本当に美味しいです」


 彼の笑みは、オレンジ色のジャムを初めて口にしたときと寸分違わない。再び社交辞令

という不安が心をかすめたが、その曇りのない全開の笑顔に秋子の心は一瞬にして温まる。


 「そうですか?」


 「良かったあ、オレの味覚もまだまともだったんだ。久しぶりだなあ、こんな美味

  いイチゴジャム!」


 「まあ。でも、イチゴジャムが喜んでいただけたなら本望ですわ」


 「いやあ、美味いっ! コレは絶品中の絶品です!」


 オレンジ色のジャムはフラれたものの、イチゴジャムが史上稀にみる喜ばれ方をした秋

子はすっかり機嫌と自信を取り戻し、イチゴジャムを矢継ぎ早にスコーンに塗っては北川

に差し出した。


 「ごめんなさいね。北川さんの味覚のことまで考えて無くて」


 「いえ、俺の体質が原因なんですから気にしないで下さい。やややっ、こっちのプ

  ルーンジャムもまたかぐわしいですねぇ。これも芸術作品ですよ」


 「そんな。照れてしまいますわ」


 「いやあ、秋子さんのジャムはどれも素晴らしい。でも、このオレンジ色のジャム

  も折角作ってもらったんですから、食べないと勿体ないですよね」


 「これですか? これは気にしないで下さい。味覚が変わってしまったなら無理に

  食べていただかなくても・・・それにこれは他に美味しいと言ってくれる人がた

  くさんいますから、その人達に食べて貰います」


 「そうなんですか?」


 「ええ、祐一さん達が好きみたいなので」


 ガタン、と音を響かせて祐一と名雪が椅子から滑り落ちた。


 (な、なぜ、そうなる?)


 (うー、それは、大いなる勘違いだよ〜)


 引きつった笑顔を携えて祐一と名雪が席に復帰したとき、イチゴジャムに気分を高揚さ

せられた北川の語りはさらに絶好調になった。


 「そういえば、相沢君もあのオレンジ色のジャムはどんなにお金を積んでも手に入

  らない貴重品だと言ってました」


 「まあ、祐一さんがそんなことを? それでいつも遠慮してたのかしら?」


 「きっと、そうですよ」


 「じゃあ、もっと頻繁に作らないといけませんね」


 「羨ましいなあ。こんな美味しいジャムを作ってくれる人が親戚で」


 「もう北川さんは家族も同然ですから、いつでも食べに来て下さい」


 「なんてったって、お若くて美人だし。こんな綺麗な伯母さんなんて・・・相沢君

  と入れ替わりたいなあ」


 「さあ北川さん、こっちもどんどん食べてくださいねっ!」


 歳が離れていない親子か、はたまた恋人同士のような仲むつまじさを見せつけるジャム

フリークの二人を横目に、祐一と名雪の顔面からはみるみる血の気が引いて行く。


 「北川・・・調子に乗ってベラベラと・・・」


 「そ、それよりこれからどうしよう〜。直ぐにでも、あのオレンジ色のジャムが攻

  めてくるよ」


 「お、そうだ。忘れていた」


 お先真っ暗、被害は甚大。北川がその味覚的な特殊能力を潜めてしまっただけではない。

今は祐一と名雪があのジャムを好きなのだと、秋子が思い込んでいるらしい事の方が問題

だ。突然の形勢逆転。祐一と名雪はパニックに陥った。


 「とりあえず、あのオレンジ色を北川に食わせる算段をするんだ」


 「でも、どうやって?」


 「こういうときのためにブレインがいるんじゃないか。香里、何かいいアイデアは

  ないか?」


 「さてと。あたしはそろそろ、おいとまするわ」


 「は? お、俺たちを見捨てて逃げるのか、香里!?」


 「そうだよ。わたしたち、あとは香里だけが頼りなんだよ。一緒に闘ってよ」


 「いやよ」


 「い、今さら裏切る気か?」


 「そうだよ。見捨てないでよ」 


 「あたし、どうやら二人の問題に首を突っ込みすぎたわ。だいたい、あたしこの家

  の人間じゃないもの」


 「正確に言えば俺だってこの家の人間じゃないぞ」


 「ひ、ひどいよ〜。香里も祐一も家族みたいに思ってたのに〜」


 「親友も他人に変わりないの。あたしとあなたの間には、深くて広い見えない川が

  流れているのよ」


 「うむ。イトコ同士の間にも高くて鋭い山がそびえているのだ、名雪」


 「関係ないよ。今ここにいるんだから、二人ともあのジャムを食べる義務が有るん

  だよ」


 「めちゃくちゃな論理で勝手に義務付けないでくれる? 大体この間、あのジャム

  美味しい美味しいってバクバク食べてたのは名雪と祐一じゃない」


 「その前に香里だってこんなに美味しいジャムは食べたこと有りませんって言って

  たじゃないか」


 「そうだよ。香里が美味しいって言ったからわたし達も食べたんだよ? あの言葉

  はウソだったの?」


 「ウソよ」


 「・・・」


 「・・・」


 あまりにストレートな彼女の態度に、祐一と名雪は二の句が継げない。


 「そもそも北川君を連れてきたのはあなた達でしょ?」


 「あのときはアレが最善の解決策だったんだ」


 「そうだよ。香里も賛成したじゃない」


 「反対しなかっただけよ」


 「つまり賛成だ」


 「とにかく北川君がジャムを食べることは喜んでたじゃない。だったら今も何とか

  してよ、香里」


 「いやよ」


 「そんな事言うなよ。恋人じゃないか、俺たち」


 「親友だよね、わたしたち」


 「・・・」


 「な?」


 「ね?」


 「だから何?」


 冷血無情のブリザード。晩秋なのに祐一と名雪の気分は冬だ。



                              * * * * *



 香里はお得意のメデューサの眼差しですがりつく祐一と名雪を振り払うと、二人が意気

消沈しているあいだに一人脱出を謀ることにした。


 「折角のお祝いの席なのに、ごめんなさいね、北川君」


 「夕食当番じゃあな。待ってる人が居るんだろ? 早く帰ってやれよ」


 「秋子さん、クッキーとお茶、ごちそうさまでした」


 「お粗末様でした。また遊びに来て下さいね」


 先ほどまでの名雪と祐一に対する態度とは打って変わった優しい笑顔。この二面性もま

た祐一と名雪が香里を恐れるゆえんの一つだろう。名残惜しげに玄関まで見送りに出てき

た秋子と北川の影で、祐一と名雪は香里に気付かれないように非難の視線を送ることしか

できなかった。しかし弱者にも意志はある。正面切って彼女にケンカを売ることは出来な

くとも、影に身を隠しながら呪いの念仏を唱えるぐらいは憲法にも保障された基本的人権

に含まれるはずだ。祐一と名雪の視線は、香里を呪う怪しい光に満ちていた。


 「それでは失礼します」


 「あ、そうそう。香里ちゃん、これをお土産に・・・」


 「?」 


 「今日、あまり食べて貰えなかったので、持って帰って家で楽しんで貰おうと思っ

  て・・・」


 「・・・はあ」


 水瀬家の玄関で靴を履いて向き直った香里に、秋子がそっと手渡したのは傍目にも少し

重そうな紙袋だ。香里が中身を確認すると、そこではオレンジ色のジャムが二本、香里に

向かって微笑んいた。


 「こ・・・これは!?」


 「香里ちゃんも美味しいって言ってくれたから、他の二人と平等に分けたの」


 「あたし、これを美味しいって・・・秋子さんに言いましたっけ?」


 「この間、リビングで祐一さんと名雪とこれを食べていたでしょ。悪いと思ったん

  だけど、つい立ち聞きしちゃったの」


 「・・・」


 「この世の物とは思えないほど美味しいなんて言ってもらうと、ちょっと照れます

  けどね」


 (「美味しいでしょ? ねえ? この世の物とは思えないほど美味しいでしょ?」)


 祐一と名雪をいたぶって悦に入っていた思い出の中に、その台詞は書いてあった。


 (まさか、あのとき!?)


 一瞬にして今度は香里の表情が凍り付いた。その台詞を口にしたことも記憶に新しい。

その言葉の中に、思い切り皮肉が込められていると気付かれていないことだけが唯一の救

いだ。確かにあのやりとりを外で聞いていたら、そして祐一と名雪がうれし泣きをしなが

らそれを食べる様子が伝わっていたとしたら、三人ともジャムが好きなのだと思われても

仕方あるまい。秋子は明らかに勘違いしている。


 「秋子さん、あたし実は・・・」


 「はい、なんでしょう?」


 「・・・い、いえ。なんでもありません」


 自己満足の幸せな世界に浸っている秋子に、今更このジャムは嫌いだなどと、とても言

える雰囲気ではなかった。香里が本当のことを言うに言えず、秋子に渡された紙袋を悔し

そうに見つめていると、いつになく困惑して隙を見せている香里の様子を伺っていた弱者

二人が、ここぞとばかりに反撃に出た。


 「秋子さん」


 「祐一さん、どうしました?」


 「俺と名雪はあのジャムいつでも食べられるし、香里がそれを好きだというのなら、

  他の瓶も持って帰ってもらったらどうでしょう?」


 香里が味方の座を自ら返上したのなら、この家の驚異の原因となるオレンジ色のジャム

なぞ、のしを付けてプレゼントしてくれよう。祐一につられて名雪も態度を一変させた。


 「そうだよ。香里ん家は家族多いし、もう10本ぐらいヘッチャラだよ」


 「そうねえ。あなた達にはいつでも作ってあげられるものね・・・」


 「この際、全部持ってってもらいましょうよ。美坂家でも秋子さんのジャムの虜に

  なる人が現れるかも知れませんし」


 「そうだよ。香里はこの世の物とは思えないほど美味しいって言ってるんだし」


 「そうよね。わかったわ」


 彼らの会話にどう口を挟んでも秋子のジャムを否定することになりそうで、香里はその

やりとりをただ黙って聞いているしかなかった。


 (こ・・・この裏切り者っ!!)


 香里は渾身の力を込めて祐一と名雪を睨みつけたが、全ては後の祭りだった。秋子は喜

び勇んでキッチンへ走ると、更に大きな袋を抱えて戻ってきた。


 「香里ちゃん。全部で15本有るけど、今の時期だから日持ちもするし、これぐら

  い大丈夫よね?」


 「あ、で、でも、重いのでまた今度・・・」


 「この世の物とは思えない美味しい物の為なら、10kgや20kgは何てことあ

  るまい」


 「わたしもイチゴサンデーなら15杯ぐらい入るよ」


 論点はズレているが説得力のある言葉だ。この二人もバカではない。後日、香里に厳し

い反撃を喰らうことなどわかっている。それを承知の上で、敢えて闘いを挑んだ。長い人

生の中でも香里に完勝するチャンスなどもう二度と訪れないだろう。二人は、一度でもそ

の快感を味わってみたかった。戦争で負けても今一瞬の戦に勝ちさえすれば良かったのだ。

小さな庶民の快楽など所詮その程度だ。しかし彼らがこの戦いに勝つ意義は大きい。この

先、いかに香里にいたぶられようともオレンジ謎ジャム15本に匹敵する恐怖などありえ

ないのだから。


 「それに先に裏切ったのは香里だしな」


 「それでかな。あまり罪の意識無いよね」


 人生万事塞翁が馬。何が災いとなり、何が身を祐(たすけ)るのか。それは運命のみが

知っている。弱者とて、最後の最後まで諦めずに好機を待つことも重要なのだ。そして、

同じ屋根の下で暮らす血の繋がった者同士の結束は強かった。香里が親友と恋人の枠を超

えて家族同様に彼らと価値観を共有するのは、どう頑張ってもかなり先の未来になるであ

ろう。連帯感は、そこにある苦渋の境遇に共に身を置いた者の間のみに生まれるのだ。


 「神は現れた」


 「これで安心して明日から暮らせるね」


 少なくともこの二人の価値観では、水瀬家に平和さえ訪れれば地球の平和などどうなっ

ても良いのである。



                              * * * * *



 「お、重いわ・・・」


 ジャムの瓶を大量に詰めたせいで巨大化した紙袋を手に、香里は水瀬家の玄関を出た。

恨むべきは祐一と名雪。しかし北川の味覚が変わりさえしなければ、こんな目には会わな

かったはずだ。もとい、秋子がこんな物を作るからイケナイ。あくまでも自分の非は棚に

上げる女、美坂香里。彼女はぶつけようのない怒りを胸に、15本の謎ジャムの入った紙

袋と長く延びた影法師を引きずりながら秋の黄昏の街を歩いた。西向きの道に出て、ふと

視界に入った眩しい光に立ち止まる。すると正面に、今にも山の稜線に沈もうとしている

真っ赤な太陽が輝いていた。空一面を一色に染め上げている鮮やかな夕陽。


 「まったく・・・なんで夕焼けなのよ」
 

 晩秋を告げる冷たい北風が足もとを通り過ぎたとき、香里は道のまん中で目を細めて夕

陽を睨みつけた。


 「チンタラしてないで・・・とっとと沈みなさいよ!」


 果てしなく広がる秋の空は、豊穣を司る情熱的な神様に彩られて刻一刻と姿を変えてゆ

く。その神様は冬へと向かって少しずつその艶やかな色を失いながらも、暖かく人を包み

込んでくれる。そこにあるのは、優雅な哀愁を漂わせた見事なまでの夕焼け空。





                        〜 オレンジ色のニクイ奴 U 〜

                        「かおりん同盟」二周年記念SS