児童文学創作講座

とりあえず、これだけ知っていれば、児童書を書くとき楽かもしれないってことなど。

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3.三十枚以上の作品の制作の実際〜わたしの場合〜



ちょっと面白い資料がでてきたので、今回は、それを使ってお話ししましょう。
昨年(99年)の秋、佼成出版社から出版された「七日間のスノウ」という作品をかいていたとき、
編集さんと画家さんに見せるためにわたしが作った登場人物の覚え書きです。
資料を転載する前に、この本が、どういう内容の本なのか、一応説明しておきます。
(できれば、図書館などでとりよせて読むと参考になると思います。買っていただけるとなお結構。
ちょっと今回のネタは、もとの本を読んでいないと、わかりにくいかもしれません。ごめんなさい)。

この本は、小学校中学年向けの作品で、原稿の枚数は二十枚代だったと思います。
一言でいうと、女の子が捨て猫を拾うんだけど、世話し損なって死なせてしまう、という話です。
で、そういう本はちまたにたくさんありますよね?
わかっていて書いたので、じゃっかん、工夫はしてあります。そのへんは、おいおいに後述。

そもそもなんだってわたしがそんな「よくある話」をかくことになったかというと、出版社さんからの
依頼が、「ペットの死を通して、命の大切さを語ってください」というものだったからです。
つまり、テーマが先にあったわけです。これが第一の理由。
で、そのとき、出版社さんから「こんなのはどうでしょう?」といわれた「たとえば」のはなしは、
「女の子がハムスターをもらってくる。お父さんから、『あんまりいじると死んじゃうよ』といわれたのに、
女の子はハムスターと遊びすぎてしまい、死んでしまう」というものでした。
どういう話を先方が求めているのか、よくわかりましたが、あいにくわたしは、ねずみに詳しくなく、
ということは仕草の描写もできないし、するとかわいく書く自信もないし、
そもそも、「ハムスターをもてあそんでいるうちに誤って殺してしまう女の子」のほうはまだしも、
そうなる危険があるとわかっていて放置した若い父親」(無責任の極みじゃないか)というのに、
感情移入できる自信がなかったので、「何か考えるので待っててください」とこたえたのです。

で、書くなら猫だろうなあと思っていたころ、まじで子猫を拾っちゃったんです。これが第二の理由。
拾ってうちに帰るだんかいで、どうやって育てたらいいか、だいたいわかってました。
主人公の真実と同じで、「猫の飼い方」を読むのが趣味だったからです。
(違うのは、うちにはすでに一匹猫がいるというところでしたが)。
で、ほくほくしながら、毎日赤ちゃん猫を育て、ミルク代やほ乳瓶代をメモにつけ、
たいへんだったことなども記録しておいて、あとで、作品に反映させました。
なお、物語中で、真実が風邪をひきますが、これは実際にわたしもひいたのです。
あれを書いていた、99年の春、ひどい風邪が流行っていたのをみなさんご記憶でしょうか?
たいして熱はでないんだけれど、異常に咳がつづく風邪。
わたしはこれにやられました。で。一番つらいときに、子猫を不眠不休で育てました。
何しろ赤ちゃんですから、二時間から三時間おきにミルクをやらなきゃいけない時期がありました。
排泄だって、手伝ってやらないとできません。寒い時期ですから、カイロだっていれてやらなきゃだし、
カイロは使い捨てだから、時間が切れる前にかえなきゃだし…そんなこんなで、
寝るに眠れず、どうせ寝ても、目覚ましかけてすぐに起きなきゃだったので、
めんどくさいから、せきこみながらおきてたわけです。ちょうどあのころ、夜中に、NHKで、
キングのSFホラーのドラマ化した奴が夜中に連続放映されてたし、みながら起きてました。
結果。風邪は悪化しましたよ、当然のごとく。
結局、アレルギーの咳まで引き起こして、七月までせきこんでました。

それはさておき。作品は完成しました。モデルの子猫は、今は巨大猫です。めでたしめでたし。

では以下、キャラクターの覚え書きを写しますね。


<杉崎家の人々>

杉崎康太郎(パパ)38才。
地元の小学校から地元の中学、高校、大学(経済学部)と、無理なく進学してきた、素直な性格のお父さん。本が好きで、十代のころは、それなりに詩を書いたりしていたけれど、職業にするほどのもの(才能)でもないと自分では思っている。大学では、軽音楽部に所属。とくに目立つこともなく、それを不満にも思わず、のんびりとクラブ活動の日々をすごした。大学卒業後、クラブの先輩の実家が経営している家電を作っている中小企業に、人柄をみこまれて就職。職種は営業。オーブントースターや湯沸かしポットを、主として電気店などに売り歩いている。なにぶん中小企業、メーカーの知名度が低いので悔しいこともあるが、自社の製品と会社を愛している、よき会社員。会社だけではなく、妻子のことも心から愛しているのだが、心ならずも仕事優先になってしまうのが、苦しいところである。身の回りのなんでもないものの良さをしみじみ感じることのできる能力を持つ。

杉崎華美(ママ)38才。
康太郎とは幼なじみ。中学高校と別の学校だったが、大学(こちらは文学部)で再会。卒業の二年後に結婚。一年後に真由子が生まれる。実家は小児科医、裕福な家庭で育つが、性格はやや過敏で神経質。(ちなみに今住んでいる家は、借家か、華美の両親の資金援助があって建てられた家だろうと思われる)。趣味はガーデニング。実家では小鳥や熱帯魚を飼っていた。子どもと動物は好きで、白いレースのエプロンの似合う優しくて明るいお母さんになるのが夢だったが、最初の子どもが弱い子どもだったので、「明るいお母さん」になる自信がなくなってしまっている。意識の奥底で、真由子が病弱なのは、自分に責任があるような気がしているため、自分を責めることが多い。元気な真実が生まれて、ある程度彼女が成長してきてからは、精神的な部分で子どもに頼るところがでてきた。きれいな心の持ち主なのだが、良くも悪くも少女のような人である。

杉崎真由子(お姉ちゃん)12才。小学校六年生。
過敏で繊細なところと美人なのは母親譲り。アレルギー体質もたぶん母方からもらっている。成績優秀。物語の本とテレビゲームが好きだが、このごろでは、大人が読むような本にまで手をのばしている。やや早熟なタイプ。病弱な自分、そして病弱なために人の重荷になることが多い(と感じている)自分を、肯定的に見つめることができない。でも自暴自棄に走らないのは、おだやかな父と妹の存在があるから。妹に対しては、のんびりしたところにいらだつ気持ちと、自分とは違った性格に生まれついた妹を愛しく思う気持ちが同居している。健康な妹をうらやむ気持ちもあるが、元気な真実をみているのが好きな、優しいお姉ちゃんである。

杉崎真実(主人公)10才。小学四年生。
おだやかな性格は父親譲り。でも、母親から繊細な性格を受け継がなかったわけではない。過敏な真由子の陰に隠れて見えないだけで、この子も十分、感受性の豊かな少女である。学校の成績は中位。目立つ方ではないが、友人は多い方である。学校では担任の先生ではなく、ほかのクラスの受け持ちの先生に長所を発見されて気に入られているようなタイプの子である。クラブ活動は園芸部。本も好き、ゲームも好き、星をみるのも好き、楽器にも興味がある、と、好きなことが多い。

杉崎スノウ(猫)雄。
シャム猫系日本猫。真実に拾われたのは、生後三日。目が開いたのは生後十日。
夢にでてきたのは、生後一ヶ月くらいの姿。



二十枚代の物語というのは、ほぼ、三十枚の物語だといえます。
で、三十枚というのは、「小説」が書ける枚数なんですね。長編の書き方でかける最低限の枚数
ともいいます。二十枚以下のお話になってしまうと、人物の書き方が違ってくるのです。
いい方は悪いけれど、ある程度、人物をコマのように書かなければいけなくなってきます。
性格設定だって、「親切な太郎くん」「気が短い花子ちゃん」なんてシンプルなのが、
むしろふさわしくなってきます。二十枚以下のお話は、お話を語るためにだけ存在していて、
人物までを語る余裕も必要もないのです。
星新一や、あまんきみこ、立原えりかの短編を
思い浮かべれば、「なるほど」と、思われるはずです。で、だからといって、
二十枚以下の作品は三十枚以上の作品に劣るというわけではありません。名作も多いです。
ただ、物語の種類が違うということなのです。

さて、三十枚の作品は、長編と同じやり方で段取りをつけなければ書けません
少なくともわたしは、でないと気持ちが悪くてこわくて書けないです。
(もちろん、二十枚以下の作品を書くやり方でシンプルに書くことも可能ではありますが)。
するとたとえば、人物設定をきちんと作らなければならない。そういうわけで、わたしは
自分で確認するため、同時にいっしょに作業をするほかの人にも物語の意図をわかって
もらうために、人物設定を作り、印刷して担当編集者さんと画家さんに渡しました。
それが、さっき引用した文章です。

で、この設定の多くは、どれも直接は物語中にはでてきません
真由子がゲームをしたり本を読んだりするシーンがあったり、お母さんが神経質に子どもたちに
接したりするシーンはありますが、あくまでも情景描写でさらっと流しています。
「真実には友だちが多い」なんて説明も、文章ではちらっともしていません。
キャラクターの設定は、背景の設定です。三十枚ではなく、もう少し長い枚数ならば、
お父さんの仕事の内容あたりにもふれたかもしれませんが、この物語のなかでは、
お父さんはただ、仕事が忙しくて遅くならないと帰ってこない人、であり、
なにをしている人かは、ひとことも説明をしていません。物語の流れに関係ないからです。

ではなぜ、物語にはでてこないようなことまで設定したかといいますと…。
小説を書くときは、物語の流れに直接関係ないようなことでも、設定しておいた方が
いいのです。背景の設定があるのとないのとでは、キャラクターの存在感のあざやかさが
ちがいます。細かな設定のあるキャラクターの行動には必然性が生まれ、言葉には、
リアルさが漂います。なぜって、作者の心の中で練り上げられたキャラクターには、
本当にどこかに生活している人物のような、魂が宿るからです。
よく、アマチュアの人の作品を読んでいると、キャラクターが、物語のなかにだけ
張り付いているように思えることがあります。その物語のなかにしか、キャラクターが
生きていないような、無個性な、魂のない、うすっぺらなキャラクター。
物語のために作られた、本をとじたら、さよならになってしまうようなキャラクター
プロ作家が書いた作品のなかにも、たまにそういうのがまじっていますが、
小説のキャラクターはそれではいけない
のです。
物語が存在する前に、キャラクターが存在していなければなりません。
だって、小説とは、人間の描写や行動をとおして、大事なことを語るものだからです。
人間がお人形さんになっていては、説得力なんてあったもんじゃありません。

よく言われる言葉ですが、長い物語の登場人物は、
物語が始まる以前から存在したように書かれていなくては
ならない」し、「物語が終わったあとも、どこかに生きているように

読者に思わせなければならない」のです。
こう書くと、「どうすればそんな風に書けるかわかんないよう」と、頭を抱えるかもしれませんが、
とにかく、細かな設定を作る。それからはじめる癖を付けておけば、だいじょうぶです。
食べ物や飲み物の好みを考えたっていいし、座右の銘とか、口癖とか、
キャラクターのことをいろいろ想像するのは大事だし、とっても楽しいものですよ。
そうこうするうちに、キャラクターが自分なりの口調で頭のなかでせりふをしゃべりだすはず。

さて。キャラクター設定を考えるのとどうじに、物語も考えていきます。設定を考えながら、
物語を考えたり、物語を考えながら、設定をいじったりしていくのです。

転載した資料は、ほとんど物語が頭のなかでできあがった時点で書いたものです。

今回は、「子猫を拾う」「子猫が死ぬ」というところはまず決まっています。
子猫は赤ちゃん猫で、主人公が苦労して育てることにしようと決めています。
街の設定は、いつもわたしが書いている架空の街、風早街に決めました。
主人公の真実は、駅前商店街の近くにあるという設定になっている新興住宅地の子だと
いうことにしました。子猫を育てる場所ですが、自分の家という設定は無理です。
子猫の鳴き声で、存在が家族にしれてしまうからです。
かといって、二時間か三時間おきに授乳や排泄の世話が必要になる子猫ですから、
主人公が夜でも、また学校の合間にでも世話をできる距離においておかねばなりません。
丘の上にあるという設定になっているお屋敷街の廃屋、そこを真実の隠れ家にしました。
真実はひとりで、隠れ家で遊ぶ習慣のある少女であるという設定にしたわけです。
真実はここで、子猫を育てるのです。家と学校の中間地点にあるという設定にします。
「真実が隠れ家を持っている」という設定は、あとあと、彼女の心理状態を表すための
よい演出にもつながっていくのですが…そのあたりは後述。

さてここで。わたしは「よくある話」にしないために、いろいろ工夫しました。
まず、真実が子猫を家で飼えない理由ですが、よくある話だと、
家に子猫をつれて帰ると、お母さんがだめだと叱った」というシーンが、冒頭にきます。
(そして主人公は、段ボールを抱えて街を歩き…というシーンがつづく。ああもう、いったい、
今までなんかい、このシーンをみてきたことだろうか!)。
これは、誰でも経験がある出来事なのかもしれませんが、つまり普遍的なエピソード
なのかもしれませんが、わたしは、「頭ごなしに叱る母親」というのは、ちょっとどうかと
思うのです。あまりにもステレオタイプですよね。実際にはそういうお母さんが
多いのかもしれませんが、物語のキャラクターとしては、血が通ってない、紙のようにぺらぺらの
お母さん像です。ですから、わたしは真実の母親を、そういう母親としては設定しませんでした。
たぶん彼女は、真実が子猫をうちにつれてきた場合、叱らなかったと思います。
たとえ家では飼えないにしろ、真実とともに子猫のいくあてをさがすくらいのことはしたでしょう。
だから真実は、本当は家に猫をつれてかえればよかったのです。
でも、真実はそうしませんでした。これも、
ステレオタイプじゃない子どもにするための設定の工夫です。
親が何とかしてくれるだろうとあてにして、子猫をつれて帰る子どもは書きたくなかった。
だから、子猫を家につれて帰らない子どもとして、真実を設定してみました。
これは同時に物語のテーマを浮き立たせるために作った設定でもあります。

真実は、言葉には出さないけれど、自分は愛されていないと思っています。
両親の愛が姉だけに注がれていると思っているのです。だけどこの子は、いい子なので、
ぜったいに、さみしいといったりはしないし、反抗したりすることもありません。
そもそも、家族のことを大好きではあるのですから。
で、真実は隠れ家をもっているわけですが、これは実は、「家庭」に対する憧れから、
そして、現実の自分の家庭に対するあきらめのような気持ちから、「家」を作っているわけですね。
もちろん、本人はそんなことを自覚しているわけではありません。
ただ隠れ家ごっこを楽しんでいるつもりだし、ここにくるとほっとするなあとか思っているだけです。

そういう真実ですから、そもそも、両親を頼るという発想はありません。
で、姉がひどい小児喘息である以上、家では猫は飼えないと思っている。
では自分一人で育ててみようと思うわけですね。
ここで、真実が子猫を拾った心理なのですが、「かわいそうな子猫」「ひとりぼっちの子猫」
を、自分と同一視してみているわけです。だからこそ、よけいに子猫をほうっておけない。
読者にもそのせっぱ詰まった気持ちは伝わるでしょう。
このあたり、文章では説明していませんが、画家の森友さんのすばらしい絵とも相まって、
真実の心理はよく書けたなあと、自分でわりと満足しています。

真実は子猫を育てはじめます。苦労して育てます。
そんな真実の苦労を、お母さんは気づいてくれません。真実はほっとしながらも、
なんだか心がすさんできます。が、お姉さんの真由子は、異常に気づくわけです。
で、姉が自分を心配してくれるようすに、姉の自分に対する愛を再認識した真実は、
自分がどんなに深く家族を愛しているか、改めて気づくのです。
そうして不幸なことに子猫は死んでしまいますが、その死がきっかけとなって、
真実は自分が家族からの深い愛情に包まれていたことを知ることになります…。
そして、夢のなかで、真実は、子猫から、「ありがとう」と、ささやかれるのです。
「愛をありがとう。きっとまた帰るから」と。
その夜、街には、まるで子猫の毛色のような白い雪が降りしきります…。

わたしはこの物語で、「死」を描くのではなく、「生」の美しさや、永遠性を書こうと思いました。
それを、言葉で書くのではなく、ひたむきにいきる子猫の描写を淡々と綴ることで、
読者に訴えようとしました。
私自身が、目の開かない耳の聞こえない状態の子猫を育てていて、そのまっすぐな
エネルギーにふれ、ただ生きているということのすばらしさを感じていたので、
それをうつしとって書けば、きっと読者にも伝わると信じていたのです。
また「生」というものは、他者(家族や友人)とのつながりのなかでこそ、意味を持ち、
光を放つものだといえます。そういうわけでわたしは、主人公真実と、
家族との心の交流もまた、大切に書きました。

できあがった本は、わたしのほかの本に比べると、あまり売れているとはいえません。
でも、中学校の国語の先生で、この本を読み聞かせに使ってくださった方がいらっしゃるのですが、
子猫の生と死に、中学生たちは、みんな心を打たれ、涙を見せた子も多かったといいます。
感想文集も一学年分いただきましたが、男の子で、「愛」と、一言書いてくれた子がいたのが
一番記憶に残っています。どの子の感想も、とてもうれしくすばらしかったのですが。

しかしまあ、今になってみると、ちょっと難しい本になってしまったかなというきも、しています。
小学校中級向けの語彙や文章で書いてはいるけれど、物語を深く味わえるのは、
高学年以上になってしまったかもしれません。
でも一方で、小学二年生に読み聞かせしてくださったという方からいただいた一クラス分の
感想文を読むと、おさないなりにテーマは読みとってくれているようではあり…。
わたしは頭をかきながら、うーん、これでよかったのかなあ、と思うのでありました。

…今回のネタはやっぱり、もとの本を読んでないとわかりにくくなっちゃったかも。反省。

(00.8.29)


2.作家になるにはどうしたらいいのだろう?

話題が順不同で飛んでいますが(笑)、思いつく都度書いているので、
許してください。
えっと、児童文学あるいは童話のプロの作家になりたい場合、もっとも、
一般的なたどるべきルートは、「新人賞でデビュー」です。
それも、企業が行っているような、短い童話のコンテストではなく、
講談社やポプラ社(こちらは今休止中?)などが行っている、
児童書の出版社が主催している新人賞で、賞を取り、
そこから本を出版してもらって、作家になるというのが、ポピュラーかつ
もっとも効率のよい、新人登場の道筋であります。

出版社がみずから主催してコンテストを行う場合、そこには、
いい新人を見つけて、我が社がこのてで育てるのだ!」という、熱い意志が
内在しておりますので、そこからデビューすれば、いきなり担当編集者が
ついてくれて、「新作が書けたら、いつでも読ませてくださいね」と、
優しい言葉を書けてくれるといいます…。その後も、友人のように、
影になり日向になり、励ましてくれるといいます…。
いいます、と、伝聞推定なのは、わたしが上記の例ではなくて、
新聞社主催の新人賞というもので、デビューしたからでありまして(笑)、
これは、作品の新聞連載などはあるものの、その後のバックアップはまるでなし、
あとは勝手にやってください、みたいな賞なのであります。
まあ、児童文学関係の賞もいろいろありますが、直接デビューに結びつく
出版社関係以外の賞は、作家になるための踏み台にはなっても、
シンデレラのガラスの靴にはならないと思っていた方がいいようです。
繰り返しになりますが、確実に作家になりたいなら、出版社主催の賞で
受賞しましょう。


わたしのように、後は野となれ山となれ式の賞でデビューしてしまった場合、
受賞作は出版される見込みもゼロ、どーしろというの、状態に突入です。
ではどうしてわたしの一冊目の本がでたかといいますと、
実は、その賞を取る前に、月に一回行われていた児童書系の雑誌のコンテスト
に、まめに投稿していた時代に、わたしの作品を気に入ってくださった、
大先生がいらっしゃいまして、その方が出版社に持ち込んでくださったのです。
まったく、女神さまのような方なのでありました。
で、デビューのきっかけには、このように、
大作家からの後押しで、出版社に原稿を持ち込み
というパターンもございます。
わたしなどは、厳密にいうと、新人賞が受賞のきっかけというよりも、これで
デビューしたということになるのかもしれません。
でまあ、大先生のバックアップというものは、「お願いします」と頼んで、
やってもらえるというものではありません(間違っても、自分から頼んだり
しないでくださいね〜
。こういうのは、あいてからいわれなきゃダメなのだ)。
自分を後押ししてくれる先生と出会えるかどうかというのは、かもしれません。
でも、出会いのきっかけを自分で増やす方法はいくらでもあります。
作家のいそうなところにいくということです。
プロの作家の加わっている同人誌に入会したり、児童文学者協会に入ったり、
さまざまなコンテストに投稿したり(直接のデビューのきっかけにはならないような
賞であっても、好きな作家さんが選考委員をやっている賞ならだしてみたいですね)、
もし、幸運にも好きな作家さんがJRで通える程度の距離に在住していて、
私塾や文庫をひらいている場合は、通ってみる。
こんな風に、いろいろと出会いのチャンスを求めていけば、サイコロを振る回数が増えるほど、
ある目がでる確率が上がってゆくように、いつかはあなたの才能を理解して
後押ししてくれる先生に出会える可能性はあがっていくことでしょう。

ただし。それはあなたに才能があるという前提があっての話ですが。

そうそう。作品を書いたことがないのに作家になりたいなんていっちゃダメだよ。
それから、普通の人より下手なレベルでいいから、人付き合いのスキル
身につけてくださいね。少なくとも、手紙のやりとりくらいはちゃんとできるようになろう。
作家業はひとりでやる仕事じゃないのです。いろんな出版社の担当編集者さんたちと
何回も打ち合わせを繰り返したりしなきゃいけない。そのとき、こちらの希望を通したり、
相手と話し合ったりするためには、人付き合いのスキルが必要なのです。
まあ、わたしもどっちかというと、これは苦手ですが(笑)。ははは。
でも、「人にわかってもらう努力」をするという心構えは、大事にしましょうね。

1.必読図書(順不同。書店で手に入らない本は図書館で探そう。
図書館にないときは、司書さんにたのんで取り寄せてもらえばいいのです。
ほかにも本を探すには、いろんな方法があります。
本を探すのも勉強です。さがす手間を省いちゃだめ)。

わたしは地方在住だったし、近くに作家の先生もいなかったので、
ひとりで、いろんな本を読んで児童書について勉強してきました。
とにかく手当たり次第読んできたのですが、そのなかで、
作家と作家志望者なら、だれが読んでも参考になりそうな本
というのを、ここに、ピックアップしてみました。
以下の本については、今まで、いろんな友人知人に勧めてきたので、
「もう聞いたよ」という人や、「また同じ本?」っていうひともいるかもしれませんが、
結局は、名著というのはそうたくさんあるもんじゃないので、
お勧めはいつも同じ本です。ごめんなさい(笑)。
で。わたしが好きな、「本の書き方」は、客観的に、そのものズバリ書いてある本
です。情緒的に綴られている本(本の半分くらいが著者の前半生でしめられて
いたりとか、「お母さんならだれでも童話が書けるのです」なんていいかげんな
ことが書いてある本)はダメダメ。指をふっちゃいますですね(笑)。
まあそういう本が好きな人は、がんばって情緒的なハウツー本を読み、
情緒と本能で作品を書いてくださいましv

ファンタジーの世界佐藤さとる・講談社現代新書
ファンタジーとはどういう文学なのか、客観的かつ理性的に語っている本。
ファンタジーとメルヘンのちがいについての考察や、どういう本がファンタジーとして
成立しているといえるのかなど、読んでいてわくわくする考察がたくさん。
作者の創作技法にも触れられている。リアリズム作品を書く人にもお勧め。

童話のかきかた寺村輝夫・講談社現代新書
幼年童話の書き方について、きわめて具体的に書かれた本。
才能がある人なら、これを一冊読めば幼年童話が書けるはず。

現代の児童文学上野瞭・中公新書
日本の児童文学が目指すべき理想について書かれた本。
昭和47年初版の本ながら、いまだ色あせない内容がすごい。
古今東西の児童書のブックガイドのような形を取りながら、作者の考える
理想の文学について考察してゆく本。

ミステリーの書き方アメリカ探偵作家クラブ著・講談社
そのものズバリ、推理小説の書き方について書かれた本。でも、推理ものに
かぎらず、小説の書き方としていかせるヒント満載。視点の選び方なんて、
特に小説初心者の人には、読んでほしいなあ。削除の仕方、会話の書き方、
導入の書き方、なんて風に、項目がわけてあって、参考にしたいところを
さがして読めるようにもなっている。スランプ対処法なんて、最高です(笑)。

ベストセラー小説の書き方ディーン・R・クーンツ著・講談社
あの「パラサイト・イブ」の作者のお兄さんが参考にしたというので、
有名な本です。特にキャラクターの肉付けの仕方について詳しい。
ちなみに、この本と上の「ミステリーの〜」は、講談社からソフトカバーで、
作家向けハウツー本みたいなシリーズ
で刊行されていた中の二冊なのだが、
同じシリーズの中の、「SFの書き方」はあまりおもしろくなかったよーな
気がする。もってるけど。「童話の書き方」は読むんじゃなかったと思った記憶が
ある。もってるけど(笑)。
刊行予定として帯だったかに書いてあった、「ノンフィクションの書き方」とか、
「絵本の書き方」はでたのだろうか? 今じゃ、講談社版は手に入らないので、
手元に置きたい人は、どっかから再版されている文庫版を入手してね。
読むだけの価値はあります。目から鱗がぽろぽろ落ちるよ。
(追記・「ミステリーの書き方」は、講談社文庫、
「ベストセラー小説の書き方」は、朝日文庫で手にはいるそうです。
情報提供、春の宴さま。ありがとうございます)。

小説道場1〜4中島梓・光風社出版
日本じゃ珍しい、極めて具体的かつ客観的な小説の書き方の本。
中島梓の語り口もざっくばらんで楽しいし、熱い。作家志望者の作品を
俎上にあげ、良いところ悪いところを分析しながら小説論について語る、という
流れになっている。お勧め…なんだけど。もにょもにょ。
ちょっとくちごもっちゃうのは、美少年小説の書き方なんですよ、これ(爆)。
取り上げられている作品も、かなりその…えっちだし(ぽっ)。
わたしはその、美少年趣味はないので、青ざめながら読みました(笑)。
嘆美はわかるかもしれないけど〜フィジカルな美少年愛はわからん(爆)。
がしかし、そんなわたしでも、おもしろく読めたので、みなさんもどうぞ、
禁断の花園へ足を踏み入れてください(帰ってこれなくなっても知らないけど)。

少女まんが入門鈴木光明・白泉社
雑誌「花とゆめ」が一番輝いていたと思われるころ、漫画家志望の人々の
ために出版された本。和田慎二や美内すずえ、故三原順などの作品が、
参考例として掲載されている、とてもわかりやすいまんがの書き方の本。
…なんだけど、演出の仕方とか、キャラクターの登場のさせ方とか、
小説の書き方としていかせる技術がたくさん紹介されているのだ。
まんがの書き方の本では、故石森章太郎の「マンガ家入門」も忘れられない。

00.6.4

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