撮影森友典子氏のランコ

 さよなら、ランちゃん

(日記より抜粋)

☆ランコは2001年1月8日に永眠したクリームペルシャです。彼女のことについては、
思い出がたくさんありすぎて、何から書いたらいいのかわかりません。
いまはとりあえず、日記の、彼女の死の前後に書いたもののうち、彼女のことにふれて
いる部分を抜粋して、掲載しておこうと思います。
まとめて読んだら、自分でも何かが見えてくるかもしれないから。


2000年12月19日(火) 腰痛

わたしじゃないです。
猫が腰痛なんです…。

先週の東京旅行から帰ってきた日、二匹の猫のようすが変でした。
とくに、ペルシャが変でした。
9才のペルシャは、わたしをお迎えにも来ずに、なんとなく上目遣いにこっちを見て、
物陰にすうっと隠れてしまったのです。
一方、1才の縞三毛は、おそろしく艶のなくなった毛並みを逆立てて、こっちに走ってきました。
で、うれしいしっぽ(しっぽの付け根だけをふくらませて、先は細くしたまんまの状態。
三角形に見える)になったまま、わたしのそばに張り付いて、三十分くらい、
元のしっぽにもどりませんでした。

まあ、そのときは、ペルシャは何日も留守番させられて、すねたんだろうと思ったし、
わたしはむしろ、縞三毛のぼさぼさになった毛並みが心配で、
こりゃさみしさと不安で病気にしたかと、なでまわしたりしていたのです。
で、縞三毛の方は、なでているうちに、元通りの毛つやにもどって、
それでまたわたしを感動させたのですが、問題はペルシャでした。
翌朝、ふと、彼女が歩くところを見ると、後ろ足を引きずっているのです。
そうして、物陰へ物陰へと、もぐってゆきます。食欲もありません。

げげ。
あれは一昨年のことだったか、ペルシャは、お尻の分泌物をだす線がつまってしまって、
はれあがり、病院通いをしたことがありました。
あれの再発だろうかと思いましたが、年のため、留守番をたのんだ家族に、
なにか猫に事故がなかったかどうか、きいてみました。なにもなかったと家族はもうします。
ただ縞三毛が一度あまりにも夜中に騒いでうるさかったので、小さなクッションをぶつけた!!! とひどいことを懺悔しました。
…そのショックで、縞三毛は毛の艶があせたのでしょうか? 
まるで継母にいじめられる、シンデレラ姫のようではありませんか?<ちょっと違うけど

それはさておき、ペルシャです。
今日までようすをみていたのですが、治らないようなので、かかりつけの病院に
つれていきました。長崎名物眼鏡橋のそばの、Kという獣医さんです。
タクシーで千円かかる距離ですが、その先生が長崎一の名医だとわたしは信じているので、
もう十年近くもそちらの病院にかかっています。

で。診察の結果でた結論が、腰痛だったのでした。
なにかのはずみで、腰をひねったのだろうということでした。
猫は、首筋に、消炎剤ともうひとつなにかの注射をされて、ぎゃあぎゃあ鳴きながら、
おうちにかえってきました。
そうそう。赤外線治療器もあてられたんですよ。びっくり。
ペット用赤外線治療器などというものも、あるんですね。あたりまえといえばあたりまえのことなんですけど、少し笑えました。だって、整骨院に通っているお年寄りみたいなんだもん。
ペルシャは、薬がばっちり効いたのか、さっき、わしわし猫缶を食べていました。

…あ、今日は風邪薬を飲んでるもんで、さっきから眠くてしょうがない。
でも、もう一言。
病院から帰ってきたあと、ほっとして軽くなった心で、街をふらつき、
なにげなくはいったホームセンターで、黄色いシクラメンを見ました。
テレビで紹介されているのは見たことあったけど、実物を見るのははじめて。
黄色というより、オフホワイトという感じの色ですが、白いシクラメンと並べると、
たしかに黄色いな、と思わせる色でした。

それにしても。
猫が病気してるかも、と思ったときの、あのなんとも胸の傷がじくじくするような、
不安な気持ちは、なれるということがありませんね。
とりあえず、お医者さんの見立てどおり、腰痛という線が濃厚みたいなので、
安心している村山なのでした。
猫が病気するくらいなら、自分が寝込んだ方がいいって、たいていの飼い主さんは
思っていると思いますね☆ 人間の方が医療費も安いし(^^;)。


2000年12月25日(月) 猫のこと

今日もなにやらばたばたしてすごしました。
近所の本屋さんで、『ドリトル先生の英国』(南條竹則)という本をゲット。
中公新書を買ったものだと思っていたら、家に帰ってびっくり。文春新書だった。
ちなみに著者の名前をどこかでみたなと思っていたら、ファンタジー大賞を受賞した
経験のある方だった(本は未読ですが。『酒仙』という本です)。
ドリトル先生シリーズの書かれた19世紀のイギリスの社会を彩り形作っていた、
さまざまな事柄について書かれた本らしい。
袖に書いてある、「アブラミのお菓子、オランダボウフウなど、積年の疑問も
この本で氷解します」という文章が、かなりいい感じです。
近所の書店さんも、数年前から、いろいろ「かゆいところに手が届く」本をいれて
くれるようになったので、街の小さい本屋さんなんだけど、大規模店にもまけてない感じです。
お散歩の途中に、新書が買えるというのはありがたい。

もっとも、そこに今日行ったのは、いきつけのサイトの管理人さんのお写真が、
とある自転車雑誌(?)にのったらしいので、それをさがしにいったのですが…。
そちらはさすがになかったみたい。
やっぱり、街に行かなきゃかな?

さて。一部の方にその後をたずねられる、猫情報です。
ペルシャ猫のランコちゃんですが、どうも、腰だけでなく、足も痛めてるんじゃないかなあ
という気がします。ありがたいことにポプラ社さんから、ルルーの増刷分の印税が
振り込まれてきたので、そのお金で年内にもう一度、通院しようかな。

しかしこのランコ、性格がまるで野生の猫。さわられるのが嫌い、だっこなんてもってのほか、
なるべくなら目もあわせないで、という猫なのです。
それがこのごろ、腰の痛みのせいか、別猫のようにおとなしくだっこされるので
(首を人間の胸にもたせかけてのどを鳴らしたりするし!)、これ幸いとふだんゆきとどかない
毛の手入れなどをしている不良飼い主なのでした。

でも、今日もいい気になって、毛玉さがしとかしていたら、地響きのようなうなり声を立て始め、
いきなり、ぷつっと…。
そうです。服の袖の上から、爪をくいこませてくれたのです。
うう。
あとでみたら、みみずばれになって、血がにじんでいました。

猫はふつう、赤ちゃん時代は社交性があるものらしいですが、
ランコは、うちに来た当時から野生に生きていました(笑)。
人になれないし、そばにこないし、めずらしくよってきてのどを鳴らしてると思うと、
次の瞬間には、てかげんなしで、かむ蹴るひっかくの三拍子…。
当時の彼女にけ飛ばされた傷跡は、今もまるでためらい傷のように、
手首に残っております。

でも、社交性がない猫でも、かわいくないわけじゃないです。
家族が集まってたのしそうに話していると、いつのまにか、すうっと姿を現して、
少し離れたところから、目を細めて、のどを鳴らしているランコが、わたしはいとしいと思います。
そりゃ蹴られて血が出れば、本気で怒りますけど、でもすぐに彼女は反省するし。
(でも猫なので、何度でも同じことを繰り返す…)。

二匹目の猫、縞三毛レニちゃんが、「生後一日で捨てられていた不憫さ」
「それをほ乳瓶で育てた大切さ」「視線で感情のやりとりができる敏感さ」の三拍子で、
手放しでかわいがられているのからすると、いささか分が悪いのですが。
でも、家の中を、音もなくすうっと歩いているランコがいなくなったら、きっと、
空気が薄くなったように、息苦しく切なくなると思います。
もう九年もいっしょにいるので。

今日は、ケーキを買ってきました。ショートケーキを三つ。
近所のケーキやさんは、「クリスマスですから」と、苺ショートに、
ひいらぎの葉の飾りをつけてくれました。
クリームは、二匹の猫にもわけてあげました。
猫たちがクリームをなめるときの柔和な顔が、わたしはとても好きです。


2001年01月05日(金) ものさみしい夜とほ乳瓶

ペルシャ猫のランちゃんの腰痛は、治ってきました。
のそのそのそっと、ゆっくりの速度ではありますけど、また、歩けるようになってきました。
腰痛だという獣医さんの見立ては、正解だったわけですね。
さすが、K先生。

が。
わたしがうっかりしていたために、ランコはおなかを壊してしまいました。
彼女は今、仏間で一日暮らしているのですが、ホットカーペットをつけっぱなしのその部屋に、
缶詰ごはんをだしっぱなしにしていたのです。
食欲がないランコが、一口でも食べるといいなあと思ってそうしていたのを、
うっかりして片づけるのが遅れていたのですね。

昨日の朝、てきめんにおなかを下してくれました…。
もともと、おなかの弱い猫なのです。食べ過ぎたり、食事が古かったり、
気候が急に寒くなったりしたら、まず下痢をする猫なのであります。
とりあえず、昨日はうちにあった乳酸菌の粉末を口にぬりこんでやりましたが、
それで下痢はとまったものの、食欲がもどらないので、
今日は新年であいたばかりの獣医さんにいきました。
首に太い注射を二本、細い注射を一本打たれたランちゃんなのでありました。
でも、恐怖のあまりきれてしまったのか、診療台の上でのどを鳴らしていたなあ。

注射の効果で、いつか具合は良くなるのかもしれませんが、とりあえず、
今日何か栄養をとらせたかったので、ペットショップに行って、子猫用ミルクを買いました。
ミルクは子猫のためだけじゃなく、病気の猫の療養食にもいいと以前、
本で読んだことがあったのです。
で、買ってきて、新生児の猫の一回分くらいの量をスポイトで口の横(犬歯の後ろ)から
飲ませてみました。水薬が好きな猫なので、楽勝です。
ようすを見て、具合が悪くなるようでもなかったので、さっき(夜中の12時くらい)
二回目のミルクを飲ませました。今度は前回の二倍の量です。
するとさすがに、半分くらいのませた段階で、前足が伸びてきて、
「もういらない」と訴えるので、やめました。
明日もまた、新生児の一回分の量を一日に何度も飲ませるかなあと、
今ぼんやりと考えています。

しかし、ミルクは完璧な総合栄養食とはあるといえど、スポイトで与えられる量には
限りがあるので、早いところ、自分で食べられる程度に食欲が復活して
欲しいなと考えています。

けど、猫が具合が悪いと、生活に張り合いがないというか、なんだかこっちまで
世界が色あせて見えます。ほんと、これなら、わたしが病気になった方がよかった。
そんな中で、ほのぼの、としたのは、小さい方の猫、縞三毛レニちゃんに、
今日出てきたほ乳瓶を見せたときの反応です。
この猫はほ乳瓶で育てたのですが、わたしがふざけて、そのときと同じ姿勢でだっこして、
ほ乳瓶をレニの口に当てたら、赤ちゃんの時と同じ表情にもどって目をつぶって、
口を開けて、ほ乳瓶からミルクを飲もうとしたのです。
おぼえているんですね。
ほ乳瓶を見せたとき、そして、猫ミルクを作っているときの、レニの反応が、
なんだかわくわくするような、興奮しているような顔だったので、
そんなふうな行動をするような予感はしていたのですが。
夜も寝ないでミルクを作って育てたころのことを思い出して、なんだか切ないほど
うれしくなってしまいました。


2001年01月08日(月) さよなら、ランちゃん

いまはまだ、きちんとしたことを書く気力はありませんが、記録のために、
少しでも彼女のことを書いておこうと思います。

ランコが死にました。
あと少しで10才になるクリームペルシャでした。
死因は、腎不全。尿毒症です。
最期は、もうだめだとわかったので、うちで見とりました。
死ぬ前の一日ほどのあいだは、もう、金色の目が見えなくなって、
精一杯に目を見開いたまま寝ていました。でもたまに顔を上げて、その目で、
私たち家族の方を見つめていました。さがすように。
声をかけると安心してまた寝るのです。
わたしと母が少しそばを離れて、台所で話していたら、よろめきながら、
でもすごい速度で台所の方にやってきて、戸にぶつかって倒れたりしました。
ランコは、苦しくて不安で、私たち(というより、わたしの)そばにいたかったのだと思います。

耳だけは最後まで聞こえていたようです。
わたしと家族のあいだの会話の中の「水」という言葉に反応したので、もしかしたらと思って、
水をくんできたら、ぺちゃぺちゃと飲んでくれました。身体を支えて飲ませたのです。
とてものどが渇いていたようでした。
でも、そうやって、何回か飲んだあとに、水を吐き出して、そうして死にました。
最後に、「かわいい、ランちゃん」(この猫は「かわいい」といわれるのが好きでした)
「楽しかったね」と、耳に口をつけて、いってやりました。

ふわふわの猫だったので、死んだあとも見た目は変わらす、
ぬいぐるみのような姿のままでした。
お気に入りのバスケットに入れて、好物のカリカリをいれて、
おやつもいれて、好きなおもちゃを持たせて、お花を一杯飾ってあげました。
ちょうど咲いていた雪割草も、一輪いれました。いつもどおり眠っているようでした。
そのまま、首輪ははずさずに、ペット霊園で、火葬にしました。
思い出に首輪も名札も残したかったけど、はずすとうちの猫じゃなくなるから。

ランコを死なせてしまったことに関しては、いろいろと悔やまれることもあるけど、
わたしはいつだって、飼い主として自分にやれるだけの世話はしてきたし、
勉強もしてきたつもりなので、後悔しないようにしたいと思っています。

ありがとう、ランちゃん。
あなたがわたしのことを大好きだったように、わたしもあなたが大好きでした。


2001年01月10日(水) 働く作家

長崎県立図書館に行って、山ほど本を借りてきました。
2000年度に出版された国産児童書のうち、高学年から中学生向けのグレードで、
おもしろそうな本をまとめて。
貸し出し中の本もあったので、読みたかった本全部ではないけれど。

別に、読書がしたかったわけじゃなく、雑誌「日本児童文学」の、年に一度の特集記事、
「子どもの文学この一年」の高学年向けグレードの筆者が、村山早紀なんでありますよ。
そうですよ、業界の人は誰でも知ってる、あの、一年の総括みたいな、たいそうな論文を
書く仕事の依頼を、去年引き受けていたのですよ。
「えっ、わたしなんかが書いていいの?」と、一瞬ひいたものの、どなたかしらない
わたしを推薦してくださった方のことを考えて、引き受けることにしました。
(もし、事務局の次郎丸さんたちがあみだくじで筆者を選んでたら、怒るけど(^^;))。

それにしても。
あーあーたった9枚の論文のために、どーしてこんなにたくさん、本を読まねばならない
のでありましょう? って、読むべき本をリストアップしたのは、自分だったりするしね。
ふっ(自暴自棄)。ランコの看病をしながら、こつこつとリストづくりをしたのですよ。
いい気分転換になりました。ほんと。助かった。

読むべきだとわたしが目星をつけた本は、30冊を超えてると思います。
〆切2月15日。
ま、メールを使えば、その日までぎりぎり原稿書けるけど。

9枚なんて、枚数ともいえない枚数だし、その気になれば本なんて30冊も読まなくても、
評論書いちゃう人もいそうですが、手が抜けない体質の自分がいやだ。
少なくとも、ちゃんとした…今の自分にできるだけの論考をしたいので、
手抜きをせずに読書をしたいと思っています。
明日から、マラソンのような読書の日々が始まります。
がんばろう、自分。

図書館の帰りに、銀製のロケットペンダントを買いました。
ペット霊園で「お守りになるからどうぞ」といただいた、ランコの形見の爪を
いれるためのものです。
死んだ猫の爪をペンダントにするなんて、よその人には気持ち悪いでしょうから、
アクセサリーやさんには事情を話しませんでしたけどね。
それとは別に、アンティークの細工物で、表に写真、裏に髪の毛をいれるデザインの
ペンダントが出ていたので、「来週買いに来ます」といっておさえました。
表にランちゃんの写真、裏にはしっぽの毛とひげをいれるんだい♪

ううう。こういうことを書いたら、気味悪く思う人もいるでしょうね。
ちゃんとわかって書いてますので、安心してください(笑)。
これはわたしなりの、喪の儀式です。


2001年01月13日(土) FUS(猫の泌尿器症候群)のこと

なるべく冷静に書こうと思います。

うちのランコは、子猫のころから、泌尿器系が悪い猫でした。
いわゆる、泌尿器症候群だったのです。
気候が寒くなったり、ちょっとストレスがたまったりすると、おしっこがでなくなったり、
血尿が出たりしていました。
おしっこがでなくなると、トイレに何回も行って、しゃがみこんで、
それでも一滴か二滴しかおしっこがでなくて、それは辛そうな顔をするので、
そこは室内飼いの強みで、いつもすぐに異変に気づいて、動物病院につれていっていました。
猫は尿の成分が犬よりも濃縮されているため、尿がとまっている状態で放置しておくと、
数日であっけなく尿毒症になって死んでしまうのです。
「おしっこがとまっている!」と気づくと、わたしはいつもその日の仕事をおいて、
猫をかごに入れ、タクシーにとびのったものでした。

FUS対応のキャットフードに変えてから、いくらかよくなってはいたのですが、
本当に何度も、ランコを連れて、病院に行ったものでした。
泌尿器症候群は、雄猫によくある病気だそうですから、雌にも関わらず泌尿器が弱かった
ランコは、生まれつき、そのあたりが弱かったのかもしれません。

さて。
ここで重要なのですが、泌尿器症候群の持病のある猫は、6,7才になったら、
血液検査をして、腎臓の働き具合をせめて年に一度はチェックしなければならなかった
のですね。年をとると、腎臓は弱っていくからです。
腎臓が弱るにつれて、猫はやせてくるそうです。

ランコの場合、ここ一、二年で、すうっとやせてきていたので、
本当は血液検査をするべきだったのでした。
もしもっと早く、腎臓の働き具合がわかっていたら、腎臓が弱っているとわかっていたら、
そちらの治療をできたのに、と、残念に思います。
慢性腎不全は完治は無理なのだそうですが、薬による延命は可能らしいので。

ランコに関しては、老後の世話が大変だろうなあとか、ガンになったらどうしよう、とか
、そういう心配しかしていませんでした。
こちらが困るくらい長生きしてもらうつもりだったのに。
残念というか、今も、かなり無念です。


2001年01月20日(土) 世界で一番美しい物語を書きたいな

正確に言うと、「世界で一番美しい猫の物語」を書きたいです。

ランコが死んでから、ずうっとその思いにとりつかれています。
リアリズムじゃなくて、絵本じゃなくて、冒険もので、できれば猫の一人称で、
ものすごーく、魅力的なペルシャ猫ががんばる話を書きたいのです。
で、献辞でランコの名前を入れる。
これで、永久にランコの生存の記録は残せますしね。へへへ。

ランコは、けっして完璧な猫じゃなかったけど、人様に自慢できるようなペルシャ猫
でもなかったけど、でも、「猫」としての美質は備えていたと思います。
あの猫と暮らした日々の中で知った、猫のよい部分を、思い切りほめそやした作品を
書いてみたいと思っているのです。
(それを自伝にしないのは、まあ、性格なんでしょうね。
本にするなら、「猫への愛」以外の部分でも読める話にしたいし、
読者の子どもたちに歓迎される話にしたいと思うのです。それに。
自伝にすると、かえって嘘や美談がまじってしまいそうで、いやなんです)。

で。今頭の中は、2月中旬〆切(でも予定としては、1月下旬アップ)の
「日本児童文学」の論文と、「ルルー番外編」の構成と、猫の冒険もののプランで
ごった煮状態なのであります。
長毛種の猫が活躍する話って、数としては少なそうなので(私は、日本の児童書だと
斉藤洋さんの、「猫に翼のある国で」くらいしかしらないなあ)、ここは一つ、
私が書いてやろうとよけいに力が入ってみたり。

しかし、いつも思うけど、「新しい話を書きたいなあ」って、頭の中が
ぐるぐるしてる状態の時って、精神状態がいいときなんですよね。
復活してきたかなあ? よきかなよきかな。
みなさま、励ましてくださって、ありがとうございました。


2001年01月26日(金) 昨日の追記

あたりはずれ、ということで。

あのあと、おもしろい本にあたりました。らっきーv

いや実をいうと、間違えて借りて来ちゃった、中学年向けの本だったんだけど。
「猫の手」なんとかという、金治直美さんという方の本が面白かったです。
今ちょっと本が近くにないもんで、題名があやふやですが。ごめんなさい。
岩崎書店の本でした。
(追記・「さらば、猫の手」でした)。

あやしい自動販売機で、願い事を叶えてくれる謎の「猫の手」を手に入れた少年
のお話なんですが、これが文章も構成もセンスがすごく良くて、ほのぼのとして
読後感はいいし、いかにも「児童書らしい」テーマも持っているし(笑)、
ユーモアはあるし、ばっちぐーなのです。
なんと、新人さんの一冊目の本らしいんだけど、これは確実に何かの新人賞を
取るでしょうね。どれをとるかなv わくわくv
こぐれけんじろうさんのさしえもかわいらしかったです(とくに猫!)。

あのね、小道具の「猫の手」が、かわいいので(笑)、猫好きは読みましょうv
ああ、私もこんな猫の手が欲しい。
しかし、「猿の手」だと怖いのに、「猫の手」というとどうしてこうイメージ的に
かわいらしくなるのかしらん?

さて、村山は今、さとうまきこ先生の「こちら地球防衛軍」(講談社)にとりかかっています。
今半分くらいかな? 駅の伝言板に書かれた謎の予言の言葉。
「一週間後に世界は終わる」突然の終末の予言にふりまわされ、
影響されていくある小学校の一クラスの(六年生)子どもたち。
主人公のお兄さんがひきこもりなあたりがなんとなく、こないだのシリーズの
「金八先生」を思い出させるんですが…でも、「似てる」わけじゃないです。
さすが、キャリアのある作家さんらしい、文章力で、情景が目に浮かんでくるし、
すごく安定しています。
あとは、落ちだな。どういうふうに終わるのかなあ?
ちょっとだけ、心配です。

ところで、さとう先生は、HPをお持ちなんですね。ポプラ社のHPのリンク集からいけますので、興味のある方はどうぞ。
犬の写真がばーんとトップに飾ってあります(笑)。日記も犬ネタ多し。
さとう先生は犬派らしい(笑)。

今日は、ランコの十歳の誕生日でした。
生きていたときと同じに、ささみをゆがいてあげて、ケーキを食べました。


2001年02月26日(月) 2001年2月25日

長崎ペット霊園に、ペルシャ猫のランコの納骨に行って来ました。
納骨堂は、本堂(と呼ばれている部屋)の猫が好きそうな、隅っこの下の段。
「ランコの霊」と金色の文字で書かれた、かわいらしい位牌と、白い小さな水入れと、
お線香たてと、お供えをおくお皿が用意してありました。
お水とお線香は、毎日あげてもらえるそうです。
部屋の祭壇には、いつもお線香があがっているのですが、一日に6,7回はお葬式が
あっているので、ろうそくの火とお線香の煙がたえることはなく、人々がいつも出入りするから、
さみしいことはないでしょうと、霊園の人はいいました。

納骨堂の使用料が、四万五千円。
一年間の管理費が三千円。
これは実は、関東地方の相場よりはよほど安いのですが(本を読むと例で
あげられているのは、大概東京の話なのでわかること)、それでもこの金額を見て、
「高い」とか「贅沢だ」とか「もっとましなことにお金は使うべきだ」と、
いう人はいるだろうな、と思います。

でもまあ、私も家族も、これで気が済んだところがあるので、そういう意味では
価値があるお金の使い方をしたといえるでしょう。
いわゆる「喪の儀式」の一つをすませたような気分です。
一匹の小さな猫でしたが、十年近くもともに暮らせば、それなりの人格もあった家族でした。
存在感もあったし、彼女なりの主張もあった。
なによりも、十年分の思い出があった。
そんなのとさよならするには、「人間並み」の行事も必要なのです。

ランコがもし生きられるものなら、私にできる限りのことをしてあげたかった。
お金だって、持っているだけ使ってもかまわなかった。
でも、使いようがなかったので、その分のうちのいくらかが、供養のためのお金になりました。

ペット霊園の方々には感謝しています。
犬猫を自宅の庭にうめることが無理になってきたこの時代、
弔うという行為を手伝ってくれる人々は必要なのですね。
納骨の日、何組かの家族が、なくなった犬や猫とお別れをしていました。
白い骨壺を抱いて、霊園の人は家族たちといっしょに歩いていました。
焼いたばかりの骨が入った骨壺は熱いのに、素手で大事そうに抱いてくれていました。


2001年02月01日(木) 鼻づまりとかズッコケとかランコとか

今朝は、目覚めるとき、すごくだるくて起きられなかったです。
なんか、鼻づまりでめがさめたし(笑)。呼吸困難で(笑)。
風邪のひきはななのかなあ?

朝起きて、洋服に着替えたいと思うか否かで、健康かどうかわかりますね。
今日は、寝間着から着替える気になれなくて、今もガウンを羽織ったまま、
パソコンに向かっています。この日記を書いたら、お布団であったかくして、
読書マラソンを続けるつもりです。

読書マラソンは(笑)、相変わらず、面白いのあり、つまらないのあり、という感じです。
幸か不幸か私は、好きな本の趣味がものすごーく広い(これは私が作家として
仕事をする上でも、売りの一つになっていますが)ので、たいていの本は、ちゃんと
書けていさえすれば、面白く読めるのですが、たまに、「なんでこんなのが出版された
のかなあ?」と、出版社名を何度も見てしまう本もあったり(笑)。

そんな中で、昨日読んだ、ズッコケ三人組はやっぱり面白かったです。
実は生まれて初めて読んだズッコケだったんですけど。
どうもあの表紙の絵が苦手で、読まず嫌いだったのです。

でも、読んでみると、さすがに上手いですね。
さすが、那須先生。船を持ってるだけある(謎)。
文章も構成も手なれたものだし。安心してつるつる読めるし。
正直言って、文章(とくにキャラクターの描写)はいかにも古くて、これは
秋元文庫のユーモア小説か、とか、何回か思ったりもしたんですが、それでも、
読めるんですよねえ。いやはや。さすが、ベストセラー。初版X万部。

ポプラのベストセラーといえば、そういえば、昨日、香月日輪さんから新刊が
とどいてたんでした。その話はまた、おいおい書きますね。

昨日、小峰書店のIさんと電話でおはなししていて、
「まずはお元気そうでなによりです」といわれました。
Iさんは、優しい人なので、猫のことで私が落ち込んでいると心配して
くださっていたのでしょう。
でも、仕事の話をしているときは、猫のことは忘れてますから。

猫が死んで、あと何日かで一ヶ月経つということになります。
本当に、仕事のことをしているときは、忘れてます。
でも、ふっと心が空白になったときはいつも、思い出しています。
一時間に一回は思い出します。
やっぱり、悔やまれることも多いし。
もう一度、去年の年末からやり直せたら、と、思いますね。
そうしたら、今度は助けられるかもしれないのになあ。


2001年02月14日(水) 論文終了〜♪

昨日の朝、やっと終わりました。
パソコンのAドライブが壊れてるんで、久しぶりに郵送しました。
なんだか、うちのe−oneは、じわじわとあちこちがたがきてますが(笑)、
でもかわいい私のマシンなので、外付けのフロッピディスクドライブを買うつもりです。
ちょうどパソコン屋さんのポイントがたまってるんで。
いずれ、サブマシンを買って、そっちに仕事関係を任せちゃおうかなとも思ってます。
で、e−oneは、完全にホビー用にして……。
お金かかるニャあ(涙)。

で、「日本児童文学」の論文ですが、9枚という枚数が書き出してみると、
やはり短くて、結局、酷評のたぐいははずしました。ほとんどほめている本ばかりのることに
なると思います。二冊だけ、気持ちきついこと書いたのもありますが。
それはまあ、ちょっと目に余ったし、話題作だから私ごときが悪い評価を下しても、
本人さんもショックは軽かろうということで。

しかし、下原稿というか、30冊分の読書マラソンの記録をこのまま
闇に葬るのも惜しいので(笑)、HPにアップしようかな、ともくろんでいます。
ただ、掲載される雑誌が出たあとでないとさすがにまずいような気がするので、
四月以降のことになりそうですね。
書評関係を読むのが好きな方は、期待しててくださいましね。

ちょっと微熱が出ています。
やっぱり疲れたかなあ。年なんでしょうね。
昔なら、これくらい続けて仕事をしても、なんでもなかったのに。
若いころは、38度、39度熱があっても、起きて原稿かいてたのに、
今は微熱が出ただけで、具合悪くなってアウトです。情けない。

論文の原稿を、郵便局から児童文学者協会に送った直後から、
また猫が死んだことを思い出して、街を歩きながら目がうるんだりして、
危ない私です(笑)。
今まで忙しいから、心に蓋をしていたのかも。
そのぶん反動がきたみたいで、すごくつらいので、やはりランコの49日がすぎてから、
猫を一匹飼うことにしました。昨日、ペットショップで、一匹だけ売れ残って
ひまそうにしている猫がいるのを見てしまって、目が合ってしまったので、
もし、49日すぎても、まだあの猫がお店にいれば、あれをつれてかえると思います。
いやべつに、野良の子猫を拾ってもいいんだけど、毎日公園に通ってるのに、
こういうときにかぎって、捨て猫はいない。
いつも思うんだけど、「捨て猫は、拾えないときに限っている」という法則が
あるんじゃないでしょうか?
実は十年前に、ランコをペットショップ経由で手に入れたときも、最初は捨て猫をさがして、
それでいなかったから、お店に注文してつれてきたのでした。
猫って、欲しいときはいないものなんですよね。

次の猫の名前は、もう決めています。
今度は中国語。実物がうちに来るまでは、ないしょね☆

しかし、ペットロスってつらいものですね。
私はけっして、「猫かわいがり」の飼い主じゃなかったし、「猫は猫」だとわかっている
ほうだし、まちがっても、「猫ちゃ〜ん♪」なんていうタイプの人間じゃないんですが、
それでも、かなりつらいもんです。
猫がいた約十年の歳月を、がさっとえぐりとられた感じです。

小暮規夫先生という獣医さんの書いた猫の飼い方の本に、「猫が死んだとき」という項目が
あって、「悲しみが癒えたらぜひまた猫をあなたのそばに」というような
主旨の文章がありました。
でも、「悲しみを癒すために」新しい猫を飼うという選択肢もありえるんだな、
という気がしています。
お互いに幸せになるために、人と猫とが出会う、そんな出会いもあるんですね。
さて、ペットショップの彼女は、私と縁があるかな?


2001年02月22日(木) 書くということ

私にとって、創作とは、無意識のうちに自分の傷をなぞる行為なので、
それはとても億劫であり、腰が引けてしまう仕事でもあるのです。
同時に、「このために私は生きているんだ」と、毎回再確認できる、
魂が浮揚するような感覚を伴う、神聖な作業でもあるわけです。

今、シェーラ9の構成を作りながら、これはどうしたって、
人や生き物の生き死ににふれずにはいられない物語になりそうなので、
気が滅入ってきています。
つい最近、猫が死んだことを思い出さなきゃならないし、ちょっと心の皮をめくれば、
父親が死んだときの記憶だって、よみがえってくるのがわかってる。
いやな作業です。
でも、書かないわけにはいかない。
それが私の仕事だし、書くことによって、自分なりの「疑問」への結論が、
とりあえずはできてくるのがわかっているからです。

人間はどうして、いつかは死ぬとわかっているのに、この地上に生まれてくるのだろう? 
そんなことを考える余地もなく、ただ水が高いところからこぼれてくるように、
この地上へと魂は下ってくるのだろうか?
人の死後も、意識は存続するのだろうか?
存続するとしたら、それはどこへいくのだろうか?
なんてことを、物語を構成しながら考えています。
いつも考えていることではあるんですが、照準を合わせて考えています。

もっとも、シェーラの世界は、「神様」のいる世界なので、そういう前提でしか
(魂は存在するし、死後も人の意識は残る)生き死にについて書けないんですが、
でも、それでも、そういう世界なりに、シェーラに、「人がいきるということの意味について」
考えさせなきゃならない。
うーん。
今回はハードな仕事だ。


2001年03月22日(木) あたたかい夜

十年前の今夜、長崎は、雨でした。
あたたかい夜でした。

なんでおぼえているかというと、故ランコが、うちに来た日だったからです。
十年前の3月22日、その前の日にあった毎日童話新人賞の授賞式から
もどったばかりだったわたしは、母とふたり、近所のペット美容室さんに、
ランコを引き取りにいったのでした。
店の扉を開けたら、ランコは店長さんにだっこされていて、こっちを、
「なに?」というようにふりかえりました。
頭には、リボンがつけられていました。ふつう猫にはリボンはつけないんですが、
毛があまりに長くてかわいかったので、お店の人がつけてくれたのでした。
雨の中を、買ったばかりのペットキャリーにいれて、ランコを連れて家に帰りました。
家につくまで鳴いていたランコは、部屋に放されたとたん、
元からこの家にいたような顔をして、のしのしと歩いていました。
晩ご飯をつくってあげて、前に置くと、かわいい顔からは想像もつかないような顔で、
ぎゃあ、と鳴いて喜んで食べました。
その日の夜は、ベッドの枕元に猫ベッドをおいて寝たのですが、朝になって目が覚めたら、
わたしの顔の横に丸くなって眠っていました。
手のひらにのるほど小さいペルシャ猫でした。

…すごいもんですね。
十年も前のことなのに、結構おぼえているものです。
いやはや。

さて、ランコの代わりにやってきたチビ猫りやは、元気です。
誕生日が11月21日なので、昨日ちょうど生後四ヶ月になりました。
この子の仕草や表情が、ときどきランコに似てるので、懐かしくなります。
手で水をすくって飲むところとか、上目遣いの目線とか(笑)。
だいぶレニがりやの存在になれてきたので、このごろは一日の三分の一くらいは、
りやはケージの外に出ています。このままじわじわならしていって、
冬には猫二匹といっしょに眠れる態勢に持っていきたいものです。

「シェーラひめ9.魔法の杖」も、無事、原稿が完成しました。
このあと来月までは、少しだけのんびりできそうですが…
いや、できないといえばできないのかな? 新作を練りながらの休日です。
〆切4月29日。
短編連作ものを描きたいという話を某Nさんとしているところですが、どうなるかな?
 その前に「ルルー6」を書くかもしれません。ベストなのはどっちも書くことですが、
どうなることやら?

今日は、一太郎11のインターネットディスクを登録しました。
これをやりたくて(プラスATOK14をいれたくて)、一太郎11を買ったので、うれしいです。
でもまだなにもいれてません。近いうちに原稿関係のデータはどんどこアップして
しまうつもりです。
そうそう。ベクターで「きつねとけい」というフリーソフトをみつけまして、
シンクパッドにインストールしたんですが、とってもよかったです☆
 小さな時計で、カーソルが近づくと逃げてくれるし、カレンダーもついてるし、
なにより、絵がかわいい(笑)。きつねがアニメでまばたきしていて、
背景も時間によって変わる上に、やはりアニメしている☆ 
このソフトは、一生使ってやるぞ、と思いました。


2001年04月19日(木) クレオパトラと七匹の猫

なんの本で読んだか忘れたけど、クレオパトラは、入浴するとき、
七匹のシャム猫を護衛につけていたそうです。シャム猫の長い、
先がかぎになったしっぽに、指輪をいくつもくぐらせて預けて、
クレオパトラは入浴したそうです。
で、怪しい人間が来ると、シャム猫は、果敢に戦った……とか。

猫って、テリトリーをおかそうとするものには、ものすごい顔で威嚇するし、
家族を守ろうとするときの猫は、ちょっとした猛獣みたいになるし、
おまけに戦闘的だと噂のシャム猫が七匹……。まあけっこう、
番猫として使われたという話も、なくはないかなあという気もしますね。
それに、話として、面白い。

護衛のつもりかどうかは知らないけど、猫はどういうわけか、
飼い主の入浴につきあいたがるみたいですね。猫飼いさんのおたくではよく聞く話です。
うちの場合、故ランコは、私が入浴するときは、お風呂場のガラス戸の前に
ずっとつきそっていました。あがるころには、一足先に、その場を離れていました。
そのうち、レニが成長すると、今度はレニが付き添いに来るようになり、
するとランコは、おふろ場に来なくなりました。
でも、レニに何かの事情があって、おふろ場に来れないと、ランコは
それはうれしそうな顔をして、自分がお風呂の扉の前に来るのでした。
猫同士の力関係で、勝っている方が飼い主のそばにくるものなのかも知れません。

ランコが死んだあと、甘えっ子の度合いが激しくなったレニは、お風呂の付き添いを、
お風呂の中にまで入ってするようになりました。風呂桶の上に畳んで寄せた蓋の上に
寝そべり、私があがるまで、そこで寝ているのです。
さて。そこに、もうじき五ヶ月になる新入りりや子が加わったわけです。
どうなったかというと……。
今夜、二匹で連れ立って、付き添いに来ました(笑)。
レニはいつもどおり、蓋の上で寝ていたのですが、りやは湯船のお湯をすくって飲むし、
かき回して喜ぶし、落ちそうなほどのぞき込むしで、猫の幼稚園児という感じでした(笑)。
面白かったけど、ゆっくりお風呂気分が楽しめなかったかも。
まあ、レニとりやが仲良しなのは、いいことだと思います。はい。
明日も二匹で連れ立ってくるのかな(笑)?

りやはこのごろ、おもちゃを配達してくるようになりました。
ねずみのおもちゃとか、ボールとか、ビニール袋を丸めたものとか、とにかくくわえられるものは
なんでも、私の足下にもってくるのです。
……さすが、アメショー。狩猟猫の本能が動き出したか(笑)。
アメショーの先祖は、「大草原の小さな家」の時代のアメリカで、イギリスからの移民が
連れてきた猫が、放し飼いにされながら、自由に繁殖し、たくましい猫種が
自然にできていった、それを後に固定したものだと本で読みました。
ローラ・インガルスの時代、アメショーの先祖がいる家では、彼ら彼女らは、小鳥やら
小さなケモノやらを、くわえてきて、その家の食卓をにぎわわせたりもしたんでしょうね。
なんだか、その才能を発揮させてあげられないのは残念ですが、とりあえず、
おもちゃを配達してくる度に、ほめてあげています(笑)。
だって、胸をあげて、誇らしげにくわえて来るんですからね。

今日は、ここ数日書いていた短編を一つ書き上げて、P社にメールで送りました。
浅田次郎風の、泣ける話です。学校に行けなくなった女の子と、
不思議な猫とのある秋の出会いと別れの物語ですが、P社Nさんが、読後に、
泣いたあとの鼻ぐしゅぐしゅ状態で電話をかけてきてくれたので、とーっても、
うれしかったです☆
作家にとって、最初の読者は編集者。編集の人が泣かない原稿じゃ、
読者さんは泣いてくれないですものね。そういうわけで、ほっとしたのでした。
実は私は、毎度、作品に自信がないのです。編集の人に読んでもらって、
受け入れてもらい、ほめてもらうまで、いつもいつも、戦々恐々としているのです。
新人じゃなくなったら、それがなくなるかなと思っていたけれど、作家生活八年目、
やっぱり今回も、胃が痛くなってしまいましたね。

あと、今日はD社Nさんからも連絡がありました。「シェーラ9」についての打ち合わせです。
もう、あの本は、佐竹さんの絵の仕事の方に移ってるんですが、
表紙はこんな感じのラフがでたとか、教えてもらっちゃって、いまうきうきしています。
早く六月がこないかな?


2001年05月13日(日) 朝の夢

今朝起きたら、とても疲れていたので、猫二匹を寝床に連れ込んで、
朝寝としゃれこみました。

すうっと寝て、そうしたら、夢を見ました。
ランコが、死んだ頃より少し若返って、台所にいるのです。
いつもごはんをもらっていたところに、たって、こちらを見上げている。
のどを鳴らして、「ごはん〜」と、鳴くのです。

「あれ、ランちゃん生きてたの? かえってきたの?」
と、いいながら、だっこすると、ふわふわで、重くて、ちゃんとランコなのですが、
匂いがしないのです。
ランちゃんは、いつも、濡れたウールのような匂いがしていたのですが、
その匂いがしないのでした。
それで私は、
「ああ、やっぱり死んでいるから、匂いがしないんだねえ」
と、納得したのでした。

そこで、目が覚めました。
ひさしぶりで、ぽろぽろ涙を流して泣きました。

すると、りや猫が、おきあがってきて、私の胸の上に乗っかって、しばらくのあいだ、
顔をなめてくれました。で、また元の場所にもどっていって、寝ました。

ちょっとメルヘンな話を書いてしまいますが(ま、私って童話作家だしご寛恕ください)、
りやとペットショップで出会い、目があったとき、私は心の中で、
(わたしは今うちの猫が死んだあとで、ものすごく悲しいんだけど、
キミはうちに来たら、私を慰めてくれるのかい?)
と、たずねたのでした。
すると、りやは顔を上げて、こちらをみて、すうっと歩いてきて、にゃあと鳴いたのです。
で、「ランコの49日がすぎて、まだお店にいたら、うちのこにしようね」と
約束して、その場を離れ、そうして、みなさんご存じのように、
りやは私の猫になったのでした。

子猫がにゃあと鳴いたってことくらい、ただの偶然だと思うのですが、
それを偶然と思うことは、つまらないことだと私は思うのです。
あれは、一種の誓約だったと、そう思うことが、私には必要だった。
てか、その方が、楽しいじゃん。

りやは誓約どおり、私を慰めてくれるし、レニは相変わらず利口でかわいいし。
私は猫に恵まれているなあと思うのですが。
でも。
やっぱり、ランコがいなくなったのは悲しい。
この悲しみだけは、一生癒えることがないように感じられてきて、
ちょっとだけブルーな日曜日の朝なのでした。
夢であえたのはうれしかったけど、目が覚めたあと辛いなあ。

#ここんとこ、「仕事で忙しい」のと「猫の死のトラウマ」で、一日が終わってしまう。こりゃやばいんじゃないかと思いつつ、たちなおれないぞ〜。
あうあうあう。
客観的にみれば、何やってるんだ、村山、って感じなんだけどね(^^;)。

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