☆シャコちゃんとの一週間☆
〜ある野良の子猫の物語〜
〜これも野良猫時代のもの。とある中華料理店の軒先にて〜
そもそもの出会いは、うちの父親の命日である、7月4日の午後のことでした。
その数日前に、早めの七回忌を終えた私は、その日、いきつけの
獣医さんに、ノミ退治のための薬を買いに行こうとしていました。
もよりのバス停で、バスを降り、昔父が、第三の人生を送っていた会社の足下を
通り過ぎ…そう、そのあたりは、お役所や会社のビルが建ち並ぶ場所なのです、
ビルの間の公園のそばを行き過ぎようとしたとき…。
OLさんがひとり、神妙な顔をして、公園の方を向いてしゃがみこんでいるんですね。
最初は、気分が悪いのかと思いました。
近づくにつれ、何かを一心に見ているらしいと気づいて、私ものぞき込みました。
なにか、灰色のものが、ひらひらふわふわ動いています。
そのひらひらには、金色の目と長いしっぽがありました。
子猫だったのです。
子猫が、ひとりで、公園の雑草にじゃれついて、遊んでいたのでした。
OLさんは、それを見守っていたのです。
実際それは、見守りたくなるような、みとれたくなるような、景色だったのでした。
ふわふわの子猫が、無防備にものにじゃれているようすくらい、かわいいものは
ないですから…。
おまけにそれがまた、半長毛の、グレイの差し毛がはいった、きれいな猫なのです。
私は、でも、どんよりと落ち込んで、その場を離れました。
うわあ、見るんじゃなかった、という気持ちでした。
だって、うちでは猫は拾えないんですから。
我が家にはすでに猫が二匹いて、同居の家族は、いまいる二匹はまだ容認してはいる
ものの、これ以上は絶対に増やさないでくれ、という約束になっています。
またこの家族が、ごく最近、肩に脂肪腫ができて手術したばかりで、かなり神経質に
なっている時期でした。
無理矢理子猫を拾えないこともありませんが、万が一、猫にとばっちりがいった場合を
考えると…。
それにそのころは、アメショーのりやが、最高に子猫まっさかりな時期で、
またこいつがアメショーそのものな猫だから、暴れ方がすごかったのです。
陸上選手のように走る、グライダーのように飛ぶ、先輩猫はいじめる、の三拍子。
ここにもう一匹子猫が加わったら…。
我が家はマンションです。上下の階の住人のことも考えなければならないのでした。
まあ、私が拾わなくても、あそこはビル街の中にある人通りの多い公園だし、
誰か拾ってくれるよ、きっと…とかつぶやきつつ、私は獣医さんを訪ねました。
化粧っけのない、さばさばとした、好感の持てる女医さんです。
で、獣医さんで、その子猫の話をしたのです。すると…。
「ああ、知ってます。近所の猫おばさんが、ごはんをあげている猫の一匹ですよ。
あの公園には猫が何匹かいるんです。その中の一匹なんですよ。雌です」
「あ、そうなんですかあ! 世話しているかたがいらっしゃるんですね。よかったあ」
「…うーん。それが、よくもなくて…」
「え?」
「あの公園、こないだ、猫の虐待事件らしきものがあったんですよね。
公園の猫の一匹が、前足のここんとこをばさっと切られちゃって」
と、先生は、片方のてで、自分のもう片方のてを、ざっくりきるまねをしました。
「…実は、いま、うちに入院中なんです」
「ひいいいい!」
くだんの猫は、檻に入っていました。よくいるブチ柄…だったと思います。
怖くて正視できなかったので、記憶に残っていないのです。
エリザベス・カラーをつけていたことだけは覚えています。
「ほほほ、本当に、猫虐待魔がいるんですか? そいつの仕業なんですか?」
「目撃者がいるわけじゃないんですけどね。ただ、傷口がそういう感じなので」
折しも、北海道の連続犬虐殺事件が報じられた直後のことでした。
まねっこする馬鹿がでないとも限らない時期です。
ついでにいうなら、長崎には、未解決の猫虐待事件やら連続ウサギ虐殺事件も
過去にあった街であるのです…。
うわあ。私は頭がクラクラしてきました。
先生は、なおも語ります。
「公園の猫の中には、人なつっこいのとそうでないのがいるんですけどねえ。
この入院中の猫は、人になれていたんですよ。
人なれするのも、困りもの、というか…」
「せ、先生…あの子猫って…」
「ああ、あの子猫、すごくなれてます。だっこもできますよ。つい数日前に、
疥癬の治療に来たばかりですから。先日は予防接種もしましたし」
先生は、そこで、ふと、目をふせて、
「…それでなくても、あの公園の猫たちは、よく車にひかれて死ぬんですよね。
だから、あの子もいずれは危ないなあと…」
(注…いま書いてて思ったんですが、先生、私に拾わせようと、実は、
思考操作してたんじゃ(^^;)? ま、いいけど。逆の立場なら、私だって…♪)
ここで私は、心を決めました。
「わかりました、先生。里親探しをしていいですか?
インターネットを使えば何とかなるかもしれないですから!」
「まあ、本当に?」
「ああ、今日デジカメをもってくれば良かったですね。やはり写真がないと…」
「写真だったら、こないだ撮った写真があるから、あれを使っていいけど」
「先生はパソコン使えますよね? じゃあわたしが先に、里親掲示板に文章を
投稿しておきますから、あとで先生の方で、画像だけアップして下さい!」
暑い日でした。
私は夕日を背中に受けて、いさんで家に帰ったのでした。
帰り道、子猫の姿をさがしましたが、どこにもいませんでした。
家に帰ってから、一応、家族にそれとなく打診してみました。
獣医さんの近所の公園に子猫がいたこと、その公園にはひょっとしたら、変質者が
いるのかもしれないということ…。
と、ここまで話した段階で、「子猫がこれ以上増えるのは困る」という発言がありました。
…やれやれ。
ところで、身内の恥をかくようですが、うちの家族(とくに母親)というのは、
きれると怖い人間でして、以前、家庭内でトラブルがあったとき、
家中の観葉植物の茎を花ばさみで切断する、という、ホラーなことをやってのけた
人物なのです…。←お花の先生なので、はさみの扱いは上手(^^;)
まじで、子猫に何かあったらしゃれにならないので、うちにつれてかえるのは
断念しました。
さてさて。こういうときに頼りにするのが、いつもお世話になっている、
「獣医師広報板」です。大阪の獣医さんが開設している、動物関係の大きなサイト。
ここには、里親掲示板があります。
犬猫をもらってほしい人や団体が、書き込むことができるのです。
ここに私は、第一報として、公園で子猫を見つけたこと、愛らしい子猫であること、
ところがその公園には、猫虐待魔が出没するかもしれないことなどをかいた文章を
投稿しました。
いままで里親さがしなんてしたことがないので、とりあえず、第一報だけ
書いておいて、これからいろいろ考えようと思ったのです。
里親さがし。自分ではしたことがなくても、多少の知識はありました。
猫を虐待目的で引き取る人や、実験動物として売るために引き取る業者もいるので、
むやみに人を信じてはいけないということ。
そのために、連絡先は、携帯電話ではなく、家の電話の番号と、住所氏名を
ひかえて、こちらからも何度も連絡を取らなくてはならないということ。
捨てられないために、引き取りたい人の家庭環境をきちんと調べるべきだということ。
etcetc。
ここで私には、ネットのほかに、もう一つ、頼りにしているものがあったのです。
私の母校である大学の先生の、K先生です。
長崎きっての猫マニアである先生は、たしか、地元の猫組織とも関係があるような
ないような話を以前なさっていたような記憶がありました。
ここは地元の協力も仰ぎたいところです。
ところが。
電話を何度かけても、先生はいらっしゃらないのです。
?と思って、ぴんときました。
…夏休みだ。
大学の夏休みは、長いのです。先生は七月に入るそうそう、お休みをとって、いつも
どおり、北海道の別荘にいってしまわれたに違いありません…。
悄然と受話器にてをおき、私はこの段階で、地元の協力はあきらめました。
(後に、実は実家で不幸があって、帰郷されていたことが
わかりました。それもまさに私が電話したその日から…)。
実はもともと、長崎で里親探しをすることには乗り気ではなかったのです。
なぜか。
長崎県は、まだまだペット飼育に関しては、遅れている県だからなのでした。
保健所で殺される猫の数が、全国でもワースト3にはいる県なのです。
避妊手術も去勢手術もワクチンもろくに普及しない。猫は放し飼い。
子猫が生まれれば、保健所にもっていくか、公園や川にポイ。
長崎は、そういう街です。
それは猫が絵になる街です。猫好きも多いです。でも…。
何しろ、私自身の知り合いの中でも、まともな猫の飼い方をしていない人の方が、
圧倒的に多いというとんでもない街なのですよ、ここは(^^;)
どうせ里親にだすなら、関東の、先進的な意識を持っている飼い主のところに
送り出してあげたいじゃないですか?
里親掲示板に投稿、同じサイトの猫フォーラムのBBSに投稿、
私の掲示板や、親しい友人知人の掲示板にも投稿…。
その夜のうちに、たしか、それだけ投稿したと思います。
でもそれは、自分に対する決意表明のようなもの。
写真が手に入ったら、いよいよ本格的に、里親探しをはじめよう、
里親さがしサイトに、投稿しまくるぞ、それに、猫関係の友人知人に
いろいろ方法を教わらなくては、と、決心していたのでした。
そうそう。そして、その夕方に、仕事の打ち合わせで、P社から電話がかかって
きたのだったか、それともあれはわたしからかけたのだったか…。
担当の若い女性編集者Nさんに、子猫の話をしたのでした。
そのとき私は、「出版社は人間関係が広いから、だれか猫ほしがっている人を
知ってるんじゃないかな」というふうに思って話したのです。
たとえば、作家や画家が猫を引き取った場合、仕事が仕事ですから、
猫はたぶんかわいがってもらえるだろうとあてにする気持ちもありました。
(同業者の気持ちくらい、想像がつきますので(^^;)
ところが…。
「えっ。それ、猫って、どんな猫ちゃんなんですか?」
興味を持ったのは、Nさん本人でした。
そうです。Nさんは、かなりの猫好きなのです。
そうして、彼女は、あれは去年の秋頃だったか、一匹の病弱な子猫を拾ってきて
死なせてしまったという過去を持つ人だったのでした。
「灰色の、ふわふわした長毛の子猫で、すっごく、かわいいよ」
「…死んじゃった子猫も、そういう感じだったんです」
「そうなんだ。……生まれ変わりかもしれないねえ」←悪魔のささやき
「ええっ? ああ、でも、うち、マンションだし。でも、となりの部屋も飼ってるし。
うーん、飼ってもいいかなあ? ああ、だけど、どうしよう?」
Nさんは、苦悩しました。苦悩の末、
「一晩考えさせて下さい。いま現在は、83パーセントの確率で、ほしいです」
次の日わたしは、起きてすぐに、子猫の写真を撮りに行きました。
もはや、里親掲示板に載せるためというより、Nさんに見せるためでした。
デジカメIXYを首から下げて、れっつ猫のいる公園へ。
その日は、八月のように暑い日でした。
まったく、あの数日は、いま思い返しても、とんでもなく暑かったです…。
公園に、猫は…。
いません。
あらー、と思いましたが、獣医さんのところにとりあえず、いきました。
獣医さん曰く、「昼間ですからね、どこかで日陰にいるんじゃ? 大丈夫、夕方の
食事の時間になったら、帰ってきますよ」
「里親83パーセント希望の人がいるから、早く写真見せたかったんですけど」
「それだったら、私が撮った写真を現像に出してますから、それもっていって
いいですよ。…ええっと、そろそろできる頃かな?」
「私、取りに行きましょうか?」
「そうしていただけますか? 助かります」
暑い暑い日差しの中を、坂を上って、写真屋さんへ行きました。
すると。妙に困ったような顔をした店員さんがいうのです。
「すみません、現像はできているんですが、店のプリンターが壊れちゃって」
「え?」
「連絡しようと思っていたんですが、つい、忘れていて」
「で、いつになったら、修理がおわるんですか?」
店員さんは、プリンターといままさに格闘中のもうひとりの店員さんと顔を見合わせ
ます。
「…今日は無理です。明日もできるかどうか…。あのう、お急ぎでしたら、
ネガを差し上げますから、ほかのお店でプリントしてはいかがでしょうか?」
暑い日でした。そうして私は、焦っていたので、すごい顔をしていたと思います。
店員さんは、申し訳ないというより、怯えているようでした。
わたしはとりあえず、ネガを受け取って、獣医さんのところにもどりました。
事情を話すと、先生の顔の額のあたりに、怒りの血管が盛り上がりました。
「…写真屋さんも、連絡してくれればいいのに」
いままでの言動で、うすうす察していてはいたのですが、先生はきれやすい
たちの人でした。
結局、私はほかの写真屋さんを捜しにいくことにしました。
乗りかかった船というものです。
炎天下、まず近所のコンビニをたずね、そこが仕上がりが遅いというので、
ほかのコンビニに行き…と数件まわり、結果的に、駅ビルの中の
写真屋さんにたどり着いて、獣医さんにもどったときには…
夕方になっていました。
現像は、5時頃できるという話でした。
私が写真を受け取って、そうして家に持って帰るという話をして、そうして私は
病院をでました。夕日も燃えるように暑かったです。
と。
公園のそばの中華料理店の前に、あの子猫がいるじゃないですか?
子猫は、私と目が合うと、とたんに、そこにある雨樋の中に隠れました。
葉っぱが風に吹かれるような、かろやかですばやい動き方でした。
わたしは、「おいおい、なれてるんじゃなかったのか?」と、一瞬とまどいながら
無意識のうちに、チッチッと舌を鳴らして呼んでいました。
すると。でてくるじゃないですか?
ニャアと鳴きながら。そうして、私にすり寄って、甘えるじゃあないですか?
私は写真を撮りました。
そうして、子猫がよそを向いているまに、その場を離れました。
…つれては帰れないので。
遠くから、子猫を見ていると、彼女は、毛繕いをはじめました。
そうしながらも、大きな耳を常に動かしていて、人の気配が近づくと、さっと
雨樋の中に隠れるのでした。
それは本当に素早い動きで、野良猫としてひとりで生きている、
それがありありとうかがえるものだったのです。
まあ、アレなら大丈夫かな、と、私は少し安心しました。
たしかに人なつこいけど、素早いし。しばらくは車にもひかれないんじゃないかな。
私は家に帰ってから、子猫の写真のうち、かわいいものを、Nさんにメールで
送りました。
さてそのころ、メールや掲示板の書き込みで、友人知人から、いろいろと
アドヴァイスが寄せられてきていました。
…みんな、優しいなあ、と、ほろりとしました。
そんな中で、数人の人が、「早く子猫の身柄を確保した方がいいんじゃないの?」
と、心配してくれていました。
うーん。それはそうなんだけど、と、私は腕組みをしました。
家族の精神状態を考えると、うちにくるのもよしあしだと思えたのです。
一方で、獣医さんのところが、一泊千五百円でペットを預かってくれるらしいので、
いざ里親が決まったら、即先生のところにつれていこうとは思っていました。
ほんの数日のことなら、私の乏しい資金でもなんとかなるでしょうし。
ところで、その当時の私の台所事情なのですが、六月末にはいるはずだった
とあるお金がまだ入金されていなかったのです。
きっと何か手違いがあったんだろうと思いつつ、催促するのもかっこわるいと
思って、先方が気づくのを待っていたのですが、
ここへきて、電話をかけてみることにしました。
もしかして、里親83パーセント候補のNさんが子猫をもらってくれるなら、
私は子猫を連れて、東京へ行くか、子猫だけを空輸しなくてはなりません。
そのための資金も必要でしたから…。
そして。次の日の朝。
朝一で、P社から電話がかかってきました。
元気な声のNさんです。
「決めました。私、その猫もらいます。家族や友人にも相談して、一晩考えましたが
やっぱりほしいので、里親になります!
写真、すごくかわいかったです。死んだ子も、ああいう感じだったんですよ…」
さあ、その日の私くらい、喜び勇んで行動していた人間もいないことと思われます。
猫の公園へレッツゴーですよ。
ところが。
猫はいません。
でもまあ、また夕方になったらでてくるわよね、と思って、獣医さんに喜びの報告を。
先生も、目を潤ませて感動して喜んでくれました。そうして、
里親さんの家に行くまでの数日間、ただで、うちにおいていていいから」
らっきー☆
その時点で、私には一つ、気になっていたことがありました。
外で暮らしていた猫が、マンション猫になれるかどうかということです。
実は、里親候補は、もうひとりいたのでした。
横浜在住の猫母さま、こと、すず猫さんのお母様です。
このことは、すず猫さんから、ひそかに耳打ちされて知ったのでした。
猫大好きで、心優しい猫母様は、私が里親探しをしていることを心配し、
子猫のことも深く心配し、自分が里親の名乗りを上げたい、でもでも、と
ある一点を心配していらっしゃったのでした。
それがつまり、「外の喜びを覚えた猫が、室内飼いできるか」ということ
だったのでした。
猫母様のお宅では、以前外飼いをしていた最愛の猫をなくしています。
病死してしまったその猫さんは、苦しそうだから外に出したくなかった猫母さまの
手を放れて、どうしても、とそとにでていきたがったというのです。
心優しい猫母さまは、子猫がもし外を恋しがったらかわいそうだと思われたのです。
そして、猫母様の家の近所にはいま、気の荒い野良猫たちが住み着いていて、
とても子猫を外に出せる環境ではなかったのでした…。
野良生活から室内飼いへの転換については、私は大丈夫だろうと踏んでいました。
何しろまだ子猫です。そうして、大人の野良猫だって、室内飼いにした
人がいるということは、ネットで調べて知っていました。
でも、専門家の発言も聞いてみたい。
先生は、深くうなずいて、「大丈夫です」と、いってくれました。
「でも、猫トイレがちゃんとつかえるでしょうか?」
「猫は、そのへんのしつけは大丈夫ですよ。それに子猫ですからね」
獣医さんやお医者さんの「大丈夫です」という言葉くらい、人をほっとさせる言葉は
ないのかもしれませんね。
そのまま獣医さんをアジトにしながら、いろんな飼い主さんが来たり電話がかかるのを
見ながら、私は何度か公園に子猫を探しに行きました。
昼間でも、公園にいることがあるかもしれないからです。
里親さんが決まったんですもの、一刻も早く、身柄を確保したいのです。
ところが、子猫の姿はありません。
夕方になっても、子猫は見えません。
その間、私は、子猫のお嫁入り用に、紅いかわいいキャリーバッグを買ったり、
それを病院にもってきたりもしていました。
でも、子猫は公園に帰ってきません。
そうこうするうち、里親Nさんから、携帯にメールが来ました。
「今日、これから会社を出たあと、猫を飼うのに必要なグッズを買いに行きます。
子猫の名前は、シャコンヌに決めました。一番好きな曲なのです。
でも、愛称はシャコちゃんです。すしネタを猫の名前につけるのが夢だったので」
このときは、焦りました。不安になりました。
そんな馬鹿な。里親が見つかったというときになって、子猫がいないなんて。
こんなに楽しみにしてくれているのに、子猫がいないなんて。
まさか…まさか。
一歩違いで、猫さらいの魔の手に???
先生が笑いながら、いいました。
「大丈夫ですよ。子猫がでてきたら、猫おばさんに捕まえておいてもらいますから」
と、いうので、いったん家に帰ることにしました。
帰る前に、公園をぐるぐる見ましたが、やはり猫はいませんでした。
でもまあ、昨日だって、昼間はいなかったのです。
そして、夕方に帰ってきたのです。
きっと、今日も帰ってくるにちがいない…そう信じて、家に帰りました。
捕まえたら、電話しますと、先生はいいました。
その夜は、雨になりました。ざあざあ降りました。
電話は、一晩中鳴りませんでした。
次の日は、ぱらぱらとした雨でした。
私は朝一番で、先生に電話をかけましたが、子猫は捕まらなかったという話でした。
私は公園に行きました。
子猫はやはりいません。
雨に一晩降られた公園はぬかるんでいて、そもそも猫の気配はなかったのです。
私は、猫おばさんを訪ねました。公園の猫の世話をしているおばさんは、
たばこやさんでした。(注…あえて名前は書かないでおきます)。
すでに8匹猫を飼っているというその人は、
子猫のことを、「チューちゃん」という名前で説明しました。
「あの子猫はね、もともと公園じゃなく、ほかの場所で捨てられてたのよ。
ビルのシャッターの向こうでね、おなかがすいたってにゃーにゃー鳴いてた。
こんなところにいても生きていけないから、ひっぱってつれてきたの。
灰色で、みっともなくってねえ。手のひらにのるくらい小さかったのよ。
ねずみみたいだから、チューちゃんってよんでたの。
でもちょっと変わった猫だから、里親を捜してみようかなって、先生に
いってたところに今度の話でしょう?
まあ、いい里親さんが見つかったって喜んでたのに、いなくなって。
わたしは昨日、雨の中を夜何度も何度も、さがしにいったのよ」
猫おばさんは、いわゆる外地育ちなのだそうで、私と話すときは、
きれいな昔の言葉になるのでした。
そうして、ため息をついて、
「実はねえ。おとといの夜から、チューちゃんいないのよ。
こんなに長いこといなかったのはじめてなの。どうしちゃったのかしら?」
「え? いないのは、昨日からじゃなかったんですか?」
「おとといの晩ご飯、食べに来てないのよ。おとといからよ」
ということは、私が写真を撮った直後からいなくなっていたということです。
私は、愕然としました。
ということは…写真を撮ったあの日、あの日に私が身柄を確保していたら、
子猫は行方不明にならなかったのかもしれないのか?
あのときの気持ちくらい、どん底な気分というのはなかったですね。
元気な子猫の写真を撮ったあの日。
あの夕方を最後に子猫が姿を消したのです。
あのあと、もし、子猫が猫さらいにさらわれたり、殺されたりしていたら。
車にひかれてしまっていたら…。
私が子猫を見殺しにしたようなものではないですか?
私は、猫おばさんといっしょに、雨の中、チューちゃんを捜しました。
公園をぐるぐる歩き、周りを回りました。
歩きながら、猫おばさんが、くらーい声で、いうのです。
「誰か気まぐれな人が、ひょいとつれていって、どこかで捨てたのかも」とか、
「猫を虐待する人が、つれていったのかも。餌で釣れば捕まるからねえ」とか、
「このごろ、道路を横断したがっていたから、遠くに行ったのかもね」とか。
そのたびに私は、心臓をばくばくさせて、内心怯えまくっていたのでした。
そして、猫おばさんは、悲しそうにいうのでした。
「その里親さんは、チューちゃんが後になってでてきても、もうもらってくれない
わよねえ」
猫おばさんと一回別れたあと、私は獣医さんにいきました。
「先生、どうしましょう」と、泣きつくと、先生はけろっとして、
「大丈夫。猫は気まぐれだから、出てこない日もありますよ」
「そ、そうでしょうか? でも、猫おばさんが、あんなことやこんなことを…」
「あー、あの人はね、心配性で、苦労性なんですよ。ああいう性格なの」
「え? そうなんですか?」
先生は苦笑しました。
「病院を開業してからいままで、いろいろお世話になっていますけれど、
もう常にああですから。あの人は、ああいう人なんです」
私はほっとしました。少しだけ。
その日は一日、子猫をさがす覚悟をしました。
もうゴールは見えているのです。子猫さえさがせば、ハッピーエンドなのです。
公園の周りを中心に、ぐるぐると何時間もかけて、歩き回りました。
かなり広い範囲をさがしてまわったのは、猫おばさんがいっていた、
「誰かが連れていったのかもしれない」「道路を渡ったのかも」という
言葉に触発されてのことでした。
そうこうするうちに、雨が上がって、はれてきました。
あちこちで野良猫たちが顔を出すようになってきました。
私はちょっと期待していたのです。
子猫はきっとどこかで雨宿りをしているのに違いない(そうであってほしい)。
だからきっと、雨が上がれば、餌場がある公園に帰ってくるはずだ、と。
…生きてさえいれば、の話ですが(^^;)。
明るい気持ちと暗い気持ちは、交互に顔を出しました。
きっと、でてくる、という気持ちと。
いやもう死んでいる、という気持ち。
一番怖かったのは、子猫の死体を見つけることでした。
礫死体とか、惨殺された死体とか。
そんなのを見つけたら、再起不能だと思いました。
もう子どもの本なんて書いてられないなあという予感がしました。
一番しまったと思ったのは、里親のNさんのことです。
一度よく似た子猫を死なせている彼女が、子猫が死んだとき、どれほど
落ち込んだのか、私は良く覚えているのです。
今度の子猫を、彼女は、あのとき救えなかった子猫の代わりに、
幸せにしたいと思っているのに違いありません。
それがもし、今日、死体で見つけてしまったりしたら…。
ああ事実はとても話せない。頭を抱えました。
そのときのための、嘘を考えはじめていました。
お昼過ぎまで歩き回って、太陽の復活とともに疲れてきたので、
一度休むことにしました。
とあるビルの中の、洋食屋さんで、スパゲティーを食べました。
クリームソースのシーフードパスタは、おいしかったけれど、
吸血鬼への呪いがこもってでもいるかのように、ニンニクが利きすぎていました。
ちょっと気力を取り戻して、でも、なんだか、「ああもうだめだ」という気持ちが、
深く兆してきていて、ちょっと重たい気分で、私は公園に帰ったのでした。
あれは、三時頃だったか…。
私は、もう、ふっきれて、子猫の名前を呼びながら、さがしはじめました。
「チューちゃん、チューちゃん」
昼日中、公園の周りを、あやしげな名前を呼びつつ、歩き回る見知らぬ女。
さぞかし、付近の人たちは、不気味だったろうと思います(^^;)。
でも、官公庁とビルと市場の近所では、その時間は不思議と人はいない…
っていうより、みんな働いてて忙しそうでした。
だから、あまり、周りを気にしないですんだといえばすんだのです。
そのあたりは、前にも書きましたが、死んだ父の元職場がある場所で。
私は実に生まれてはじめて、父に祈ったものです。
子猫の無事を。いやその…父はたいそう動物好きだったので。
そうして、何度めかに名前を呼んだとき。
ふわふわっと、灰色の布きれのようなものが動くのが見えたのです。
チューちゃんでした。
不思議な話なのですが、そのとき、チューちゃんは、「なにか」の影から顔を
だしたのですが、それがなんだったのか、記憶にないのです。
積み重なった箱か看板のようなものだったと思うのですが。
とにかくあのときの私の目には、チューちゃんしか見えていなかったし、
チューちゃんが見つかって良かったという、その気持ちしか心になかったのです。
私は駆け寄ってきたチューちゃんを抱きしめ、抱き上げました。
「良かったねえ、チューちゃん。見つかってくれて、お姉さん、嬉しいよう」
チューちゃんをだっこしたのはそのときが初めてでしたが、子猫は
まるでそれが当たり前のように、腕の中に収まって、ごろごろのどを鳴らして
いたのでした。
そして私は、子猫を抱いて、猫おばさんのところへ駆け込みました。
その日は土曜日で、獣医さんはもうしまっていたからです。
私は、子猫を自分の家の近所のペット美容室に預けるか、
ほかの獣医さんにひとまず預けようかと思っていました。
ところが、猫おばさんは、「それはだめ。あちこち移動させたら、子猫に
よくないし、ほかの病院にもっていくのは、不自然でしょう。
今日の夜か明日の朝に、私が先生のところに連れて行くから、
ここにおいていきなさい」と、いうのでした。
先生は、猫を病院で飼っているし、入院患者もいるので、病院が締まっている日も、
朝と夕方には、病院に来るのです。そのときに、猫おばさんは、先生を訪ねると
いうわけです。
「一晩くらいなら、うちでもとめられるから」
猫おばさんはそういって、チューちゃんを抱きしめ、猫缶をあげるのでした。
そのあと里親Nさんに携帯からメールを打ったときの、Nさんの喜びようといったら!
さて。その時点で私は、こんなスケジュールを立てていたのです。
Nさんは仕事の関係で、土日に子猫を受け取りたいらしい。
それなら、来週まで一週間、子猫を先生にあずかってもらえばいい。
先生のところで、子猫は家の中での暮らしになれるだろうし、
疲れもとれるだろう。流しを貸してもらえるなら、少しくらい洗っても…。
ところがどっこい。
ここで意外な展開が。
次の日の朝、先生から電話がかかってきたのです。
子猫は受け取りました、という内容に続けて、
「実は、風邪を引いた野良の子猫が大量に入院することになったんです。
それでねえ、チューちゃんをケージから外に出すと、今度は、
診察室で放し飼いにしている風邪ひきの子猫から風邪が移る危険があって。
どっちみち危険な環境になってしまうんで、なるべく早く移動させた方が」
そうなのです。診察室の隅っこに、ジジという名前の、猫風邪をこじらせている
黒い子猫が、いつもひっそりとうずくまっているのでした。
チューちゃんはケージから出すと、ジジの方に近寄ってしまうというのでした。
そして、先生からの電話と同時に、わたしをあたふたさせていた要素がもう一つ。
獣医師広報板でのお仲間である、みゃーのママさん及びりんママさんを
初めとする、みなさまからの心温まるアドヴァイスでした。
飛行機での子猫の空輸について、私は、意見交換掲示板というSOSを
書き込める掲示板(と私はとらえていますが、如何?)に書き込んで、
みなさんのアドヴァイスを求めていたのですが、
思っていたより難しいことがたくさんあることがわかってきたのです。
とくに、元国際線スチュワーデスにしてペットシッターのみゃーのママさん
のアドヴァイスは的確で、いまもとても感謝しています。
ここに、子猫を空輸する際に大事なことを書いておきます。
みゃーのママさんに教えていただいたことです。
1.飛行機は、大手の会社を選ぶこと。
2.ペットは貨物扱いになり、貨物室に収納される。
客席につれていくことはできない。
3.キャリーバッグは貨物室で固定されるけれど、中のペットが固定される
わけではないので、離陸と着陸の時の衝撃は、ダイレクトに伝わる。
だから、キャリーバッグの中は、ふわふわにしておくこと。
4.キャリーバッグからだされて、飛行機会社の檻に入れられることも
あるが、そのときは、檻に病原菌がついているはずだから、殺菌すること。
5.夏の飛行機は、炎天下に飛行機が野ざらしにされるので、貨物室が暑くなる。
朝一番の便か、夜の最終便で、移動するようにすること。そして、少しでも
ペットが野ざらしの目にあわないように、ぎりぎりの時間で搭乗手続きをすること。
ペットを積み荷の最後に載せてほしいとそれくらいの要求をしてもかまわない。
脱水症状を起こさせることは、とても怖ろしい。
6.貨物室はすごい騒音がするはずなので、ペットにはストレスのはずだ。
さて、意見交換掲示板でのsutemaru先生や寝子さんのレスで知ったことなのですが、
子猫は子猫だけで送っても、人間がついていっても、扱いは変わらないらしい。
子猫だけ、という選択も、実は考えないでもなかったのですが、
(悲しい貧乏作家ですので…(^^;)結局は、私も飛ぶことにしました。
やはり、子猫の無事をきちんと確認したかったのと、
里親Nさんに手渡したかったからです。喜ぶ顔もみたかったし。
一日でも早く、という先生の意見もあって、結局、火曜日にいくことにしました。
羽田空港からNさんのいる新宿までは、天使のようなみゃーのママさんが、
車をだしてくれることになりました。
Nさんには、お昼休みにちょこっと会社を抜けてきてもらいます。
そして、仕事の打ち合わせもしつつ、猫の受け渡し、と決まりました。
朝一番の便でいって、日帰りで帰ることに決めました。
手違いで遅れていた入金は、火曜日にはいるという連絡があったのですが、
一泊して帰るとなると、やはりいろいろ物いりですし…。
それに、喜怒哀楽の一週間で、気力が尽きていて、今更もう、
宿の予約を取るなんてことをする気力がなかったのです。
いま考えると、ささやかなことなんですけどねえ…。
朝一番の便で呼ぶ関係上、子猫は我が家に一泊させることになりました。
まあ、一泊くらいなら、家族を説得できないこともないでしょう。
元が動物好きなのですから…。
月曜日の夕方、子猫をつれに病院に行くと、猫おばさんがいました。
「これ、お餞別だから」と、私に白いものを差し出しました。
しわしわの封筒に、ボールペンの字で「ちうさんえ」と書いてありました。
私は大事に、封筒を受け取って帰りました。
これはそのまま、Nさんに渡そうと思いました。
紅いラタンのキャリーバッグに入れられたチューちゃんは、その時から、
お嬢様猫のシャコンヌになりました。
実際、元がかわいい猫なので、上等なグッズとあわせると、
「正体不明の謎の純血種」のような雰囲気になるのでした。
とても、公園でさまよっていた猫には見えませんでした。
私と猫おばさんは、途中まで、いっしょに帰りました。
キャリーバッグの中の子猫は、公園が近づくと興奮して、
だしてほしそうにしました。
公園から遠ざかるにつれて、顔だけが、公園の方を向くのでした。
チューちゃんと呼ばれていた猫の、わずかの間、家だった場所との、
永遠の別れでした。
公園では、寒かったことも、飢えていたこともあったに違いありません。
耳の中が排気ガスで真っ黒になっていた猫です。
排気ガスも吸って、汚れた水も飲んでいたでしょう。
雨にぬれただろうし、怖い目にもたくさんあったことでしょう。
でも、楽しい思い出だってきっとここにはあって、子猫はこの場所が
大好きだったに違いありません。
もし、この公園に、猫虐待魔かもしれない人が来なければ…
もし、この公園が、車どおりの激しい道路に囲まれていなければ…
子猫をチューちゃんとして、ずっとここにおいていてもよかったのです。
猫は自由にくらすのが一番だという人々がいます。
室内飼いだなんてとんでもない、自由に外しがいにして、去勢手術も
受けさえず、ケンカもさせて、放浪の旅をさせて。
それが、猫の一生なのだから、という考え方です。
そういう人たちにとっては、私がしたことは、よけいなお世話かもしれません。
でも、私は私がしたことが間違っているとは思いません。
猫の一番の願いは、「生きること」だと信じているからです。
自由なんてなくてもいい、お部屋は狭くてもいい、
おもちゃもあんまりいらない、ごはんもたりればいい、
愛情があって、生きていければいい…。
猫と十年暮らしてきました。
一番古い猫を、今年なくしました。
その猫とのさよならの時に、感じたことです。猫の一番の願い事。
『私は、この家で、あなたと、もっと、生きていきたい…』
それが、すべての猫の、一番の願い事だと信じています。
だから、公園の子猫にも、愛する人と生きられる可能性を与えてあげたかったのです。
猫おばさんが、しみじみいいました。
「もうチューちゃんは、雨に濡れることもないのねえ。
台風がきても大丈夫なのねえ。よかったねえ」
家に子猫をつれて帰っても、家族は文句を言いませんでした。
でも、いじっぱりなので、「子猫を見ると情が移るから」といって、
子猫の方をちらっとも見ませんでした。
子猫は、うちの玄関に新聞紙をしいて、泊めました。
我が家の玄関はなかなか広くて、キッチンとの境目が、ガラスのドアなのです。
一晩中、玄関の明かりをつけておいてあげたのですが、子猫は
ぜーんぜん、怖がることもなく、おびえることもなく、玄関でくつろぎました。
そうして、うちの猫どもが、ガラス越しに偵察に行くと、
歓迎するのでした。…うちの猫どもは、シャーッとかいっていましたが(笑)。
さあて、一方で、私には火曜日に打ち合わせの約束があったのです。
とある雑誌とです。電話で打ち合わせなので、東京で携帯でうち合わせすれば
いいや、と、思いました。ゲラをしながら、眠りました。あとは明日…。
…それが、甘かったんですよねえ(笑)。
朝一番の便で、東京に飛びました。
五時おきで、六時台のリムジンバスに乗って、八時台の飛行機です。
その日は程良く曇っていて、あまり暑くありませんでした。
子猫はリムジンバスの中で、ちょっと鳴きましたが、あとは静かでした。
いよいよどきどきの搭乗手続きです。
飛行機が飛び立つ三十分くらい前しかバスが着かなかったので、
ほどほどの時間に手続きをすることができました。
キャリーバッグに入れたまま、クレート(檻)にいれて、固定すると、
係員の人は説明してくれました。
係員の人も、バッグを受け取った人も、動物好きなのか、笑顔だったので、
わずかながらほっとしました。
この時点で、猫おばさんに負けず劣らず、心配性で苦労性の私は、
空輸が失敗して子猫に何かあるんじゃないかという気がしていたのです。
飛行機が飛び立つ前、座席に座って、離陸を待っていると、
いきなり、自分の下で大きな音がしました。
何事かと窓の外を見ると、扉が開いています。
開いた扉の中に、次々と荷物が運ばれているではないですか?
そうです。私は貨物室の真上の席に座っていたのでした。
窓から見下ろしたのですが、さすがに、クレートがどれなのか、
わかりませんでした…。
そして離陸。
ああ、もう、ゆれないでくれ〜と、祈りながらの空の旅でした。
途中で、すごく心配になってきて、聞いても仕方がないこととわかっていながら、
「あのう、子猫はどういう状態で、どこにいるんでしょうか?」
と、スチュワーデスさんに尋ねたところ、彼女は笑顔で、てをひるがえし、
「お客様のましたのあたりに、猫ちゃんはいらっしゃいます」と
答えたのでした。
着陸の時は、がくん、と、ゆれました。
ああ、子猫は舌かんでないよなあ、頭を檻にぶつけてないよなあと、
どきどきして気分が悪くなりました。
いつもは羽田に着くとうきうきするのに、あんなに最悪な気持ちで
迎えた着陸は初めてでしたね。
さまようような気分で、でも急ぎつつ、空港へ移動して、そして、
手荷物を受け取る場所で、係員さんに連絡してもらって、
子猫が来るのを待ちました。
…来ました。なんていうのか、巨大な入れ物に、魚の漁に使うような網が
ぐるぐるまきになっていて、その中に、紅いキャリーバッグがあるのでした。
ビスでぎしぎしとめられたクレートを、係員さんが、力をこめて
開けていきます。まるで、シャコ貝をこじ開けるようでした。
そうして、子猫は私の手元に来たのでした。
元気でした。にゃあ、と鳴きました。
そうして、出口には、みゃーのママさんが、待っていてくれたのですが。
それがまた、梅宮アンナを繊細にしたような美人で、びっくり。
おまけに、彼女の愛車というのが、なんと左ハンドル…。
みゃーのママさんは、子猫が脱水症状を起こしているんじゃないか、
空腹で倒れそうなんじゃないか、と、青ざめるほど心配しているようでした。
一方で私は、「空輸で死ななかったよー。ばんざーい」モードで
とにかくほっとしていたので、のんびりムードです。
このギャップは、かなり申し訳なかったです(^^;)
ごめんなさい、みゃーのママさん。
左ハンドルの車の中で、みゃーのママさんは、子猫に水を飲ませようと
しました。でも、子猫は水はいらないといいます。
それじゃあと缶詰をだすと…。
がつがつという効果音が聞こえるほど、飢えたように食べます。
その日の朝は、空輸を控えていたので、缶詰半分ほどしかごはんを食べて
いなかったので、その時点…昼少し前には、空腹だったのでしょう。
でも、適当なところでみゃーのママさんは、取り上げました。
今思うと、ここで猫缶を与えたのは、まずかったかもしれないですね。
冷静なときの私なら、このあと車での移動があるのですから、
反対したと思います。
でもあのときは、本当に流れに逆らう元気がありませんでしたね(^^;)
流れといえば、実は空港で、私は某出版社に電話して
打ち合わせをする予定だったのですが、もう流れの中で、それどころじゃ
なくなってしまったのでした…。なんてことでしょう。
(結局、新宿に行ってから、携帯で打ち合わせしました。
担当のHさんは、猫好きの人だったので、事情をわかってくれて、
子猫の幸せを祈り、祝福してくれました)。
それから、みゃーのママさんは、すばらしい段取りを発揮しました。
いまでもあれはすごかったなあと思います。
私とNさんに指示を出し、子猫の世話をし、運転を華麗にこなし、
無事、Nさん宅に子猫を落ち着けると、
子猫の飼い方にかんする注意点を、ばしばしとNさんに指導。
その手際の良さは、ほとんど神業クラスといってよいでしょう(^^)
私が太鼓判を押しますので、みゃーのママさんのお仕事の管轄区域に
すんでいらっしゃるみなさん、ぜひ、あの方の事務所に頼んでみましょう。
私も長崎在住でなければ、お願いしたいところです(^^)。
そうそう。里親Nさんとシャコちゃんの出会いは、
すごくかわいかったんですよう!
Nさんは、北新宿の路上で、キャリーバッグごとシャコちゃんを受け取ったとき、
「きゃー。かわいい。かわいいじゃないですかあ!」と、
バッグごと子猫を抱きしめたのです。
そのあとは、戦利品のように(笑)、バッグを抱きしめていました。
もう離すもんか、という感じでした。
正直、一目見て、「実物かわいくないですねえ」とかそんなこといわれたら
どうしようとか、ちらっと思わないでもなかったのですが、無用な心配でした(^^)
ちなみに、彼女のお部屋の中は、リカちゃんハウスのようにかわいらしかった
のですが、子猫グッズが全部そろっていて、猫おもちゃなんか
きちんと並べて飾ってあって、なんかほのぼのでした〜。
Nさんは実家で、茶々さんという老猫さんと暮らしていたので、
猫のなんたるかはわかっている人です。
安心して猫を託せる人なのでした。めでたしめでたし♪
そのあと、私がみゃーのママさんのお宅に伺って、愛猫みゃーちゃんとあう、
というプランや、横浜在住のすず猫さんと会う、というプランもあった
のですが、ちょっと今回は、時間的にいって無理でした。
でも、一度お会いしてみたかったツィツァさんと、羽田空港で、
短い時間でもお茶ができたので、幸せでした。
ツィツァさんとは、獣医師広報板の猫BBSでのお友達で、
ほんの趣味が重なるところもあって、一度お会いしてみたかったのです。
騎士様のようなかっこいい猫、アレックス君の飼い主さんです。
ハスキーな声の、かっこいいお姉さまでありましたよ(^^)
みゃーのママさんと三人でのお茶会の時間はあっという間に過ぎました。
みゃーのママさんはお仕事の時間になり、私は帰る時間になり。
私は空港で、草加煎餅を買いました。
猫おばさんの分と、獣医さんの分、うちの分、そして、弟一家の分。
実は、空港にいるときに、弟から携帯にメールがはいっていたのです。
「まさか東京まで猫をつれていくなんて。
何時の便で帰るの? 迎えに行こうか?」
帰る時間と便を教えるメールを出すと、折り返し、メールが。
「晩ご飯どうする?」
「いっしょに食べようか」
「そうしよう」
ゆったりとした気持ちで、飛行機に乗って、長崎に帰りました。
本当にほっとして、幸せだったんですけど、右手が寂しかった。
そう。東京に来るときは、ケージをもっていた右手、です。
夜になった長崎空港に、弟夫婦と姪が迎えにきてくれました。
このごろ乗り物が好きな姪には、飛行機のおもちゃをあげました。
弟が、しみじみいいました。
「こんなことは、もうしないようにしないとねえ。
捨て猫がいる度に、東京いったり鹿児島いったりしてたら、
身が持たないでしょう?」
まあ、いま現在は、当分こんなことはしたくないなあと思っています。
…当分は。
今回は、里親が身近にいたから良かったけれど、これが
見知らぬ里親を捜すところからはじめていたとしたら…。
私にはやはりちょっと、重荷だったかもしれません。
あの子猫は、やはり強運の子猫だったのだと思います。
強運の子猫。
そもそも、最初に猫おばさんに発見されて、公園につれていかれたことが
幸運でした。そのあと約一ヶ月、車にひかれず病気にならずにすごした
のも強運といえるでしょう。
そして、いつもは昼間にいないはずの公園で、たまたまその時間に
そばを通り過ぎた私と出会った強運。
その日私がNさんと打ち合わせることがあったという強運。
Nさんには以前子猫との悲しい別れがあったという悲しい偶然。
…Nさんは、宝くじを買うとあたっちゃうかもしれませんね(^^)
あの子はどうやら、ほんとにラッキーキャットです。
夕食がてら、夜のドライブを楽しんで、家に帰りました。
母が、「あの子猫はかわいい猫だったねえ」といいました。
「夜中に気になってみたら、ガラス越しに、こっちを見てたのよ。
ちょっと不思議な顔をした猫だったねえ」
そして。
この話には、後日談があります。
数日後、私は東京土産とお礼の品をもって、猫おばさんの家をたずねたのですが、
そこで、こんな話を聞きました。
あの、チューちゃんがいなかった二日間の話です。
行方不明の二日間のうち一日は、彼女は、あるマンションの一室にいたのです。
チューちゃんのことを気にしていたのは、猫おばさんや獣医さんだけでは
なかったのです。
ややこしい話ですが(笑)、猫おばさんにはお友達の猫おばさんがいます。
マンション在住の「お金持ち」(だそうです)の猫おばさんです。
そのおばさんの住んでいるマンションに、猫好きの若者がいて、
その人があの日、私が写真を撮った夕方に、
チューちゃんが車道にでて行くところを目撃してしまったのです。
「これはいけない。ほっておいたら、車にひかれちゃう」
若者は、思わずチューちゃんを捕まえて、家につれて帰りました。
が。彼の両親はひどい猫嫌い。飼うことはできないのです。
そういうわけで、一晩泊めたあと、また彼は公園に子猫を返しに
いったのだそうです。
チューちゃんの消息を聞いたあと、若者はいったそうです。
「それは玉の輿に乗ったねえ。東京行きの飛行機なんて、
俺だって、何回かしかのったことないのになあ!」
消息不明だったあの雨の一日、あの日も、チューちゃんはどこか親切な人の
家で、雨宿りをさせてもらっていたのかもしれません。
その人が、いなくなった子猫のことを心配していなければいいのですが…。
強運の子猫チューちゃんは、たくさんの人からの愛情を
受ける、そういう運に何よりも恵まれていたのかもしれませんね。
☆最後になりましたが、今回のことでアドヴァイスや励ましの言葉を
下さったみなさま、本当に、ありがとうございました!