新・銀幕に俺たちがいた

129 『新しい風』

 「新しい風」。題名に引かれてレンタルDVDを借りた。今、わたしが働いている印刷会社も日々、というより秒刻みで刻々と新しい風が吹き込んでいます。中小企業のほうがより大胆な改革を強いられるのが今の、現実ならそれについていく、というよりさらに先を見通して自分を変革していかなくてはつぶされて挙句の果てはゴミくずの如く捨てられてしまう、という未来が待っている、やも知れない。映画の主人公「依田勉三」は同じ「捨石」でもそこで留まる「捨石」になるか、転がり続ける「捨石」になるか、で人の人生は、人の一生は決まってくる、というようなことをしきりに語る。正にそうです。労働者たるわたしは捨石でしかない。が、転がり続ける「捨石」でありたい、とこの映画を見て思いました。
 時は、120年前も昔の話です。北海道は十勝野を開拓すべく静岡県大沢から依田勉三を先頭に13戸27人が移住すべく彼の地まで歩いていくのだ。信じられない光景だがそれが新天地を求めて行く、ということなんだろう。
 北海道開拓、とくれば、去年「北の零年」という吉永小百合と渡辺謙の豪華キャストによる大作がありました。小百合さんの映画へかける思いが伝わってくる真面目な映画でした。これより半年前の2004年6月から先行ロードショーという形で北海道の主要都市で上映されたそうだ。文化庁平成15年度映画芸術振興事業映画製作支援作品、ということはどうでもよろしいのですが、「新しい風」は我々労働者よりの映画に仕上がっていて拍手にたる映画と思いました。「北の零年」のほうは映画の設定自体がすこし民衆からは高見の位置で有名俳優さんたちが「演じられておられる」のを見させて貰っています、という感じがして同調できませんでした。俳優さんたちが余りにも全面に出て来る見世物小屋、ではなくて見世物大ホール、てな感じです。一方、北村一輝、風間トオル、曽根英樹の3人が主役の「新しい風」は我らと同等の位置まで下りてきて演じてくれている、ことが誰でも分かる映画に仕上がっています。
 この映画で好きな場面がある。伊豆大沢の大地主の3男に生まれた勉三が十勝野移住に連れて行くため小作たちを説得するところです。
        勉三「わしの手にたこが出来るまで北の大地でともに闘ってくれ」
        農民「勉三さま、あなたはおぎゃーっと生まれた時から白いめしを食ってきたおひとじゃ。わしらとはちがう」
        農民「わしら百姓は先祖代々麦飯と大根飯で生きてきたもんです。ぼっちゃんとは違いすぎる」
        勉三は棚田の高いところへ上がっていきなり着物を脱いでふんどし一丁になって農民たちに言う。
        勉三「わしゃ今日からみんなと同じじゃ。わしに百姓を教えてくれ」と言ってかまで田んぼを刈ってみせるが
           はっくしょーんと農民たちを笑わせる。

こんな場面もある。勉三が一人で夜も眠らず、何度も何度も肩に担いだ、あれなんというのだったか?(わたしはこれを見ると肥溜め担ぎを想像してしまう)とにかくふたつのおけに水を汲んで土地に水撒きする場面はじっくりと撮ってある。北村一輝はどろはねと黒光りの汗がたらたら落ちていて、それは人間が生きるために闘っている場面として「裸の島」を彷彿させるシーンでして。役者は自らの肉体を使って演じるとき、それは現実になる、と私は思うし、素晴らしい場面でした。かれはこれから日本映画を支えてくれる役者さんになって欲しいです。

「新しい風」素晴らしい題名だ。武士の魂という髷を切り落とした勉三が昔は使用人として使っていた百姓たちの前で身包み剥いで、つまりは自分を曝け出してかれらに百姓を教えてくれと頼まなければならないほどの苦悶を映画は全く描かずさらりとながした「笑いの場面」として処理したのは映画的な手法なのか?依田勉三の計り知れない大きな人物像がなせることなのか?原作・脚本はあの松山善三さんです。勉三と善三。意味ありげな取り合わせですね。
 尚、書き込みに先駆けて『とかちシニアネット(何か探し隊が行く)』<http://www/t-base.ne.jp/~tokachisenior/tanken/040501/>をたずねて読ませて貰ったことを一筆書き込んでおきます。


                     2006年6月11日      マジンガーXYZ