銀幕に俺たちがいた140

「メトロポリス」(1984年版)

 真っ暗な画面から音楽が聞こえて来る。イギリス映画「炎のランナー」を想像させるメロディーだ。無声映画なのに音楽?そうです。再編集されたプリントです。この映画のオリジナルはこの世には存在せず、切り刻まれた断片を後の世の作家たちが創造してつなぎ合わせた偽の「メトロポリス」を俺たちは見ている、ということだ。メトロポリスという映画があるということは知っていました。レンタルビデオのSFコーナーへ置いてあったのでただの大昔のSF映画なんでしょう、という余り興味もしていませんでした。今回、インターネットで労働映画に関するサイトを見て、そこに「メトロポリス」の題名を見て、それならと、借りて見たら想像とは大違いの労働者と支配者の関係が描かれていて急遽ここへ書き込むことにしました。ところが、資料をいろいろ見たら、これが1984年の再編映画と知って、驚きました。元は1926年の作品。2001年2月15日ベルリン映画祭で最新復元版の「メトロポリス」が上映された。そのDVDも見ましたが私はジョルジオ・モロダーのロックオペラ風に改編された「メトロポリス」にある種感動しました。。
 幕開きの字幕はこうなっている。
 「時は2026年、繁栄の頂点だが、最悪の時代だ。労働者を弾圧し、巧みに操ることで、少数の人たちが絶対的な権力を握っている。大都会メトロポリスの地下には大工場があり、地底に住む労働者たちが機械を動かしている。その単調な労働は忍耐の限界に来ている。これはフリッツ・ラング監督の1926年の作品。当時、アメリカ公開に際してはカットされて物語りも繋がらず、カット部分のフィルムも大半が消失した。だが脚本や原作小説を手がかりに、最近発見された消失フィルムや写真を加え、この「メトロポリス」は可能な限り原型に近いものに復元された。さらにこの無声映画には新たに、現代的な音楽と効果音とが与えられ、カラー処理も施されている。ラング監督はかつてこう言った。わたしは何よりもまず、視覚人間である。いつも自分の目で何かを感じる。残念ながら耳はとても鈍感であった。」
 長い長い説明書きなんだが、DVD最新デジタル版とは全く違う説明のため、これはジョルジオ・モロダーが自身の想像を重ね合わせた違う世界感を持って創った1984年のラングの名を借りたモロダーの独自の「メトロポリス」だということが、分かります。
 映像はカラーによるタイトルが出て、モノクロの本編に入っていく。そのカラーからモノクロへの映像は機械の部品が単調に作動している連結部分、つまりは大小の歯車が回っているのを見せるのはこれから始まる物語を意味するものだと思います。数秒間の歯車のシーンから次のカットは時計である。長針が1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、と回っている。そう。この時計は0〜9の数しかない時計です。0と9の針が重なった時、工場のサイレンが鳴り響く。まるで蒸気機関車か、汽船のように蒸気を吹き上げて鳴り渡る。字幕は「シフトチェンジ」、「勤務交代」。つまりは10時間労働での交代ということです。まるで牢獄のようにシャッターが上がり、何百、何千人ごとのシフトチェンジが一斉に行われる。仕事に入るも、仕事を終了するも、皆が黙って下を向き、黙々とただロボットのように歩いているところは何かの象徴でしょう。コーラスが聞こえてくる。
    「人間のくさりの輪が利益の車輪を回すよ
     巨大な力を持つシステムが石から血を絞り出す。
     労働者の住む都市それは深い地底に      明日が来ても、今日と同じこと。
     苦しみが肉体にのしかかり             まるで石から血を絞るよう
     冷たい機械は止まらない              人間なんか気にしていない
     慈悲の女神は顔さえ見せず            石から血を絞り出す」
 
 地底に深くもぐる労働者の都市とは逆に大都会メトロポリスは空高くそびえ立ち、少数のエリートの子弟のためにスタジアムがある。ここからはカラー処理がされてある。つまり労働者の場面はモノクロ、対する支配層の場面はカラーという区分けにしてあるのも意味深です。
 物語は支配者の息子がマリアという労働者たちの子供を一杯連れて支配者の楽園スタジアムへ上がってきた女性をを見て一遍に惹かれてしまい地下の労働者が働く現場へ下りてみる。その「ドレイ工場」に驚き、一人の労働者と服装を変えて入れ替わりマリアに遭遇し、彼女の言う「支配者と労働者のつなぎ役を待っている」という一言に心を動かされる。父である支配者に「どうして労働者をいじめるんだ?」と詰め寄る。
父は息子を観察に地下労働者へ潜入し、息子を洗脳したマリアの存在を知り、支配者の知人の発明家に彼女を誘拐させマリアそっくりのロボットを作らせる。その偽のマリアに労働者を先導させて地下工場を破壊させようとするが、息子は「彼女はマリアではない。心がない」と労働者たちの眼を覚まさせる。地下は暴動と化し、工場を破壊する労働者たちはそれが原因で子供たちが水没の犠牲になることを知らされる。その原因となったマリアは火あぶりとなりみるみるロボットにもどっていく。本物のマリアは子供たちを一人で助けるも何故か発明家に追いかけられている。(筋が飛んでよく理解できないところが多々あるのが悔しい)息子がそれを見て追いかける。父が息子を追っていく。無声映画の原点、映画の原点、追っかけのシーンが観客をカタルシスの境地へ導いていく。主人公たちが最後に集合する。支配者、支配者の息子、工場長、そしてマリア。マリアが息子フレダーに言う。「お互いを結びつけ、理解しあう“心”になるのよ」支配者と工場長が息子の手によって握手する。未来を信じてーーー。
 これは支配者の立場から描いた「労働者たちよ!破壊より和解を!」というPR映画という視点もあるでしょうが、単純に人間たちへの讃歌と捉えたい。モロダーが現代の歌で切り刻まれた不幸なフィルムに魂を込めて命を蘇生させた、その感動です。そして何かのきっかけでこの「メトロポリス」に出会えた,ような隠れた名画をこれからも探し続けようと思いました。2007年もーーーーーー。
                   2006年12月30日         マジンガーXYZ