銀幕に俺たちがいた141

『嵐を呼ぶ十八人』

 モノクロ映画です。1963年松竹映画。舞台は呉。わが広島県呉市で撮影ロケされた映画です。今までまったく知りませんでした。監督は吉田喜重です。初めて彼の作品を見ました。呉を舞台にした若い労働者の映画、ということで見た。時代が40年以上も前なんでどうかな?と思いましたが、まだ鮮烈な映像には感銘した。今で言うフリーターのような正社員、正規雇用されていない青年たち十八人が呉の下請け工場にやってくるところから映画は始まる。呉といえば造船所だがその下請け工場の大和田組に連れてこられる。まともな労働者ではない、ことがはじめからわかってくる。とりあえず今日の食い扶持を稼ぐために働いている。何の目的もなく、いきがってばかりの十八人を束ねる監督にしぶしぶならされた島崎(早川保)は十八人の若いもんと対決する。対決、というか指導していく。島崎のまわりには彼を慕う飲み屋の娘でたこやきの屋台で稼いでいるノブ(香山美子)という娘がいる。島崎の上司で家族的に付き合っている村山係長(殿山泰司)にその妹で高校の先生でバレーボールをやっている久子(根岸明美)がいた。彼らが十八人と絡みながら物語りは進行していく。
 感動する映画ではない。若いモンのふつふつ煮え返る、どうしようもない反社会的な行動をすればするほど主人公・島崎の人間的な怒りがこちらにつぶやきかけてくる。「あいつらのように、好き勝手に反抗し、その日暮らしの与太者ができりゃあ、せわーないけど」といかないのが現実。まるごと労働者の今(1963年)を見せたのがこの映画なんだろうか?
 広島カープの試合中のロケ風景が納められていたのにはびっくりしました。若いモンに犯されて広島へ逃げた恋しいノブに逢いたい一心で島崎が球場の中を探しまわる場面です。映画は呉と広島をオールロケして十八人と島崎を追跡取材している感じで映画を創っている。映画を創る、というより、
映画が出来ていく。そんな映像だ。十八人は映画の中で働く、というより映画を借りて広島と呉で青春を楽しんでいった、ような錯覚?に陥る。いくつもの風船をノブちゃんが手から離れていくシーンがある。島崎とノブはそれを天を仰いでじーと眺めている。風任せの風船が十八人なんだろう。思うに何故?十八人なのか?
 途中、女子高生のバレーボール部と十八人の工員たちが試合する場面を映画は見せるがチームになっていない工員の集団が勝てるわけもなく、試合にすら、ならない。それは何を俺たちに訴えかけているのかを考えてくれ、とでも言っているのか?とにかく、結論めいた起承転結はやめて、一切を十八人の集団の群像に任せた、或いは委ねた第三者的な視点で描いた吉田監督の私的な映像論なんでしょう。若者のことは彼らにしか結局のところわからない、とでも言いたいのか?ドラマではない、若い労働者の実像が確かに描かれている、から今見ても引き込まれる。工場のスト中は歓んで残業かせぎに走り、タコ師から次の働き場所への誘いが来ればすんなりとそこを去っていく定職、同場所、に拘らずさっさと次の職場へ移動していく軽い若者に、吉田監督はどんな眼をむけていたのでしょうか?今となってはどうでもいいのですが、映像が生きている。広島、呉のあそこで、撮影に出演した、ということは映画という職場で、工場で果敢に働いた若者を捉えたことは事実。そう思わせるだけでも今も、生きている映像だ。 

                              2007年1月          マジンガーXYZ