新・銀幕に俺たちがいた148

『ヘッドライト』 『道』

 中年のトラック運転手とドライブインに勤める若い女性との道ならぬ恋を描いた映画です。フランス映画「ヘッドライト」はジャン・ギャバン主演ということもあって余りにも有名です。勿論モノクロです。製作は1956年です。それから30年経た1986年にリメイクされたのが東映の「道」です。もう20年も前になります。「ヘッドライト」の方はジャン・ギャバンということもあって、ふたりの関係はかなり年の離れた男と女の行きずりの恋といった感じでフランス映画だなあ、といった詩情あふれる恋愛映画といった感覚があって今でも味わい深い出来だと思います。監督はアンリ・ヴェルヌイユ。定職を持たずふらりと入って勤める、今で言えばフリーターのような感じでウエイトレスになる。彼女の名はクロチルドという。演じるのはフランソワーズ・アルヌール。一方、東映の「道」の方はトラック運転手を仲代達矢が演じ、相手の若いウエイトレスは藤谷美和子が演じている。こちらは仲代が40代ぐらいに見えるため、かなり深刻な不倫関係の話という感じである。恋愛映画のメッカ、フランスを舞台にしている「ヘッドライト」は題名が意味するように夜の国道を照らすヘッドライトに延々と続く長い長い人生にまぶしく光った一つの明かりをヘッドライトに託して描いたのでしょう。ヘッドライトはしかし、いつかは消えてしまう。あたりが暗い背景においてはまぶしく光るヘッドライトも太陽が昇っていつもの明るい背景に戻ればただの冷たいガラスでしかない。おはなしは50代になろうとしている家庭もちのトラック運転手と行きつけの休憩所“キャラバン”という店で偶然出会った若い女店員クローとの燃える恋物語です。映画に夢とロマンを期待して出かけた観客はフランス映画だから当たり前の世界だけど一歩映画館を出れば今見た世界を消去して当たり前の道徳の世界に戻って地道に生きていく、のが普通の一般社会人でしょうが、映画に感化されて似たような真似をして家庭崩壊に至った人生もあったに違いないし、男と女がいる限り、人が、街が、時代が、いくらロボット化しようと、人間世界である以上、変わらぬ「道」を我々は生きていく、しかない。こうした出会いに素直に乗っていくか、乗車拒否するかは、人それぞれ、というのも変わらないでしょう。「道」のヒロインを演じた藤谷美和子さんは今はどうされているのでしょうか?
 トラックを題材にした洋画はかなりの本数があると思う。トラックが出ている本数となれば天文学的、とは大袈裟だけど、それくらいの数に登る映画が世に出ているはずです。その中で、トラックを職業にした映画に絞っても多いいはずです。1978年のサム・ペキンパー監督の「コンボイ」はそのなかでも記憶に残る作品です。他に「ブラック・ドック」「激突」「バニシングIN60」邦画は言うまでもなく菅原文太、愛川欣也の「トラック野郎シリーズ」だろう。最近では「デコトラ云々」とかいう題名の映画があって女性トラックマンも出ている。。どちらもアクション映画タッチで作られている感がします。
 「ヘッドライト」。こんな感想を書いておられた文章をどこかのブログだったか記憶がままならないのですが、かなり違うかも知れませんがご容赦願って、ヘッドライトはライトが照らしている前方だけは見えるけど、その先の方はライトが届かず、暗闇が続いているだけの「暗くて見えない、読めない、不安な未来」が延々とどこかへ続いている。なるほどね、とは思いました。2作ともラストで描かれているのは前と変わらぬ日常の生活と変わらぬ風景があって、何事もなかったかのように運転手の生活は延々と続いていく、その人生の辛さが彼だけではなく、女房も娘も同様に傷つきながら手探りでも壊れかけた家庭を修復しようと見えない未来へ向かって走りだしていく。傷ついてもいいから止まったら人生はおしまいだよ、と2作の家族が語りかけているような思いで見た。
 蛇足だがどうして日本映画は主人公たちを殺してしまうんだろうか?仲代と組んでいた相棒、稔(みのる)(柴田恭兵)を途中で消去してしまうのかが疑問でした。

    
「ヘッドライト」は1956年キネマ旬報第8位、 「道」の柴田恭兵は日本アカデミー賞の助演男優賞受賞でした。途中で消去された彼へのせめてもの労いの賞だったのかも?

                                      2007年4月       マジンガーXYZ