新・銀幕に俺たちがいた152

『椿山課長の7日間』

 この映画は死者が蘇ってやりのこしたことをやり遂げて改めて心置きなく死の世界へ歩いていく物語です。主人公は椿山(西田敏行)というデパートで課長をしている中堅サラリーマンが脳溢血で突然死してしまうところから始まる。その前のシーンで現世と死後の世界の中間点を「中陰役所」という、森の中にまるでどこかの教会か大学校の大きな教室のような建造物が現れる。中にはたくさの人が座っている。椿山もその中に座っている。大きな扉があいて、白い服装の神父のような女性(和久井映見)が現れて、このまま死に切れない人たちのために「逆行」して3日間でけ現世に戻れることが出来るが、それには厳正な審査がありますので全員は現世に戻れない、と言われる。死んでも試験とか選考はついて回るのでしょうか?死んだら皆平等の筈が、死に方によって死後も人間は良い死に方と良くない死に方を差別していく、なんてことを現世の作家さんは考えるのでしょうか?或いはわたしたち、というかわたしのような凡人でも殺されたり、車に引かれたり、家人に惨殺されたり、無残な死に方をされた人たちと、家族に見守られて、自然に息を引き取った人たちとは分類してしまう傾向はある。死は現世、そのものということです。
 椿山と男の子と椿山よりは年の入った男性(この中に女性がいなかったのは物語の進行上、都合が悪かったのかどうかが引っかかった)の3人が「逆行」出来ることになり、見届け人のような和久井映見が「3日間だけ現世に戻ることを許してあげますが、分からないように違う人間になって戻って頂きます」ということになり、現世に戻ってみると椿山と男の子は美女と少女に変身していた。このおかしい筈のことがおかしくなくなってくるのが映画のおかしさであり、映画のもつ凄いことなんだ、と実感させられる。椿山課長は和山椿(伊藤美咲)となり、わが家に戻ってみると、自分の祭壇を見る。和久井映見に「余りにも重大な事実があり気の毒」なんて気になることを言われていた通り、女房とわが家で同棲している男がいた。男の子が化身した女の子は親探し、もう1人の男(綿引勝彦)はヤクザの親分で子分たちが復讐にいくのを阻止するために現世に戻る。これら3人の他人の筈が何故かひとつのつながりを持っていることがわかってくる。なかなか味のある本になっている。
 主人公(西田敏行)は息子が父親思いで家出までして思ってくれていたことが分かり安心するも、自分の子ではなく実は同棲の子供であった、という(余りにも重大な事実)を知る。それが逆にこの世には思い残すことはなくなったことでけじめがついた気持ちになる。心に余裕を持った今、最愛の恋人(余貴美子)に再開する。主人公が死んで新しい家族が再生された家の中に主人公の遺影を飾った祭壇が設けてある。それを見つめる主人公の化身、という構図は映画ならではの描写だ。ファンタジーの世界に現実を包み込んだすこしピリッと辛さの染み込んだ甘いお菓子のような映画ではありました。
 何より、わたしがうれしくなったのは桂小金治師匠の元気な姿を見れたことです。役は主人公の父親です。主人公は父親の病気を心配していたのに現世に下りてくると公園で元気に生きているではないか?「なんだ、これは!!」うれしくて怒っている現実がそこにはある。
 こうした死んだ人間が蘇ってくるお話は海外問わず多くある。命の大切さを教えてこなかった家庭教育の大きな穴はどんどん広がって子供の「事件」は増加の一歩を辿っているが恐ろしい。バカ親に教育されたバカ息子がバカ親になっての繰り返しは国が滅びていく最悪な状況です。先生を先制攻撃するバカ親によってこわされていく教育現場でも「事件」がおきて死んでも死に切れない人たちが「中陰役所」で審査待ちして心残りの現場復帰をしたい「死者」がいるのでしょう。
 「わたしのお墓の前で泣かないで下さい。そこにわたしはいません、眠ってなんかいません。千の風に、千の風になって、あの大きな空を、吹きわたっています」という新井満氏の「千の風になって」が時代を吹き抜けているのは死者を思っている人々が全国、ならぬ世界共有のことなんだと思う。こうした映画が、或いは出版が、芸術作品がどんどん増加していくのは当然でしょう。
 「人の死」を考える作品ではあった。勿論、自分の家族のことです。子供にまず何を教えていくか?それが一番大事。
 主人公とともに現世に戻ってきた女の子の姿を借りた男の子は産みの親(市毛良枝)に抱きしめられてあの世に昇天する。
 ヤクザな青年組長は子分の銃弾を受けて子分を殺人者にすることを避けられて昇天する。そして主人公の化身の伊藤美咲は恋人に黙って微笑んで思いを伝えて昇天する。案外と伊藤美咲の「マイ・フェア・レディ」風な演技と美貌に満足したし、こうした癒しの映画には持ってこいの女優さんだと思った。。これからの人です。そしてそして、西田敏行さんはほとんどが化身の心の声として流れてくるんだけど、これが味があっていいんです。今や、日本映画を支える俳優に違いはない。
                                    2007年6月            マジンガーXYZ