新・銀幕に俺たちがいた158

暗いところで待ち合わせ

 電車ー朝ーホームーホームに立つアキヒロ(チェン・ポーリン)−白いカーテンを開き窓の中に立っている白い服を着たミチル(田中麗奈)が窓を開けるーミチルをホームからじっと見つめているアキヒローいきなり電車が横切っていくーアキヒロが電車の行った方へ顔を向けるー窓にはミチルの姿がないー白いカーテンだけが風になびいている白い窓の家をじっと見つめているアキヒロの後ろ姿を映してカメラはホームに立っているアキヒロの正面から左へパンして、ミチルの家とホームの間の線路を上から映しながらさらに、左へパンしてミチルの立っていた窓へ向かってカメラはずっと寄っていく。そしてカメラは家の中から窓越しに下の方へホームを見ている。タイトルが映るまでの冒頭のカメラの動きによる緊迫感からこの映画の重要なテーマを感じさせる。と言って題名からくる暗いイメージはなく、朝のホームのようにさわやかで明るいイメージが注がれる。そして主人公のふたりがこの最初のシーンで顔見世のように我々見る側に紹介させるという、うまい演出である。
 主人公「ミチル」の字が画面に出る。白い家に住んでいるのは朝の朝食風景から窓から見えたミチルと父親(岸部一徳)だけのようだ。どこの家にもある、普通の会話だけで父親は出勤するが、ミチルは家の中にいて外には出ず、勤めてはいないらしい。母親はミチルが少女時代の頃から家を出ていったことが分かってくる。ミチルが街頭喫茶で友人と話をしている時に彼女の目が不自由であることが決定的に分かる。ここでのミチルの服装は青色になっている。友人との会話で彼女の名前が「ミチル」と初めて分かる。友人の腕を掴んで帰宅する途中で友人がミチルの手を離して離れる場面では、ミチルが不安になって友人を何度も呼ぶ。このシーンは見る側も目が不自由なら、といった想像をして、主人公と一体になった感覚で映画は不安定な心理を伴ったまま映画のなかに引き込まれていく。ミチルが一人で路上に立っている側を車が通りすぎていくシーンは異様に車の音が大きく聞こえるような錯覚に陥ってしまう。父親が帰宅しミチルと居る場面は晩飯のシーンになり、入浴のシーンはなくて白いワンピースのような寝巻きでミチルの部屋になっている2階まで階段を昇っていくシーンで「お休みなさい」で一日が終わる。翌朝、「いただきます」「いってらっしゃい」と言って父親を送り出して、父親から誕生日プレゼントに点字で書かれた手紙と「何時何分です」と声で時刻を知らせてくれるペンダントをもらって喜ぶ。白いシーツを物干しに干していると電話が鳴る。黒色の電話に出ると「父親死亡」の訃報であった。白いワンピースを着たミチルは白い被いを被されて何も語らない目を閉じたままの父親の顔をさすりながら泣きじゃくる。父親の祭壇の側にひとりぼっちでぽつんと座っている黒い喪服を着た主人公の姿は、何の希望もない暗いシーンである。親戚もどうすることも出来ないでミチルの哀れな姿を見ているだけの姿は、映画を観ている観客であり、見る側の視点に共通するものです。そして雨が降る中、窓から見える駅のホームに出て行った母親が立っていることを知らされミチルは泣き叫ぶ。何度も何度も「おかあーさーん、おかあーさーん、−−−−−」唯一逢いたい母親が何故わたしに逢いに着てくれないのか?ミチルに見えるのは想像の白い服を着た母親像である。生前父親が「白い服が好きだった母親」のことを聞いていたため彼女の目にはそう映っている。世界で唯一心の通っていた父親があっさりと事故死してしまうストーリーは主人公の目が見えないという設定と重なって余りに辛すぎる状況は、「1寸先は闇」という今の現代の世界状況だと作者は言いたいのだろうか?単にわたしの裏読みでしかない、とは思います。
 もう一人の主人公「アキヒロ」の字が画面に出る。彼は印刷会社に勤めている。この映画に注目したのはこの印刷会社でのロケーションがかなり微細に描かれている、その1点でした。結果的にはそれ以上の映画の出来栄えであったことをここで記しておきます。さて、ロケに使われた印刷会社はエンドタイトルによれば東京の「大成美術印刷所」であることが分かりました。この映画の重要なテーマの起因となるアキヒロの現状が描かれているのだが、それは「職場いじめ」である。ここでのアキヒロに対する職場いじめは実に現実的で同じ印刷会社で労働している私には、年齢はかなりの差があれど、強烈なインパクトではありました。ただし、彼は中国人ハーフという設定のため「中国人いじめ」「外国人労働者いじめ」とい小さなテーマになっているのが疑問符です。外国人労働者の現状がどうか?わかりませんし、彼が日本人だったら「職場いじめ」の理由をさらにこと細かく描く必要性が出て「大きなテーマ」が揺らいでしまう、ということも考察して彼を「外国人労働者」にして「外国人労働者いじめ=職場いじめ」として一挙両得を狙ったのかも知れないが、同じ印刷労働者であるわたしには納得の設定でした。外国人労働者の方にはどう見えたのでしょうか?先輩であるアキヒロと同じ印刷機械で仕事をしている後輩が「たばこ休憩するんであとはよろしく」と言って仕事を途中で辞めて逃げ出す場面がある。休憩室でたむろしている後輩のところに来て「タバコはあとで吸える。後片付けをしろ」と注意するが、アキヒロの先輩松永(佐藤浩市)が「それぐらいひとりで出来るだろう」と一括されてその場を去っていく。後片付けが終わったころに休憩室から帰ってきた後輩に「パンフレットの見本を営業に届けておいてくれ。俺は帰る」と言って頼むが、営業には届いておらず、後輩は「知りません」でアキヒロは上司から叱責される。それに対してアキヒロは「俺はちゃんとやっているつもりです」と反論する。上司は「ここは中国でなく日本なんだ。そんな態度だと困るよ。もっとコミュニケーションしてくれよ」そして先輩の松永は「はやく辞めないとこれからも何度も何度もミスを犯すことになるぞ」と脅される。そして駅のホームで松永が突き落とされて列車に引かれるという殺人事件が起きる。アキヒロは背後から松永の背中に手を掛けようとしている場面がインサートされる。そして彼が駅員から追いかけられる場面もインサートされる。彼はミチルの家に逃げ込んでいく。疑問に思うのはホームから毎朝彼女を見ているだけで彼女が目が見えないと分かったのだろうか?ということです。事件後ドアを開けるミチルの直前を横切って家に入り込む場面だが、この疑問だけは今も残っている。
 「ミチルとアキヒロ」という字が画面に出る。意外な犯人が浮上してくるのだがそれは見てのお楽しみということですが、二人の主人公のこれからどうやって生きていくのだろうか?という切羽詰った現状が殺人事件をよりサスペンスに相乗作用を起こして密度の濃いサスペンス映画の傑作と言ってもいいぐらいの作品です。
 2006年製作。原作は乙一。監督・脚本は天願大介。わたしにはどちらも初めての作品でした。それにしても交通事故で視力を失ったミチル、そして死亡した父という設定だがこれが日本の毎日起こっている戦争なんだと今さらながら暗くなってしまう。
                         2007年8月        マジンガーXYZ