新・銀幕に俺たちがいた162

『逢いたい』

 この映画の題名「逢いたい」はNHKラジオ深夜便で唄われた「逢いたい」という何度も何度も繰り返される言葉そのままを題名に持ってきた。この唄をいつか聞いてみたい、という欲求がふつふつと湧いていた矢先のインターネットでのDVD「逢いたい」を見たときはおそらくこの唄を使用した映画に違いない、という勝手な思い込みで購入したところ、出ました出ました。逢いたい逢いたい逢いたい逢いたいの何度も繰り返されるフレーズは感動してしまう。商業映画というには程遠い内容の映画にかかわらず、この映画の舞台、富山県では大ヒットしたらしい。だからDVDにしても採算が取れると判断されて製作されたのでしょうが、わたしにも見れるし、全国の人が見れるようになって良かったです。
 舞台は富山県滑川市。なめりかわ、と読むのだそうです。ほたるいかがシンボルマークの33986人(10.1現在)のちっちゃな町です。そんな田舎町での青少年の物語です。おばあさんと孫らしい青年とが田畑を耕している場面が、この映画の始まりです。といって農業が主題の映画ではありません。開巻間近、おばあさん(菅井きん)が胸が苦しそうに倒れてしまう。ついに帰らぬ人となって、青年(浅井康博)は胸におばあさんの写真を抱いて葬式の列に並んでいる。眠ってないのか、ふらついている感じです。青年の名前は「命」と書いて「ミコト」と読ませる。おばあさんが逝って、心身喪失したのか、暗い家の墨に縮こまってしまている。仲間の鈴木愛(長澤奈央)と田中遊(山本康平)が陣中見舞いにくるも中々立ち直れそうにもない。
 そんな時、この街に似つかわしくない少女が歩いている。どこかに目的を持って歩いている。表情は苦しそうである。ついにバスの停留所で力尽きてしまい、眠り込んでしまう。「命」は何を思ったのか、墓掃除の格好で歩いている。都合よく倒れている少女「心」を見つける。「心」を「しん」と読ませるなんて何か宗教的というか、中国映画のような響きを持ってわたしには伝わってきた。実は、おばあさんが離れ離れの二人の兄弟を引き合わせたようにこの世を去ってしまったのである。おばあさんは両親が交通事故で死んで二人の幼い兄弟を一遍に養うのは無理と判断して妹の「心」は親戚に預けていた。「心」はその事情を知っておばあさんに逢いに東京から富山へやってきた。「命」の墓参りの時に妹の「心」の行き倒れの場面に遭遇するなんて、神か仏の成せる業としか考えられない。
 この漁港には大きな工場とか商店街とかある筈だが、逢えて舞台には登場させず、魚を商売にする青年「遊」とか学校の夏休みの合宿にくる子供たちと生活する「命」「心」「愛」の「連帯」を彼らの「師」である先生(新藤栄作)の指導によって変化していくところを描きたかったのでしょう。自己中心的な車椅子の少年「光」が合宿にやってくるが、みんなの中に入っていけない。コミュニケーションのとり方が分からないのだ。ルールを親が教えてないのだ。わたしに置き換えれば、50を出て退職という壁に向かって走らされているのだが、上も下も10代から40代の平均30代に都合よく使われて未来のない、とは被害者意識かもしれませんが、ほとんどそんな感じで労働していても面白くはありませんが、若いもんに合わせていく方がもっとつらいですな。年取るのは結局誰も皆通る道ではありますがいやならさっとやめれれるだけの、つまりは一人で稼げるだけのパワーを持っていなくてはそんな無謀な飛び降りなんてわたしのような能無しには無理無理の話です。そんな情けない状況なんでいつも疲れてくたびれてまともな生活をしているようで、実は「心身」はホームレス状態です。そこへいくとこの映画の「若者たち」は見た目には楽しいことをやっている風ではないし、インターネットで遊ぶわけでもなく、東京へのあこがれはあるのだろうが自分たちの故郷で働き、さらに学校に合宿にくる「訳ありの子供たち」の世話をする。彼らの「師」という先生も彫り物の家に貰われてきてそこの彫り師になるのが筋であるところだが、それを嫌って先生の道を目指して頑張ったことに誇りを持っていることを若者たちに、そして子供たちに語る。地に足をつけた生き方をしていて逆にかっこいい、といった感じに受け取れる、ということが、実はこちらの生きる力がガス欠状態ということを証明しているのかも知れない。
 ラスト妹「心」は養父母のもとに帰る決心をする。妹がいたことを知った「命」は、ばあちゃんが死んで一人ぼっちになった寂しさで落ち込んだが妹の出現で「命」は蘇る。手をかけてないほったらかしのばあちゃんの思いが染み込んだ田畑が泣いている。次に逢う時妹に誇れるように田畑を耕していく「命」の汗を流してさわやかな笑顔で働く姿に「逢いたい」の唄が何度も被さってくる。この映画には素晴らしい点がある。若者たちが「携帯電話」を持っていないことです。これは新鮮でした。そしてそれを作った「命」を演じた浅井康博監督の仕事ぶりがメーキングで見れれば良かったのですがこのDVDにはなかったのが残念といえば残念でした。
 逢いたい人がいるということは幸せなんだな。しかし、この世にいない人に逢いたいということは悲しいけど家族持ちはいつかは逢えない人に逢いたいときがやってくる、のはどうしようもない事実ですな。永六輔作詞の「逢いたい」は稀有の詩だと思います。この映画に限らず、人間を描く「映画」は全てが「逢いたい」と言っても過言ではないのかも知れません。2003年11月1日富山松竹先行ロードショー。                           2007年10月        マジンガーXYZ