新・銀幕に俺たちがいた165

『幸福な食卓』

 死ぬなよ!と願ったが死んでしまう脚本になっていて残念でした。主人公の中学3年生中原佐和子(北乃キイ)の初恋の勉学(勝地涼)が新聞配達の途中で信号無視の自動車にはねられて死んでしまうところです。これから二人がクリスマスデートで盛り上がっていくストーリーを想像しながらも、もしかしてここで彼を殺してしまうのではないのか?と思っていたら悪い予想のほうにレールが移動して私は暗い印象のまま、その後のストーリーに付き合ってしまった。
 この家族は教師である父さん(羽場裕一)が自殺未遂をし、専業主婦だったかあさん(石田ゆり子)は家を出て菓子店で働いている。離婚ではなく別居の形をとって一人で生活している。とうさんが何故自殺未遂したのかは、主人公佐和子の兄、直(平岡祐太)ちゃんの机の引き出しに入っている、とおさんの遺書の内容から想像するしか出来ないし、自殺未遂した本人にしか本当の理由は家族でさえも分かる筈はない。とおさんの異変に気づかなかった家族に遺書がどんなに書かれてあっても理解することは出来ない、と思います。自殺してしまったらこれほど卑怯な行為はないでしょうが、映画はそれを自殺未遂にして、かろうじて繋がっている「現代の家族」を象徴的に描写しようとしているんだと思いました。現実には自殺未遂まではいかないで、何とか留まって「自制」している人々が大成を占めているんだと思いますし、わたしもそのなかに入るか入らないかの境界線、というか「ボーダーライン」を行ったり来たりしている。
 直は大学進学を諦めて、というか自ら辞めて農業の道に進んでいる。「子供の頃から何でも完璧に正しくこなしてきたことに少しずつズレが出始めて初めはそんなズレすぐ元に戻せたんだけど中学生になって高校生になってどんどんひどくなって、その内もうどう頑張ってもたまっていく歪みを戻せなくなるのが分かった。ゼロに戻すには死ぬしかないんだなって、だからあの時母さんの声で風呂場に行って「ああ、俺もこの人みたいに死ぬんだなってそう思った」妹の佐和子は兄のそんな言葉に「だめだよ」と反発する。兄は「だいじょうぶ」と言って、父さんの遺書を片手に「この遺書は優れもんなんだぜ。最後にちゃーんと長生きの秘訣が書いてあるんだ」それは遺書の内容「父さんは真剣ささえ捨てることが出来たら困難はずっと軽く出来たかも」という具合に、この映画は「死」について家族間で語られる。余りに死がまじかにやってくる時代だし、「死」でさえも年功序列は崩れて若者というか子供たちが親を含めて大人より先に「死」んでいく。
 佐和子の前に明るく前向きなガッツな転校生の大浦勉学が隣に相席して意気投合し、二人はさわやかな恋愛関係を作っていくんだが、どうしてか、この映画はクリスマスプレゼントを用意して今から、という時に二人の中を永遠に引き裂いてしまう。最初に書いたとおり大浦くんを祭壇上に掲げてしまう。わたしはこの作劇は好きではありませんが、好みの問題といえばそれまでです。佐和子はどう思ったかは分からないが、お金には不自由してない大浦くんがクリスマスプレゼントのために朝5時からの苦しい自転車による新聞配達を続けていたばっかりに自動車にはねられて死んでしまった。佐和子は自責の念でいたたまれなかったのか?寝込んでしまう。そして彼の母がクリスマスプレゼントを届けてきて、マフラーと一緒に入っていたクリスマスカードを開く。そこには佐和子への愛の告白がしたためてあった。日に日にさびしさが募っていく佐和子のところに兄に頼まれた恋人ヨシコ(さくら)がいつものふぞろいで、卵の殻がはいっている手作りのシュークリームを持っやってくる。「今、こんなこと言うの最悪だと分かってる。でも恋人も友達も努力しだいで何とかなるよ。あんた、すごく、いい子だもん。でも、家族はそういうわけにはいかないよね。お兄ちゃんの代わりも父さんの代わりもあんたの力じゃどうしようも出来ないじゃん」佐和子は「もっと大事にしろってこと?」ヨシコ「うーん。そうじゃなくってもっと甘えたらいいのにって思う。家族はさ、作るのは大変だけど、その分、めったになくならないからさ。あんたが努力しなくたってそう簡単に切れたりしないじゃん。だから安心して甘えたらいいと思う」家族からは言えないことを他人だからこそ言えることもあることを知る。そして佐和子は生前の大浦くんの言葉を思い出す。「すごいだろ?気づかないところで中原って色々守られてるってこと」このために彼を死へ追いやるストーリーになったのか?彼を生かしたバージョンも想像してみよう。それが映画を自分のなかに引き込むことになり、銀幕に俺たちがいた、ことになっていくんです。
 原作は瀬尾まいこ。監督は小松隆志。佐和子が一人、時々振り返りながら前に前に歩いて進んでいくラストに被さる主題歌はミスチルの「くるみ」をこの映画のために「くるみーfor the Film−幸福な食卓」として新たによみがったものらしい。映画には食事の場面が多々出てきますが、意味を持って描いている今回の家族の食事がめずらしい描写として捉える方々は考えてみてください。まだまだみんなそろっての風景は絶えてしまった、とはとても思っていません。
                                  2007年12月          マジンガーXYZ