新・銀幕に俺たちがいた167

『東京タワー(オカンとボクと、時々、オトン)TVスペシャル版』

 インターネットで調べるとこのドラマは昨年の2006年7月29日にフジ系全国ネットで放映されたスペシャルドラマの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」です。これはTV界では有名な久世光彦による演出になる筈が突然の悲報で急遽、西谷弘監督に引き継がれたそうです。
この作品には葬式の場面が2度出て来ますが、西谷監督はドラマを借りて久世さんに別れを告げたのかも知れません。
 映画「東京タワーーーーーー」も素晴らしい出来上がりだと思います。樹木希林さんのオカンは一般庶民性に近いとは思われるけど、わたしは田中裕子さんのオカンに心情を預けてしまいました。ボクを演じられた大泉洋さんは始めてお目にかかる俳優さんなので、映画のオダギリジョーとはちがった新鮮さを感じ取りました。これは勿論勝手な素人の見方に他ありません。
 わたしの母が死んで3年ですが、思い出します。主人公が男だから余計に母親への思慕は忘れられない。映画の母は大学卒業証書を死ぬまで大事にする人でした。オダギリジョーの普段と変わらない風貌(のような)スタイルはちょっぴりエリート風な感がして、わたしのようなブルーカラー族には個人的な意見に過ぎませんがちょっと違和感がありました。これ、ただの感想文になりさがってしまいましたが、すいません。
一方、TVスペシャルのほうは主人公が挫折ぎみにホームレスまで落ちぶれてしまう場面を挿入するあたりなんかは、親しみを抱いてしまいました。あくまでわたしの世界感に過ぎませんが、謂わば、「銀幕に俺たちがいた」の世界がTVスペシャル版にはありました。
 さて、映画にしろ、TVスペシャル版にしろ、ドラマの核心は母子の絆で、それに付随する父と子の関係、夫婦の意味、そして、友情と恋愛を引きずる主人公ボクの心の葛藤を描いていく。
 中川家の原点である、ボタ山の聳える筑豊の炭鉱街を現代の魔法技術でTV映像に蘇らせたマジックには驚きと素晴らしさを堪能させてもらいました。短い映像ではあったが炭鉱の街で生きる人々の風景は何故か心が休まる癒しの映像にも思えます。昭和育ちのわたしには、このTVスペシャル版は心地よい風景が、それこそ絵に描いたように作られていた。こんな場面があります。ボクがまだ中学生ぐらいのとき炭鉱の街中をリヤカーを押して魚の行商しているオカンの母(加藤治子)を手伝うつもりでおばあちゃんからリヤカーを受け取ったはいいが、その重労働のきつさに顔をしかめる場面は平気で重労働している「老いへの敬い」をボクは知りつつオカンへの思いも同様に老いたる(と言っても田中裕子さんではそこまでの老いは感じられませんけど)母を東京に呼び寄せてみたが、癌闘病の病院生活になってしまう。自分の体は自分が一番よく分かっているもの、と言われようにオカンはその結末を予感してボクの居る東京へ行って死を迎える。オトン(蟹江敬三)の存在は空気みたいだけど、母にとって子は言い古されている言葉なれど「宝物」なんだなあ。懐かしさと消えた昭和の風景を心の銀幕に無理矢理時代という理由で封じ込めさせられたものが解けていくような、そんなTVスペシャル・バージョンでした。
               
                           2007年12月               マジンガーXYZ