新・銀幕に俺たちがいた169

『あなたになら言える秘密のこと』

 2005年スペイン映画。冒頭、水が映る。光に映えた海のようだ。女の子のようなナレーションだ。「深い海には何もない。あるのは何億トン、何兆トンもの水と岩とガス、愛情、血、100分、1000年、灰、光、今、この時、そしてすこし前、」そして火災現場がすこしインサートされて、「さっきも言ったけど、深い海には何もない。あるのは静寂と言葉だけ」
 女性たちのロッカールームで多くの女性たちが作業着に着替えている。おしゃべりしている者や踊っている者やいるなかの一人の美人の金髪女性にカメラが寄っていく。そこは工場である。全員が耳を守るため耳あてをして、現場に向かっていく。ただ、金髪の彼女だけはその耳あてをしないで現場へ向かっている。TVで何を作っているのか当てる番組があったが、そのことがまず気になってしまった。どうでもいいことだが気になると終わりまでその正体を探るため、嫌がおうでも凝視せざるを得ないことになって、じっくりDVDを見た。公開日は2007年2月だからかなり製作日から月日が経っていることになる。結局、何を製造している工場なのか分からなかった。おそらく衣料に関係した材料とは思います。何故なら仕事が終わって従業員たちが工場出てくる時、一瞬ですが「Poli Silk」と書いてあった。DVDでなければわからないでしょう。ということで彼女は黙々と円筒形に巻かれたシルクの大きな製品を梱包する作業をしている。他の女性従業員たちと会話をするわけでもなく、顔の表情も変わることなく、敢えて言えば暗い感じの人物像を描こうとしていることは想像がついてくる。とは言え、世の中にはどこにでも居る人間がそこにも一人存在している、ということには代わりは無い。そう、特別な人物像が描かれているわけではない。会社側からすれば、これ以上に言うことはない実に使いやすい働き者に過ぎないということです。しかも、勤続年数が長いだけ、グチもこばす筋力低下の著しい使いにくい年寄りではなく、何も言わないで、しかも若くて、反抗することなく力仕事も無理なくこなせる、誠に使い勝手のいい彼女が主人公だ。昼休憩に食べる彼女の食事の弁当だが、丸いタッパに入っているのは黄色い半分のリンゴとごはんとチキン、という奇妙な組み合わせの食事で、ダイエットしている感じである。テーブルには何人か集まって食事しているのだが、彼女は4人がけぐらいのテーブルに一人ぼっちで、一番後ろで隠れるように食事している。仕事時間が終了して現場から出てくる時他の従業員から話し掛けられると髪を手で耳に上げて隠れていた補聴器のスイッチを入れる。現場ではスイッチを切っていたのが分かる。これでは耳あてもいらない筈だ。その時、工場のアナウンスが聞こえてくる。ここで分かってくる。この映画は主人公にしか聞こえない「音」だけを流しているのだ。主人公の感情に、すこしでも見る側に感情移入してもらおうとするスタッフの意欲がうれしい。「ハンナ・アミラン、工場長室へ来てください」というアナウンスだ。
 工場長「君が、ハンナ・アミランか?」ハンナ「はい」工場長「うちに来て4年働いているのか?」ハンナ「はい、そうです」工場長「君はよくやっている。会社からの評価はまったく心配しなくていい。君の働きには全く満足している」ハンナ「はい」工場長「だが、問題なのは仕事以外の別のことだ。君の同僚、つまり同じ職場の連中から君への苦情というか報告が来ている。労働組合の委員会のことは知っているかな?」ハンナ「いいえ、知りません」わたしはクビですか?話は終わり?」工場長「いいか、言っただろう。君には不満はない。クビになんかしない。問題なのは君がここに来て4年のあいだ一日も休まず無遅刻無欠勤ということだ。なのになぜクビに出来る?」工場長「一ヶ月の休暇を取りなさい」ハンナ「一ヶ月も」工場長「ここに旅行のパンフレットがある。いつか私が行こうと思って取っておいたんだ。世界にはいろんな美しい楽園がある。やしの木とか浜辺のラウンジとかプールでエアロビクスとか。まだたくさんある。どうした、やしの木は嫌いかね?」ハンナ「いえ、プールでエアロビしないといけないんでしょうか?」この最後の応答が実はこの映画の重要なキーワードになっていたことがラストを見て分かってくる。ハンナは旅行仕度をして家を出て行く。彼女のアパートは非常に簡素で煌びやかなものは何一つない。冷蔵庫には弁当の中身と一緒の半分のリンゴと真空パックのご飯とチキンだけ。コーヒーとかアルコールとかもなく、飲料水が見当たらないのもすこし異様な感じがしてくる。工場から帰宅した際、異様にたくさん並べてある大きな石鹸で手洗いするが、一回使用すると捨ててしまう。食事のあとは刺繍だ。部屋にはTVなどの電化製品もない。そんな彼女は偶然、看護師の話を食堂で耳にして逃げるように海に浮かぶ油田採掘所に飛び立っていく。その隔絶された空間には大火傷で動けない男の患者に5〜6人の男たち従業員が寝泊りしている。火災事故のため会社は仕事を中断して、このまま働けるのか分からない状況になっている。つまりここで働いているのはコックの従業員と看護師としてやってきたハンナの二人、ではなくもう一人仕事と関係なく波が何回採掘所に当たるのかを調査している従業員の3人だけだ。後の3人は悠々自適に暇を楽しんでいる。わたしもそんな仕事にも家族にも煩わされない生活をしてみたい。なんとなく世間を嫌ってこの仕事についているここの従業員をハンナは知ってくる。同類の人間がいる場所と分かってくる。目も見えず動けない患者は彼女に話しかける。題名の「秘密」の意味がこの後分かることになる。何故か「自分の秘密」を親兄弟や友達ではなくまったくの他人にしゃべってしまうことがある。ハンナもそうだ。ハンナは全身傷つけられた身体に彼の手を触れさせながら語られる。それは20代の彼女のむごたらしい戦争体験である。誰がそれを想像できようか。この世の地獄、とか書いてみてもただの想像しか出来ない対岸の傍観者でしかない、という映像体験者でしかない、むなしさのほうが大きくなってしまう。映画はラストに全快した患者の救いの言葉に救われて深海から助け出され、今は二人の子供の母親になっている映像が流される。
 前作「死ぬまでにしたい10のこと」という奇抜な題名で大ヒットになった。同じスタッフで監督はイザベル・コヘットという女流監督で主演も同じサラ・ポーリー。話は最後に衝撃的ではあるが、それとは逆に何か「夢」でも見ているような不思議に幸福感さえ感じられたのはわたしだけでしょうか?不思議な傑作です。

                                    2008年2月        マジンガーXYZ