銀幕に俺達がいた11

『キューポラのある街(1962)』

 前号で紹介した「若者たち」は確かに当時、つまり昭和40年代初期の若者の心を的確に掴みはしたものの映画的作品価値からすると余り認められず、いわば問題作であり力作ではあるが、それだけに留まった口惜しさも残る作品でありました。
 これより5〜6年前の昭和37年に公開された『キューポラのある街』は同時代を生きる人々の共感を圧倒的に受けた傑作でした。日活から売り出した新鮮で明るさ一杯の新人吉永小百合は、またこの映画の主人公である中学3年のジュンでもあったのです。当時16歳のサユリもまた同時代を生きる中学3年のジュンを演じることによって成長していったのです。おそらく、この映画の舞台である埼玉県川口市に密集する、荒川づたいの中小零細工場が居並ぶ鋳物の街に住むジュンの生活は、お嬢さん育ちのサユリにとって全てが未知の世界であり考えさせられる状況であったと思うし、一日一日のロケ生活によって確実に思春期を生きている彼女にとっては何かが変わっていたに違いない筈です。それは、同世代のジュンが抱えている就職か進学かの進路問題、父親の失業による就職の問題、そして貧しさからくる様々の諸問題全てがサユリにとっては考えられない社会であったかも知れないということです。
 観客にとっては、そんな貧しいところにあんなにかわいくてさわやかで清純な少女がいる筈がないと思いながら、心の中ではあれ程に陽のあたらない場所でさえも、明るく懸命に生きているサユリのような可憐な少女がスクリーンで頑張っていることに親近感を持つことで、私も頑張ろう、僕も頑張ろう、という気にさせる程の力がサユリの演じるジュンにはあったに違いありません。それ故にテーマの暗さとは裏腹に大ヒットとなり、映画的にも圧倒的な支持を得たのでしょう。吉永小百合の存在なくしてこの映画も花開きはしなかったということです。
 ところで、「キューポラ」とは何か、ご存知ですか?小さな鋳物工場で使う小型の溶解炉を俗称キューポラと呼ぶそうです。ジュンの父親辰五郎(東野英治郎)は、このキューポラのある従業員20人程度の零細工場で働く炭たきを職業としている、いわば熟練工です。余談ですけど、東野英治郎と言えばワッハッハッハの水戸黄門を連想しがちですけど、実際はこの映画のように町工場のオヤジさんのような役とか、飲み屋のオヤジとか、百姓とか、様々な働く日本人のイメージを銀幕に何重にも何重にも塗りこめて日本映画を支えてきました。彼の姿を思い出す時、小柄な身体に似合わず、威勢がよくて、怒るとシワが浮き立ち、笑うとエビス様のようなどこにでもいるオヤジさんは、ある意味で大きなどでかい企業の下で一生懸命しわ寄せを背負っている様々な中小企業にも思えたり、働きに働く日本国そのものにも思えたりします。
 この非常に頑固一徹で無学でしかし気のいいオヤジさんには子どもが二人いて、姉のジュンは先に述べたようにサユリと共に自我に目覚めていきます。一方、弟のタカユキ(市川好郎)は子供なりにオヤジの生き方に反発し、勉強は大嫌いだが学校だけは出ていないと近代化していく社会に取り残されてしまう、ということもちゃんと心得ている現代っ子であります。この少年が実に素晴らしいの一言に尽きる演技で、暗くなりがちな貧しい家庭、社会描写に活力というハッパをかけて思わず吹き出してしまう場面を作り出しています。このタカユキの友だちに朝鮮生まれのサンキチという不良っぽい少年が登場して在日朝鮮人問題を浮かび上がらせていますが、今見ても全然色褪せることのないモノクロで活写された我々の生活状況に近い所の問題をリアルに真実性を持って訴えかけてくる、二十年前に作られた「今の映画」と言えるかも知れません。
 原作は早船ちよの「キューポラのある街」。監督は話題の同じ吉永小百合主演「夢千代日記」を撮った浦山桐郎です。脚本は今村昌平、浦山桐郎です。キネマ旬報ベストテン第2位。(昭和60年5月社内報)


 2,008年8月 映画は一向に褪せてない。子供たちだけではなく今の工場にいずらくなったジュンのおやじが新しく立ち上げた若いもんの労働組合によって別会社への転職が決まった。というか本当はジュンの友だちの父親の口ききでつまりはコネで入れた。いずれにせよ定時制で働きながら工場で働く生活は40年以上経っても変わらぬ労働形態です。ジュンや新聞配りの弟や朝鮮人の三平たちが40年経った今、どのような生活をしているのだろうか、とは見るたびに思います。       2,008年 8月 マジンガーXYZ