ニュートンの恐るべき秘密
アイザック・ニュートンの恐るべき秘密


  
 「恐るべき秘密」との発言は、ケインズ(J.M.Keynes,1883--1946)という、 著名な経済学者(ケンブリッジ大学教授)によるものです。

 このケインズが、1936年に、ニュートンの研究遺稿集を大量に入手しました。 競売にかけられた遺稿集が散り散りになるのを防ぐために買い取ったのです。 ケインズの遺稿集研究により、ニュートンの新たな一面が浮かび上がりました。

 『プリンキピア』、『光学』と言った著作を残し、科学史における超有名人ニュートン。 微積分の概念を提示し、万有引力の法則を発見した人物として、近代物理学の父のような存在であったニュートン。 ところが、この遺稿集は、ニュートンが他分野の研究を行なっていたことを明らかにしました。 それが、「錬金術研究」であり、「聖書に基づく歴史研究」です。

 ここで、ニュートンの経歴を簡単に振り返っておきます。 彼は、18歳から53歳までの長き期間を、ケンブリッジにて過ごしました。 しかも、26歳からは、ケンブリッジ大学のルーカス講座の教授という「公職」についたのです。 退官したのが、1701年、59歳。 その後ロイヤル・ソサイエティの総裁を務め、 死後、イギリス国教会のウェストミンスター寺院に葬られました。

 この時代、「公職」につくために、「イギリス国教会の信徒」であるという条件が 科せられていました。 さらに重要なことは、 当時の社会が、キリスト教界から異端視された説を奉じる者に対して、極めて不寛容であったことです。

 話をケインズに戻します。 彼は、ニュートン遺稿集を手にし、「恐るべき秘密」を知ることになりました。 その秘密とは、なんと、あのニュートンが異端説の信奉者だったということです。 その異端説とは、「イエスは神ではなく、神の被造物にすぎない」というもので、 キリスト教神学用語でいうところの三位一体」という考えを 否定したわけです。 渡辺正雄氏が、「ニュートンはキリスト教徒であったが、正統な立場ではなかった」と指摘するように、 「正統な立場ではなかった」という事実は、極めて重大なのです。

 ニュートンは、自らの信仰を公に語ることは差し控えていたのか?、ひたすら隠し続けていたのか? 「もしも」ニュートンが公に語っていたら、不注意で自説をもらしてしまったら、 かなり高い確率で、ケンブリッジ大学から追放されていたことでしょう。(注1) ひょっとしてイギリス社会からも追放されていたかもしれない・・・。 ニュートン死後、約200年たって、ケインズはニュートンの「恐るべき秘密」を知ることになったのです。


参考文献)
岡崎勝世:『聖書 vs 世界史』(講談社現代新書、1996年)
渡辺正雄:『科学者とキリスト教』(講談社ブルーバックス、1987年)
J.ブルック:「ニュートンにおける神」、『ニュートン復活』(現代数学社)8章
(注1)
ニュートンの後を継いでルーカス教授職についたW.ウィストンは、異端説の持ち主であったために、 職を剥奪されている。

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