この稿は1996年6月に書きました。福祉行政の現場でノウハウが引き継がれていかないことに問題を感じていたことが 動機です。現在の現場の状況は随分変わっていると思いますが、果たして市民にとって良くなっているのでしょうか。   


知的障害者福祉現場の「業務指針」を考える ― 現場メモ ―


1.なぜ「業務指針」が問題か

 知的障害者福祉を担当して5年が過ぎた。その間にいくつか気になったことや気づいたことがある。この機会に私的なメモとしてそれらをまとめてみよう、というのが本稿の目的で ある。
 何度か、福祉事務所外の人たちに知的障害者福祉担当者の現状を説明したことがある。その度に皆さんは。その人的配置の質量共の貧弱さに驚かれた。私はむしろ外部の人たちの 「幻想」に愕然とした。このギャップは何なのだ。第一線機関相互に決定的な情報不足が存在している。
 蛇足かもしれないが、ご存じない方のために、私が勤務するP市における知的障害者福祉担当者の現状を簡単にスケッチしておこう。担当者数は最大で1名。多くの区では兼務を余儀なくされており、区毎のケース数の違いによる業務密度の差はないと思われる。ちなみに何度か外部の方に、Z区における療育手帳 所持者数(現在約900名)を前置きして、Z区の担当者数を当ててもらったところ、大抵の人は「5名ぐらい」と答えた。
 平均経験年数は、毎年度の人事異動当初では1年半を切っている。つまり平均2〜3年で異動していることになる。配置される職員の6割ぐらいは一般事務職であり、福祉現場の経験の 有無は考慮されない。もっとも福祉職といえども、知的障害者に関する知識は通常は無いと考えた方が良い。あけすけに言うと、素人がいきなり第一線を一人で任されることに なる。
 これは、年来の行革路線を元凶としながらも、P市の福祉行政を方向付ける立場の人たちが、現場に求められる専門性を十分認識していないことも一因だと言えるのではないか。 もっとも日本では公務員に対する期待は専門性ではなく汎用性にある。より少ない人数でより「効率」良く仕事をこなすためには、専門性はむしろ邪魔なのだ。そう言ってしまえば 身も蓋もないが。
 さて、以上のような惨状にさらに付け加えるべきことがある。それは、知的障害者福祉の現場には仕事の手掛かりとなる「指針」がほとんど存在しない、ということである。 知識も経験もない職員がたった一人で仕事をするのに、その手引書が無いというのは、無免許運転以上に無謀な話である。実際には、主管課による年度当初の新任研修がその役割を 担っているわけだが、そこには現場で必要な具体的なノウハウや知識はほとんど含まれていない。それらは現場でなければ集められないものだが、現実には、それらを各担当者が 試行錯誤で身に付け、人事異動と共に消えて行ってしまう。一人職場の限界とはいえあまりにももったいない。人事の問題はともかく、現場でのノウハウの蓄積は我々の課題でも ある。
 前置きが長くなったが、仲間内の勉強会という気安さに後押しされて、以下に個人的仕事メモを書き並べてみようと考えた次第である。当たり前の事柄に独断と偏見を付け加えたに 過ぎないものであることを予め言い訳しておく。

2.ケースワーカーであるということ

 公務員の仕事は、法令・規則に則って適切かつ迅速に「事務処理」することだと考えられがちである。しかし、ケースワークの視点はいささか次元を異にしている。我々にとって 最も重要なことは、知的障害その者に対する知識・理解に加えて、ケースワーカーとしての自覚だと思う。
 こんなことは常識に違いないのだが、P市では、福祉事務所の五法担当者が明確にケースワーカーとして位置付けられていない。このことが大きな問題である。今のP市の 福祉事務所で、ケースワーカーであることをことさら主張すると浮き上がってしまいかねないのが現実である。
 もっとも先に述べたように、根本的な問題は、福祉事務所も主管課も絶対的な人手不足のままに放置されていることなのだが。

(1)個別の来訪者(ケース)に対して

 ア.適切な家族・社会診断とニードの把握

 親が「うちの子を施設に入れたい」と言ってきた場合、ケースワーカーが「まず入所判定を受けてください」と応じてしまうことがよくあるが、適当な対応とは言えまい。 判定自体は意義の大きいものであるが、その前によく検討しなければならないことがある。
 一体この主訴(施設入所)はそのまま受け止めて良いのか?来訪者の思い込みや情報の少なさのために、別の問題がそのように表現されているのではないか?ケースワーカーは 主訴に対して動き出す前に、まずそのような訴えがなぜ出されたのか。その経過や背景を、当事者のみならず既に関わっている関係機関へのインタビュー等を通じて慎重に確認 しなければならない。
 次に、それは誰の希望なのかを確認する必要がある。障害者や高齢者の場合、対象者本人が直接訴えてくることは稀である。また、本人と家族、あるいは地域住民等の利害が矛盾 することもよくある。果たして本人が入所を希望しているのか?精神薄弱者福祉法(現知的障害者福祉法)は障害者本人の人権の実現が目的であるはず(と近頃は言われている) なのだ。
 実際には、本人の意に反した入所決定は拒めるかもしれないが、本人が措置を希望し、家族が反対した場合、入所決定することは難しい(実際にそんな事例があった)。制度上 主体の所在はあいまいである。

 イ.将来を見通した方向づけ

 次はそれと矛盾するようだが、たとえ本人の希望であったとしても、それは客観的に本人の利益となるかどうか、ということである。人権擁護と人権侵害は紙一重だと言う人もある。 少なくとも援助者としての将来の見通しや見解は示すべきだと思う。
 それが時には本人や家族の希望と対立することもある。ワーカーの意見の押し付けとして反発を招くことも少なくない。実際には多くの場合、最終的な決定は家族に委ねることに なるが、そのことがワーカーの免罪符であってはならない。少なくとも5年後ぐらいは見通した援助でありたいと思う。

 ウ.必要十分な情報提供

 一般に知的障害者福祉をめぐる諸制度や関連情報はほとんど知られていない。同時にその情報自体がかなりのスピードで変化、拡大しつつある。相談の多くは適切な情報提供で解決 されることから、ワーカー側の情報収集や整理の努力が求められる。ただしこれらの情報の多くは、通知集に載っていたり事務連絡で向こうから流れてくるものではない。

 エ.潜在的ニードの発見

 知的障害者をめぐるニードは特に表面化しにくい傾向がある。家族全体に援助が必要な場合やいわゆるQOLに関する場合はなおさらである。ケースワーカーは訴えに対して動く だけでなく、潜在的ニードを察知するという姿勢が求められている。
 現状では、そのほとんどが唯一のチャンスが療育手帳更新面接である。業務繁忙の中で、ともすると機械的になりがちな更新面接であるが、ワーカーのセンスが試される場面だと 言えよう。

 オ.市民に最も身近な相談窓口

 最近の政策動向を見ていると、相談窓口としての福祉事務所の意義が意図的に無視されているように見える。しかし、現実に一人ひとりの障害者や家族にとって、福祉事務所が最も 身近で信用できる(信頼できるかどうかは別にしても)相談窓口であることは間違いない。業務の忙しさにかまけて、ワーカー自身が「事務屋」「措置屋」と自嘲するのではなく、 相談機関としての期待の高さと責任を自覚する必要がある。
 とはいえ昨今の機構改革の動きは、結果的に相談窓口を市民から遠ざける方向に向かっているように見える。

(2)地域(資源)に対して

 ア.多様化する資源のコーディネイト

 既に述べたが、ケースワーカーは対象者に関わる諸々の機関に十分留意する必要がある。言うまでもないがすべての機関は万能ではない。しかし熱心な機関ほど、ややもすると 対象者を抱え込む傾向があるように見える。福祉事務所はそれらの機関の役割や特長を把握して、コーディネイトすることが期待される。もしくはコーディネイターを誰にするかを 考えなければならない。過度な抱え込みは有害である。
 また、今後はますます社会資源が増えていくだろうし、その機能も多様化するに違いない。生まれつつある新しい資源も視野に入れておく必要がある。

 イ.ニードの面的把握

 福祉事務所は相談の窓口であると同時に、行政主体の側から見れば地域に張り出したアンテナである。どのようなニードがどのぐらい地域に存在するのかを最も具体的に把握する ことができるはずである。個別ケースのみを追いかけるのではなく、地域全体での知的障害者の生活状況や課題を整理しておく必要がある。

 ウ.新規施策への提言

 制度は常に現実を追わなければならない。ニードの把握が福祉事務所の任務であるなら、それに応える施策への提言も当然福祉事務所に課せられた責務であろう。
 我々はついつい現在のサービスメニューからニードを見てしまいがちである。その結果、現在の制度で対応できないニードは切り捨ててしまう。これでは今後の課題も浮かび 上がって来ないのではないか。ニードに直面した時、ワーカーはまずどのような資源・サービスがあれば理想的かを考えなければならない。そうすれば、結果的に切り捨てられた 課題が明確になるし、もしかすると新しい展開が生まれるかもしれない。ニードが制度を生み出す源泉であることを忘れてはならない。
 とはいえ現状では、施策の構築を担う主管課は福祉事務所の意見を聞こうという姿勢は全く見せない。ただ運動団体の顔色を窺うだけではいかがなものかと思うのだが・・・。

 エ.地域への啓蒙活動

 正直なところ、イからエまでは努力目標として並べたに過ぎず、日常の仕事はこれらとは程遠い。
 前置きしたようにマンパワー不足は深刻である。仕事量と人手のアンバランスに対し、現在の行政の流れは人手を増やすのではなく仕事を減らす方向である。それは福祉事務所の 解体に通じるものであり、ゆゆしき事態である。しかし、あくまでも理想は高く持ちたいと思う。

3.面接について

 面接は主として必要な情報収集のために行われる。それは援助の必要性を確認することだけではなく、対象者の心情や背景を理解・共感するために不可欠である。面接において どれだけ立体的に対象者やその背景を把握できるかが、その後の援助の質を決めると言って良い。
 本来は継続的なスーパービジョンによってその技量が高められるのだが、現場ではそのようなことは全く期待できず、各人が手探りというのが現状である。

(1)質問の目的を明確にする

 対象者理解の上で、その背景や環境の理解が不可欠であることは既に述べた。言うまでもないが我々の援助対象は障害そのものではなく、障害者の生活であるのだから。 我々の役割はこの背景を浮き彫りにすることだと言っても良い。はたして我々の書く生育歴から対象者の生活を浮かび上がらせることができるだろうか。
 対象者にとっての背景とは何か。まず家族全体の人間関係、特に父母の対象者に対する考え方、障害に対する受け止め方、親族・近隣との関係等が考えられる。しかし、考え方や 人間関係というものは面接でストレートに述べられることは少ない。一方でそれらは、家計や生活の「事実」に反映されることが多い。
 面接資料の客観性を確保するためにも、質問は主観的な印象や感想ではなく、客観的事実に焦点を合わせるべきである。例えば、家計の状況、関わって来た機関とその関わりの 動機、父母の生育歴、夫婦関係等々。

(2)有効な質問

 とはいえ、これらは対象者以外の家族員のプライバシーに深く関わってくるので、答える側の抵抗はそれだけ大きくなる。問題の核心に近づくほど聞き出すことは難しい。
 経験的に有効かと思われた質問項目を以下に挙げる。

 ア.転居の経過・理由

 筆者の場合、対象者の生育歴の聴取は「生まれた時はどこに住んでいましたか」という質問から始めることにしている。その後も転居の時期やその理由をその都度確認する。 対象者に直接関係無さそうだが、最初に居住地を確認することがその後の転居の経過を尋ねる伏線となり、答える側の違和感が少なくなるようである。
 その時々の居住地を知ることで、当時の生活状況を想像する際の具体的な背景が描ける。また手の届く範囲にどのような資源があったのかを推測する手掛かりにもなるだろう。 しかし特に重要なのは転居の理由である。
 あるケースでは「実は夫(父)が仕事を転々と変わったため、それについて引っ越しました」という答えが返って来た。当時の生活が不安定で近隣とのつながりができにくかった こと、父親(通常面接場面にはほとんど現れない)の就労状況(性格や能力?)に問題があったことが想像される。
 「姑との関係が悪くて別居した」というケースもあった。よくあることだがストレートには聞き出しにくい。家族間での対象者に対する考え方の違いや母親のストレスなどの話に 展開できる。
 「本人のことで近所から苦情があったため」という場合は、地域の状況の他、父母の問題処理の姿勢等を知る手掛かりとなる。
 以下も同様だが、抽象的な質問は建前的回答ではぐらかすことができやすい。しかし具体的な質問ではそうできにくく、回答に重要な手掛かりが含まれることがある。

 イ.母親の就労時期や動機

 当初専業主婦であった母親がある時期に働き始めた場合、その理由を確認する。対象者が学校に行き始めて時間に余裕ができたから、母親のストレス発散のため、等の答えが多いが、 中には父親がサラ金に手を出してその返済のためにやむを得ず、という話から自己破産の相談に発展した事例もある。
 経済的状況は育児の在り方だけではなく家族関係までも大きく制約するので大変重要だが、借金の有無等を直接聞き出すのは難しい。その点有効な質問の一つかと思われる。 また、仕事に対する姿勢から母親の価値観を推察することもできるだろう。

 ウ.養護学校(学級)選択は誰がしたか

 生育歴のなかで父母が対象者の障害を認知した時、あるいは障害児(者)として扱われるようになった時期は大変重要である。その時の意思決定の主体や状況は、現在の父母の 対象者に対する姿勢と密接に関連していると思われる。生育歴の聴取に際しては単に学歴などを追うのではなく、入園、入学等の決定がなされた理由や経過を確認しておくことが 肝要である。

 エ.昨日の食事

 知的障害者が生計中心者(夫婦、親、単身者等)である場合、その生活全般についてどの程度の援助が必要かを判断しなければならない。しかし単なる面接や心理所見だけで 具体的な状況を推し量ることは困難である。そのような場合に、短時間にある程度の生活の具体的イメージを得る質問として、直近の食事場面の状況を尋ねることが有効である。
 これは東洋大学の窪田先生のご教示によるものだが、いつ頃、どこで、誰と、どんなものを食べたか等、具体的に尋ねていくことで、その家庭全体の雰囲気まで想像することが できる。また、回答者が知的障害者である場合は特に、質問が具体的なので答えやすいと思われる。

 オ.その他

 知的障害者の援護をめぐって、両親の夫婦関係や障害者本人に対する心情(の本音)を理解することは重要である。しかし面接場面でそれらを直接尋ねても建前的な答えに留まり、 本音を知ることは難しい。
 夫婦関係が端的に反映されるのは性生活だと言われるが、そのような質問はまず不可能であろう。「もしこの子が障害児でなかった」というのもよほどの信頼関係が無いと できない質問だと思われる。一般の養育相談において、母親が「出産の時、子どもと一体感を感じたか」を尋ねることがその後の母子関係を知るうえで有効だという。参考になると 思われる。
 面接内容からの印象が、言葉以外の情報(仕草や表情)やその後の雑談の中で修正されたり補足されたりすることが少なくない。この点についても留意する必要がある。

4.施設をめぐって

(1)施設の良し悪し

 我々の仕事は知的障害者に関わる生活問題全般への援助である。実際にはその多くは施設利用に関するものである。施設利用希望者は施設に関する具体的な情報はほとんど持って いない。仮にあったとしても、施設不足の現状では選択の余地はほとんど無いと言って良い。
 しかし、少なくともケースワーカーは個々の施設に対する最低限の「商品知識」と選択眼を持っている必要があると思う。それは、特に入所施設の場合は対象者の生活の場を 決めるという責任の重さによるものであるし、施設に良し悪しが存在することも事実だからである。
 「商品知識」を得るためにはとりあえず見学することになる。1時間程度の見学で何が分かるか、と言われれば反論の余地は無いが、現状ではそこから最大限の情報を集める他は 無い。以下に見学時の我流目の付け所を挙げてみる。

 ア.連絡がきちんと伝わっているか

 事前に見学の申し込みをして訪問するのだが、そのことが当日事務所に伝わっていないことがたまにある。このように連絡系統が不徹底な施設は、組織として問題があると 考えられる。

 イ.玄関と居室との落差

 外来者が必ず目にする部分(玄関、ロビー等)は大層立派で調度も豪華だが、一歩内部に入るととても殺風景な施設が珍しくない。特に居室に人が住んでいる気配がほとんど無い 施設などは、施設経営者の目が外来者と入所者のどちらを向いているのかを暗示していると言える。

 ウ.理事長、園長が目立ち過ぎないか

 理事長室や園長室が大変立派であったり、指導員室に理事長の肖像画が飾ってあったりする場合、指導者のカリスマ性の象徴という場合もあろうが、多くは経営者のワンマン体質や 非民主的職場であることを示していると思う。

 エ.施設要覧等

 要覧の内容がカラフルな写真を満載し、法人の自慢話に満ちていたりするものは、往々にして基本的な用語に間違いがあったりするものである。このような場合は要注意である。 内容に自信のある施設の要覧は概してシンプルなものである。
 入所時に配布される書類にも施設の本音が出ることがある。ある施設の入所者心得には「指導には喜んで従うこと」というくだりがあった。

 オ.園長のキャリア

 施設の良し悪しを決める要因の6割方は施設長、3割は法人の姿勢、1割はハード面、というところではなかろうか。仮に60点を合格点とすると、施設長の頑張りがあれば ともかく合格ラインには達するが、施設長に恵まれないとどれほどハード面の条件や法人の支援があっても合格点には届かない。現場経験のある施設長か、いわゆる天下りかは 最大のポイントではなかろうか。

 カ.指導員の表情

 施設の処遇プログラムを短時間の見学で評価することは不可能である。その代りに、仕事中の指導員の緊張感の有無に注目している。適度な緊張感や目配りが感じられるかどうかは、 職員の質の高さ、つまりは職員を育てる職員集団の力量を反映していると思っている。

 キ.ハード面

 ハード面はほとんど参考にならないというのが実感である。当然に後からできた施設の方がきれいであるし、ハード面を規定するのは施設運営の姿勢以外の要素であることが多い。 ただし、居室のプライバシーへの配慮等は参考になると思う。

 ク.その他

 その他にも、例えば玄関の施錠の状況やグループホーム等の新しい取り組みの施設も大いに考慮している。

 施設全体を評価するには様々な観点があり、軽々しく優劣を口にするのは軽率なことだとは思う。しかしながら、ケースワーカーが評する時の視点は、要するに入所者が施設に おける主人公なのかどうか、ということに尽きると思う。残念ながら、建前はともかく現実にはそうでない施設が多いと言わざるを得ない。

(2)待機者数の意味

 ある施設では待機者が100人以上ある、等という話を聞くと入所依頼そのものを最初から諦めてしまいかねない。しかし実際の入所に関しては順番は関係ないと言って良い。 既存施設への入所は緊急ケースの対応で手一杯である。つまり待機期間に関係なく、ケース自体の緊急性が入所の可否を決めている。だから、ここぞと思う施設にはためらわずに 依頼すべきである。欠員は何時生じるか分からない。ただし、施設に対しては常に最優先ケースを明確にしておく必要がある。

(3)施設との信頼関係

 施設との良好な関係があれば、ケースをめぐる相互の動きかスムーズに運ぶことは言うまでもない。しかしこの信頼関係は、単に施設に顔を出す回数等で築かれるものではない。 対象者の利益のために努力する姿勢こそが、同じ立場で努力する機関との共感を生むのだと思う。信頼関係を作るための小手先の技術やコツは存在しない。

5.利用者の立場に立ったサービス実現のために

 最後に、現場での歯がゆい思いを付け加えたい。
 一つ目は、先に少し触れたが、施設長のポストの多くが公務員の天下りポストになっていることである。施設運営にとって管理職としての経験が生かせるということかもしれないが、 既に述べたように施設の中身は施設長によって決まると言って良い。逆に言うと、中身に影響のない施設長は存在意義が無いと言っても良い。
 福祉行政全体について言えることだが、その専門性が不当に低く見積もられていることがこのような事態を許していると思う。現在の施設運営は創造力と行動力が求められている。 天下り人事はその阻害要因以外の何物でもない。
 二つ目は天下りに関連して、入所者の受け入れにいささか不明朗な扱いが生じることである。どうも役人(現も元も)の一部の人は、自分のコネや権限を利用して無理を通すのが 自分の才覚と履き違えているようである。
 三つ目はいわゆる「先生」の登場である。これも一部の人だが、議員と名が付くとどうしてあれほど卑屈になるのだろうか。議員の電話一本で主管課が慌てふためいて、 福祉事務所という機構を無視して暴走してしまう、等という見苦しい真似はいい加減に願い下げにしてほしいものである。
 福祉事務所に相談に訪れる人たちはほとんどが十分な知識や情報が無く、ケースワーカーを頼る他にすべがない。我々ケースワーカーはそのことの責任の重大さを自覚している。 それゆえに一部の不心得な人たちによって、結果的に市民からの福祉事務所に対する信頼を裏切ることが起こることに強い憤りを禁じ得ない。
 福祉行政の本質は、最も条件の悪い人たちが最良のサービスを受けられることだと考える。そしてそれを実現するのが我々ケースワーカーの責務であり、我々が依って立つ 社会正義なのだと思う。福祉行政に関わる者としてあくまでもこのことに拘りたいと思っている。



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