この稿は2001年7月に書きました。当時既に支援費制度に向けての準備が進んでおり、知的障害者が自己責任で切り捨てられることへの懸念を強く感じて いました。なお、事例には若干の修正を加えています。   


「契約」で切り捨てられる知的障害者たち


1.はじめに

 いわゆる「基礎構造改革」が着々と進行しています。障害者福祉の分野でも、介護保険の仕組みにならって、2003年には「契約」による利用者制度がスタートします。 「契約になればサービスを自分で選べる」「利用者本位になり、サービスが向上する」「権利意識が向上する」等々、耳当たりの良い言葉が飛び交っています。しかし、 障害者福祉の現場にいる我々にとっては、それらが現実を無視したペテンであることは明白です。逆に、要介護認定の問題や支給限度額の問題、サービス提供者側の採算の問題、 更には、もし完全に介護保険のスタイルに移行したとすれば、保険料や利用料の一部負担の問題等々、「改革」を巡る問題は山積みです。
 しかし、知的障害者にとっては、そもそも契約にたどり着くことができるのかどうか、そのことが最も重大な問題だと思います。そのために成年後見制度や地域福祉権利擁護事業が ある、という向きもありますが、それではそれらの事業の窓口にはどうやって結びつくのか、についてはほとんど検討されていません。今回の「改革」の議論の中では、 住民の最も身近な相談窓口であった福祉事務所(各地で機構改革や名称変更が行われていますので、この小論ではあえて福祉事務所と略記します)が果たしてきた役割については 一切触れられていないのです(これは「改革」を推進する立場の人だけでなく、反対する立場の人についても言えます)。
 逆にここに「改革」の真の狙いが読み取れます。公的責任の個人への転嫁と負担の押し付け。そのための公的機関の相談機能の縮小は「改革」の大前提なのです。
 この小論では、福祉事務所で知的障害者福祉に関わって来た経験から、地域で暮らす知的障害者の実態を通して、知的障害者が相談機関に結び付くことがいかに難しいか、 その援助の過程では「利用者本位」という言葉がいかに薄っぺらに思えるか、「改革」後は、援助を要する知的障害者が大勢見捨てられるのではないか、そのようなことを 述べてみたいと思います。
 なお、私の経験では、痴呆性高齢者や精神障害者の問題を取り上げることはできませんでしたので、対象は知的障害者に絞りました。

2.親は知的障害者の代弁者になれるか

 他の障害者と比べて知的障害者に際立つ特徴は、親の存在の大きさです。親は何年も知的障害者を育て、守って、あるいは戦ってきました。その役割はもちろん絶大なものです。 しかも、日本では未だに成人期以降の知的障害者の生活支援が、基本的には親任せになっています。ですから親の役割は嫌でも肥大化していきます。そこから当然のように、 親が知的障害者の代弁者となるという発想が生まれます。身体障害者の運動の中では、本人の主体性を追求する中で、親を排除しようとする主張もありました。しかし、 知的障害者の場合は同様にはいきません。親に依存しなければならない現実があるからです。しかし、親は果たして本人の意思の代弁者になれるのでしょうか。

 <事例1>

 Aさんは通所授産施設に通っていました。就職が難しく、系列の作業所に移る話になりました。Aさんにとっては馴染んだ仲間との作業なので、最適かと思われましたが、 お母さんは、作業所に替わることを断固拒否しました。経済的にはどちらかというと裕福な方で、お母さんに時間が無いというわけでもなかったのですが、あまり見栄えの 良くない建物がお母さんの気に入らなかったようです。結局Aさんはそのまま1年間在宅生活を余儀なくされ、精神的な面での機能低下が目立つようになりました。いくつかの 認可施設に申請しましたがいずれも入れず、結局お母さんとしては不承不承ながら、当初の作業所に落ち着きました。

 <事例2>

 Bさんは在学中から自宅で放任状態になっていました。生活のためお母さんが働いていたからですが、日中放任していることについて、お母さんはあまり問題を感じていなかった ようです。卒業後の進路として、本人にとっては入所施設が適当と思われました。お母さんも一旦は同意し、受け入れ施設も見つかったのですが、入所直前にお母さんから辞退して きました。理由は、施設入所すると手当が支給されなくなるためでした。生活に追われることは理解できても、食べていけない程の収入ではないと思われたのですが、結局それ以上 お母さんを説得できず、Bさんは在宅になってしまいました。

 <事例3>

 Cさんは当時既に50歳近い「おじさん」でした。お母さんと二人暮らしで、就学経験もありません。毎日人形を抱えてじっと座っている姿を見て、通所施設の利用などどうですか、 と勧めたのですが、お母さんは「私はこの子と今までに30分と離れたことが無い。死ぬまでこのままでええ」、と拒否しました。それから数年後、案じていたようにお母さんが急死。 幸いCさんはすぐに施設入所することができましたが、入所当日のCさんの一言は強烈でした。「お母ちゃん死んで、せいせいした(!)」。お母さんは一体誰のために生きたので しょうか。

 もちろん、親には親なりの事情や時代背景があるわけですから、これらの親を一方的に攻めるのは不公平です。親も含めた家族全体に対する援助が我々の課題です。ただ 「利用者本位」の立場に立てば、これらの親が本人の代弁者ではなかったことは否定しようがありません。残念ながら、我々はそのことにとことん抵抗するだけの権限も、本人を 親から切り離して支援するだけの資源も持ち合わせていませんでしたので、最終的には親の意向に従うしかありませんでした。しかし将来、「契約」となった時には、 これらの親の意向は今まで以上に「本人の意向」としてまかり通ることになるに違いありません。そして、そのことに福祉事務所が口出しすることは、「民事不介入」に抵触する 「余計なお世話」となるのでしょうか。
 しかし、やはり親は本人とは別の人間であり、時には互いの利益が激しく対立することもあります。この当たり前の事実をもっと深刻に見据える必要があると思います。

3.地域に埋もれる知的障害者

 ところで、もっと明白に、親がいても代弁する力が無い、あるいは代弁者のなり手が無いというケースも珍しくありません。

(1)一人で放り出された知的障害者

 親が死んでしまったら残された障害者はどうなるのか、というのが親にとっての最大の不安です。しかし、現実にはそれに備えるすべもなく、ほとんどの場合、問題を先送りに しています。しかし「その時」は必ずやってきます。そしてその時、障害者自身はサインを出すことはできません。気づいた人が「ともかく役所へ連絡すればなんとかなる」 のであれば、どれほど安心でしょうか。

 <事例4>

 Dさんはお父さんと高校生の妹との3人暮らしで、会社で働いていましたが、ある日お父さんが死んでしまい、遠くに住む親せきから相談がありました。幸い会社側の手厚い協力が あり、入所施設や通勤寮のショートステイを利用しながら、会社を辞めることなく、グループホームで生活できるようになりました。

 <事例5>

 Eさんはお母さんと二人暮らしで、通所施設に通っていました。ある朝お母さんが脳卒中で急死してしまいました。その日の夕方、自宅に関係者が集まり、今晩からの援助を相談 しました。ちょうどEさんが通っていた施設がグループホームを開設するところだったので、ほどなくホーム入居となりました。

(2)家族全員に援助が必要な世帯

 知的障害者の地域生活が現実的に検討されるようになったのは最近ですが、実際には地域で暮らす知的障害者は少なくないようです。ただ彼らは、適切な援助も無く、社会に 投げ出されたと言った方が適当な人たちでした。彼らは、援助を求めるすべを知らず、一方で外見上は、大抵は貧しいながらも一応の生活をしています。そのため、家計のやりくりが めちゃくちゃで借金だらけでも、育児や家事がでたらめでも、外部からは援助の必要性が見えにくくなっています。情報を持つ公的機関からの積極的な介入が必要な事例です。

 <事例6>

 Fさん一家はお母さんと男の子3人の4人家族。全員に知的障害があります。金銭管理ができず、就労していた次男はお母さんが給料の前借りに行ったため解雇。ついにはヤミ金融に 手を出し、生活が破たん寸前となりました。幸い他機関からの通報で状況が分かり、援助を開始。生活保護の受給、弁護士を介した借金の解決、借金再発防止のための信用情報への 登録、ホームヘルパー派遣、次男の就労援助・通勤寮入寮、金銭管理の開始と、1年半掛けてようやく生活の目鼻が立ちました。

 <事例7>

 Gさんは一人っ子。お母さんにも知的障害があり、Gさんに対する「指導」ができません。それどころかパチンコ代のためにサラ金に手を出し、二人で遊び回るために、 お父さんの給料では生活できません。Gさんの卒業後の進路相談から関わりが始まり、Gさんのみならず、お母さんの障害年金申請、金銭管理、Gさんの「自立」へと、援助は 続きます。

(3)家族による虐待

 知的障害者自身の意思を無視するという意味では、事例1〜3も虐待だと言えるでしょう。しかし、身体的暴力、性的暴力も珍しくありません。このような場合、公的機関による 介入が不可欠でしょう。

 <事例8>

 Hさんは当時高校3年生。暴君のお父さんの目の敵にされ、ある時激しい暴力を受けました。たまりかねたお母さんからの相談でした。幸いこのケースは、ケースワーカーらが 以前から関わりを持ち、お父さんもHさんを嫌がっていたため、スムーズに家庭から離し、入所施設利用に至ることができました。

 <事例9>

 Iさんは施設入所しています。世話できなくなったお母さんの強い希望によったものでしたが、ある時一転して引き取りを要求してきました。理由はIさんの年金でした。しかし 自宅へ戻れば弟からの暴力が目に見えていました。何度も話し合い、その都度お母さんは脅迫めいた言動を繰り返しました。幸いIさん自身が自宅へ戻ることを嫌がったこともあり、 施設と福祉事務所は訴訟も覚悟でお母さんの引き取り要求を拒否しました。その後、お母さんは生活保護受給に至ったこともあり、引き取りの話は沙汰止みとなりました。

(4)援助を拒否する家族

 家族がいても、「積極的」に援助を拒絶する場合があります。福祉制度にまとわりつくスティグマや様々な体験がそうさせるのでしょうが、このような事例は決して少なくない ように思います。次の事例は公的機関であったから関われた事例だと思います。

 <事例10>

 Jさんはお父さんと二人暮らしでした。もう10数年も在宅のままで、外に出たことがありません。能力が低い人ではなく、お父さんと一緒に引きこもっているという感じでした。 収入もろくにありませんでしたが、お父さんは生活保護の申請は断固拒否し、「自分が死んだらJは餓死しますねん。それで良いです。ほっといてください」と、取り付く島も ありません。療育手帳更新のための訪問でしたが、結局それから7年間のお付き合いとなりました。色々の経過の末、お父さんは「Jのこと宜しくお願いします」と言い残して 亡くなられました。Jさんはその後グループホームへ入居しました。

4.援助を嫌がる知的障害者

 これまで挙げたケースは、本人が援助を求められないか、周囲に阻害要因がある場合でした。ところが、知的障害者本人が差し出された援助を拒否することも珍しくありません。 この時援助者は、「利用者本位」という原則を踏み越えて「説得」に乗り出すことになります。何度拒否されてもまたアプローチする。出来高払いの仕組みではとても手が出せない 領域です。

 <事例11>

 Kさんは近所のお姉さんの援助を受けて一人暮らしをしていましたが、それも続かなくなり相談に至りました。判定の結果軽度の知的障害と分かり、通勤寮へ入寮しました。 寮ではそれなりに適応しているように見えましたが、Kさんは内心では自分の障害を認めることができません。退寮を希望し一人でアパートを借りましたが、収入の道が無く、結局 家賃滞納に至り帰寮。就職し念願のグループホームに移ると今度は、世話人の援助を拒否するようになりました。間もなく生活が乱れ、会社はくびになりました。金銭管理だけは 寮がしていますが、間もなく貯金が亡くなります。仕方なく寮の助言を受け入れて、再就職に向けた取り組みを始めましたが、Kさんの心の中の葛藤はまだまだ深いようです。

 <事例12>

 Lさんはお母さんとの二人暮らし。生活保護を受け、お母さんともたれ合って生きているという感じでした。お母さんと離すべく、数年に及ぶ援助の結果、ようやく就労前 訓練機関に通所開始し、やがて就職。金銭管理を訓練機関が代行し、マンションを借りて自立。すべて順調に見えました。正月前に、お母さんへのお年玉としていつもより多めの 生活費を受け取ったLさんは、それを自分一人で使ってしまい、正月明けから会社を長欠。そのまま退職し、結局お母さんとの元の生活に戻ってしまいました。それ以後、 福祉事務所は何度も家庭訪問を繰り返していますが、Lさんの腰は上がりません。

 <事例6>や<事例7>も、金銭管理やヘルパー派遣には、まず本人からの抵抗がありました。金銭管理を代行してもらうことが自分らの生活にとって良いことだとは認めても、 なかなか申し込みには踏み込めません。
 知的障害ゆえの将来を見通した判断の難しさ。これまでに知的障害を人に知られることで味わってきた屈辱感。現状を変えていくことへの不安感。これまでの生活歴の中に深く 根差した葛藤等々。「本人の希望」では到底たどり着けない知的障害者の心の奥底。そこに光を当てることなしには、真の援助はできないと思います。

5.求められる援助体制

 これまで、私が関わった事例を通して、知的障害者の現実を見てきました。冒頭でも述べたように、彼らの多くは自らの意志で相談窓口にたどり着けない人たちです。また、 その周囲にいる人たち(多くの場合は親)も、彼らの代弁者たり得る保証はありません。このような現状で「契約」制度に移行すれば、本当に深刻な状態にある人ほど取り残されて しまうのは明白でしょう。
 それでは、彼らの権利や生活を守るためにはどのような仕組みが必要なのでしょうか。まず、事例からも明白なことは、ただ待っているという仕組みでは、必要な人に援助は 届きません。積極的なアウトリーチ機能が求められます。それは「権利擁護事業」でも同じです。援助を申し立てる人がいない場合はスムーズに公的機関が代行できなければ なりません。現状ではそのための窓口や予算もあいまいで、とても役には立ちません。また、「権利擁護事業」自体の貧弱さも大きな問題です。
 次に、知的障害者の生活支援は、単に日中活動や金銭管理等といった断片的なものに止まりません。生活全体は相互に関連していますし、援助を必要とする世帯員が複数である こともよくあります。援助者は、窓口に現れた本人だけではなく家族全体を、そして生活全体を視野に入れることが求められます。そのような仕組みを「契約」に求めることは できません。「利用者本位」は理念としては当然であるとしても、それを実現する責任は社会全体が負うべきです。
 以上のような要請を満たすためには、相談窓口は極力誰もが知っている機関にあるべきです。現在のように、施設に併設させ、あちこちに分立する方向は、ますます知的障害者から 窓口を遠ざけることになってしまいます。また、その機関は十分なマンパワーと権限と情報を持っていなければなりません。そして、児童・成人一貫した援助ができることが 望まれます。詰まる所、抜群の知名度と情報量を持った、現行の「福祉事務所」の相談機能の一層の強化と、児者一貫した援助を可能にするような法制度の見直しこそが必要だと 思います。声なき知的障害者は葬られる、そのようなことが許されてはなりません。



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