この稿は、総合社会福祉研究所編集『福祉のひろば』2003年4月号に掲載したものです。なお、本文中の赤字の箇所は今回の掲載にあたり加筆しました。
行政の相談機関からみた支援費制度はじめに ― AさんのことAさんは当時30代後半。知的障害は軽度でしたが、10数年に及ぶ在宅生活のためか、すっかり萎縮して、家から一歩も外にでられない有様でした。家族は高齢のお父さんだけ。お父さんは几帳面な方でしたので、こちらから出した療育手帳更新の通知を見て連絡してこられました。家庭訪問しましたが、Aさんの状況が尋常でないことは一目でわかりますし、二人での生活費は月7万足らずのお父さんの年金だけ。何とか生活保護や通所施設の利用につなげようとする私でしたが、お父さんは頑なです。以前福祉事務所に相談に来て嫌な思いをしたとのこと。「わしが死んだらこの娘はここで餓死しまんねん。それでよろしいねん。ほっといてください。」 そう言われた私は思案に暮れてしまいました。 1.支援費制度の受付開始大阪市でも昨年(2002年)10月下旬から支援費制度の受付が始まりました。今年4月のスタートまでに、とりあえず現行制度の利用者を支援費制度に乗せるための手続きですが、私の担当区での対象者はおよそ750人。大阪市全体ではその約10倍になりますが、手続きのための職員の増員は無し。全国的にどこも似たりよったりの状況だと思いますが、それでなくても残業が日常化する繁忙な毎日です。一人ひとりにきちんと制度の説明をし、訪問調査をすれば一人当たり2時間程度かかるのは当たり前。だとするとどこも膨大な超過勤務が必要で、担当者は寝る時間も無い、ということになります。支援費制度の手続きが如何に内実を無視した形式的なものかはこれだけを見ても明らかです。しかも厚生労働省は、当面の対象者の調査が峠を越えた頃になって 障害程度区分決定の調査項目を手直しする始末(現場に通知されたのは12月末)。介護保険と同様のドタバタが続き、現場ではやむなく、障害者福祉担当以外の職員にも 応援を頼み、調査を「こなす」ことに追われました。 そんな我々の仕事振りに対して、「こんなことで本当に障害者の声が聞けるのか?」「実態に即した障害程度区分の決定ができるのか?」等々の批判が上がりました。それ自体はもっともなことだとは思いますが、率直に申し上げて、現場にいる者としては今ひとつ釈然としないものを感じました。 2.厚生労働省のウソ(1)措置制度ではサービスが選べなかった?厚生労働省は支援費制度の意義について、「今までの措置制度では利用するサービスを行政が一方的に決めたが、これからは利用者が自分の意志で選べる」と説明しています。なにやら今まで私たちは、障害者本人の意向も聞かず、一方的に決定をしてきたかのようです。しかしそれが事実でないことは、少しでも行政の現場を知る人には明白です。これまで障害者がサービス(例えば卒業後の進路)を選べなかったのは、単に選択肢が少な過ぎただけです。行き場の無い障害者の進路を開拓するために多くの先輩ワーカーたちは奮闘してきました。支援費導入に合わせて、ケアマネジメントなる新しい手法が導入されるかのようにも言われ、行政主導で研修も行なわれています。しかし、従来私たちが行なってきた仕事に対するきちんとした評価や批判はありません。障害者本人の意志の尊重などケースワーカーにとって基本中の基本であり、今更言われるようなことではありません。これまで決定されたサービスも、それぞれの時点で障害者やその家族の希望にできる限り添ったものだったはずです。もちろんその決定に不十分さや不適切さがなかったとは言いません。サングループ事件などにも象徴されるように、行政の相談機能の水準が問題視されていることは承知しています。しかしそれは、根本的には希望に添えない福祉サービスの質量両面の貧しさや、十分な専門性を発揮できない公務員の人事や職員配置に問題があったのであり、単に方法論の問題ではありません。 (2)予算増無では、選択肢が増えるはずがない支援費制度の本質が、行政の福祉に対する直接の責任を免除し、財政負担を軽減するものであることは明白です。支援費制度では確実に利用者負担は増加しますし、予算増の無い中で選択肢が増えようはずもありません。予算増の要求は介護保険への組み入れにすり替えられるか、消費税増税に行き着くのは目に見えています。厚生労働省はこんな中身の乏しい支援費制度をカモフラージュするために、「絵に描いた餅」を並べ立てたのです。「本人の意思の尊重と自己決定」然り、「ケアプランの作成」然り、「不服申し立て」然り・・・。ところが、支援費制度をめぐる(政策ではなく)行政現場批判を聴いていると、厚生労働省の「ウソ」に障害者運動に携わる人たちまでがまんまと乗せられているように思えることがあります。あえて支援費の代理受領制度に反対したり、形式的な「申請権」のみをことさらに振りかざしたり、現行サービス利用者の支援費申請手続きに重度障害者本人の面接を形式的に必須のものとして要求したり・・・(念のために申し添えますが、私も利用者の申請の権利や本人の意思の尊重は当然と考えていますし、これまでも現場のワーカーの多くはそう考えて業務にあたっていたはずです)。(端的に言えば、厚生労働省は障害者の積年の願いである「自己決定」と「自己責任」を意図的に混線させたのです。政権側にとっては誰が決めようがそれはどうでも良いことで、要するに公的責任を放棄したい。つまり義務的な支出を減らしたいというのが本音でした。しかし、当事者や関係者としては「自己決定」に反対することは考えられなかった、ということでしょうか。)これらの主張や取り組み自体をことさらに批判したり否定するつもりは無いのですが、私としては行政現場に起こりつつある変化により大きな危惧を感じるのです。それは行政の現場からの撤退と、自ら援助を求められない人たちの切捨てです。 3.行政のケースワーカーの果たしてきた役割私たちが日々の仕事の中で最も心を砕いてきたのは、自ら判断し行動することの困難な障害者(とりわけ知的障害者)への援助でした。彼らが「契約」になじまないのは自明のことです。また厚生労働省の言うような成年後見制度や地域福祉権利擁護事業が、費用面でも実務面でも地域の知的障害者の生活を実質支えることができないことは、既に日々の仕事で実感しています。百歩譲っても、彼らはまずこれらの制度にたどり着くこと自体に援助が必要です。先にも述べたように、これまでの行政の障害担当ケースワーカーの力量が住民の期待に十分応えてきたとは思っていません。大阪市を例にとっても、知的障害担当ケースワーカーの経験年数は3年程度。それも大半は一般事務職ですから、ほとんどは知的障害自体についての基礎知識も無いところからスタートします。また多くの場合、身近にいる経験者から指導を受けることも困難ですし、満足な業務指針すらありません。ですから、専門機関と目されている更生相談所も含め、十分な経験を積んだ職員が少ないのが実情です。 しかし、行政機関には住民から見た抜群の知名度とそれなりの信用、それに膨大な情報があります。私がAさんの存在を知り得たのもこれらによってでした。行政のケースワーカーは単に申請を待つのではなく、埋もれたニードを掘り起こし(時には説得し)サービスにつなげていく重要な役割を担える位置にいたのです。 支援費制度下では、地域療育等支援事業等、民間の相談機関の重要性が強調されています。そして、その補助金の一般財源化が発表されると全国的に反対の声が上がりました。一方で、掘り起こし機能を放棄しようとしている行政現場に対する危惧や機能強化の声をほとんど耳にしないのはどういうわけでしょうか。 もう一つだけ例を挙げて見ましょう。 4.BさんのことBさんは3人の知的障害児のお母さんでしたが、ご自身も知的障害がありました。次男の就労で生活保護を廃止されましたが間もなく次男は失業。もとより金銭管理ができず、かなり前からサラ金にカモにされていたようです。たちまち生活費が無くなりましたがBさんはどうしていいかわかりません。養護学校高等部に通う三男の給食の残りが一家4人の生活を支えていました。幸運にも児童相談所からの定期訪問が手掛かりとなり、私たちの知るところとなりました。それから3年の間に、生活保護再受給、自己破産、金銭管理、ホームヘルパー派遣、次男の職業訓練・再就職・通勤寮入所、長男のグループホーム入居等々の関わりが続きました。そして、残る三男の卒業・就職がほぼ内定し、3人の子供たちの「自立」が見えてきた矢先に、Bさんは脳卒中で急逝されました。残された子供たちの生活の場と支援機関を確保し、胸をなでおろす一方、援助の開始がもう少し早かったらという思いも残りました。 援助がすんなり受け入れられたわけではありません。Bさんから預かったはずの預金通帳に、いつのまにか紛失届が出され、Bさんに再発行されていたこともありました。Bさんにとって生活費を管理されることは便利な反面、自身のプライドに障り、また自由に小遣いが使えないという不便さもあり、かなりの葛藤がありました。ホームヘルパーについてはとうとう自分から断ってしまいました。食生活に偏りが著しく、そのことが早逝の原因となったのですが・・・。 Bさんへの支援は「本人の選択」というよりは「話し合いと説得」、時には「お説教」という場面もありました。しかし私たちの関わり方は基本的には間違っていなかったと今でも思っています。何か予感があったのか、「ウチが死んだら子供ら頼むよ」と、冗談めかして話していたBさんの顔が思い出されます。 5.これからの行政のケースワーカー現在の行政機構改革の流れは、ハード面では組織統合による人員削減、ソフト面では専門的な相談業務から関係機関の連絡調整機能へのシフトを目指しています。福祉分野の公務員は専門性から汎用性へ、専門職から一般事務職へ舵を切っており、今後一層の専門性の低下が懸念されています。そこに付け込んで、国は民間の相談事業(地域療育等支援事業等)の有効性を強調し、運動体からもある程度の期待が寄せられているように思えます。そこに今回の支援費制度の実施で、行政はケースワークの直接責任を免れる仕組みができてしまいました。行政ケースワーカーの現状は何度も既に述べたとおり、決して満足とは言えません。しかしそれでも措置制度では、行政の「責任」において担当者は施設へ出向き、関係機関と連絡をとり、経験と知識を少しずつでも積み上げる努力をしてきたのです。 ところが支援費制度では相談現場における担当者の責任があいまいとなりました。右も左もわからないまま、ともかく施設へ足を運ばなければならない、という状況ではなくなったのです。そうなれば流れは自然に易きに向かいます。窓口に相談に行っても「自分で探してください」というような対応がされ始めているという話を耳にします。「さもありなん」と思わざるを得ないところが残念ですが、支援費制度下での行政の役割が、単に「調整・斡旋」というレベルに留め置かれるならば、現場担当者の力量は一層低下することは避けられないでしょう。 あと3年も経てば現在の担当者の大半は異動してしまい、残るのは、施設に実際に足を運んだことも無い「事務担当者」ばかり・・・。そうなる可能性が高いと思います。万一の場合の措置制度は残されているから行政の責任は変わらない・・・はずですが、そのための体制が確保されなければ実質は無いも同然です。 行政の窓口が当てにならないとなると、利用者は他の機関に足を運ぶことになるのでしょうか。それができる人たちはいいとしても、AさんやBさんのような人たちはそのまま埋もれていくに違いありません。 さらに深刻なことは、行政が、直接障害者の相談を受け、その生活実態に触れる機会を失うことです。行政は住民のニードを身をもって知ることができなくなるのです。実態を全く知らない行政担当者が政策を立案する、そういうことが今まで以上に当たり前になるでしょう。 6.私たちの課題今行政現場に求められることは、支援費申請の手続きに際して、形式的に「本人尊重」のポーズをとることではありません。根本的には十分な要員の配置と専門性を確保するための人事の確立であり、日常の業務に当たっては、相談業務の重要性を踏まえた明確な業務指針を示すことです。契約という甘言を言い訳にすることなく、潜在化しているニードを掘り起こす行政の責任を明確にする必要があります。機関相互の連携も当然ですが、今後各地で設置されるはずの関係機関の「連絡調整会議」はややもすると、行政の裏方(調整役)への後退の隠れ蓑になる可能性があります。障害者への実質的な支援と行政ワーカーの責任を踏まえたに照らした内容のある取組が求められます。 障害者と一口に言っても、状況は様々です。自ら権利を主張し、行動できる人たちもいるでしょう。しかし、声すら挙げられず姿も見えない人たちも多いのです。いくらAさんやその親に援助の申請意志がない(と見える)からといって、Aさんが餓死していいはずはありません。 最も条件の悪い人たちに最高のサービスが届く、そのことを出発点に考えると、私たち行政のケースワーカーの役割は大変重要ですし、それを事実上真っ向から否定する支援費制度の問題も明らかだと思います。 おわりに話を再びAさんのことに話に戻しましょう。細かい経過は省きますが、結局Aさんとはその後7年間お付き合いすることになりました。5年目に、Aさんの障害年金申請を手伝ったことがきっかけで、ようやくお父さんが私たちに心を開いてくれるようになりました。 それから2年。Aさんはまだ在宅のままでしたが、多くの方の応援もあって、お父さんとの関係は目に見えて友好的になっていきました。しかし同時にお父さんの病気も進行していたようです。気づいた時は既に手遅れで、救急車でお父さんを病院に運び、その足でAさんをショートステイ先の施設へ移送しました。 それから3ヵ月後、お父さんは亡くなりましたが、その前に私に「娘のことをよろしく頼みます」と言い残してくださいました。 Aさんは今グループホームで元気に暮らしています。 |