この稿は2012年4月に書きました。私がZ区から異動した8年後でした。おそらく現状はさらに様変わりしていると思います。   


市民目線の相談支援システムのために


1.はじめに

 障害者自立支援法の前身である支援費制度がスタートしたのは2003年(平成15年)。障害者が自分で選べる「契約」制度は一部の身体障害者の方には歓迎されている ように見えました。しかし、知的障害者や精神障害者の方々にとっては、それは公的責任の放棄に他なりませんでした。予想通り、行政窓口における相談業務の後退が 始まりました。「民民の契約には行政が口を出せない」「個人情報の提供は(行政機関内部であっても!)できない」などの理屈で、窓口を訪れた相談者には事業所リストが 配られるだけ、受け入れる事業所には何の事前情報も無し、ということになっていきました。今では行政の障害者福祉担当というのは単なる事務担当であって、相談に乗る ところではない、というのが、役所内外の共通認識になっているように思われます。
 私は、知的障害者福祉担当ケースワーカー(P市では事務職と区別した障害担当ケースワーカーという明確な位置づけはありませんでしたので、私が勝手に 名乗っていただけですが)としての経験から、「契約」から取り残される障害者が大勢いることを知っています。より端的に言えば、「契約」というのは公的責任を放棄する ために作られた虚構だと思っています。それだけに、行政窓口が相談業務から後退していくことに大きな危惧を感じています。
 ところで、以前私が所属していたZ区保健福祉センターでは、他の区とは少し違った業務分担をしています。私が在任中に行った業務分担が今も引きつがれて いるのですが、そのことがZ区での相談業務のあり方にも大きく影響していると思っています。手前味噌ですが、Z区では障害者福祉担当ケースワーカーがまだ 残っている、という声も聞きます。
 制度自体を変えていくことは容易ではありませんし、自治体の職員を増やすこともなかなか困難です。しかし、役所内部の業務分担を変えるだけであれば別に予算は 必要ありません。当該職場の管理職の裁量とやる気で可能です。そこで、市民にとってわかりやすい相談システムと、民間事業所と行政のスムーズな連携を実現する 一助になればと思い、「Z区方式」についてご紹介することにしました。

2.区役所(保健福祉センター)の業務分担の現状

 P市の多くの区では、障害福祉関係の分担は業務を基準に分けられています。「療育手帳」担当、「自立支援給付」担当、「補装具」担当等々。おそらく「自立支援給付」は さらにいくつかの事務に細分化されて担当が決まっていると思います。
 支援費制度以前は、「知的障害者福祉」担当、「身体障害者手帳」担当、「身障施設」担当、などと分けるのが普通でした。これも業務別の分担ですが、身体障害者 福祉では、大抵の場合は「身障施設」担当が諸々の「相談」の窓口となっていました。「知的障害者福祉」担当は、当時は仕事のボリュームが大きくないとされて いましたので、一人(あるいはそれ以下)で施設措置も行い、諸々の相談も聞いていました。市民の方から見れば、役所の相談の係は、身障は○○さん、知的は○○さん (一人で両方兼務する場合もよくありました)といった具合で、顔と名前が分かる関係でした。
 ところが、支援制度が実施されると、分担が大きく変わりました。支援費支給決定事務という大きな事務処理が入ってきました。そこには施設利用に関する給付決定も 含まれていましたから、業務分担の中から措置による施設入所(法律上は残っていたはずですが)はなくなりました。つまり、よろず相談の担当者がいなくなったのです。 そして業務ごとの担当となったため、市民から見れば、療育手帳の相談と、通所施設等の利用の相談とは担当者が別々になってしまいました。しかも、給付決定「事務」 ですから、おのずと職員の意識から「相談」という部分が希薄になってしまい、施設利用の相談では、「自分で探して下さい」と言われてリストをもらうだけになって しまったのです。手帳というのは制度利用のための入り口なのですが、入口を入ったとたんに裏口から放り出されるようなことになってしまったわけです。役所に相談に 行こうにも、誰に相談していいのかわからなくなってしまいました。
 このような状況を改善するために、民間事業所が協力して、役所内によろず相談の窓口を開く、という取り組みが始まっていますが、何ともおかしな話です。

3.Z区の場合

 しかし、Z区では少し違った業務分担をしています。それは、主として知的障害を念頭に置いてですが、療育手帳関係と、支援費制度(現在の自立支援法)関係 事務を一体のものとして、一人の職員が担当します。もちろん、膨大なボリュームですから一人で全部は持てません。そこでZ区を地区割りして、複数(現在は5名)の 職員が同じ仕事を担当するようにしたのです。こうすれば、知的障害者に関する相談は手帳から制度利用の相談まで、一貫して同じ担当者が行えます。市民の方から見れば、 相談できる人の顔がわかるのです。
 Z区でこのような業務分担を行うようになった背景には、他区に比べて圧倒的なケース数の多さがありました。前述したように、P市における知的障害者福祉は 療育手帳の実施が遅かったことなどもあり、長い間小さなボリュームの仕事だと思われてきました。ですからZ区も含めて、担当者は1区1名以下という有様でした。 しかし、昭和60年の療育手帳制度実施。その5年後から療育手帳更新事務の開始などによって、業務量もケース数も急増しました。しかし、それに見合った人員配置がない まま経過していきます。真先に限界を突破したのはZ区でした。P区は全市中人口も最大ですが、障害者手帳所持者の比率はそれ以上に高く、私が担当をしている 8年間に、療育手帳所持者は630人強から1100人を突破するに至りました。それでも担当は一人のままでした。手慣れていたから何とか回せていたという状況でした。 1999年に私はケースワーカー職を離れ、障害の仕事を統括する立場になりました。しかし、とても一人の後任職員がそのまま後を引き継げるボリュームではありませんでした。 1年間は私も応援して何とか乗り切りましたが、翌年やむを得ず知的障害ワーカーの複数配置に踏み切ったのです。もちろんそのための人員増があったわけではありませんが、 他の障害福祉事務を兼務してでも、知的障害ケースの負担を分散する他なかったのです。
 その後すぐに支援費制度の導入が決まりました。前述したように、他の「一人区」では業務ごとの分担となりましたが、P区では既に地区担当制がスタートして いました。私としては支援費制度になっても、役所が市民の「相談」の拠点であるべきだと思っていましたので、市民からケースワーカーの顔が見えなくなるような分担には 反対でした。そこで、支援費制度に含まれる業務と療育手帳事務とを併せて、地区担当の業務としました。その結果、支援費制度の地区別担当制となり、続いて自立支援法の 地区別担当制に引き継がれていったのでした。

4.地区担当制のメリット

 地区担当制を敷いたことのメリットは大きいものだと思います。半ば希望的観測も含まれますが、以下に5点挙げたいと思います。

(1)市民から顔が見える相談
 何よりも、市民から見て相談の担当者が明確になります。一人職場であった時と同様に、指名して電話または来所することができます。一般の方にとって、役所へ 相談に行くことはやはり勇気がいるものです。名前や顔を知っているだけでもどれだけ安心できるかわかりません。
(2)職場内での責任明確化
 「相談」担当が明確に位置付けられていない職場でも相談は飛び込んできます。その場合、たまたま電話を受けた職員、たまたま窓口にいた職員が、ややこしい相談を 引きずることがよくあります。おそらく、親切に話を聞いてあげた結果、誰にも振れなくなるのでしょうが、これでは特定の人に負担が集中し、組織としておかしな ことです。それならいっそ、立ち入った話は聞かないことにしよう、ということになりかねません。地区担当制によって職員の責任が明確になることで、職場の役割分担が よりスムーズになるのです。
(3)職場内での協議
 一人担当の時代は、ケースワーカーは職場で誰とも相談することができませんでした。仕方なく、他区のワーカーと連絡を取り合って情報交換などをしたものですが、 ケースワーカーを育てるという点では何とも貧しい環境でした。地区担当制で複数のワーカーがいるようになると、職場内で相談することができるようになりました。 これは、ワーカーの精神衛生にとっても、自分の仕事を検証するためにも、大変有意義なことだと思います。
(4)ノウハウの蓄積
 同様に、新任ワーカーが身近な他のワーカーからノウハウを吸収することができるようになります。一人担当では、前任者が転出するとそれまでのノウハウがごっそり 失われてしまい、振り出しに戻ることが普通でした。これでは市民にとっても関係機関にとってもたまりません。複数配置になることで、ノウハウを引きついでいくことが 可能になりました。
(5)関係機関連携の要
 現在の相談支援の流れは、委託相談支援事業所を紹介された後は、事業所同士でのやり取りになることが多いようです。しかし、それでは責任の所在が不明確で、 やがて誰も関わらないということになりがちです。相談を委託された事業所、あるいは「契約」した事業所で関われなくなった場合に、きちんと情報がフィードバックされる 場所がなければいけません。そのような要になり得るのは行政だけです。それも、行政の中に「相談」というものがきちんと位置付いて初めて可能となるのです。 地区担当制によって、事業所にとっても担当者の顔が見えるようになりますし、相談のルートが明確になるのです。

5.今後に向けて

 私は、前述した通り、福祉制度での「契約」は虚構だと思っています。いやそれ以上に、障害者の権利侵害の隠れ蓑になっていると言っても良いと思います。 そういう意味では介護保険法も障害者自立支援法も廃止すべきだと考えていますが、せめて、地域で暮らす障害者の人たちに取って、最低限どこに行けば相談ができるかは 明確であるべきです。市民目線で見て、利用しやすい仕組みは何か。そういう発想で役所の業務分担を考えるべきです。そのための具体的な方策として、地区担当制は有効で あると思います。
 「私は事務職なのでそんな難しい仕事はできません」と言う人がいるかもしれません。しかし、私の経験から言うと、職員の意識は職場が作るものです。その職場が 「相談」をどのように位置付けているのかが重要なのです。ある人が「役所の人は仕事として位置付けられたことはきちんとするから、まずはこれが仕事だと明確にする ことが大切」だと発言されたそうですが、私も同感です。市民からの相談をきちんと聞いて、必要な施策につないでいくのは行政の仕事です。
 人の習性としてもう一つ言えるのは、「してもしなくても良いことはしなくなる」ということです。自立支援法で行政が相談業務の責任を免れたわけでは決して ありません。ただ、民間委託が可能になっただけです。しかし、民間委託ができると、「それは行政の仕事ではない」という短絡的な発想につながりがちです。改めて、 そうではないということを確認する必要があります。「余計な仕事は増やしたくない」と考える職員もいるかもしれませんが、孤立死等が頻発するようになった現在、 相談が「余計な仕事」であるかどうかは議論するまでもないでしょう。ただし、役所も限られたマンパワーで仕事していることは事実なので、行政とのいたずらな対立関係は 避けたいものです。
 最初にも言いましたが、業務分担を変えるだけですので、追加の予算は必要ありません。最初は職員の意識が付いて来にくいかもしれませんが、もとより資質の高い 職員が沢山いるのですから、すぐに習熟し適応していけると思います。もちろん、人員の削減、事務量の増加と、職場状況は厳しくなっているでしょうから、担当者が すべての相談に応じられるはずはありません。民間事業所との連携は不可欠です。ただ、相談システム全体の中で、役所が要であることを忘れてはならないと思います。 なぜなら、市民の目から見れば、役所ほど知名度と信用度の高い場所は他にないからです。
 しかし、どんな組織も内側から進んで変わっていくことはありません。特に行政の場合、最も大切なことは市民からの要望があるかどうかです。現行の仕組みでいえば、 自立支援協議会等がオピニオンリーダーとして行政に強く要望していくなどすれば、かなり実現性の高い話ではないでしょうか。民間事業所が役所に別の相談窓口を 作るのでは無く、役所の仕組みをよりよく変えていくという発想が大切なのではないでしょうか。
 Z区でも以前、「ケースワーカー」という呼称をやめようという話が出たことがあるとのこと。相談業務はそれだけ形になりにくく、職場の同僚からでさえ 見えにくいものなのでしょう。行政の「相談」を立ち枯れさせないためには、外部からの評価や重要性の指摘が一層求められるのです。



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