この稿は2015年4月に書きました。現役ケースワーカーだった頃の経験を整理してみました。
知能検査を受けてみませんか?
1.はじめに「この人はもしかすると知的障害があるのかもしれない。もしそうなら、適切な支援につなげるために療育手帳を取らせたいが、どうしたら判定を受けるよう上手く説得できるの だろうか。」相談業務をしている中でこんな場面に出くわすことが少なくありません。障害者福祉以外の領域(生活保護・児童福祉)で仕事をしている時にも結構よく経験しました。 障害者福祉の分野では、家族がその気のない子ども(多くは成人)を連れてきて、療育手帳を取らせたい、というようなことがよくありました。そんな時、多くのワーカーは ためらってしまいます。「検査を受けたら等と言ったら相手が怒りだすのではないか。」「あなたには障害がある等と伝えるのは可哀そうだ。」等など。 それでも何とか、と思って繰り出すのが、「療育手帳を取れば地下鉄がタダになりますよ。」等というニンジン作戦。その結果何となく判定に至り、療育手帳が取れたとしても、 手帳を取ったという事実は当事者には隠されていたりします。知らされていても、療育手帳の本当の意味など理解されないまま放置されてしまうのが関の山でしょう。 そもそも療育手帳の取得は手段であって目的ではありません。目的は適切な支援につながるということのはずですが、そのためには当事者が、多少とも自分の障害と向き合う 作業が不可欠です。それを抜きにして手帳だけあっても意味がありません。ではワーカーはどのように対応すれば良いのでしょうか。 私も今まで、そういう「説得」をしなければならない場面に何度も遭遇しました。あの手この手、試行錯誤を繰り返すうちに、徐々に「説得」が上手く行くようになりました。 自慢ではないですが、記憶する限り、「打率」は9割5分を超えていると思います。その場だけのごまかしと言われるかも知れませんが、その時点でその人が一応納得して判定を受け、 療育手帳を取得し、それなりの支援につながったことの意義は小さくなかったと思うのです。それなら、私の中で一応出来上がっている「説得のためのシナリオ」は、もしかしたら 他の相談員の方の役に立つかもしれない。そう思ったので、今回文章にしてみることにしました。 2.面接の実際以下に、これまで私がやってきた「説得」の場面を再現してみます。<例1>対象者はAさん。設定は架空のものですが、よくあるケースだと思います。私の立場は福祉事務所の療育手帳担当者という想定です。○Aさんについて 22歳、男性。小学校・中学校は普通学級在籍。成績は不良だったが、なんとか公立高校に進学。出席点で進級できた。就職ができず、コンピューター関係の専門学校に進む。 2年で卒業はしたが、就職口が無く、そのまま在宅となる。父母に責められて仕方なくアルバイトに応募するが不採用が続き、そのうち家に引きこもり、夜昼逆転となる。 困り果てた両親が、人づてに障害者手帳の話を聞き、保健福祉センターに相談。騙すようにして当事者を保健福祉センターに連れてきた。 ○面接の状況 面接室でケースワーカー(以下CWと記す)と差向いに座る。緊張した表情で視線を合わさない。
療育手帳申請書を記入してもらい、これからの段取りを説明して、面接を終了する。所要時間は30分程度。
この例は全く初対面の想定ですが、生活保護ケースワーカーの場合は初対面でこんな話を切り出すことはまず無いはずです。次に、生活保護受給中の方の例を挙げます。 <例2>Bさんは生活保護受給中。私は生活保護ケースワーカーです。○Bさんについて 42歳の男性。単身生活。過去に何度も家賃滞納で夜逃げをした経歴がある。同居していた父が死んだ後、生活保護を受給するようになり、保護歴は10年を超える。人当たりはよく、 就職面接には受かるが、いずれも長続きしない。離職の原因は「人間関係」だと言う。 ○面接の状況 いつものように家庭訪問し、差し向かいに座る。
生活保護ケースワーカー等の場合は、事前にある程度の信頼関係ができていると思われますので、その関係の程度によって話の切り出し方をアレンジすることになりますが、 基本的な留意点は同じだと思います。 3.ワーカーが留意すべきこと繰り返しになりますが、「説得」に関わる留意点をまとめておきます。(1)療育手帳を取る目的「はじめに」でも書きましたが、療育手帳はあくまでも手段ですので、騙してでも良いから手帳が取れれば良い、などと考えてはいけません。ですから、「餌で釣る」という発想は 禁物です。療育手帳を取る時は、当事者が自分の障害と向き合う最大のチャンスです。この作業を逃すと、たとえ手帳が取れたとしても、将来の支援に上手くつながりません。 「障害があると告げるのは可哀そう。」という言葉もよく聞きますが、本当にそうでしょうか。そこには、知的障害に対する価値判断が潜んでいるような気がします。「障害」を 「癌」と置き換えてみればそのおかしさが分かります。「癌だと告知するのは可哀そう。」既に死の床にあるのならともかく、治療をして直せるのなら、告知せず治療の機会を与えない 方がずっと可哀そうです。障害も、向き合って必要な支援を受け入れれば乗り越えて行けるのですから。自分に知的障害があることを知らされず、社会に出て行けないまま、絶望の中で自らの命を絶った人もいました。当事者が自分の障害を突き付けられて一時涙したとしても、必要な 支援を受けられないまま放置されることと比べれば、ずっと罪は軽いと思います。 (2)当事者は自分の障害について良く分かっているワーカーは、当事者は自分の知的障害について良く分かっていないのではないか、と思いがちです。しかし、そうではありません。当事者は、これまでの経験で自分が人より 劣っていることを痛感しています。障害があることで人から馬鹿にされたり、のけ者にされたり、排除されたりと、辛い経験を沢山しています。だから隠そうとするのです。 逆に言えば、自分が劣っていることを知られても、この人には馬鹿にされない。そういう安心感が持てれば、当事者は心を開くのだと思います。当事者の辛さや悔しさに少しでも 共感しようとする姿勢を持つことが、当事者の重い扉を開く手掛かりになるのです。但し一方で、自分の障害を認めることが自分の全否定になる、と感じている人もいるでしょう。自分自身と向き合うということは本当に困難なことです。そういう場合は強引に 説得を試みてもうまく行かないでしょう。 当時者の心の中の葛藤の具合を推し量るセンスが、ワーカーには求められます。 (3)障害という言葉を避けない前項や前々項と関連することですが、ワーカーは「障害者」という言葉を使うことにためらいを感じがちです。しかし、既に述べたように、障害と正面から向き合うこと無しに 支援にはつながりません。ワーカーが「障害者」という言葉を避ければ、そのことは当事者に敏感に伝わります。そうなれば、障害への言及を避けることが暗黙の了解となってしまい、 話はそれ以上深まりません。私は面接の冒頭で、当事者の分厚い鎧に向かって大砲を打つように、敢えて「障害者」という言葉をぶつけます。その時、わずかでも当事者の構えに動揺が生まれます。その隙間に 飛び込んで行く、という感じでしょうか。これは、相手が悩みを抱えながらもワーカーに対しては強い警戒心を抱いているような場面(児童虐待相談等)にも共通するテクニックかも 知れません。 (4)善悪を損得に置き換える障害は悪いことではない、というのは良く言われることです。しかし、これだけでは当事者にとってはあまり説得力がないと思います。なぜなら、前述のように、当事者はこれまで、 障害があることで一杯嫌な経験をしてきているからです。それなのに、「悪いことではない」といわれても到底納得できません。そんな当事者の実感を受け止めるために、善悪を 損得の話に置き換えるのです。そうすることで、やっぱり障害はマイナスだということは認めつつも、その原因は当事者にあるのではなく、周囲にあるというメッセージになります。 障害と当事者の人格を切り離す。これは、それでなくても自己評価の低い当事者にとっては大きな救いなのではないでしょうか。また、善悪という概念は抽象的でイメージしにくい ですが、損得は金銭や物に置き換えて説明できるので具体的になり、話が入りやすくなるようです。(5)自分の価値観を疑うこれは私が自分に言い聞かせていることなのですが、「障害があっても無くても人間の価値に違いはない」という理念は、決して当然のことではない、ということです。今の 社会では、頭の良し悪しが人間の価値を決める、という価値観が浸透しています。それは一般社会はもちろん、障害者福祉の世界でも同様で、具体例は枚挙にいとまがありません。 斯く言う私自身の中にも同様の価値観がしっかり根を下ろしているはずです。居直るわけではないのですが、そのことを否定することはできません。しかし、価値観は一つではない ということも分かります。いわゆる障害の受容と言われるものは、新しい価値観の発見ということなのでしょう。今回書いたような「説得」場面での面接では、私は言葉遣いや話し方を普段より少し熱くしています。というか、自分の中の、知的能力の高さを良とする価値観と向き合うために、 自然と熱くなっているのだと思います。なぜなら、自分の価値観の揺らぎがそのまま面接に出てしまえば、説得の力が弱くなるからです。知的障害と向き合うということは、 私にとっても自分の価値観と向き合う作業なのだと思っています。 4.知的障害に気付くポイント知的障害者福祉の経験が長くなってくると、初対面でも多少は、この人は知的障害があるのではないか、と見当がつくようになってきます。経験の少ないワーカーから、どうして 分かるのか、と聞かれることがありますので、私流のポイントを書いてみます。(1)容貌ストレートに「顔」と言うと語弊があるかもしれませんが、やはり容貌には現れるものだと思います。大勢の知的障害者と出会い、その人の検査結果を知ることによって、 徐々にそれなりの目が養われるようです。経験的に言うと、経験の浅い人が見てすぐそれと分かる場合は重度域の人です。どうもおかしな、とちょっと気になる場合でも中度域の 場合が多いです。軽度域の人は経験のあるワーカーでも、そのつもりで見ていないと見落とすかも知れません。(2)過去の行動軽度域の人の場合は、一見普通に生活しているように見えます。特に、視覚優位の人の場合は日常生活に必要な所作には困らない場合もあります。ある場面では、非常に計画的に、 うまく立ち回っているように見える時も少なくありません。しかし、それらの多くはすぐに行き詰まります。2歩先のことは見えていないことが分かります。その場で色々思案を 巡らせることはできても、その先まで見通せないのが知的障害の特徴だとも言えるでしょう。なぜこんなに同じ失敗ばかり繰り返すんだろう、と思ったら、性格や気持ちの問題と 決めつけず、知的障害を疑うべきだと思います。(3)生育歴知的障害の有無を判断する決め手は生育歴です。これは医者の場合でも同じです。知能指数も参考指標ではありますが、最近は、知的障害の判断基準の知能指数は使わないと 言われるほどです。要するに、発達期以前に起因する知能の障害で、社会生活への適応に問題があるかどうかが重要です。それでも、履歴書のような大雑把な生育歴の聴き取りでは、何も問題が無かったように見えてしまいます。中軽度の知的障害の場合には、乳幼児期の発育の様子 (歩き始め、話し始め等)に問題が無かった(気付かなかった)ケースも少なくありません。私の場合は、必ずこんなやり取りを挟みます。 『小学校では勉強は好きでしたか?』 「まあまあ。」 『得意な科目は何でしたか?』 「・・・体育。」 『算数はどうでしたか?』 「苦手でした。」 <面接の実際>の項でも書きましたが、算数の出来不出来を手掛かりの一つにしているわけです。算数というのは答えの正否がはっきりしていて、当事者にとっても他者との差が はっきり分かりますし、加減算、乗除算、分数、小数と、段階がありますので、レベルを推定する手掛かりにもなりそうです。もちろん、いきなり「算数はできましたか?」とは 聞けません。面接の流れを考えながら、さりげなく繰り出すこともテクニックなのでしょう。 5.おわりに色々ともっともらしいことを書いてきましたが、実は私は、この「シナリオ」は半ばインチキだと思っています。一旦CWの話の土俵に乗せられたら、途中で降りることが できない仕組みになっているからです。いわば、悪質商法のセールストークにも通じるようなところがあります。ですから、当然のことですが、説得を受け入れて判定を受け、療育手帳が交付されたからといって、当事者が自分の障害を受け入れた、ということにはなりません。実際これまでも、 一応納得して療育手帳の交付を受けたように見えても、後で「ワーカーに無理やり判定を受けさせられた」と恨み言を言われたことがよくありました。人の価値観や自己像がそう 簡単に変わるはずはありません。 療育手帳を取ったということは、とりあえず支援のスタート地点に立っただけです。ワーカーは、当事者が心の中にずっと葛藤を抱えていることを忘れずに支援に当たらなければ ならないと思います。 目次へP> |