終戦

 今日(2002/8/15)は、第二次世界大戦終戦より57年である。日本国民約350万人、アジアまで広げると約2000万人、全世界の戦死者になると約1億人とまで言われている人々を犠牲にし、現代に至るまで様々な問題を残して終わった戦争である。「終わった」とはいえ、正式に第二次世界大戦が終結したのは、1990/9/12にアメリカ、イギリス、ソ連、フランスが、東西ドイツと平和協定を結んだ時なのだが。
 まぁ「いつ終わった」という話をしだすと、人(国や勢力)によってまちまちである。1970年代までジャングルの中で一人で戦い続けていた人にとっては、発見されるその瞬間までが戦争中だった訳だし、南北朝鮮やユーゴスラビア、パレスチナ問題等を見ていると、未だ「第二次世界大戦続行中」とも言える。
 「終わった」のがそうならば、「始まった」のもそんな調子で、一応、1939/9/1にドイツ第三帝国軍がポーランドの国境を越えて侵略を開始した「白作戦」開始時とされているが、日本だと、1941/12/7に真珠湾を奇襲し、同時にフィリピン、マレー半島等に対して侵略を開始した時から……なのだが、本当はそれ以前から日中戦争継続中だったし、欧州でも、1939/3までは第二次大戦の予行演習と言われたスペイン内戦であった。
 こうしてみていると、歴史とは連続した一連の事象であり、どこかからどこかまでを取り出して見るのは、本来不可能な事がよく分かる。

 とまぁ、前置きはこんなもんにして。今回は「日本がなぜ負けたのか?」という部分を検証しようと思う。
 とはいえ、よくある仮想戦記物のような「もし、あそこで……だったら」とか「あそこで、こうすれば勝てた」という類の話をするつもりはない(少しはするけど)。日本という国が戦前から現代まで抱えている構造的な弱点「日本的思考の硬直性」「日本的官僚主義」「日本的完全主義」「日本人的戦争観(とでも言うべきか?)」等の話である。まぁこういう話は、世界的に見た場合でも、多かれ少なかれ転がっている話ではあるのだが、日本独自の問題もいろいろとある訳で。
 終戦の日にあたり、前大戦にはそういう側面もあったのか、という感じで読んで頂けるなら幸いである。

戦略面

 日本がどうして負けたのか?
 非常に単純かつ明確な理由を上げるなら、

戦った相手より劣っていたから

 である。
 誰が何と言おうと「破れた」という現実がある以上、正にその通りであり、覆しようのない事実である。ただ、世の中には、それすら認めようとしない人もいる訳で……
 とはいえ、これだけでは直接的すぎて、言葉足らずなのも事実。どこが劣っていたのかという検証をやるのが今回の目的なので、もう少し突っ込んでみるなら

戦争という事象を理解していなかったから

 と言った方がより正しい。

 歴史的に見た場合、明らかに弱い(劣っている)とされていた国(勢力)が、強いとされている国に打ち勝った例はいくつか存在する。そういう事例を適当に拾ってみると、

ソ・フィン戦争
対フランス電撃作戦
日露戦争

 ぱっと出てくる所ではこんな所か?
 これらの戦争に共通している事がある。(まぁ、もっともおおよそ戦争とは政治的な問題を解決する手段であり、それ自体が目的ではないのだから、当然なのだが)それは、勝った方の国には、どのような形で戦争を終わらせるのか? というプランがあった所である。上げた事例で説明すると、

ソ・フィン戦争:1939/11/30、独ソ不可侵条約の密約に従って、ソ連赤軍が当時中立国のフィンランドに侵略を開始。ソ連側はフィンランドの占領を目的としており、対するフィンランド側はソ連の侵略の意図を挫く、という目的があった。戦力差(ソ連)6:(フィンランド)1、空軍に限るなら(ソ連)10:(フィンランド)1という圧倒的な(それこそ、太平洋戦争時の日米よりも開いていた)戦力差にも関わらず、フィンランド側は善戦し、マンネルハイム線が突破されヴィプリが攻略された1940/3/12、フィンランドは講和、戦争は終結する。しかし、フィンランドに対して領土割譲の要求こそ呑ませたものの、遂に、フィンランドを占領するには至らなかった。

対フランス電撃作戦:1940/5/10、ドイツ第三帝国は強国フランスに侵略を開始。数字の上ではフランス軍の方が有利であり、しかも、難攻不落と言われたマジノ線があった。だが、ドイツ軍は当時、進軍不能と言われていたアルデンヌの森を抜けてフランス軍の背後を取り分断、その一撃でほぼ対フランス戦の帰趨を決した。当時のフランスが描いていた対ドイツ戦略が「マジノ線を利用して持久戦に持ち込む」程度だったのに対し、ドイツ側は「フランスを電撃的に攻略する」という明確な意志の元に行動したがゆえに成功した。

日露戦争:1904/2/8、仁川沖でロシア艦隊を攻撃。同10日、ロシアに対し宣戦布告。何かいろいろあるのだが、最終的には旅順、奉天などの重要拠点の占拠、及び、バルチック艦隊の撃破という戦果を以て、米の仲介の元、ロシアと停戦し、日本勝利となる。

 といった所である。
 他国から電撃的に戦争を吹っ掛けられる場合もあるので、戦争の開始時期を選ぶ事は必ずしも出来ないが(それでも、仮想敵国との戦争に陥った場合、どうするか? というのは国家戦略として決定しておかなければならない事なので、外宇宙からの侵略者とかという訳のワカラン奴らとでも戦うのでない限り、いきなり侵略されただけでパニックになる事はあり得ないが)始まった戦争をどのような形で終結させるか、という部分が決まっていないと、延々、戦い続けるしかない。

 これは非常に重要な所で、事実、日露戦争では、ロシア側は敗北を認めていない。ロシア第一次革命が起こった事もあって停戦するしかなかったとはいえ、ロシア側に継戦能力が本当に無かったのかと言われると、多分、答えは「否」である。にも関わらず、日本が「勝利」を宣言できたのは、あらかじめ日本自身が考えていた勝利条件を達成し、それ以上の戦果を求めなかった(まぁ、求めること自体が不可能だったのだが)からである。まぁ、もちろん、その勝利条件で世界を納得させる必要はあったので、その辺の外交もうまかったのだが。

 逆に、そういう部分の意図が明確でない場合どうなるのか? 答えは歴史が示している。
 ドイツ第三帝国による対イギリス戦、同じく第三帝国による対ソ戦(バルバロッサ作戦)などは良い例である。
 対イギリス戦の時は、空軍による爆撃で留めておくのか? イギリス自体を占領するのか? Uボートによる海上封鎖で締め上げるのか? この辺が不明瞭なまま、バトルofブリテンを開始したが故に、見るべき戦果もなくあたら有能なパイロットを消耗しただけで敗北した。ロイヤルネイビー(イギリス海軍)が上陸作戦最大の障害なのなら、稼働可能な全大型艦をドーバー海峡に集結させロンドンを艦砲射撃、囮として使用し、そこに群がってくるロイヤるネイビーを(そこまでやったら出てくるしかないし)自慢の空軍で粉砕するぐらいの大胆な手段を以てすればあるいは、という戦いだったのだが。
 バルバロッサ作戦では、モスクワを最終目標とするべきか? それとも、ウクライナ地方の資源を優先するのか? でヒトラーとドイツ国防軍との意見が分かれ、ドイツ国防軍は密かにモスクワを目指し、ヒトラーは戦争経済に固執しウクライナを目指した。たったそれだけの事で、バルバロッサ作戦は失敗し、ひいてはドイツ第三帝国を終焉に導いたのである。ここで、明確に「スターリンの首を取る!」(仮に、バルバロッサ作戦が成功裏に終わったとしても、スターリンの首を取らない限り、独ソ戦は終わらなかったであろう。共産主義とは名ばかりの独裁者の国だったのだから)という意図があれば、あるいは勝利の可能性があったのだが……

 さて、それでは日本(大日本帝国)の場合はどうだったのか?

 結果は開戦前の御前会議での発言「半年か一年は暴れて見せよう。だが、その後はどうなるか分からない」という言葉の通りになるのだが、これにしても暴れた所で戦争を終わらせる事が不可能な事ぐらい分からないのか? と言いたくなる発言である。
 一応、南方の資源地帯を確保し、自給自足体制を確立した上で抵抗を続ける(抵抗を続ける=勝てるとはならない辺りに注意)、というのが帝国海軍の戦略としてあったのだが、その時、帝国陸軍はソ連を仮想敵国としていた。俗に言う北進論と南進論だが、日本のような貧乏国が、海軍と陸軍とでてんでバラバラな仮想敵を想定し、その仮想敵に対して装備を整えていたのだから、ただでさえ貧弱な戦力を二つに分けていた訳で、戦争以前の話であった。最低でも、満州事変以前の段階で、ソ連と戦うのか、米英と戦うのかを決定しておかなければならなかっただろう。

 そういえば満州事変というと、関東軍が勝手に始めた戦争(事変という言葉でお茶を濁しているが、れっきとした戦争である)である。先に言っておくが……

関東軍、お前ら何様のつもりや!!

 諸外国では、これに相当する事例は無い。それは当然の事なのだが、軍の一部が最高司令官の命令もないのに、勝手に戦争を始めるという、企業にあてはめるなら、課長クラスの人間が、社長を差し置いていきなり人事を決定し、強行するぐらいの暴挙であり、おおよそ考えられない事態なのだから。
 「戦争」というのは一指揮官の判断で勝てそうだから仕掛ける、とか、そういうレベルの話ではない。そんな事をされると「国家」という組織が、「軍」という組織が組織として成り立たない。もし、諸外国で同様の事が起こったら、例え、結果が圧勝であったとしても銃殺物である。
 しかし現実は、彼らの行動を黙認し、その結果、ズルズルと日中15年戦争への道を歩まされ、無意味な消耗戦(対中国戦でまともに成功した作戦は実はない。包囲撃滅を意図して行った作戦はことごとく失敗。結果、中国政府には重慶まで逃げられ、その重慶に対する戦略爆撃はロクな爆撃機がなかった為にほとんど効果がなかった。三光作戦辺りまで行くと、もはやあんなものは作戦とは呼ばん!)を繰り返したあげくの敗戦であった。だが、この種の責任を問う議論はあまり聞かれない。

 この手のお話だけでも日本は枚挙にいとまがないのだが、キリがないので、次に、もう少し大きな視点で物を見る事にする。
 第二次大戦は世界を大きく二つの陣営に分けた。

米英仏ソ中等のいはいる連合国と日独伊の枢軸国

 要するに各々の陣営が軍事同盟を結んで互いの敵と共闘した訳だが、内情はどうだっただろうか?
 連合国側に関しては紆余曲折あったにしても、「どの戦線で攻勢に出て、どの戦線は守勢に留めておく」という戦略レベルの会議を機会毎に設け、おおむねそのスケジュールに従って行動した。
 それに対し枢軸国側はというと、ドイツ第三帝国の宿敵は「わが闘争」にも書かれている通り、あくまでスターリン率いるソ連赤軍であり、極論すれば米英はどうでもよかった。大日本帝国の敵は南進論をとった以上は(単に、南方作戦第一段階がうまく行きすぎただけという話もあるが……)鬼畜米英(失礼)であり、ソ連を敵に回すという考えが無かった訳ではないのだが、結局、そうする事はなかった。単に、ノモンハン等でボロ負けしていたので、ビビッていただけという話もあるが……。そして、戦略レベルの会議は一度も開かれた事はない。
 何にせよ、連合国側はその持てる力を一応とはいえ一つに束ねて戦っていたのに対し、枢軸国側は互いが敵と思っている勢力に対して、バラバラに攻撃を仕掛けていただけである。只でさえ少ない戦力をバラバラにぶつけていたのだから、勝てる道理があろう筈がない。子供でも分かりそうな単純な理屈なのだが、この種の議論が真剣になされた形跡はない。
 まぁ、地理的条件のせいもあるので、その手の会談が持ちにくかったのはあるが、日露戦争の時に見せた外交手腕があれば、あるいは……まず日ソ中立条約を反故にしてソ連を打ち倒し、その後で米英を打ち倒す事も不可能ではなかっただろう。もっとも、それを行おうにも、当時の大日本帝国は完全に軍部が掌握していたので、外交など考える余地もなかったのだが。(ヒトラーはヒトラーであんな性格だし)

作戦第二段階の怪

 そんなこんなで戦略とは呼べない戦略の元、大日本帝国はひたすら終わり無き戦争を遂行していく訳なのだが、それでも、真珠湾攻撃、マレー半島の制圧等、南進作戦第一段階は、米英の油断、冒険的な攻撃の成功、有能な兵隊さんの活躍等に助けられ想像以上の大戦果の元に終了する。
 本来なら1年はかかる予定、もしくは失敗だった作戦が半年経たずして終了してしまった。何にせよ作戦が終わった以上は、次の段階に移行しなくてはならないのだが、予想外の早さで終了したせいもあって、これといったプランは無かった。とはいえ、1942年2〜3月頃から検討を開始し、5月頃には以下のように決定される。ニューカレドニア、サモア、ポートモレスピ、アリューシャン(4月に東京を爆撃されてた後に、ミッドウェー、フィジーまで拡大と、米豪遮断作戦が加わる)に防衛線を築き、持久戦を行おうというものである。

 山本長官自身が、日米の生産能力の差を認識しており、持久戦は不可能と言っていたにも関わらず、出てきた作戦がこれかい。(まぁ、もっとも山本長官自身は、反対したんだけど)持久戦で敵国に勝つ、などという事はあり得ない。その程度の事が分からなかったのか? 米豪遮断作戦の部分に至っては、もはや

誰が立てたんだ、このアホ作戦?

 と言うぐらい愚劣の極みである。本当にアメリカとオーストラリアが遮断されたからと言って、アメリカが困るのか? 困る筈が無いだろう!! そんな事もワカランのか!!
 とはいえ、その山本長官もアメリカ海軍を撃滅させるべく立案したミッドウェー作戦まではともかく、それ以降のプランがあったとは思えないが。実際、ミッドウェーでアメリカ機動艦隊を撃滅させ、ミッドウェー島を占領しても、アメリカの力はさほど低下しなかったと思われる。(それを戦果としてではなく、次のステップとして見るなら悪くない作戦なのだが……)そういう意味ではミッドウェー作戦に勝った時のプランは見てみたかった所ではある。だが、歴史はそれを許さず、ミッドウェー作戦に敗北した時点でこの戦争の勝敗は決定し、山本長官は、連合国の待ち伏せに会い、暗殺されてしまった。

日本的責任の所在と兵器のお話

 ミッドウェー作戦で主力空母4隻を撃沈されてしまった時点で事実上、日本の敗北が決定した、というのは少々、大げさではないのか? と思う人もいるだろう。だが、真珠湾奇襲以降、帝国海軍で実際に敵に対して打撃を与えていたのは、帝国海軍の空母機動艦隊に所属する400名ぐらいのパイロットと、彼らを運んでいた空母の船員だけである。南方作戦の制空権に関してはもっと酷い。1941/12/8に間に合った隼(陸軍の戦闘機です)の数は何とたったの40機! 実に、たかがそれだけの戦闘機で南方作戦の制空権を確保していたのである。

 アンタら、戦国時代の感覚で戦争やってんじゃねぇ!!

 しかも、隼には7.7mm機銃が2門しか付いていないから、命中弾を与えるのは難しいし、命中しても敵機は簡単に落ちてくれない。そんな機体でどうやって戦っていたのか? 答えは簡単。まず隊長自らが編隊飛行して来る敵機の正面から切り込んで、敵編隊隊長機のパイロットを打ち抜くのだ。そうすれば敵の編隊が崩れるので、後は、後ろから飛んでくる部下達が仕留めてくれる。挙げ句の果てには、敵飛行場まで乗り込んで強行着陸、そして飛行場に並んでいる敵機に火を付けて回ったという話もあったりする……戦い方も戦国時代のそれとほとんど変わらんのだが……それで本当に制空権を取っていたのだから、日本の兵隊さんはスゴイ!!

 閑話休題。
 とにかく、上から「これ」と命令されたら自分の命も省みず、ただひたすら突っ走る、有能な兵隊さん達をミッドウェーの一瞬で失ったのだ。それは確かに痛手以外の何者でもないだろう。

 だが、それが本当に痛手だったのか?

 もちろん、アメリカとの生産力の差を考えるなら……という議論がよく出るのだが、そもそも日本は「南方の資源地帯を確保し、自給自足体制を整えて抵抗する」のが戦略であって、ミッドウェーで負けたからと言っても自給自足体制が確立していれば(少なくとも、ミッドウェー作戦敗北以後も、しばらくはまともに資源を本土に運べたのだから、出来ていなければならない筈のものである)「あ号作戦」以降のボロ負けはあり得ない筈(VT信管、レーダーピケット艦、強襲上陸艇等の新兵器の威力もあるので、微妙なのだが)である。また、有能な搭乗員が多数亡くなったのは事実だが、きっちりした教育システムがあるのなら、人的被害もそこまで(空母搭乗員と合わせても1万人いらない訳だし。非情なようだがこれが戦争)痛手にはならなかった筈である。
 要するに、その辺にも敗因がある訳なのだが……

 まず、よく言われる「猛訓練による搭乗員の練度高さ」というのが、全くの嘘っぱちである、と言われると、驚く人も多いだろうが、艦船の方はともかく航空隊に関しては事実である。
 それは、日米の新米訓練兵がパイロットとして前線に送られるまでの訓練時間が示している。日本では大体100時間程度(しかも零戦の20mmは7.7mmより遙かにコストが高いので練習での発砲はない)だったのに対し、米では有り余る物資を利用して陸上機で300時間、艦載機になると800時間は訓練していた。そんな状態で戦闘になるのだから、新米同士だったら勝負になる筈がない。
 なら、誰がスコアを稼いでいたのか?
 それは、中国戦線で延々戦っていたパイロット達である。1941年のフィリピン作戦で、台南空の連中が台湾から直接、渡洋爆撃をしたのを皮切りに、そのまま占領地を南下していき遙か南の孤島ラバウルまでいって航空戦を行った。強かったのはあくまで彼らであって、戦時急造の若造ではない。
 それでも、実戦でベテランが新人を守りながら戦えるなら(100回の訓練より1回の実戦の方が経験としては有効)、あるいは、という気もするのだが、日本機の無線では編隊を組んで互いに連絡し合って戦うという事ができなかった(性能が悪すぎた)ので、戦場に着くまでは編隊を組んでいても、いざ戦闘が始まったらてんでバラバラになって格闘戦を挑むという、おおよそ軍隊とは思えない戦い方であった。それに対して米側は、無線機で連絡を取りながら連携を組んで弱い所から確実に一撃離脱で倒していくのだから、勝負になる筈がない。加藤隼戦闘隊のような例もあるので、必ずしも無線機のせいだけにはできないのだが、それにしても……である。

 次に、兵器量産の問題。兵器とは、一定の規格に沿って作られる大量生産品である。大量生産というのは、ただ作ればいい、という訳ではない。まぁ、ソ連のように所詮兵器は消耗品と割り切って、主要部分以外の工作精度を度外視してとにかくバカスカ作りまくった例もあるけれど……その結果、ハンマーで叩かなければクラッチが入らない戦車とか、照準器が歪んでいるのでまともに当たらない砲なんてのが戦場に出回るのだが……まぁ、あの国は想像を絶する大量生産を行ったので、そういうやり方がとれる国ならそれも正解という事で。だが、日本のような貧乏国の場合、国力を結集して大量生産を行わなければならないのだが……(ここから先は少々、愚痴に近いものがあるので、あえて読みにくくしてあります。お急ぎでない方はどうぞ)

まず、零戦があれば隼はいらず、その逆もまたしかり。鍾馗があれば雷電はいらず、屠龍があるなら月光はいらないし、100式司偵があるなら彩雲はいらない。これは陸軍が作った飛行機を海軍が後先考えずに「あれ欲しい」とダダをこねた結果にすぎず、陸軍の方も、事情は同じだった所から来ている。(ただ、零戦と隼に関して言えば、初期の成功は零戦の奇跡的な能力による所が大きいので、隼では零戦の代わりは勤まらなかったと思うが……)仮にそうだったとしても設計した会社が違うからそんな量産のやり方ができる筈がないだろう、というのは日本人の考え方。他国では当たり前のようにそれを行い、量産性を向上させていた。
帝国海軍の基本戦略が南方の資源を確保して自給自足体制を築く事というのは先に述べているが、では、兵器側は実際にそのような編成となっていたのであろうか? 答えは否である。あくまで艦隊決戦によってアメリカ海軍を撃滅させて勝つ予定だったのだ。その為の97艦攻だし、93式酸素魚雷だし、91式徹甲弾である。あげくの果てに、フロート付き水上機や鈍重な4発重爆にまで魚雷を抱かせて雷撃をさせようとしたのだから……。一方、自給自足しようと思うなら、輸送船や拠点の防御を考えなければならず、その為には対潜水艦用の駆逐艦(対潜哨戒機でも可)と護衛空母(両方とも戦力は3戦級でも構わないが、とにかく、簡単な構造で大量に作れる必要がある)で輸送船団を守りつつ、拠点には陸上発進専用の軍用機を配備(零戦が奇跡のゼロファイターだっただけで、通常、艦上機と陸上機とが戦った場合、設計上の制約が少ない陸上機の方が強い)しなくてはならない。だが、現実的には輸送船の数すら満足に揃える事ができなかった。大体、ヨーロッパ戦線でイギリスやソ連の輸送船団がUボートによって通商破壊され、ピンチに陥っていた現実を彼らは貴重な戦訓として捕らえていたのか?
艦隊決戦時の決戦機97艦攻。こいつにはとんでもない欠陥がある。雷装→爆装(もしくはその逆)時、投下器ごと替えなくてはならず、しかも、その投下器は互換性が全くなく、各々の機体に別の機体の投下器を付けようとしても付かなかった。その結果がミッドウェーの雷装→爆装→雷装が3時間もかかるという、おおよそ考えられない事態を招く事になる。だからよく言われる「あと5分」どころの騒ぎではなかった。そもそも、敵艦隊が出てくる事が前提の作戦なのだから、97艦攻は雷装のままで待機させておくのが当たり前だろう!! その他、艦隊決戦用の潜水艦伊号シリーズは、見かけ上のスペックは高くても、静粛性が皆無であり、潜水艦としての能力そのものが欠けていた、とか、空母で使える蒸気カタパルトの開発ができなかった為に、発艦条件に制限があったとか、防空駆逐艦として作られた秋月型に積まれている防空用10サンチ砲はなぜか対空対地両用砲にできなかったとか……なんでこの程度の事が、というのが多すぎる!!
まだまだこの手の話は枚挙にいとまないのだが、要するに、工作精度の問題と品質管理がなっていないからなのだが、それでもまだ、熟練工が作っていた時の物は(日本人的職人芸によって機械に劣らない奇跡の工作精度を実現していたので)まともに動いていた。だが、戦時急造品は到底、使い物にならなかった。所詮「良くできた民芸品」で戦っていたにすぎないのである。その頃、米では品質管理という思想を取り入れて、想像を絶する大量生産を行っていたというのに……
日本の飛行機は極論すれば、堀越、土井、小山の3チームのみで設計(それと、彼らの弟子達ね。どのみち数は多くなかった)されていた。そして、その3チームに陸海軍は膨大な種類の飛行機の設計をやらせたのだ。その結果、過労によって倒れる設計者も多数いた。要するに、こういう部分をやれる人材の育成も成功しているとは言い難い。
そして、陸海軍が提示する要求そのものも、過大とか無茶とかを通り越して「君たちは冗談でも言っているのかね?」と、問いつめたくなるような要求性能ばかりである。
ゼロ戦=1937/5に提示。時速500km以上、航続巡航約6時間(実機で1920km)
艦上爆撃機「彗星」=1938に提示。時速520km。航続約1500km
双発多座戦闘機「月光」=1938/11に提示。時速520km。航続約2400km。20mm×1、7.7mm×6。この上航法装置を積んでゼロ戦と同等の戦闘力だそうだ。
二式飛行艇=1938に提示。時速440km。航続約8300km。20mm×5、7.7mm×4、爆弾2tで雷撃可能(低空での運動性抜群)だそうだ。
99式双発爆撃機=1937に提示。こいつも時速480km。実機航続約2400km。7.7mm×4、500kg爆弾。
等々。どれもこれもが同時期に提示された仕様とは思えない。仕様の上だけとはいえ、零戦よりも強力な双発戦闘機や爆撃機を作れと言っているようなものである。結局、零戦よりも強力なエンジンの搭載等で一応の完成を見るのだが、その頃、零戦は余裕のない設計が災いして、たかが1000馬力→1500馬力へのエンジン換装にすら手間取り、新型になり得なかったのであった。
結局、これらの原因の根本はどこにあるのかというと、帝国陸軍と帝国海軍とが、互いの仮想敵国が食い違う為に別々の装備をせねばならず、その結果、少ない資源を計画的に分配するのではなく、奪い合っていた所にある。こちらのシマを荒らすな! というヤクザ根性そのままの理論である。そして、行き着いた先は海軍が戦車を持とうとし、陸軍が空母を持とうとしたのであった……

 ふぅ、と。

こいつら、本気で戦争やる気があったのか?

 と言われても仕方がないだろう。
 「日本」というシステムが、「日本人の国民性」が、こうさせたとも言えるのだが、それにしても……である。本当に、

責任者、出てこい!!

 と言いたい所なのだが、当時の日本は、ある一定以上の階級(権力、金力に置き換えても可)になってしまうと、責任を取らなくてもよかった(もしくは自己で自己を罰するシステムが無かった)としか言い様のない状態だったのである。もっとも、この辺は現代の日本にも脈々と受け継がれているのだが……(1997以降の大不況を招いておきながら、その責任を取った政治家なんて殊勝な奴は一人としていないし、政治家の汚職問題は当たり前のように垂れ流されているのに、誰一人として、そういう政治家を断罪しようとしない、逆に死ねばいい人である。薬害にしても、公害にしても、裁判こそ勝利したが、誰も責任を取った訳ではないし、そごう等の倒産劇も、とばっちりを食っているのは一般サラリーマンばかりで、例えばそごうの会長が着のみきままで難波駅周辺で物乞いやってるなんて話にはなっていない。日本ハムの問題にしても、会長は「名誉会長」なんて偉そうな名前になってるし、社長以下幹部連中の給料カットにしても、今までの暴利に比べればだから何? という程度の内容だし……身近な所では、大学に入るまではしんどいけれど、入ってしまえば遊んでいても大丈夫、みたいな所まで)

 責任を取らなかった筆頭は南雲忠一中将である。真珠湾を奇襲した時の空母機動艦隊の指揮官であり、ミッドウェー海戦で大敗北をした時にも、空母機動艦隊の指揮官であったのだが……その後たかが2ヶ月後の第二次ソロモン沖海戦の時の空母機動艦隊の指揮官が彼なのである。通常、常識的に考えて、日本陸海軍のノリで言うなら、天皇陛下から預かった命よりも大事な軍を傷つけたとは何事か!!

アンタ、切腹モンだ!!

 となる筈である。何でこんな奴がまだのうのうと指揮官をやっていられるんだ!! 真珠湾で指揮官をやっていたキンメル提督とショート将軍は罷免されて二度と指揮を執れなかったんだぞ!! 何だこれは、としか言いようがない。
 次に来るのは栗田提督である。捷一号作戦の時に「謎の反転」を行い、作戦を失敗に導いた張本人である。口では勇ましい事を言い、部下にそれを強要しておきながら、いざ自分の身に責任問題が降りかかったら途端に歯切れが悪くなる。こんな奴の部下にはなりたくないものである。
 中には、大西指令のように微妙な責任の取り方をした「漢」もいたのがせめてもの救いだが……(捷一号作戦時、フィリピンの航空隊を指揮しており、圧倒的な連合軍に対し、残存兵力で可能なせめてもの抵抗=神風特攻作戦を実行した司令官。彼は、作戦決行に当たり、まず、自分が最初の特攻機に乗って出撃し、還らぬ人となった。本来なら、こういう人物にこそ生きて、戦い抜いて欲しかったのだが……微妙な問題は多々あれど、日本人的な責任の取り方の一つとして)
 まぁ、結局はそれらも全て、この戦争を引き起こした張本人達が最も悪いので、彼らがちゃんと責任を取っているのなら、あるいは、という気もするのだが……元731部隊の連中が薬害問題を起こし続けている製薬会社の会長になったり、A級戦犯がのうのうと首相になったりしている現状、彼らの苦悩は、下の者達の苦痛は、全くの無駄だった事になる。

結局、日本に住んでいる一般市民にとって、この戦争とは何だったのか?

 最後に、この戦争に勝った場合、誰が得をしたのか? という話。よく言われている「やむを得ずに始まり、やむを得ずに終わる」とは、全くの嘘である。決して「やむを得ずに始まった」訳でもなければ「やむを得ずに終わった」訳ではない。全ては、ごく一部の人間達……大抵は、その国を事実上支配していると勘違いしている金持ち達や為政者達……の都合が全てであった。

 考えてもみよ。仮に大勝利して莫大な量の賠償金と植民地を手に入れたからといって、ごく普通のご家庭に住んでいる人達に、どれだけの利益があるというのか? そういう物は全て、国という名の為政者達の手に渡るだけではないか。逆に、敗北してしまったら、家族を無意味に殺され、家財は焼かれ、働き先は破壊され、その上、自分達から徴収された税金から莫大な賠償金を払わなければならない。どこの国に好きこのんで戦争をやりたがる一般市民がいるというのか?

 だが、為政者達は、そんな普通の人達を戦わすべくあの手、この手を使うのである。
 敵(となる対象)を鬼畜米英などと憎ませたり、もしくは人間以下の劣った連中と思わせたり、自国は優れていると信じ込ませる。
 戦わなければ家族、親類、親友等が死の危機に晒されるという感情を「愛国心」とすり替える。
 おこぼれを与え、勝てば良い生活が待っているような幻想を抱かせる。
 思想、言論を統制し、反対者をこれ見よがしに処刑する。
 マスコミからは為政者にとって有利な情報しか流さない。
 敵から先に手を出したという既成事実を作り出したり、でっち上げたりして「正義の戦争」と思わせる。

 等々。

 ここで、「そんな事を言っても、結局、『国』というものがなければ、その金持ち達が作っている企業というものがなければ、我々一般市民は生きていく事ができないのだから、それに従うのが当たり前だろう」という人もいるだろう。だが、待って欲しい。なぜ、国が形成されなければならないのか? という事を。

 原初の昔、人がまだ農耕を始める前、人は「群れる=協力して事に当たる」事によって通常では勝てない相手にも勝てる事を学んだ。同時に、石器を作るのがうまい人や魚を捕るのがうまい人等、各々の人には適正があり、適材適所を行う事によって、より効率よく生きていける事も学んだ。だが、同時に共に生きていく為には最低限守らなければならないルールも必要になる事も学んだだろう。
 時代が下り、農耕を始めた頃も、その辺の事情は変わらなかった筈である。そして、農耕=定住生活が、その場にそのまま最初の「国」を発生させる事になる。
 要するに、より効率よく生きていく為に「国」というシステムが必要だったというだけにすぎない。国というものが発生した理由からするなら、国を成り立たせる為に我々がいるのではなく、我々が存在する為に国がなければならないのだ。決して、この順番が逆転してはならないのだ。
 だが、それでは為政者はたまったものではない。だから「王権神授説」だの「神の血筋」だのを持ち出して、自らの安寧を図るのである。

 そして、現代。第二次大戦の亡霊と呼んで差し障りのない連中が中心となって再びこの国を戦争に巻き込もうとしているが、その戦争で、もっとも得をするのは誰か? その戦争をどうしてやらなければならなくなったのか?

 答えは、こんな場所で語るまでもなく、である。

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