3階 人類の歴史

 
西   暦 場   所
B.C. 25XX 日本・本州中部
森の神への小さな祈り

BC25xx

 木々の葉が黄金色に染まり、その枝々に次世代への小さな命を実らせる季節。この時期にしては暖かいある日の午後、一人の少女が、集めたドングリが詰まったカゴを頭に乗せ、家族のもとへ戻ろうとしていた。
 来年15回目の春を迎える彼女であるが、彼女とその家族がこの地に移り住んでからも、もう数年の歳月が過ぎていた。重要な食料となるドングリの実る木々は、ますます豊潤となり、その恵みを人々に分け与えている。
 彼女もまた、いつもの年のようにドングリ拾いに精を出す。ここは通い慣れた道である。しかし彼女はふっと途中立ち止まり、来た道を振り返った。次の春、彼女は別のムラに嫁に行く。そのことに不満はない。だが、今の家族と離れて暮らす事に、少しだけ淋しい想いがよぎったのかもしれない。
 そして、残していく父母と、幼い兄弟たちのために、そっと祈った。 「ここの木々に、いつまでも、森の神が恵みをくださいますように。」
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 人々の生活に土器が使われ始め、やがて大陸から伝播した水田稲作が展開するまでの間、約15,000〜2,500数百年前。日本列島ではこれを縄文時代と呼ぶ。このうち中期と呼ばれる約5,500〜4,500年前は、東日本の各地で遺跡数が多く、特に中部山岳地域から西南関東にかけては遺跡数、規模ともそのピークを向かえる。
 さらに、この地域に展開した「勝坂式土器」と、それに続く「加曽利E式土器」、さらにこれに類する土器群は、派手で複雑極まりない文様を持ち、質、量ともに縄文土器の一つの頂点をなしている。また、石器の組成や、人骨の科学的分析などからは、他の時期や地域と比べ狩猟活動は低調で、クリやドングリなどのナッツ類、またヤマイモやユリの根などの根菜類といった、植物質食料に大きく依存していたと指摘されている。
 しかし中期末には、この地域の遺跡数は著しく減少する。その衰退の要因は定かではないが、寒冷化する気候が関与していた可能性は高いと考えられている。

主な参考文献
■ 今村啓爾 2002 日本史リブレット2『縄文の豊かさと限界』山川出版社
■ 勅使河原彰 2004 シリーズ遺跡を学ぶ004『原始集落を掘る 尖石遺跡』新泉社
 

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