日米友好の証を壊す三重県と伊勢市の横暴  三重県伊勢市には憲政の神様と呼ばれ、今も全国会議員が師と尊敬する尾崎行雄の記念館がある。
 尾崎行雄が東京市長(現在の東京都知事)になったとき、第二次世界大戦のときは違い対等な日米関係の友好の証としてサクラの木を贈った。そして、アメリカ政府によって大事に守られ今もワシントンのサクラとしてポトマック河に美しく咲き乱れている。このお礼に当時のアメリカ合衆国第27代大統領ウィリアム・タフトは日本にハナミズキの木を贈った。この木はこの記念館の庭に植えられ83年間生き続けてきた。しかし、三重県と伊勢市と建設省は結託して宮川の堤防工事や県道の拡張工事の土建屋工事を推進するためこの記念館の庭を大幅に削り取り、このハナミズキも移植してどけようという工事を計画している。83年も植わっている木は移植によって枯れる可能性が高い。
 地元の人も多くが尾崎行雄を忘れ、日本国民はかつて日本とアメリカが一つの国と国として対等な外交の証として友情の絆を結んだこのハナミズキが枯れる事に知らん振りをしている。  これでいいのか!
 内海君は、このたび伊勢市長(ise-koho@city.ise.mie.jp)宛てに以下のような電子メールを送った。

■メールの内容
伊勢市長
 伊勢市の尾崎咢堂記念館およびその庭とハナミズキは民主主義を守った国民的英雄尾崎行雄のモニュメントであり、ハナミズキは1917年アメリカ合衆国タフト大統領が尾崎行雄が東京市長のときに贈ったサクラの木のお礼にいただいた貴重なものです。
 今、伊勢市が行おうとしている記念館の縮小工事そして目の前の県道拡張工事、それに伴うハナミズキの移植などはまったく言語道断、日本国およびアメリカ合衆国の外交上の礼儀を失する行為です。  あの記念館はそのままにして保存し、一切、庭木を抜いたりする事なく今以上にていねいにメンテナンスを行い、アメリカ合衆国大統領、議員団が来日のおりに日本国の儀礼として恥ずかしくない状態にしてお見せすべき場所です。
 これは伊勢市だけの問題ではなく日本国全体の問題です。
 アメリカ合衆国タフト大統領から贈ってもらった日米友好の証であるハナミズキを伊勢市は何十年も放置し、挙げ句の果てに道路工事のために移植するというのはおかしな話です。
 また83年も経過した植樹は移植によって枯れるリスクが多大にあります。
 もし、枯れてしまったらその責任を伊勢市長および伊勢市議会議員全員はとるのでしょうか。
 例えば伊勢神宮の境内の真ん中に県道を通すなんて話が出たら誰もが反対するでしょう。五十鈴川のあの美しい渓流に護岸して堤防やテトラポッドを打ち込んだら誰もが怒るでしょう。
 それと同じ事を今伊勢市はしようとしています。
 本件について県道を有する三重県は「この案件は伊勢市の意思決定でどうとでもなる」とはっきり回答してきております。
 ふつう、文学者や芸術家、歴史的偉人の生家などはそのまま庭ごと保存して街並みの誇りとして大事にすべきであります。伊勢市はそのような文化遺産への認識が高いはずだと思っていますがいかがでしょうか。
 伊勢市の決定でこの工事計画を即刻中止して、道路は迂回するなどの対応で十分処理できます。
 憲政の神様と神道の神様を抱く伊勢市がこれ以上の愚行を行い天罰が下らないように願います。

 なお、この件については私は日米両政府、および全日本国会議員、地方議会議員に働きかけを進めています。アメリカ合衆国政府がこの件を知ったら深く悲しむでしょう。私は日本人としてこれほど恥知らずな話をするのがつらいのです。
 日本人の礼節、義理、誠意という世界に誇れる精神性を無にする伊勢市の行為に私は深い悲しみを抱いております。
 しっかりした対応をお願いいたします。

2000年7月28日
内海 宙大
「市民諸君!今こそ投票しよう。小さなキミの一票が大きなうねりとなるように」

……人類諸君、この文章を読んでほしい。日本に50年前こんなすばらしいことを言っていた政治家がおったのだ。
【選挙人が心得ておくべき国会議員の要件】尾崎行雄


(昭和22年3月27日、田川大吉郎候補の応援演説をする尾崎行雄、新宿にて)
諸君、見るだけで圧倒されるこの熱気と迫力。今のあまちゃん政治屋連中にこれだけの演説ができるのか?
市民諸君、投票権は最後の個人の抵抗だ。白票でもなんでもいいから投票せよ。

第一、国会議員は広く内外の形勢を明らかにし当世の事務に通ずることを要す。
第二、国会議員は道徳堅固なるを要す。
第三、国会議員は公共心に富むを要す。
第四、国会議員は権勢に屈せざるの勇気あるを要す。
第五、国会議員は名利心の薄さを要す。
第六、国会議員は自説を固守するの貞操を要す。
第七、国会議員は独立の見識あるを要す。
第八、国会議員は思慮周密なるを要す。
第九、国会議員は穏当着実なるを要す。
第十、国会議員は多少の弁舌あるを要す。
尾崎行雄『欧米漫遊記』(明治二十二年)より

【選挙権の正しい行使】尾崎行雄
一、自分がいかなる政治を希望するかと言う自分の意思をはっきり決めてかかることが大切。
二、出たい人より出したい人を。
三、金銭やご馳走、因縁や、情実で投票しないのはもちろん、選挙費用は、有権者の持ち寄りにしなければならないこと。一足とびにそこまで行けないとすれば、なるべく候補者に金を使わせないように工夫すること。
四、買収、ご馳走、哀訴、嘆願など、一切の不正な選挙運動をする候補者には、絶対投票しないこと。
五、一から十まで政府に反対する議員も困り者だが、一から十まで政府に盲従する議員よりはましだ。
  つねに政府党が勝つ選挙よりも、どちらかと言えば、在野党の方がうけのいい選挙の方が、民主政治の趣意にかなっている。
六、「人物よりも政党に入れよ」というのは、真の政党が存在していることを前提とした公式論で未だ真の政党にまで発達していない現在の日本の政党を相手にしては、無条件に賛成することは出来ない。
七、演説会場その他あらゆる機会をとらえて、有権者は各政党または候補者に向かって、具体的な政策を明示するよう要求しなければならない。
八、議場の内外で国会の品位をけがすような行為をするものには投票しない。当選後、公明正大な理由もなく、選挙民の諒解もえずに党籍を変更し、または他の政党に入党するような者には投票しない。
九、これまで日本の選挙では、大臣や政務官になると、投票は必ずふえた。これは官尊民卑の奴れい根性をばくろしたものである。また多数党でなければ何も出来ないから、投票しても損だと考えることも「長いものには巻かれろ」式封建思想のなごりであって、多数少数は有権者が投票して決めるのだという民主政治の「いろは」さえわきまえぬもののたわごとである。
尾崎行雄『民主政治読本』(昭和二十二年)より
「国会議員の諸君これ読んで顔むけできんのか。尾崎行雄先生に」

(以下公職選挙法違反にならないように一時的に伏せました)……人類諸君、この文章を読んでほしい。
政治家を志すものに……尾崎行雄

 一国の政治にたずさわるものの資格は、自分自身の幸福がなんであるかをよく知って、その通りに生活するものたることである。自分一個の幸福がなんであるかをよく知るものは、国民をそのように幸福にしようと努力する。自分の幸福を知り、多数国民の真の幸福を知る、ということが政治の根本的な資格であると考えている。
 幸福とはなにか。単に自分の好きな通りにするということではない。健康な人間が幸福であることは明白であろう。しかし、その人が、むやみに酒を飲んだり、煙草をすったり、不摂生をすれば、かえって健康を害して不幸になる。健康だけを例にとってみてもわかるように、幸福になるということは、自分の好きなこと、わがままをすることではないのである。
 いい換えれば、政治家たるものには、なにが自分の幸福であるかをよく知り、なにが国民の幸福であるかの善悪の区別を判断する能力が、絶対に必要なのである。そして、国民のため善いと信ずることを、断固として行う勇気が必要である。つまり自分の幸福を知るものは、万難を排して行動するものであることを要する。
 政治家たるものは国民の幸福にならぬようなことは、それが法律であっても、なんであってもこれに服従してはならないのである。私の若いころには官吏侮辱罪という悪法があった。官吏を批難すると、すぐこの法律で罰せられたものである。私などもこの悪法によって、しばしば苦しめられたものであった。不敬罪なども、悪法の一つである。刑罰によって皇室の威厳を保とうなどという考えがよくない。刑罰によらねば保てないような威厳はなにもならぬ。不敬罪は国民を皇室から遠ざけるだけである。イギリスあたりには、不敬罪等という罪名はなかったと思う。それでも国民と帝室の親愛の情は、わが日本よりは深いように思われる。
 要するに、政治家は自分自身で是非善悪の判断をしなければならない。自分自身の幸福を知って、自分で善悪の標準を持たねばならぬ。他人に付和雷同したり、他人の意見を顧慮してこれに服従してはならぬ。良心にしたがって行動することが、複雑な政治問題に対処する最良の方法である。良心とは自分の心のことである。自分の判断によって勇往邁進することが、現実の政争や困難な場面に際して、政治家のとるべき態度であり、政治家たるの資格である。ところが、日本の政治家には良心がない。孔子や釈迦のいったことにしたがったり、外国の風俗習慣にしたがったり、他人にばかり服従している。孔子や釈迦の言葉の中には、むろんりっぱなことがたくさんある。しかし千年も二千年も前には通用したかも知れぬが、いまでは通用しないことが多い。
 日本の政党がよい例である。政党は良心にしたがって行動していない。なんでもかんでも党議に服するのである。良心と理性にそむいて党議に服する有様である。自分が悪いと信じていながら、党議にしたがい政党の利害得失を第一に行動する。英国などの政治家はそんなことはない。自分が国民の幸福にならぬと考えれば、自分の属する党にも服しない。反対党の意見でも正しいと信ずるものには賛成する。これからの政治家は自分で判断し、自分の信ずるところにしたがわねばならぬ。適切な例は、前回(九〇)の議会で議長選挙の問題について、私が決議案を出したときの政党の態度であった。私は議長は政党政脈にとらわれず、人格識見において、衆議院を代表する人物を選挙すべきであるという演説をやった。至極当然のことで、誰も理性的に考えて異議の出るはずはないと思う。私は全会一致で私に賛成するものと思っておった。ところが決をとってみると、議員の半分以上が反対で、案は否定された。私の暗に賛成したのは、婦人議員や新しく議員になった人たちであった。この人たちは私の意見を聞いて、自分で判断して、私の意見がよいと思ったから、賛成したものと思う。反対したのは自由党と進歩党の議員であった。これらの議員の中には、わが国の政党の発達のために、私と苦労をともにした人もあり、私と親しいものも多く、私の子分のような関係にあった人もいた。かれらも自分で自由に判断すれば、私の意見に賛成であったと思うのであるが、票決となると政党本位に考え、党議に屈伏して良心の判断によって行動しないのである。私の未知の議員が賛成し、旧知の人が反対したことが、私の言っている事柄のよい証拠である。
 日本人は虚偽かしからずんば迷信を信奉している。日本の政治家から、虚偽と迷信をとり除かねばならぬ。真実の、合理的なそして良心的な政治にしなければならない。そうでないかぎり、日本の復興などはできるものではない。
 政治家になるには金が要る。だから人に迷惑をかけない方法で金を得ることが必要である。金が要るからといって、他人に迷惑をかけて、金を集めてはいけない。嘘をいったり、脅かしたりして、金を集めるのはもちろんいけない。いちばんよいのは世人のためになる仕事をして、収入を得る方法である。
 私は若いときは新聞記者などをやったが、そのころの新聞記者の収入などというものは僅かなもので、それだけでは生活ができなかった。文章を書いて、世の人を益して収入を得ることなどはよいと思う。私は金に困ったので高利貸から金を借りたが、これには実に苦しめられたものであった。利息の支払いが大変だった。しかし高利貸から借りるのは、利息を払って借金するのであるから、迷惑をかけぬばかりでなく、頭を下げる必要がない。自分の信念をまげる必要もない。だから高利貸以外から金を出させる方法はいくらでもあったが、高い利息を払っておった。東京市長になったときは一定の収入があったので、それほど苦しまなかった。それでも私の借金を計算してくれた人があって、当時で十万円ほどあった。
 つまり政治家になるには、やはり世のためになる職業を持っていた方がよいと思う。そうすれば他人に迷惑をかけることもなく、悪い因縁をつけないで済むと思う。要するに政治資金は浄い金によることである。

尾崎行雄「わが遺言」より 昭和26年(94歳)