・藩 史・

・松平郷時代

・形原時代

・初高槻時代

・佐倉時代

・後高槻時代

・篠山時代

・亀山時代


・資料集・

・表  紙

・松平姓とは

・松平一族

・藩主系譜

・徳川実記

・寛政諸家譜

・武  鑑

・形原家系図

・屋 敷 跡

・江戸の墓所

・他 資 料


・終わり・

・私の先祖

・芝陽貞幹

・お世話になっ
 たリンク先


・おわりに


・拙創作・

・藤井松平家

・西郷家

・松平敏さん

神社の不思議

昔日の入間市

江戸の菩提寺(三)

                                                   平成15年10月末日 改書


◎無量院 形原家とは限らず、松平さんの墓所が多いと聞いている。
吾が祖「貞幹さんも此処で眠っている」筈であった。何時の時かハッキリしないが、廃寺になってしまった。
                                                          (信弘)

◎無量院 戸崎町九十一番地にあり。薬王山と称し。能覚寺と号す。浄土宗京都知恩院末なり。
慶長十九申寅年二月起立。開山は明蓮社光誉宗谷和尚といへり。寺地始めは神田にありしが。
明暦三丁酉年類焼して此地に移れり舊境内表七十五間。裏五十六間。寺領三十石ありて。
寺中に心光院、乃宗院、心具院、長光院、の四箇院ありしに。明治後廃絶して。 其俤を一変せり。
墓地極めて広く。九十三番地に存す。境内に小野小町の石塔といへるあり。 又建部昌興の墓あり。
岡本三衛門は小石川無量院の第四代目住職に帰依して、法談を聞いたりした。
小石川無量院は、現在雑司ヶ谷に移ったが、移転前は伝通院に隣接し、その庭園は岡本三衛門の設計で出来たものだと伝えられた。    (江戸から東京へ)

◎江戸名所図絵の無量院 によると無量院は薬王山能覚寺と称し、慶長十九年二月(1614) 起立され、開山和尚は明蓮社光譽宗谷和尚とされている。もともと神田に有った寺院で有る  が、明暦の大火で焼失した。
その為に戸崎町に移ったと伝えられている。浄土宗知恩院派に属し、寺領三十石、寺院内には 心光院、乃宗院、心具院、長光院の四寺院が有ったが、明治後廃絶。また第二次世界大戦中、 昭和二十年五月二十五日の空襲で焼失。昭和五十七年三月まは、十咲幼稚園としてその面影を 残していた。
境内には小野小町供養塔、ジョセフ岡本三衛門神父の墓が有った。  (文献紛失)
    
     藥王山・無量院                        明治後廃絶とあります 
                                     (しかし大正十一年の小石川区案内図には載っている)

   
    戸崎町の無量院跡                   伝通院

  
    伝通院 於大の方の墓

◎明暦の大火 (1657)の後寺院の移動が多く有った。菩提寺系は小石川の傳通院、無量院が有る。
 これらの寺院は徳川家とそれにつらなる武士の手により建立された。建立は慶長十九年。阿萬 の方の菩提寺。  (東都出版社・傳通院周辺)

◎無量院 文京区小石川三町目付近に有った。今の城北信金・東京琵琶辺たりで、念連寺・小 石川アビタシオンの隣である (信弘)

◎無量院 「無量院」は幕府の庇護を受け、「伝通院」等と同じように力が有ったようである その故か各大名、旗本の墓所でも有ったらしい。形原系の旗本も入って居る。
 百聞は一見に如かずで、現地を見てきた。古地図を持って行った。文献に有るように、辺りの 風景に昔日の面影はない。
 「伝通院」の墓所を迴ってみた。新旧取り混ぜた大きな墓所である。裏の(昔の無量院側)敷 地には無縁仏になった凄い量の古い石塔が重ねられて居た。中には明らかに烈火を浴びた物が 多数有った。
 いつの日か、この石塔は整理され、また新しい墓所に成るのだろう。(信弘)

戻る           表紙へ                                     資料集へ